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大分市 |
府内城跡 | |
「府内」とは大分の別称。慶長2(1597)年、福原直高が築城。現在、濠や石垣はそのまま、城跡は公園になり、櫓や城門、日本庭園風憩いの広場には廊下橋を復元。 |
西洋音楽発祥記念碑 | |
昭和46年10月設置。製作者は富永直樹。聖フランシスコザビエルが府内(現大分市)で布教して以来、キリスト教文化が栄え、この町にも賛美歌の歌声が流れるようになった。1557年(引治3年)に聖歌隊が出来。1562年少年たちがビオラを領主大友宗麟の前で演奏したと言われている。 |
遊歩公園 | |
府内城跡から南へ延びる並木道は、遊歩公園と名付けられ、さまざまな彫刻を見て歩くことができる。瀧廉太郎像、ザビエル像など10数体の彫刻が点在する。 |
伊東ドン・マンショ像 | |
昭和50年10月設置。製作者は北村西望。「天正遣欧少年使節」の正使としてローマへ1582年2月20日~1590年7月27日まで渡った。大友家一族の子どもで1612年(慶長17年)11月13日、43歳で病疫した。 |
聖フランシスコ・ザビエル像 | |
キリシタン大名として知られる大友宗麟は、フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇に派遣しました。また、西洋の文物を積極的に取り入れた街づくりを行い、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地としてめざましい発展をとげました。 |
大分銀行 赤レンガ館 | |
重厚なレンガ造りが目を引く洋風建築は、大分銀行本店として大正2(1913)年に完成したもの。設計者は東京駅を設計した辰野金吾。夜は9時30分までライトアップしている。 |
大友宗麟像 | |
JR大分駅前の宗麟像。文化勲章受賞の富永直樹氏作。昭和57年11月大分市が大友宗麟らが伊東マンショらを天正10年にローマに天正遣欧使節として派遣した400周年記念の時建立。キリスト教を保護し南蛮貿易をして府内の栄光を築いた大友宗麟の歴史的功績を顕彰した銅像です。 |
柞原八幡宮 | |
樹齢3000年、天然記念物の楠が茂る深い森に建つ神社。本殿は貴重な八幡造りで、東宝殿、西宝殿、申殿、拝殿が立つ。宝物館には国の重要文化財6点ほかを収蔵している。 |
豊後国分寺跡 | |
豊後国分寺は奈良時代(710-784)の半ばに聖武天皇の命により仏教の力で国を鎮護し災いを除くことを願って、各国毎に建立された国分寺の一つです。 大分川左岸のこの地には、その昔、七重塔、金堂、講堂、食堂など壮大な伽藍(がらん)が建ち並んでいました。今その場所は史跡公園となっており、往時の豊後国分寺の姿を遺構の復原や表示などで再現し、園内を花・森・交歓・水景・芝生の広場に区分して散策しながら歴史学習に親しめる場なっています |
大分市歴史資料館 | |
天平13(741)年、聖武天皇の勅願で建てられた豊後国分寺跡で、一帯は史跡公園になっている。外観は奈良の東大寺ふう。館内は各種資料を数千点展示している。 |
亀塚古墳公園 | |
丹生川の左岸、河口近くの海部地域に築かれた大分県最大級の前方後円墳。墳丘の規模は全長約120メートル、後円部直径約60メートルで三段築成となっている。くびれ部左側には造り出しがあり、墳丘のテラスと共に円筒埴輪列が発見されている。埋葬主体は後円部墳頂から大型の箱式石棺と竪穴式石室の2基発見されてり、現在は箱式石棺が模造復元されている。5世紀代の海部を知る上で非常の貴重な古墳とされている。 |
海部古墳資料館 | |
資料館では曲玉や船の埴輪片、銅鏡などの出土品や当時のムラを再現したジオラマを展示。 |
萬弘寺 | |
6世紀頃(伝承では用明天皇元年10月)に用明天皇が密かに九州(筑紫国~日向国)を巡幸した際、安万郡(海人部)日吉邑(現在の大分市坂ノ市日吉原)において病を発したが、地元の村人達の献身によって回復する。これに感激した天皇はその地に寺を建立することを約束した。このとき病気平癒を祈念して薬師如来像を彫刻した豊国法師が開基であるとされる。 |
関崎海星館 | |
佐賀関半島突端の高台にある天体観測施設で、肉眼の7300倍の集光力をもつ60cm反射望遠鏡を設置。パネルやパソコン、ビデオで宇宙と地球を紹介する展示ゾーンも見もの。 |
関埼灯台 | |
岬の先端、豊予海峡を見下ろす断崖の上に立つ白い灯台。1901(明治34)年につくられ、現在も現役で、海峡を行く船を守り続けている。 |
早吸日女神社 | |
創立西暦紀元前667年の古社(式内社)で厄除開運の神として信仰をあつめてきた。蛸断ち祈願が全国でも珍しく有名である。5月3日のふじ祭も参拝者が多い。 |
道の駅 佐賀関 | |
別府湾に面して建つ道の駅。昆布や地元産のヒジキなど、海産物がメインのみやげが豊富にそろう。食事処では関アジや関サバが味わえるほか、地タコを使ったタコ焼きも人気 |
別府市 |
海地獄 | |
見た目は涼しげなだが、泉温98度、深さ200mを超える。あたりはむせるような湯気と熱気が立ち込め、冬場でも汗がにじむ。およそ1200年前の鶴見岳の噴火でできたといわれる。 |
鬼石坊主地獄 | |
灰色の熱泥が、坊主頭のような球状をなして沸騰している地獄。「鬼の高いびき」と呼ばれる間歇泉も見もの。敷地内に地獄の温泉を利用した足湯や、日帰り温泉施設がある。 |
山地獄 | |
岩山のいたるところから噴気が立ち上っていることからこの名が付いた。園内では、温泉熱を利用してアフリカゾウやカバ、ラマなど世界各国の動物を飼育している。 |
かまど地獄 | |
昔、氏神の竈門八幡宮の大祭の際に、御供飯を地獄の噴気で炊いていたことに由来。1丁目から6丁目までがあり、大小の地獄が湧き出る。5丁目の地獄は青や緑に色が変わる。 |
鬼山地獄 | |
大正12(1923)年に日本で初めて温泉熱を利用したワニの飼育に乗り出し、別名「ワニ地獄」とも呼ばれる。現在では約100頭のワニを飼育。水曜と日曜にワニの餌付けがある。 |
白池地獄 | |
噴出時は無色透明の熱湯だが、池に落ちて、温度と圧力が下がると青白く変色する不思議な池。泉質はケイ酸で、泉温は約95度。 |
血の池地獄 | |
奈良時代の豊後風土記に「赤湯泉」と記され、古くから知られる地獄。酸化鉄を含んだ粘土を噴出し、真っ赤な色をしている。広さは1300平方メートル、深さ30m、泉温75度。 |
龍巻地獄 | |
別府市の天然記念物に指定される間欠泉が最大の見どころ。およそ35分間隔で、約150℃の熱湯が地上50mまで一気に吹き上がる。その状態が5分間ほど続くが、これは世界有数。 |
坊主地獄 | |
かつての大地震で寺院が住職ごと吹き飛ばされたとの伝説が残る地獄で、天然記念物に指定されている。敷地内の日本庭園に、20数か所の“地獄”が点在する。 |
別府海浜砂湯 | |
別府八湯の一つ、亀川温泉にある市営の砂湯。海岸沿いに幅6m、長さ20mの砂場があり、浴衣を着て砂に埋もれば全身があたたまる。無料の足湯を併設している。 |
別府タワー | |
北浜海岸に立つ高さ100mのテレビ塔で、展望台は地上60m。1957(昭和32)年、日本で3番目に建てられたタワーで、別府のシンボル。現在はアミューズメント施設になっている。 |
石垣神社 | |
この地は、大昔より山神社(大山津見命)の鎮座する社地でした。 ここに、平安時代の朱雀天皇の承平7年(937)9月13日、医薬の祖神と崇められた少彦名命を出雲国の午間天神社より勧請して此所に祀り人々の無病息災を祈願してきました。 |
由布市 |
由布岳 | |
人気の観光地である湯布院の北東部にそびえる由布岳は「豊後富士」といわれ親しまれている。標高1584m、東峰と西峰の2つのピークを持ち、360度の展望が楽しめる。秋は紅葉、冬期は霧氷の名所として知られている。古くから神の山と崇められ「豊後風土記」や「万葉集」にも登場する名峰である。 |
由布院駅 | |
由布院駅は、全国でも有数の温泉地 湯布院の町並みの西に位置する木造のシックな駅です。 大分出身の建築家「磯崎 新」氏が設計し、改札デッキのない開放感のある駅舎は 女性の方からは もちろん多くのお客さまに御好評を頂いております。 また、駅構内には町が合築したアートホールや、観光案内所もあり、 毎日観光のお客さまや地元の方で賑わっております。 |
観光辻馬車 | |
人気の辻馬車は平成13年に車輛をリニューアル。増員・増便で季節毎に変化する田園風景を周遊します。 |
由布院駅構内「あし湯」 | |
ひのきや竹を使用した「あし湯」が由布院駅1番ホームにあります。神経痛や筋肉痛などの効能がある、由布院温泉のかけ流し。列車の待ち時間に、旅の疲れを癒してみませんか。ご利用券は由布院駅でお買い求めください。 |
興禅院 | |
興禅院は、菊池寛の名作「恩讐の彼方に」の禅海和尚の得度の寺である。 洞門造りの大願を立てたゆかりの寺であるが、昭和48年に火災があり、木造の旧伽藍は全焼し、その後不燃性の本堂と庫裏が再建された。 |
九州麦酒発祥之地 | |
人口12,000人足らずの小さな町、湯布院町。周囲を緑の山並に囲まれ、豊かな水と温泉に恵まれたこの小さな町に、平成6年7月26日に九州で第一号となる地ビール醸造会社、ゆふいんビール株式会社が誕生いたしました。 |
宇奈岐日女神社 | |
通称「六所様」呼ばれてきたこの神社。六所とは、奉祭する六柱の神々を現しています。 正式な名称は「宇奈岐日女(うなぎひめ)神社」といい、由布院は弥生以来の遺跡を持つ沼で、動物の「うなぎ」を沢沼の精霊としてまつったのが古来の祭神ではないかと言われています。 古来から土地の開墾は水との戦いの連続で、人々は治水に頭を悩まし続けたのでした。 |
佛山寺 | |
金鱗湖と由布岳、そして湯布院の自然に囲まれたこのお寺は地元の人々にとって重要な寺院の一つです。 約千年前、日向国霧島神社での神のお告げにより由布岳の山腹にて庵を結び観音像を刻し祀ったのが始まりです。 以来、由布の霊場の本拠地とされてきましたが慶長(けいちょう)の大地震により、本尊が山谷に転落してしまい、時の村人が、現在の場所に移したそうです。 |
金鱗湖 | |
数本の小川が流れ込み、温泉もわき出ているので湖水の温度は年間を通してほとんど変わることはありません。 外気温の低い日には、湯気が立ち登り、幻想的な雰囲気に包まれます。 この湖にはテラピア(外来魚)、フナ、鯉、ハエ(ハヤ)などの魚を見ることができます。金鱗湖は昔、現在の数倍ほどの大きさがありましたが、数回の地震による山崩れで埋没し、湖面が狭く、そして浅くなってしまったと言われています。 明治17年儒者「毛利空桑」がこの地に訪れ、鮒の鱗が金色に輝くのをみて「金鱗湖」と名付けたのが呼称の始まりと言われています。 |
天祖神社 | |
今でこそ金鱗湖一帯が観光地として多くの人々が頻繁に行き交うようになりましたが、何年か前までは朝夕、村人たちが浄水をくんで背負って帰る姿が当たり前のように見られていました。 地元、温湯地区の子供達が昔から集まるこの神社の両脇には由布岳からわき出た水が今もさらさらと流れています。 金鱗湖を背にしているこの神社には中央に天祖神、向かって右に八坂神社、左方に金比羅神社を祀っています。 |
めるかわ温泉 | |
金燐湖の近くにある温泉。一応、民宿を兼ねているようで、宿泊もできるらしい。 風呂は、横にある湯小屋にある。木造の趣のある小屋で、ちゃんと男女別に分かれており、簡素な脱衣所と露天風呂がある。 大きな岩を配した風呂で、野趣満天である。 湯は無色透明無味無臭。クセのない、きれいな湯である。湯温も適温で、いつまでも入っていられる。 |
道の駅 ゆふいん | |
「道の駅」ゆふいんは、国道210号、大分自動車道湯布院インター、県道別府一の宮線の合流地点にあり、悠然とそびえる由布岳を望む、観光地湯布院の玄関口です。物産館には湯布院の特産品を利用した軽食コーナー、新鮮野菜等農産物の直売コーナーがあります。また、道路情報、観光情報、医療情報等を情報端末と案内人が紹介します。 |