備北


三次市

花園遺跡
遺跡の中心遺構としての第1号台状墓は東西31m、南北20m、北辺の高さ1.3mの台形の墓域です。南・北・東の三辺には貼石や積石を施し、また南辺には浅い側溝を設け視覚的に明確な墓域をつくり、その内部に土壙墓や石棺など215基以上の埋葬施設が集中しています。

日光寺住居跡
花園遺跡から東へ約50m南に成光池を望む緩やかな斜面にある古墳時代後期の住居跡です。住居は東西にならんで3棟発見され、その構造は一辺が4〜5mの方形で、地面を40cm程度掘り下げ、4本の柱で屋根を支えている竪穴式住居で、県の史跡に指定されています。

日光寺
本堂の前は修験の祭壇が造られて居る。本堂には薬師如来に不動明王と神変大菩薩を祀ると在る。

若宮八幡神社
祭神は応神天皇で、保元年間(1157年ごろ)山城国男八幡宮より勧請されたものです。
最初社は十日市町救山にありましたが、三次町寺戸に移り、更に大正5年10月16日(1916)現在の地に移りました。

若宮古墳
全長35.8m、前方部の幅16.2m、後円部の直径約20m、高さ3mのこの地方では数少ない典型的な前方後円墳で、花園古墳群(25基)の主墳と考えられています。

広島県立
みよし風土記の丘
約30ヘクタールの丘陵に、史跡、浄楽寺・七ツ塚古墳群に所在する176基の古墳を中心として、復原古代住居、重要文化財・旧真野家住宅などを、自然と一体的に保存、公開しています。

旧真野家住宅
17世紀の中頃の建築で,間取りや柱間隔,梁組みなどに古い農家建築の姿をよくとどめている。建物は,世羅郡世羅町にあったものを,移築復元したもの。

浄楽寺・七ツ塚古墳群
前方後円墳1基,帆立貝形式方墳3基,方墳20基,円墳152基があり,中国山地に数多く分布する群集墳の典型的なものである。現在,県立みよし風土記の丘として整備されている。

高杉城跡
高杉城跡は、三次市街地から東南へ約5kmの馬洗川と美波羅川との合流点近くの水田地帯にあります。標高約170m、水田からの比高3〜4mの所に位置し、高杉の河岸段丘を利用してつくられた特殊な形式の平城です。

道の駅ゆめランド布野
四季折々の地域食材をふんだんに取り入れたふるさとの味を満喫できるレストラン『味の館』、特産品を販売する売店や野菜の直売所『布野ふれあい市場』、布野産の生乳と果物や野菜を使った手作りアイスのお店『まるごと布野のアイス屋さん』があります。

岩脇古墳
みよし風土記の丘の西方,高谷山裾の丘陵上にあります。径31m,高さ3.5mの円墳で,墳頂部には竪穴式石室1基,箱形石棺6基があり,5世紀前半代の家族墓と考えられています。

庄原市

宝蔵寺
龍尾山密厳院宝蔵寺は古くは勝光山にあったが、のちに現在地から北方の西城川対岸大仙谷の瀧尾山に移ったとされる。中世には山内氏の祈願所とされて寺領の寄進を受けるなどして栄えた。天正3(1575)年の「山内元通坊主職預ケ状」には「瀧尾寺」とある。

蘇羅比古神社
鍬寄山にある、古い歴史を持つ郷社。彦火火出見尊が奉られています。参道の両脇にある2本の大杉は県の天然記念物に指定され、天を向いたコマイヌは石州焼でつくられた珍しいものとして知られています。

道の駅 リストアステーション
この道の駅は、広島県北東部に位置する甲奴郡総領町の国道432号沿いにあり、広島県で第1号の道の駅です。『リストア』とは『蘇る』という意味で、過疎化の進む町の再生を願って名付けられました。

領家八幡神社
甲奴郡の旧本郷村に本郡八幡総社大宮八幡宮という大社があり、その八幡宮という大社があり、その八幡宮において建治元年(1275)旧8月15日放生会の祭礼について論争が起り、その際下領家の仏ヶ峠の某が御幣を持ち帰った。





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