浜松


中区

アクトタワー
浜松の未来像を描いた、浜松の顔。地上45階建てのアクトタワーを中心に、一つの街を形成。会議場・展示場・ホテルのコンベンション三大要素を完備した総合コンベンション施設をはじめ、ショッピングモールや市民の憩いの場、オフィスなどが集積しています。(

ZAZA CITY
浜松市中心市街地の変化の核となるショッピング・アメニティタウン。中央館と、西館からなり、中央広場ではイベントも随時開催されます。

楽器博物館
国内唯一の公立楽器博物館。19世紀ヨーロッパの豪華なピアノやホルンなど、現在およそ850点を展示している。体験コーナーで演奏もできる楽しい博物館。(

縣居神社
八代将軍吉宗の次男に仕えた賀茂真淵は、ここ浜松に生まれた。縣居神社には、その賀茂真淵の歌碑が、また神社の近くには賀茂真淵記念館がある。

西区

浜名湖
ウナギの養殖でも有名な静岡県西部にある浜名湖。マリンスポーツはもちろん、サイクリングや遊園地などレジャー施設も多く、舘山寺や弁天島などの温泉地もある。

はまゆう大橋
浜名湖周辺地域の開発及び生活利便性の向上を目的に、浜松市街地と浜名湖の庄内半島を結ぶ道路の一部として浜松市白洲町から同市古人見町までの1.3kmが平成16年3月に開通した。
この道路は、平成16年にこの庄内半島で開催予定の「浜名湖花博」会場へのアクセス道路としての役割も担いました。

舘山寺
810年弘法大師により開創した、舘山の中腹にある真言宗の古刹。明治23年再興後曹洞宗に改宗。山頂の展望は見事。

北区

龍潭寺
小堀遠州作龍潭寺庭園は国指定文化財で、江戸時代初期に築かれた池泉鑑賞式庭園。寺院庭園として代表的な庭。

井伊谷宮
遠く南北朝時代に活躍した宗良親王をまつる神社。境内には全国的にも珍しい「絵馬史料館」 があり、江戸時代からの数千点の絵馬が展示されている。ふだんはひっそりとしているが、毎年9月21日・22日に井伊谷宮大祭が行われ、勇壮な手筒花火が奉納される。また、春には境内の桜がすばらしい。

湖西市

新居関所
幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」について厳しく取り締まりをしました。特に新居関所は100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていました。通行の際には各種の通行手形が必要となり、当関所では江戸へ向かう女性の「入り女手形」も必要でした。

紀伊国屋資料館
関所から西側には20数件の旅籠(現在の旅館)が軒を連ねました。紀伊国屋は紀州藩の御用宿となった旅籠です。
平成13年に解体修理し、当時の風情を体験できる施設として公開しています。

掛川市

掛川城
室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設すると共に、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。

大手門
大手門は天守閣に続いて平成7年復元されています。掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくり。
白壁で板ひさしが配され、棟上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。実際は現在地より50mほど南にありました。

三光稲荷
大手郭と馬屋の鎮守として、後醍醐天皇を救ったとされる伏見稲荷を勧請したもの。三光は、日・月・星を意味している。

ゲイスベルト・ヘンミィの墓
碑石蒲鉾型の石碑。碑文表面にオランダ文でこの由来が書き込まれている。「この地下に正座のままの姿で埋没してある尊敬すべき人、その名をケイスベルト・ヘンミー先生という」となっている。

事任八幡宮
創建年代は不詳ですが、(第13代)成務天皇の頃との記録があります。
大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じて、当社を再興したと伝わっています。それまでは本宮山にお祀りされていましたが、この年に本宮山より今の地(里宮)に遷座されたようです。

菊川市

大頭龍神社
悪疫鎮護の祭神大物主命を祀り、遠歴11年(792年)に創建されたと伝えられますが、天正2年(1574年)高天神城攻防のときにすべて焼き尽くされ、歓請のいきさつなどは詳らかではありません。

袋井市

冨士浅間宮
大同年間(806から10)坂上田村麻呂が、富士浅間神社より分霊を移したのに始まる古社。本殿は室町時代の特色を示す三間社流造、桧皮葺きで重要文化財で、古くは山名神社と言われ、神明帳にもその名を列ね、国衙領郷保目録に「三宮不入斗」とあり、境内にもその面影を残しています。

磐田市

旧見付学校
旧見付学校は明治8年に落成・開校式をあげた、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎です。 明治16年に3階部分を増築し、5階の建物となりました。現在は教育資料館として、教育関係の資料を中心に展示しています。

淡海国玉神社
初め岩井原という地に鎮座していたのを後に今の地に遷座したと伝えるが、その年月は不詳である。
式内御子神社・式内御祖神社・式内須波若御子神社を本社脇内陣に合祀。






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