高山市 |
古い街並み・上三之町 | |
天正13年(1585)、豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨を平定し、城下町を建設しました。その中の商人町が、現在国の重要伝統的建造物群保存地区となっています。狭い通りを挟んで洗練された意匠の町家が並び、ベンガラ塗の出格子や胡粉塗の腕木等は町人町として栄えた面影をよく残しています。 |
高山陣屋 | |
高山陣屋は国の史跡で、江戸時代、全国に郡代所・代官所は60数か所ありましたが、当時の建物が現存するのは高山陣屋のみで、世界唯一と言えます。また年貢米を収蔵した御蔵は1600年頃に建築され、1695年(元禄8年)高山城三之丸から移建されたもので、年代・規模ともに全国で最大・最古の蔵といわれています。 |
高札場 | |
1729年一之町から移され、忠孝・毒薬・人売買・駄賃・切支丹・火付等の高札が常時かけてあった。 |
中橋 | |
昔より、橋の中の橋というところより中橋といった。 天文五年(一五三六)の刻銘ある擬宝珠を付けた欄干付きの優美な京風の橋で幕府が公費で架け替えたという。 当時この工事の人夫に出た高山町民に賃金が払われ、時の郡代の評判はよかったという。また橋を渡り始めてから三枚目の踏板で福神像を彫ってまつると幸福が授かるという言い伝えが残っている。 |
宮川朝市 | |
江戸時代から、米市,桑市、花市などの市として発達し、明治の中頃から、農家の奥さんたちによって野菜がならべられるようになり、朝市とよばれるようになりました。朝市は陣屋前広場と宮川沿いの二か所にあります。新鮮な野菜や果物、花など四季折々の楽しみがあります。もんぺ姿のおばさんたちの素朴なやりとり、純粋な高山ことばを聞くことができます。 |
櫻山八幡宮 | |
仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命を受けた難波根子武振熊命は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。 |
高山祭屋台会館 | |
桜山八幡宮境内の屋台会館は秋の高山祭に曳きだされる11台の屋台を年3回(3月・7月・11月)4台づつ入れ替えます。祭行列を再現展示し、巫女さんがガイドをしてくれます。 |
桜山日光館 | |
大正時代に、当代の左甚五郎ともいわれた長谷川喜十郎をはじめ33人の技術者たちによって、15年間の歳月をかけて製作された日光東照宮模型は、実物の10分の1で、陽明門をはじめ、本殿、拝殿、五重塔など28の建物と、鳥居などの付属物をすべて再現しています。 |
高山別院 照蓮寺 | |
光曜山照蓮寺は、京都の東本願寺を本山と仰ぐ真宗大谷派の高山別院である。その起源は遠く鎌倉時代に遡り、開基は親鸞聖人の弟子嘉念坊善俊である。善俊は、後鳥羽上皇の孫とも皇子ともいい、伊豆の三島で関東より上洛途中の親鸞聖人の門弟となったと伝えられる。当初、善俊は白川郷鳩ヶ谷(大野郡白川村)に、その後、同郷飯島に専修念仏の道場を構え、正蓮寺と称した。 |
飛騨総社 | |
朱雀天皇の時代、承平年間(931〜)飛騨国司は国中の官社を国府の古跡神田の地に勧請し、総祭して世々祭祀を努めた。 醍醐天皇の延長年間、国々に総社が創設されるのに準じ、国司巡拝の制を改め、恒例の祭儀もここで修めるようになった。 文化十四年(1817)飛騨の生んだ国学者田中大秀翁はその衰頽を嘆き、『飛騨総社考』を著した。これを契機に文政三年(1820)社殿を再建した。 |
飛騨国分寺 | |
樹齢1200年を超える大銀杏と並び、三重塔がそびえる境内には高山城から移されたといわれる鐘楼門や、1200余年前の創建当時の塔礎石などがあります。本堂は市内で最も古い建造物で、室町時代の建立。飛騨随一の古刹の名にふさわしい風格があります |
荒川家住宅 | |
荒川家は天正年間(1573〜92)から続くという旧家。主屋と土蔵は江戸中期に建てられたもの。飛騨の匠が腕をふるった建物は見応え充分で、国の重要文化財に指定されています。内部には、民具や伊達政宗が金森長近に宛てた書状などが並びます。隣に立つ歴史民俗資料館では、細江光洋氏による乗鞍岳の写真や、丹生川地域の民具と石仏写真、昭和を偲ばせる道具などを展示しています。 |
白川村 |
白川郷合掌造り | |
1995年、ユネスコの世界文化遺産に認定された白川郷は、機能的・景観的にも優れた家屋、約110棟が集落を形成しているものです。静かな山村は植物や年中行事などの歳時記にことかかず、春の桜や冬の雪景色など一枚の絵のような光景が一年中あちこちで見ることができます。 |
焔仁美術館 | |
世界文化遺産に指定された岐阜県白川郷。その昔平家の落人たちが逃れて来たという昔話が伝わっています。 合掌作りのたたずまいが、古のロマンをかき立ててくれることでしょう。 外観の素朴なたたずまいからは、創造だにできない、焔仁の世界が空間をうまく利用して、展示して有ります。 茅葺き屋根の小さな美術館が皆様のお越しをお待ちしております。 |
合掌造り民家園 | |
廃村になった集落の25棟を移築した「合掌造り民家園」では、各民家で伝承(民具づくり)が実演され、合掌集落の生活が体験できます。民家ごとに機織りやそば打ち、陶芸などが体験でき、親切なスタッフに指導を受けながら思い出作りに訪れる人で賑わいます。 |
秋葉神社 | |
江戸時代、度重なる火災と特に天明3〜7年(1783〜87)の大飢饉のうえ、悪疫が流行し、荻町村で230人もの人々が亡くなりました。 この苦境を乗り越えようと相談の結果、小神堂を建立し、火伏せ神を祀り平和を祈りました。 大正時代に神殿を改修し、秋葉神社と改め現在に至っています。 |
明善寺 | |
1826(文政9年)築。高山の大工である水間宇助の設計・建築によるもの。未だに割れ目など老朽化が見られない頑丈な建築。 |
明善寺庫裡 | |
高山の大工副棟梁与四郎によって江戸時代末に建てられた庫裡。これにより1736年、真宗本覚寺より門信徒が分かれて開基され、1748年に明善寺が創建されている。客間である「でい」が、「くちのでい」「中のでい」「おくのでい」と三室あるのが特徴である。現在、有料により階上には郷土の民具を展示した民俗館となっている。 |