芸北


安芸高田市

郡山城跡
郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、一貫して本拠とした山城です。城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。

洞春寺跡
洞春寺は、元就の3回忌に輝元が嘯岳鼎虎禅師を開山として、天正元(1573)年に臨済宗の菩提寺として建立されました。 毛利家とともに広島、萩を経て、現在は山口県山口市にあります。

毛利元就の墓
元就は1571年(元亀2年)に城麓の御里屋敷で75年の生涯を閉じました。その墓は、郡山城跡山麓の洞春寺跡に残されています。

毛利氏一族の墓
郡山初代城主毛利時親から元就の祖父豊元まで8代の合墓、ならびに兄興元、甥幸松丸、隆元夫人らの合墓がならんでいます。

常栄寺跡
毛利隆元の菩提寺である。
永禄元年(1563)、隆元没後に元就が開山させた。
二段からなる広大な曲輪でもある。
尚、常栄寺は、毛利輝元の防長減封後、山口に移った。
雪舟庭としても有名な寺院である。

毛利隆元墓所
隆元は元就の長子で、吉川元春、小早川隆景の兄にあたります。永禄6年(1563年)出雲へ出陣途中の佐々部(高宮町)で、急死しました。墓所は、菩提寺常栄寺跡の上にあります。

嘯岳禅師の墓
嘯岳禅師は元就によってこの地に招かれた高僧で、元就の菩提寺である洞春寺の開山となりました。
毛利家墓所の上にあり、柊の大木のもと高さ2.7メートルの宝筐印塔が建っています。

中馬古墳群
古墳時代後期(7世紀頃)に属する古墳が数十基あり、中馬、金広、長者原にかけての古墳を総称し中馬古墳群としています。
山腹や山麓に多くあって、ほとんど小規模な円墳であり、外部施設の埴輪及び葺石はありません。内部は横穴式石室がほとんどで切石造りの大きいものもありますが、小規模なものが多いです。

伝元就火葬場跡
元就の死後、初7日の法会後に、竹原妙法寺(現在の西方寺)の住持 嘯岳鼎虎禅師を導師に火葬されました。その伝承地が城の南西麓にあります。

郡山公園(興禅寺跡)
この一帯は毛利氏時代の興禅寺跡で、当時興禅寺村が置かれ、寺領を与え保護されています。この寺は、広島に移り現存しています。公園は大正4年(1915年)の築造で、浅野長厚三万石の居館に付設された「文久亭」を拡大修復したのが郡山公園です。

清神社
郡山山麓にあり、元禄7年(1694)再建といわれる、拝殿と本殿が一体となった珍しい造りです。特に戦国時代は郡山の鎮守社として毛利氏の祈願所でした。

安芸高田市
歴史民俗博物館
毛利家が活躍した戦国時代を中心に、吉田の歴史と民俗を紹介した資料館です。

道の駅 北の関宿
安芸高田
中国自動車道高田ICに隣接し、「北のひもの市場」「ながいきラーメン食堂」などの飲食施設、コンビニエンスストア、トイレが整備されています。

中山神社
中山神社は、天文16(1547)年毛利氏時代に鶴岡八幡宮から勧請したものです。この神社の什物である大太鼓は、近郷に比類のない鋲張大太鼓です。稀に見る樅の大木の原材を刳り貫き胴としたもので、その一番口は宮島厳島神社に、二番口は中山神社に、三番口は川本神社にそれぞれ寄進されました。

北広島町

古保利薬師
正式には古保利山福光寺といい、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が開基したと伝えられています。その後、福光寺は廃寺となりましたが、薬師堂と山門が残され、地元では「古保利の薬師さん」として親しまれています。

古保利古墳群
古保利古墳群は、前方後円墳1基を含む53基の古墳から成る、県内でも有数の古墳群である。

吉川元春館跡
吉川元春が隠居所として1580年代前半に建てた館跡です。発掘調査により台所・風呂屋・トイレ等の建物跡や井戸、庭園などが見つかり、中国や朝鮮半島などから入ってきた輸入陶磁器や木製品など、人々の生活や文化、技術が伺えるものが多く出土しています。

吉川元春、元長の墓所
戦国時代の武将。毛利元就の次子。織田信長の中国経略の際には甥輝元をよく助け,弟隆景と共に両川と称せられる。

万徳院跡歴史公園
万徳院跡は、天正2(1574)年に、この地域に勢力を広げていた吉川元長(毛利元就の孫)が建立した寺院跡です。国名勝の庭園は、自然地形の谷川を利用して造られた雄大な庭園です。

道の駅 舞ロードIC千代田
バスセンターの機能も併せ持った北広島町の新しい情報発信拠点として整備され、特産品コーナーでは、町内の特産品を陳列・販売しております。

龍山八幡宮
1313(正和2)年吉川氏が大朝本庄地頭として入封のおり、駿河国吉川村から勧請した神社で、現在の本殿は、1558(永禄元)年吉川元春が再建したものです。
本殿は県下では厳島神社につぐ室町時代の数少ない神社建造物で、三間社芸備造り、屋根は流れ造り銅板葺きの建築様式で、1962(昭和37)年国の重要文化財に指定されました。

安芸太田町

三段峡
三段峡の見所は五つ(黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝)の景観からなる「五大壮観」。
「五大壮観」の他にも大小様々な滝、淵などがおりなる渓谷は必見。全長13kmと歩くには一見長く感じるが、見る価値は十分。
特に、春の新緑、秋の紅葉は格別。

黒淵渡船
せり立った断崖に囲まれて、深緑や紅葉の写った水面は神秘的。秘境感100%

道の駅来夢とごうち
中国自動車道戸河内インターを降りてすぐ左に見えるのが「来夢とごうち」です。「来夢」という愛称は、この道の駅にたくさんの人々がいろいろな夢を抱いて訪ねて来て欲しいという願いを込めて名づけました。近辺の特産品をはじめ観光情報が充実しています。自慢の田舎寿司もあります。ぜひ一度お越しください。

温井ダム
えん堤の高さ156m、長さ382m、総貯水量8,200万トン。アーチ式コンクリートダムとしては富山県の黒部第四ダムに次ぐ我が国第2位の高さを誇ります。湖畔にはリゾートホテル「温井スプリングス」や「自然生態公園」等が整備されています。

甌穴巨石
この巨石は、温井ダムの建設に伴い水没した瀧山峡の須井ヶ淵の岩石段丘にあり、地元では「夫婦石」と呼ばれていました。引き上げた際に重さを計ったところ、大きい方の巨石は60トン、小さいほうの巨石は約30トン有りました。大きい方の巨石には「甌穴(ポットホール)」が見られます。甌穴の規模は、口径が約60cmで、深さ約60cmです。

吉水園
江戸中期につくられた美しい庭園で、緑と水面に映えるかやぶき屋根の吉水亭、薬師堂などの建物がほどよく調和されています。園内には県天然記念物のモリアオガエルが生息し、木の枝に泡状の卵を付け、これは昔から「延命の小袋」として珍重されています。年2回、春と秋には一般公開されます。

街ぐるみ博物館
「古くなったものをしまい込むのではなく、飾ってその価値を見出そう」・・・そんな発想から生まれたのが街ぐるみ博物館です。まち全体を博物館に見立て、訪れる人たちに”懐かしさ”を感じてもらえるような空間をめざして、地域の人たちが様々な工夫をこらしています。なかでも鉄を使った古い道具などを展示した「鍛冶屋館」が人気を集めています

長尾神社
湯立神楽は、江戸中期以前より長尾神社の例大祭に奉納されて現在に至っている。

常禅寺
常禅寺の一間鐘楼門は、屋根の外は改修が少なく、古い部材をよく遺しており専門家は18世紀中頃の建築と推定、同様式では県内最古級と評価しています。

木炭車とレトロ車博物館
山口県岩国市の麻里布モーター株式会社に展示してあった車5台。代表の林氏が、「生まれ育た地元に何か貢献したい」ということで、嫁の実家である安芸太田町加計の友人、森脇氏に話があった。個人の営利目的で使うのではなく、地域の町おこしの為に使ってほしい」と。早速、商工会の岩本氏と視察に行き、商工会会長 斎藤氏が、各関係機関に話を打診して2009年03月に移転した加計保育所跡を木炭自動車館にすることとなりました。







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