ベイエリア



中央区

千葉ポートタワー
千葉ポートタワーは千葉県民500万人突破を記念して、国際港千葉港のシンボル及び海と親しむ場の創出として建設されました。千葉ポートパーク、県立美術館、千葉港を巡る遊覧船など、周辺の観光施設とともに、四季折々に海辺と親しむ絶景の観光スポットです。

美浜区

千葉マリンスタジアム
千葉ロッテマリーンズのフランチャイズ球場として、多くの観客を集めている。東京湾からの潮風が吹き抜ける湾岸幕張新都心にあり、その広さと設備は日本でも屈指の充実度。野球のみならず、音楽イベント等のコンサートも行っていて、また夏場には、豪快な花火大会があり、県内外からの来場者を魅了している。

東京モーターショー
東京モーターショーは、1999年の第33回ショーから乗用車・二輪車と商用車を分離し、2005年の第39回ショーまで奇数年に乗用車・二輪車ショーを、偶数年に商用車ショーを毎年交互に開催してまいりました。
2007年の第40回ショーより、乗用車、二輪車、商用車、車体、部品関連製品といったすべてのカテゴリーが一堂に会する新・総合ショーに開催形態を変更し、隔年で開催してまいります。

市川市

葛飾八幡宮
寛平年間(889−898)宇多天皇の勅願によって、京都石清水八幡宮を勧請したものです。武神として古くから源頼朝、太田道灌、徳川家康など武人の崇敬を集めました。
そして明治維新までは、天台宗の八幡山法漸寺が別当寺として管理していましたが、廃仏毀釈によって廃寺になりました。社殿の前の鐘楼は往時を物語る遺物です。

法華経寺
中山は、日蓮宗の大本山法華経寺が存在することで知られています。この法華経寺は、日蓮聖人に帰依した若宮の領主富木常忍と、中山の領主大田乗明の子日高とが、共に館の内部に堂を建て、それぞれ寺院として法華経寺、本妙寺と称したのですが、のちに合体して一つの寺となり、法華経寺と号するようになりました。

東山魁夷記念館
市川市東山魁夷記念館は、20世紀の日本を代表する日本画家である東山魁夷が生涯の大半を過ごしたゆかりの地である市川市に、2005年11月に開館しました。 戦後まもない1945年(昭和20年)から1999年(平成11年)逝去するまでの50余年間市川に在住し、その輝かしい画業は市川の誇りでした。

安房神社
江戸時代の諸書に、「安房の須明神」または「安房の須祠」として記載されています。
なかでも江戸名所図会には「安房須明神社」として「中山の北、池田というより北の岡にあり」と書かれ、挿絵を載せています。

浦安市

東京ディズニーランド
夢と魔法がぎっしり詰まった7つのテーマランドは、今年開園20周年。期間限定のイベントやエンターテイメントを常に開催し、いつも園内は賑やか。訪れるたびに「帰りたくない!」と思う人も多いハズ。「すべては一匹のネズミからはじまった・・・」という夢と魔法の王国は永遠に完成しない、そして訪れる人々に常に新しい夢と驚きを与えてくれる唯一の場所なのかもしれない

東京ディズニーシー
東京ディズニーリゾートにあり、海にまつわる物語や伝説からインスピレーションを得た、冒険とロマンス、発見と楽しさにあふれたテーマパーク。園内は、「メディテレーニアンハーバー」、「アメリカンウォーターフロント」、「ポートディスカバリー」、「ロストリバーデルタ」、「アラビアンコースト」、「マーメイドラグーン」、「ミステリアスアイランド」の7つのテーマポートから構成され、それぞれの時代や雰囲気にあったアトラクションやレストラン、ショップが用意されている。また、イタリアンクラシックをコンセプトにデザインされた東京ディズニーシー・ホテルミラコスタがあり、パーク内に宿泊しての滞在型リゾートも楽しめる。

イクスピアリ
イクスピアリ (Ikspiari) は、千葉県浦安市舞浜の東京ディズニーリゾート内にあるショッピングモール。2000年7月開業。TDRの正式な構成施設のひとつであるが、ディズニーのライセンスによるディズニーブランドではなく、オリエンタルランドが独自に企画・所有し、同社子会社の株式会社イクスピアリが経営・運営している。

郷土博物館
「自由に見て、触れて、感じて、浦安を五感で知ろう!」そんな施設が郷土博物館です。母なる海が育てた浦安の自然・歴史・文化を、わかりやすく展示しています。人と人との「ふれあい」をモットーに、さまざまな活動を行っています。

三軒長屋

「旧内田喜一氏所有三軒長屋」は、浦安市堀江3丁目(3-18-15)から移築したものです。安政5年(1858)以前に本家から譲り受けたといういいつたえや部材の状態から、江戸時代後期の文政〜天保年間(19世紀前半)頃の建物と推定されています。建築様式は、寄棟造りの茅葺き木造平屋建です。一棟に三軒あり、一軒ごとの間取りが「9尺2間(6畳一間)」に土間がつく型で、典型的な庶民の長屋です。このような長屋が残されているのは、東京周辺でも極めてまれな例です。


べか舟
べか舟とは、海苔採り舟のことです。
長さ12尺(3.6メートル)、幅2尺8寸(84センチ)位の薄板で造った小舟です。幅が狭いのが特長で、これは海苔棚の間隔4尺(1.2メートル)に入りやすくするためでした。
一人乗りで艫部に縛りつけた櫂で漕ぎます。のちに、機械化され、4〜5馬力の発動機を取り付け、海苔採りも電気掃除機のような長い柄がついたモーター付きの採取機で、海苔の網の上から吸い込んで採るようなりました。

豊受神社
天照大神は天界から地界に降りてくる時、豊受気媛神より五穀(米・麦・粟・胡麻・小豆)のたねを受け取り、広めたと伝えられています。(神話より)
トヨは美しい・ウケは食で、ヒメは女神です、食料の神は女神様ということですね。稲穂にやどる美しい精霊豊受気媛神になります。これが浦安を代表する神社の一つ猫実の氏神様。

左右天命弁財天
左右天命弁財天は明治時代に村人の手により建立され、大正時代に、この地域に津波が襲来して流失してしまい、その後再建されています。弁財天様のあるこの地域を、かつては「灰(へい)やのくるわ」と呼んでいました。災難の到来を知らせてくれる霊験あらたかな神様として地域の人たちの信仰を集めています。

花蔵院
花蔵院は、いつ建てられたのか明らかではありません。永仁元年(1293)の大津波で建物が流され、天正5年(1577)に賢融和尚によって再興されたといわれています。
境内には、公訴貝猟願成の塔や庚申塔などがあります。

東学寺
東学寺は、室町時代の終わり(1558〜69年の間)に建てられたといわれています。
本尊には、亀乗薬師如来がまつられています。

正福寺
正福寺は江戸時代のはじめ、慶長13年(1608)に建てられたといわれています。明治13年(1880)の大火事で燃えてしまいましたが、大正11年(1922)に再建されました。
境内には、浄行堂などがあります。

旧宇田川家住宅
旧宇田川家住宅は明治2年に建てられたもので、建築年代がはっきりとわかるものとしては市内最古の民家です。道路に面した店舗部分と裏の住宅部分からなり、米屋、油屋、雑貨屋、呉服屋などの商家として使われてきました。幕末から明治に至る江戸近郊の町家の形をよく伝えており、商家遺構の少ない関東では特に貴重な建物であることから、昭和57年に市の有形文化財として指定、昭和59年から公開しています。

旧大塚家住宅
旧大塚家住宅は、建築構造と様式の特徴などから江戸時代末期の建築と推定されています。当時の浦安では比較的大きい家でした。この家には、屋根裏2階があって、土間と玄関の天井から上がれるようになっています。たび重なる水害に悩まされてきた先人たちが生活の知恵として考えたもので、ここに避難したり、家財道具をしまったりしていました。昭和62年、市の有形文化財に、平成14年には、県の有形文化財に指定されました。

清瀧神社
清瀧神社は漁の安全と豊漁をと願う人たちにより建てられた神社で浦安を代表する一つの神社です。浦安には白蛇民話がいくつか在り、この白蛇は龍神の化身とのことです。
豊受神社は女体神社、清瀧神社は男体神社で浦安の土の民・海の民の守護神堀江の氏神様。

猫実の庚申塔
この庚申塔(こうしんとう)は、正徳5年(1715)1月、猫実村の庚申講の信者によって建てられました。正面金剛菩薩を刻んだ庚申塔では、市内で最も古いものです。
塔の正面には、邪気(たたりをする神)を踏みつけておさえている青面金剛菩薩、庚申の干支にちなんで「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿が刻まれています。

境川
境川は江戸川の支流で、浦安市の西から東に流れ、高洲海浜公園脇で東京湾に注いでいます。江戸時代には川の両側に漁民の家屋が密集していて、北側が猫実、南側が堀江と呼ばれていました。西水門から大三角線までの源流域は川幅も狭く、密集した民家の間を流れていますが、大三角線を過ぎると川幅も広がり、周囲も開けた感じがします。漁村だった当時は海までの運河として、多くの漁船がひしめきあっている状態で、多いときは2千艘近くの船が係留されていました。浦安の海の埋立が進むにつれ漁業が衰退し、川面から漁船は次第にいなくなりました。

浦安町役場跡
江戸時代年貢米をお納めた郷蔵がここに建ちのち明治時代に郷蔵は堀江小学校へ、そのあと村役場となり、明治42年に村から浦安町へ翌々年44年新庁舎に改築その庁舎は和洋が上手く重なった建物と評判だったとの事、隣接に漁業組合事務所も開設され、近隣には浦安銀座(フラワー通り)もあり一帯は華やかで浦安町の中央になっていた場所。

稲荷神社
稲荷神社は商売の神様として知られています狐様は田畑のネズミを追い払い豊作を呼ぶとされ祀られてもいます、浦安でも各家々の庭には祠などがありますがやはり商売繁盛と家の守り神として祀られてた神社を見することができます、この当代島稲荷神社入り口からは想像も出来ないほど立派な境内と社神殿が有り浦安当代島の氏神様になっています。

船圦川跡
現在、緑道になっているこの場所は、昭和40年代後半まで「船圦」と呼ばれた川が流れていたところです。前兆550メートル、川幅12メートルあまりの川で、江戸時代のはじめごろに狩野浄天・田中十兵衛(当代島地区を開墾した人物)により人工的に掘削されたものであるともいわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。
当代島地区は、この川沿いに集落が形成され、発展してきました。

善福寺
明暦2年(1656)に建てられたと言われる寺院です。明治時代には、住職の影信が教師となり、本堂を教室として当代島小学校を開校しました。
境内には、かるめや不動尊や六地蔵などがあります。

松戸市

矢切の渡し
小説「野菊の墓」や、歌謡曲「矢切の渡し」で有名な唯一現存する江戸川の農民渡船で、矢切と葛飾区柴又を結んでいます。





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