都城・えびの


えびの市

えびの高原
えびの高原は夏でも平均気温20度の涼しさ。
自然の赤松と熊笹に覆われたキャンプ場、テントや山小屋風一戸建キャビンで快適なアウトドアライフを満喫。
えびの高原池めぐり、新緑、山桜、紅葉、そしてバードウォッチングも楽しめる六観音御池、白紫池、不動池は四季を通じて様々な自然を体感できる。

えびの
エコミュージアムセンター
えびのエコミュージアムセンターは、霧島連山の登山や火口湖めぐり(池めぐり)の出発点として、えびの高原のすばらしい自然環境の中にあります。
霧島の自然のようすを、写真・映像・模型・標本などでわかりやすく紹介する自然博物館です。
登山やハイキングに出る前や、ドライブの途中の情報収集など、自然探勝の拠点としてご活用ください。
自然に親しむ入口、そんな気軽さでお立ち寄りください。

賽の河原
韓国岳登山口近くの賽の河原は、別名「硫黄地獄」ともいわれ至るところに硫黄の塊が転がっている。近くには3つの池をめぐるコースや、つつじヶ丘から遊歩道へと進むハイキングコースなどもある。

不動池
霧島屋久国立公園霧島地域は 20余りの火山郡や火口湖があり、不動池もそのうちの一つです。
この池は 深さ9.3メートル 周囲700メートルで湖面は常にコバルト色を呈しています。
これは火山の影響を受けて水の酸性度は強いのと光の屈折による現象です。
また池の中やまわりがきれいな砂である為ににごらないからでもあります。

白鳥神社
白鳥山の中腹にあり、旧県社で日本武尊の他四神を祀っている。
本殿の柱に刻まれた竜と紅白の唐牡丹の彫刻は江戸末期のものといわれている。

金松法然
俗称「焼酎法然」「金松さあ」の名で親しまれる。
焼酎を供えて一事を願えば望みが叶うといわれる。
霊験あらたかで御利益があり、全国各地から参拝客が絶えない。
9月の秋分の日には大祭で賑わう。

三徳院
垣武天皇の延暦元年(782年)に皇居に出没する大蛇を退治したと伝えられる八人の盲僧の内、大栗が肥後国に開法山肥恵大寺光明院を建立した。その後明心は開法山を真幸に移し三宝院と改称し開山となった。明心の弟子明久は、飯野城主島津義弘公の命を奉し敵方に潜入して手柄を立て木崎原合戦の勝利を占い当てた。その功績により日向盲僧の宰を許された。その後三宝院の名は三徳院と改められた。

小林市

生駒高原
市内を一望する標高540m、霧島連山が背に広がる生駒高原は、雄大なお花畑。12万平方メートルの敷地に、春には菜の花が咲き誇り、さらに色とりどりのアイスランドポピーが一面をいろどります。
そして秋になると、100万本ものコスモスが高原を埋め尽くし、園内に一歩足を踏み入れると、澄みきった高原の秋風と、涼やかに揺れるコスモスたちが私たちを迎えてくれます。 
毎年たくさんの観光客が訪れ、花と水のまちがキャッチフレーズの、小林市にふさわしい、人気スポットの1つです。

建設神社
天孫降臨のふるさと高千穂峰の山麓に建立した建設神社は、地域の発展、人々の招福、建設産業の繁栄、事故や災害防止の祈願処であります。
神殿には、手置帆負神と彦狭知神を土木建築の祖神として祀っております。

山之御神社
桃園天皇の頃の宝暦12年12月(1762)頃に、この地の旧家で当時の指導的立場にあった田口氏と平川氏が高崎郷の守護神として建立したものと思われます。

小林町古墳
小林市は、市内の3地区に分かれ6基が発見され昭和14年1月27日県指定を受けていますが、詳細が不明です。

野尻町

大萩古墳
昭和8年に県指定になる、昭和48年より瀬戸ノ口地区農地保全事業が始まると次々に地下式横穴古墳が発見されたので県は緊急調査をした。ついで昭和49年より予算を組み対応して昭和51年までに古墳を33基、住居跡2ケ所を発掘調査した。住居跡は柿川内第二遺跡である。その後古墳も次々に発見されて37基に達している。

伊集院源次郎忠眞の墓
薩摩藩の帖佐の城主、伊集院源次郎忠真(たださね)は、主君島津忠恒(ただつね)に対してさきに庄内の乱をおこし、降服後もたびたび謀叛の心があるとの理由で、忠恒が上方へ上洛の途上、野尻に於いて殺害された。
その後野尻では大火がつづき厄難が後をたたなかった。これはきっと悲業の死をとげた忠真の怨霊の祟りであろうと恐れて、五輪塔の墓を建てた弔った。この時以来400年続く弔踊りは現在までつづいている。

東麓磨崖仏
創建時代は約700年前の鎌倉時代末期の作と推定されている。制作技術やや素朴なタッチであるが、当初の原形を残しているのは意義がある。
 中央にひときわ大きな薬師如来がほられ、その左右に日光菩薩、月光菩薩が脇侍し、更に眷属として十二神将が薬師如来が守っている。

道の駅 ゆ〜ぱるのじり
「道の駅 ゆ〜ぱるのじり」は、花街道国道268号沿いにあり、駅内には、バラ湯やハーブ湯、アロマサウナ等で旅の疲れを癒す温泉施設や休憩施設、メロンやふるさと・薬膳料理が味わえるレストラン、そして宿泊施設まで完備しており、快適で安全な旅をお約束します。

薬草・地域作物センター

薬草やハーブ、地域作物(地域で昔から栽培されている在来作物)などを活用した「地域農業の振興」と「食と健康の情報発信」を進めていくために、これらの栽培・加工技術についての試験研究を行っており、その成果や利用方法、各種標本の展示など様々な情報も紹介しています。
また、展示園や展示温室では、約600種の薬草やハーブ、地域作物などを間近で見ることが出来ます。


のじりこぴあ
野尻湖湖畔にある「のじりこぴあ」は、子供から大人まで遊べるレジャーランド。のじりこぴあのほぼ中心にあるメロン型ドーム内には、レストランや特産品販売所もあります。

高原町

霞神社
霧島六所権現の使者とされる白蛇にちなんで、霞権現として信仰を集めてきた霞神社。
歴代島津藩主の庇護も厚く、狭野神社の別当寺としての歴史もあります。
古くから畜産の神様として知られていましたが、現在は商売繁盛、縁結び、受験合格祈願の参拝者が多く、4月15日の例大祭には山頂まで人の列が続きます。

狭野神社
社伝によると狭野神社の創建は非常に古く、第五代孝昭天皇の時代で二千数百年も昔。古墳時代よりも千年も前のことですので創建当時の歴史資料は残っていませんが、その後第30代敏達天皇の時代には別当寺として神生院(のちに神徳院)が建立され、さらに第62代村上天皇の時代には性空上人によって霧島六社権現が創始されるなどの記録があることから、日本という国が成立した頃には、すでに神域として相当の伝統をもっていたことがうかがえます。

皇子原
神武天皇ご降誕の地と伝えられている皇子原は、高原町一帯を見下ろす高台にあります。古代は子どもを産む際、家とは別に産屋を建てる風習があり、宮ノ宇都の高千穂宮におられたウガヤフキアエズは要害の地である皇子原に産屋を建てられたものといわれています。
昔から非常に神聖な地とされており、近くには皇子神社、御腰掛石、産場石などがあります。

皇子原神社
皇子原神社は神武天皇を祭る狭野神社の来社。
背後にある「産婆石」の表面をなぜると安産が出来ると伝わっています。

高原町古墳
高原町古墳は、別名皇子原とも呼ばれており、皇子原神社を中心に六基散在しています。大正十四年のトロッコ道開設時に六号墳付近から土器が出土したと云われています。現状保存のため発掘調査は実施していませんが、現在残されている土盛りは、五世紀後半から六世紀前半に作られた。西諸県地方特有の「地下式横穴墓」の墳丘と思われます。

都街道
高千穂宮と皇子原を、狭野尊を始め人々が往来した道路と云い伝えられている。

都城市

神柱宮
コンクリート造りの大きな鳥居が目印です。木立と芝生が美しい公園では、植木市や陶器市、フリーマーケットなどが催され、市民の憩いの場となっています。
公園に隣接して、島津荘の基礎を築いた太宰大監・平季基が万寿3年(1026年)にその総鎮守として創建した(明治6年、現在の場所に移転)神柱宮もあります。

道の駅 都城
道の駅 都城は、都城盆地の中央に位置し、国道10号沿いの都城インターに近い地にあります。 日本の滝百選に輝く関之尾の他、観光資源にも恵まれています。 駅では豊富な地場特産品の展示・即売や、レストランでの地場農畜産品を生かしたオリジナル料理が味わえます。

田島かくれ念仏洞
都城市山之口町大字富吉にある「田島かくれ念仏洞」は洞の入口の高さが110cm、幅が70cm、洞内の高さは126cm、直径が220cmと見た目にも小さく、現代人の体格をしてこの洞に入ることはそれだけでも窮屈で耐え難いと感じるほどである。
都城盆地には数多くのかくれ念仏洞が現存するが、これらの遺跡は、この地方の貴重な文化遺産であるとともに、藩政時代の一向宗(浄土真宗)禁制下における信者の信仰に対する信念と、それに対する政治弾圧という両者の凄まじい闘いの記念碑でもある。

熊野神社
創建は和銅3年(710年)。伊邪那岐命、伊邪那美命、豫母都事解男命を祭る。

今町一里塚
今町一里塚は、都城と曽於(鹿児島県)を結ぶ今町街道(現、国道269号線)の両側にあって(高さ2.7メートル、底部径7.2メートル)、幕府巡検使一行の道筋になっていた。

三殿町

蓼池かくれ念仏洞
洞穴(「ガマ」という)の中は、指定の際、高さ90cm、奥行3m40cm、横幅1m90cmとなっていますが、元来はもっと広かったと思われます。
平成元年11月3日に三股町指定文化財(第3号)に指定されました。

早馬神社
早馬神社は、大字樺山字松原にあって、祭神
は馬頭観音です。この神社は、新馬場にありましたが、廃仏毀釈によって破棄きされたものを再興し、のちに山王原公民館付近に移し、さらに現在の地に遷したものであると『三股町史 改訂版』にあります。

山王原稲荷神社
山王原の稲荷神社は、大字樺山字松原にあります。もともとは都城市の庄内(当時は安永村)にあったものを、明治3年(1870)に当時の地頭三島通庸が三股村開拓の当初に現在の位置に遷宮し、明治6年郷社に列せられたものです。

御崎神社
御崎神社は大字長田字牧にあります。祭神は大国主命です。もともとは大字長田字宮脇にあって、現在地に遷ったのは大正3年(1914)で、第4代目村長宮田盛儀の時でした。宮田盛儀は第10代目・12代目の村長も務めており長田地区の水田開発を語る上では欠かせない人物です。





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