上天草市 |
天草五橋 | |
昭和41年9月に開通した九州本土と天草諸島を結ぶ全12kmの5つの橋です。「天草パールライン」の愛称で親しまれています。1号橋(天門橋)、2号橋(大矢野橋)、3号橋(中の橋)、4号橋(前島橋)、5号橋(松島橋)からなります。天草に五つの橋を架けて陸続きにするという、途方もない夢を持った森茲秀氏が天草五橋建設の立役者であります。今では定番の観光スポットであり、人気のドライブルートになっています。 |
天草ビジターセンター | |
天草の海に棲む生物から自然、風土、民俗まで、パネル・模型・写真・標本などを使って、天草の全てを幅広く紹介した施設です。館内には、天草の美しい風景、海岸での生物、天草の植物等を映像で紹介する「レクチャーコーナー」、特別展示や写真展、イベント等が実施される「企画展示コーナー」、体長(約3センチメートル)と同じ大きさのハサミを持つハクセンシオマネキ(カニ)の生態を紹介したコーナー等たくさんのコーナーがあります。 |
100万本の菜の花園 | |
温暖な気候の天草では、新春早々に早咲きの菜の花が咲き誇ります。国道324号沿線にある約2haの田んぼに、早咲きの菜の花、100万本が咲き乱れます。見ごろは12〜2月末ごろ。2月中旬には、この100万本の菜の花園を起点に、標高177mの高舞登山まで、往復5km歩くウォーキング大会が開催されます。 |
藍のあまくさ村 | |
お店にきて一番に目に入るのは日本一大きな天草四郎像!高さは15Mもあり、そこからあまくさ村を一望することが出来ます。また天草四郎像をバックに記念撮影も出来ます。 店内では天草名物の竹輪を作るちくわ工場の見学もでき、毎日焼きたての竹輪を販売致しております。 そのほかにも全国から電話注文も頂いている当店限定販売のお菓子『天草大漁焼』や新発売となった天草のデコポンを使って作った『天草レアチーズDECO』もおすすめです。 天草のうまい!を広く取り扱っておりますので天草にお越しの際は是非お立ち寄り下さいませ。従業員一同、心よりお待ち致しております。 |
天草四郎メモリアルホール | |
国道266号線沿いの天草四郎公園内に、天草島原の戦いを扱ったテーマ館「天草四郎メモリアルホール」があります。館内には南蛮船のレプリカ、乱の様子を再現したジオラマなど、天草島原の戦いを体験的に学べる資料が展示されています。また、マルチビジョンの大画面で、キリスト教が日本に伝わり、天草島原の戦いまでの歴史的な流れを説明する「ウェイティングホール」、3D劇映画”わが心の天草四郎”を立体メガネをかけて見る「映像ホール」、静かな音楽と光の空間「瞑想ホール」などもあります。 |
天草四郎公園 | |
国道266号線沿いにあります。天草・島原の乱の一揆軍の総大将、天草四郎時貞にちなんだ公園で、一帯は熱帯植物と四季折々の花が植えられ、歩道も整備されています。園の上の方にそびえ立つ天草四郎の銅像の周囲には、四郎の墓碑や隠れキリシタンの墓碑があります。また、園内には、愛する人のことを思いながら有明海に向かって鐘をつくと、潮風にのってその思いが相手に伝わるという「愛の鐘」があります。 |
天草四郎銅像 | |
益田時貞は小西行長の旧臣の子。通称天草四郎。洗礼名ジェロニモ。弱冠16歳で島原の乱の総大将におされ、原城に拠ったが、90日の篭城のすえ陥落、敗死した。 |
切支丹墓碑群 | |
この墓碑群は本町大字中字御子ノ浦(ミコノウラ)から昭和42年に発見された。 郷土史家及び当時の本渡キリシタン館長「亀井氏」の鑑定結果、隠れキリシタン墓碑であることが判明した。 これにより「天草・島原の戦い」(寛永14年〜15年)の後、大矢野には宗徒はいなかったとの節は覆された。激しい取り締まりを巧みにのがれ仏教とを装って信仰していたと思われる。 |
スパ・タラソ天草 | |
天草の海を間近に見下ろす高台に建つ。温泉とタラソテラピー(海洋療法)の二つが楽しめる。露天風呂、内風呂、貸切内風呂のほかに、元気海プールなど多彩な施設がある。 |
姫浦神社 | |
姫浦地区の氏神。江戸時代の創建。 |
下桶川不動神社 | |
龍ヶ岳町樋島の下桶川の突端に不動神社があります。昔、弘法大師がこの地に来られた際に、大岩にお経を書かれたといいます。そして、芦北へ向かう舟の上でふと、書いたお経に一字点を付け忘れたのに気づき、岩に向かってその愛用している筆を投げられたそうです。 それから、この岩がある付近を“投筆”と呼ぶようになり、大師ゆかりの不動神社がまつられています。 |
天草市 |
有明温泉 さざ波の湯 | |
「道の駅リップルランド」に併設する温泉センターです。海辺の高台に位置し、露天風呂から四郎ケ浜や有明海、そのむこうに島原半島や普賢岳を眺めることができ、夕陽は絶景と評判です。泉質はアルカリ性単純温泉で、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・慢性消化器官病等に効能があると言われています。浴室は男湯女湯にそれぞれ大浴場、露天風呂をはじめ、遠赤外線サウナ、リラックス湯、釜風呂(ミストサウナ)、気泡浴、低周波浴がある。身障者専用浴室、家族風呂もあります。大研修室(休憩室、レストラン)や学習講座、小会議室などの利用もできます。 |
道の駅有明 リップルランド | |
国道324号線沿いにある四郎ヶ浜ビーチと陸橋でつながる総合レジャー施設の道の駅です。レストランでは地元の旬や有明町の名物タコ料理が味わえ、物産スペースには、特産のタコの加工品をはじめとする土産品も揃っています。また、リップルランドのランドマークであるシンボルタワーを出発点とする全長100mのスーパースライダー、バッテリーカーで遊べる子ども広場など、遊びの施設も充実しています。また、フードコート「リップルカフェTACO家」では、地ダコを使ったたこやきや、デコポンを使ったデコポンソフトやシャーベットも販売。 |
ありあけタコ入道 | |
リップルランド前の海岸に平成17年10月18日完成した「タコのオブジェ」。有明町では平成16年度から商工会を中心に「タコによるまちづくり」を進めています。 その一環として、巨大タコのモニュメントを製作しました。制作者は御所浦町の造船業「アクアマリンまつなが」の松永英也さんが手がけた作品です。タコの足に入って写真撮影ができるなど、新たな観光スポットとして、人気を呼んでいます。 |
四郎ヶ浜 | |
全長515mの白砂のビーチ。人口ビーチならではの柔らかい白砂と緩やかな波が女性やファミリーに人気で、眼前には雲仙の山並みを望む県内でも有数の景観。2カ所にある休憩施設「オレンジハウス」は、シャワー・トイレ・更衣室・コインロッカーと、設備が充実。水飲み場や公衆電話、遊歩道も整備されています。国道324号をはさんで向かいには、道の駅リップルランド、さざ波の湯があります。“四郎ヶ浜”とは、天草島原の乱のとき、周辺の海岸にキリシタン軍の総大将「天草四郎時貞」が上陸したと伝えられることからのネーミングです。 |
正覚寺(南蛮寺跡) | |
キリシタン布教の中心であった「南蛮寺」。キリシタン教会の跡地にこの正覚寺が建立されました。南蛮寺は天正17年(1589年)上津浦城主ホクロン殿が建立。最盛期には3500人を超す人が上津浦城主の庇護のもとにキリシタンへ帰依し、南蛮文化の華が咲き乱れました。しかし、南蛮寺は弾圧のため破壊され、天草・島原の乱(1637年)後、仏教布教のために正覚寺を建立することとなりました。 |
本渡温泉センター | |
本渡市の玄関口である瀬戸大橋のすぐそばにある温泉センター。泉質は単純温泉で神経痛、関節痛、筋肉痛等に効果があります。館内には大浴場と3つの家族風呂、大広間(大・中)、8つの個室、カラオケホール、軽食コーナーがあり、大浴場では気泡、超音波浴が楽しめます。 |
天草瀬戸大橋 | |
天草の上島と下島の間にある
「本渡瀬戸」。この瀬戸の長さは約3Kmほどありますが、幅は約100m程度です。この瀬戸に2つの橋が架かっています。 1つは歩道橋である本渡瀬戸歩道橋で、もうひとつが車も通れる天草瀬戸大橋です。この橋は船が通る高さをかせぐために橋の両サイドがループになっているめずらしい橋です。 |
瀬戸歩道橋 | |
天草上島、下島を結び、瀬戸海峡に架かる全長124.77m、幅員2.9mの昇降式の橋。橋の下を船が通るとき、橋の中心部の長さ58mの橋げたが、船の高さに合わせてエレベーター式に上下します。 |
殉教戦千人塚 | |
1637年11月14日、天草四郎の率いる7,000人のキリシタン勢は、唐津軍(幕府軍)25,000人と本渡において激突し、町山口川を中心に大激戦が繰り広げられ、屍で川の流れも止まったといいます。 この日の戦で、大将三宅藤兵衛を失った唐津勢は富岡へ敗走ました。河原に残った唐津・四郎両軍の無数の遺骸を、里人たちは市内数カ所に地蔵を建て、千人塚と称し、懇に祀りました。これらの塚を合祀したのがこの殉教千人塚です。 |
本戸城址 | |
肥後赤井の城主木山弾正は豪勇をもって聞こえた武将であったが、島津の北上によって城を失い、外戚の故をもって天草伊豆守に迎えられ、客将として本戸城にこもった。 天正17年、たまたま宇土築城の加勢をめぐって、天草の諸将は小西行長と対立し、ついに行長の天草攻めとなった。行長は豊臣秀吉に上訴し、加藤清正の応援を得て、まず志岐城を攻めた。弾正は兵500を率いて志岐へ向かい、仏木坂に清正を迎えた。単騎敵将清正を求めて、敵中深く突入し一騎打ちをいどみ、清正を組み敷き、まさに首級を挙げんとした時、主君危うしと駆けつけた自分の家来の誤った槍にかかり、豪勇並ぶ者もない弾正も遂に戦場の露と消えたのである。 遺骸は本戸城一の丸のこの地に葬られる。 |
明徳寺 | |
天草・島原の乱後、混乱した島民の心を安定させるため、当時天草を治めていた代官鈴木重成が仏教を広めるために建てた、天草で最初の禅寺。山門の地蔵さんは異人さんの顔をしており、「異人地蔵」と呼ばれています。また、この参道、石の階段に十字の彫り物がされており、踏み絵と同じく十字架を踏みながら明徳寺に登るようになっています。 |
祇園橋 | |
国の重要文化財に指定されている国内最大級の石造桁橋です。天保3年(1832)、長崎のオランダ坂を手がけた天草の石工が作った石橋で、長さ28.6m、幅33mあり、歩いて渡ることができます。付近は寛永14年(1637)の天草・島原の乱の激戦地にもなり、多くの犠牲者が出ました。毎年10月には天草・島原の乱の霊をなぐさめるための殉教祭も開催されます。また、自動音声による案内機があります。 |
ア津天主堂 | |
穏やかな羊角湾に臨むア津の海岸に建つ教会です。1569年、ルイス・デ・アルメイダ神父によってキリスト教がこの地に広く伝えられ布教が行われました。1638年の禁教令以後は激しい迫害を受け、教会は踏み絵が行われる場所となりましたが、信徒たちは240年間、隠れキリシタンとして信仰を守りました。現在の建物は昭和9年(1934)、ハルプ神父によって改築されたもので、高い尖塔を持つ重厚なゴシック建築で、内部は畳敷きになっています。 |
ハルプ神父の墓 | |
現在の崎津天主堂を改築したのはフランス人のハルプ神父である。ハルプ神父は昭和3年(1928)12月に司祭として着任して以来、布教と教会の建立に献身し、昭和20年(1945)1月、81歳で永眠した。 |
大江天主堂 | |
現在の建物は昭和8年に完成したロマネスク様式白亜の天主堂です。宣教師として来日し、天草へのキリスト教伝導に生涯を捧げたガルニエ神父が私財を投じて建立しました。今でも天草キリシタンのシンボル的な存在であります。敷地内には、パーテルさんとして親しまれたガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があります。北原白秋、吉井勇ら五人の詩人「五足の靴」の一行も、ガルニエ神父に会いにこの天主堂を訪れています。 |
下田温泉センター 白鷺館 | |
開湯800年の歴史を持ち、皮膚病などに効能があると評判の下田温泉の立ち寄り温泉施設です。露天やジェットバス、サウナなど7種の温泉が揃った温泉センターと、内湯のみの公衆浴場の2つからなっています。泉温は、56.2℃、泉質はナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉で湯量も豊富です。家族風呂も8つあり、貸切休憩室、軽食・喫茶が楽しめるラウンジもあります。 |
河童街道の河童達 | |
栖本町には、河童の伝説が残っており、河童を使った町おこしを行っています。栖本町内を通る県道34号・松島馬場線は一家団欒しているカッパや橋の欄干に座るカッパ、逆立ちしているカッパなど、22体のカッパ像が設置され、通称「河童街道」と呼ばれています。 |
栖本町 ひまわり畑 | |
毎年11月になると、「栖本温泉センター・河童ロマン館」に隣接した敷地に約30万本のヒマワリが咲き誇ります。 これは、平成10年に栖本で開催された「第6回九州かっぱサミット」に合わせて植えられたもので、栖本の新スポットとして人気です。 冬にひまわり畑が見られるとあって、毎年多くの人々が一面に敷き詰められた黄色い絨毯を見に訪れています。 |
河童ロマン館 | |
泉質に優れた温泉は、露天岩風呂と大浴場、家族風呂の3種類。硫黄の匂いが漂い、無色透明で柔らかいお湯は、肌がつるつるになると評判です。温泉のほか、レストランや休憩室、滝や池を配した日本庭園などもあります。 |
円性寺 | |
円性寺は島原の乱後天草が天領となった初代代官、鈴木重成が島民の心をひとつにまとめようと兄の正三と共に天草各地に社寺を創建、復興させました。円性寺はその時の「天草四ヶ本寺」の一つです。この円性寺の創建がいつかは把握していないが、天草が天領になったのが寛永17年(1640年)ですから、1640年代の創建と思われます。 |
栖本諏訪神社 | |
諏訪神社は海に面した神社で、天草・島原の乱の後、初代代官となった鈴木三郎九郎重成が、人々の心の安定と治世を図るため、天草全島の祈願所として建立したと伝えられています。 |
えびす像公園 | |
「倉岳大えびす」像は総大理石で造られ、台座を含めると高さ10mと日本一の大きさです。えびす様は昔から豊漁や航海の安全祈願のために尊ばれ、大事にされてきました。今は全国から集まる太公望や地元の漁師たちにやさしくほほ笑みかけています。敷地内の「えびす茶屋」ではシモン商品の購入と食事が利用できます。 |
ルイス・デ・アルメイダ上陸地跡・南蛮船碇泊所跡 | |
ルイス・デ・アルメイダ神父は「永久運動」とニックネームがつくほど精力的な布教を西日本各地で続けたのち、河内浦に帰り、1583年10月、59歳で昇天した。永眠の地は、ここより800mほど一町田中央寄りの信福寺境内(天草氏菩提寺)であるといわれているが墓標は特定されていない。 |
天然温泉愛夢里 | |
半円型の建物にオレンジの屋根、オシャレなステンドグラスが施された館内は、どこか南欧を思わせるリゾート地のよう。大浴場は洋風、和風の2種類が男女日替わりで入れ替わり、家族風呂は大家族でもゆったり入れる大きなお風呂です。又、入館料のみで利用できる温水プール、その他 、レストラン、売店も併設しています。 |
久玉城跡 | |
日本で最古の「海城」と言われる久玉城は、築城者は未だ不明のままですが、今から約600年前の室町時代に築城されたものとわかっています。 昭和47年に国道の改修工事の際に発掘され、当時の居館跡や石垣、排水溝、食器類などが発見されました。 |
牛深ハイヤ大橋 | |
牛深漁港の海上を通り、加瀬浦地区にある後浜新漁港へと至る全長883メートルの橋です。「くまもとアートポリス」参加事業のひとつで、イタリアの建築家レンゾ・ピアノ氏の設計によるものです。「可能な限り少ない橋脚で支持し、海上でカーブした一本の線を浮揚したように見せる」ことで自然景観に調和しています。また、魚の銀鱗を思わせるような風よけ板がこの橋のデザインの大きな特徴です。車道だけでなく、歩道も完備されているので散策にもおすすめです。また、夜はライトアップされます。 |
うしぶか海彩館 | |
牛深の海の文化をテーマにした複合施設で、資料館・物産館・レストランなどが並んでいます。牛深ハイヤ大橋の下にある、フェリー発着場隣りに位置し、1階には新鮮な魚介類、水産加工品、牛深の特産品が揃ったショッピングゾーン「漁師村」をはじめ、牛深ハイヤの関連資料や映像を展示した「ハイヤ道場」、漁業関係の資料を展示した「漁業展示室」、約1000匹が泳ぐ巨大な回流型水槽の中から食べたい魚を選べる「いけす広場」、魚のさばき方を教えてもらえる「魚道場」、一面ガラス張りで海を眺めながらティ・タイムをすごせる喫茶コーナーがあります。また2階には 市民ギャラリーやウォークデッキ、「さかな学習室」、レストラン、展望ブリッジなどの施設があります。 海へせり出す展望ブリッジからは、牛深ハイヤ大橋や港の美しい眺めを楽しむことができます。 |
遠見山公園(すいせん公園) | |
牛深港を見下ろす遠見山の頂上にあり、約50万本のスイセンが咲くところから、水仙公園と呼ばれ親しまれています。12月中旬〜2月中がスイセンの見ごろで、日本スイセンが咲き誇り、スイセンの甘い香りと青い海の眺望が楽しめ、また3月いっぱいは西欧種のスイセンも開花し、色や形、香りの違いなどを堪能できます。1月下旬にはイベントも開催されます。 |
遠見番所跡 | |
天領時代、番所がおかれた遠見山に番所跡が残っています。鎖国体制が敷かれた江戸時代、諸外国の出入国は長崎の出島だけで行われていました。不審な船を発見すると狼煙をあげ、遠見山から遠見岳、天草町の荒尾岳、苓北町の白岩崎へ・・・と伝達されていました。この距離、わずか6分だったと言われています。 |
やすらぎの湯 | |
の町牛深の山の温泉です。市内からは、車で約10分のところにあります。泉質は単純温泉(弱アルカリ性低張性低温泉)で神経痛、筋肉痛、関節痛等に効果があります。館内には大浴場と露天風呂(大・小)、農産物直売展示コーナー、交流室があり、大浴場は、薬草気泡湯、自然泉湯、冷泉浴槽、ペパーミント蒸し風呂等、多彩な風呂が楽しめます。また別館にはヒノキ風呂があり、やすらぎ荘では宿泊ができます。 |
苓北町 |
富岡吉利支丹供養碑 (千人塚) |
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この碑を地元では首塚、又は千人塚と呼んでおり、寛永14年(1637)の天草島原の乱で命を失ったキリシタン一揆軍のの3分の1ほど、約3300人余の首が葬られています。天草・島原の乱から10年後の正保4年(1647)に、初代の代官鈴木重成の手によって供養碑が建てられ霊を慰めたと言われています。 |
苓北町温泉センター 麟泉の湯 |
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志岐城跡近くの高台にある温泉センターです。泉質は、アルカリ性単純泉で、神経痛、筋肉痛、関節痛等に効用があります。館内には大浴場と3つの家族風呂、和室(大・小)があり、大浴場は打たせ湯や浮き風呂、サウナなどを完備し、天井はエアードームとなっています。また、眺望はすばらしく、雲仙岳から東シナ海、苓北火力発電所までが一望できます。 良質な温泉を家庭で楽しむことができるように、温泉自動販売機が農村運動広場上駐車場に設置され、温泉を持ち帰ることもできます。(料金は1リットル1円)。 |