備中


岡山市

北区

岡山後楽園
岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な変遷を知ることのできる、地方では稀な大名庭園となっています。

岡山城
慶長2年(1597)、豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城。三重六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしています。
関ヶ原合戦以前の古式を伝える貴重な天守です。

吉備津彦神社
古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に四道将軍として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り吉備の国を平定し、その後も吉備中山の東麓に永住し、諸民と国を深く愛し、吉備の国をすばらしい国にしたので、人々は現人神として崇め奉りました。それが、吉備津彦神社のはじまりとなります。

造山古墳
古代吉備王国の首長の墓といわれる県下最大、全国でも応神、仁徳、覆中に次ぐ4番目の規模を持つ全長350mの大前方後円墳です。造営当時は日本一の規模で、その存在は畿内政権と肩を並べる古代吉備の勢力を物語っています。

荒神社
造山古墳の前方部上には荒神社があり、その社の横には石をくりぬいた石棺の身が置かれています。蓋は破片となっていますが、社の裏手に置かれています。身は長さが239p、最大幅が111p、高さ75p以上、内側は長さが193p、幅75p、深さ58pです。

造山第6号古墳
千足古墳の南約100mに位置している、径約30m、高さ約5mの円墳です。

千足古墳
造山古墳の南西約200mに位置している、全長約74m、後円部径約54m、高さ約6.8mの帆立貝形古墳 です。
現在は後円部中央に朱の塗られた横穴式石室の玄室(被葬者が納められる部屋)が開口しています。鏡、勾玉、刀剣、甲冑、巴形銅器が出土しています。

犬養木堂生家
犬養家は代々この地方の大庄屋や郡奉行を務める旧家でした。木堂生家は、昭和51年に犬養家から岡山県に寄贈され、椛蝟{組の創業70年記念事業として無償施工により解体修理されたものです。

木堂記念館
記念館は、木堂生家から小川を隔てた隣地に建設されたもので、平和を愛した政治家 犬養木堂の足跡をしのぶ遺品、写真、手紙などを展示しています。

須佐之男神社
往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の社に納めた。寛喜年中(1229〜32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って須佐之男命・天照大御神を跡地に祭った。後、須佐之男神・櫛稲田姫神・大穴牟遅神を祭って上社とした。

東区

西大寺観音院
往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の社に納めた。寛喜年中(1229〜32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って須佐之男命・天照大御神を跡地に祭った。後、須佐之男神・櫛稲田姫神・大穴牟遅神を祭って上社とした。

瀬戸内市

備前おさふね刀剣の里
刀剣づくりの情熱と伝統を知る備前おさふね刀剣の里。
日本の伝統美術工芸のすべてを結集した刀剣は、世界に誇るべき総合芸術品。その刀剣のふるさと長船は、古代から現代まで受け継がれた日本の伝統文化に触れられる心のふるさとです。

華光寺山古墳
古墳時代前期、4世紀後半の墳長約96mの前方後円墳です。この古墳は前端部がややバチ状で、その前端にテラス状のものを持ちます。墳丘には10??大の河原石が葺石として葺かれ、円筒埴輪が巡らされていたようです。後円部に組み合わせ式長持形石棺が埋葬され、その前後の側室には内行花文鏡・三角縁神獣鏡・直刀・大刀・短剣・鉄斧などが納められていました。

夢二生家
大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の詩人画家竹久夢二。美しい山河に囲まれたこの家で夢二は生まれ、16歳まで過ごしました。茅葺きの家は生前のままに保存され、素描、版画などの作品が展示されています。入口には有島生馬氏の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑があります。

少年山荘
少年山荘は、竹久夢二が自らデザインを手がけた洋風建築を、夢二生誕95年を記念し、1979(昭和54)年夢二の次男、不二彦氏の協力で復元したものです。
1924(大正13)年、夢二は東京にアトリエ付き住居を建てました。少年山荘の名前は、中国の「酔眠」という漢詩の中の一節から、少年の日のように春の長い一日を過ごしたい、との願いを込め夢二が名付けました。

和気町

和気神社
道鏡事件で国難を救い、長岡遷都、平安遷都に力を尽くし、数多くの土木事業を成し遂げた和気清麻呂の生誕地にある氏神。足腰に御利益があるといわれている。

和気清麻呂像
生誕1250年を記念してふるさと和気へ里帰りした日本彫塑界の大御所朝倉文夫作のこの像は高さ4.63m。奈良県と朝倉家遺族のご厚志により当地へ寄贈され、公園のシンボルとなっている。

和気町歴史民俗資料館
この資料館は、和気清麻呂公顕彰事業の一環として取り組まれ、多くの人々のご協力によってできたものです。
昔から、この郷土に生き、この土地を育んできた人々の文化遺産や生活の歴史を掘り起こしながら、それらの資料を収集、保存し、広く一般に公開しています。

旧大国家住宅
宝暦10年(1760)に創建された旧大國家住宅は、「比翼入母屋造」の屋根形式をはじめ、随所に珍しい特徴を持つ大型の民家です。
平成16年(2004)に、国の重要文化財に指定されました。

備前市

旧閑谷学校
閑谷学校は江戸時代に建てられた、旧岡山藩直営の庶民教育のための学校です。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財に指定されています。樹々や花々が四季折々の彩りを見せ、訪れる人を楽しませてくれます。

閑谷神社
閑谷学校の創設者である岡山藩主池田光政を祀るために貞享三年(1686)に建てられたもので、もとは光政の諡にちなんで芳烈祠または西の聖廟に対して東御堂といわれた。

田倉牛神社
空へつきさすような石段を登ると、20万個とも30万個ともいわれる備前焼の牛の山が参拝者を迎える。鳥居こそあるものの神殿は設けず、神職もおかず、地元の人々により交代で当屋が務められ今につがれています。





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