明日香


明日香村

蘇我入鹿首塚
蘇我入鹿は、後世の伝説によれば、天をもおそれぬ大悪人であり、超自然的な能力をそなえた魔人であった。そういう人物だから、大化改新の時もただ殺されるだけではすまず、切られた首が飛び跳ねたり、御簾に食いついたりしたとかいう伝承はかなり古くからあったらしい。鎌倉時代の五輪塔が、その首を埋めた塚とされたのも、人々に、そのような入鹿への恐れがあったからだろう。

飛鳥寺
推古4年(596)、仏教を保護した蘇我馬子の発願により日本初の本格的寺院として完成した。平城京遷都に伴い奈良の地に移転され元興寺となる。三金堂が塔を囲む大寺で、その規模は現法隆寺の3倍にも及んだが、鎌倉時代に伽藍の大半を焼失した。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。本尊の銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時、飛鳥時代の作で日本最古の仏像。飛鳥大仏の名で親しまれる。

岡寺
天智天皇2年(633)、義淵僧正が草壁皇子の岡宮をもらい受け創建。当初、伽藍は別の場所にあった。岡宮をもらい受けたことから岡寺と呼ばれているが、正式には龍蓋寺という。現在は山の中腹に江戸時代の書院(重要文化財)や仁王門(重要文化財)、本堂が佇む。本尊は天平時代作で女性の厄除け観音として信仰を集めている如意輪観音坐像(重要文化財)。像高3.6mでわが国最大の塑像。

治田神社
もと治田氏の神々を奉祀され、文明時代に一時大国主命の和魂である大物主を奉祀されたことが古書にあります。
更に社名を八幡宮と称して品陀別天皇を奉祭し岡村字城山の八幡神社を併合して今日に至っている。

石舞台古墳
6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳。その規模は日本最大級を誇る。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれる。墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠がめぐる。石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6m。石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるという。

川原寺跡
飛鳥寺とともに飛鳥の三大寺に挙げられた大寺であった川原寺は、斉明天皇(皇極天皇の重祚)の川原宮跡に、子の天智天皇が建てた。発掘調査からは、一塔二金堂式で左右対称の伽藍配置をとっていたことが明らかになった。現在は、遺構として24の瑪瑙(大理石)の礎石と塔跡が残る。

弘福寺
川原寺の金堂跡に建てられています
仏陀山「
弘福寺」です
開山は天智天皇、開基は道明上人
斉明天皇の川原宮を寺としたのが始まりです
皇極天皇(在位642-645)譲位の後に創建されたと伝えられます

亀石
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨石の下端部に動物の顔面のような彫刻があり亀に似ていることから亀石と呼ばれている。

水落遺跡
斉明天皇6年(660)、中大兄皇子(後の天智天皇)により造られた、わが国初の水時計である“漏刻台”の跡。“漏刻台”は、導排水管をめぐらし、一定の速度で水を流すことで時を計る精密な時計。鐘をつき、時を知らせたと伝わる。磁石間を石でつないだ堅固な建物跡や、導排水管などが発掘調査によって見つかった。現在、復元された石造の一辺20mの方形基壇には、25本の柱が立つ。また、飛鳥資料館では水時計の模型を見ることができる。

石神遺跡
石神遺跡はこれまでの調査によって,斉明朝の遺構,天武朝の遺構,藤原京時代の遺構と3期の遺構が混在していることがわかっています。これまで公開された遺構は,藤原京時代に天武朝に造られた池状の遺構を埋めて造られた石敷き,石敷き井戸,溝,建物跡などです。

橿原市

橿原神宮
畝傍山の東南麓に位置する。明治23(1890)年、神武帝が造営し即位した場所とする「日本書記」の記述を基に建立された。初代神武天皇と皇后を祀る。
京都御所の賢所を移築した本殿(重要文化財)には、手前に内拝殿、外拝殿が立つ。また、文華殿(重要文化財)は織田家の藩邸を移築したもの。広大さを誇る神域は50万m2に及び、敷地内には森林公園や深田池などもある。玉砂利を敷き詰めた外拝殿前広場も素晴らしい。

深田池
南神門下に在る深田池。白鳥とかオシドリ、鴨、が棲んで居て参拝者を和ませて居る。

藤原宮朱雀大路跡
日本で最初の都市計画をもった都・藤原京の中心を南北に貫いた朱雀大路の跡です。





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