平戸市 |
田平天主堂 | |
大正4年から3年の歳月をかけて、信者達の手によって建設されたロマネスク様式の荘厳な赤レンガづくりの教会。瀬戸山天主堂とも呼ばれており、教会堂棟梁・鉄川与助の代表作。色鮮やかなステンドグラスは、絵画を思わせる美しさ。十字架は高く輝き、アンジェラスの鐘は彼方まで響き渡る。 |
道の駅 昆虫の里たびら | |
高さ9メートルのカブトムシが目印。県北の特産品や農産物の直売所があり、ドライバーの憩いの場として終日賑わいをみせる。 |
平戸大橋 | |
1977年4月4日に有料道路として開通した平戸島と田平町を結ぶ朱塗りの吊り橋。(歩行者天国としては3月27日に開通) 4年の歳月と、56億円をかけて架けられた。 橋は全長665m、トラス吊橋構造で主塔間465.4m、幅10.7m、海面上30mに吊られている。 風が吹くと通行注意、 |
亀岡神社 | |
明治13年(1880)に城下の四社(七郎神社、乙宮神社、八幡神社、霊椿山神社)を合祀して亀岡神社となった。西海鎮守と称され旧県社。例大祭の平戸くんちは、みこしや武者隊などの行列が市街地を練り歩るく勇壮な神事として知られている。国指定重要無形文化財「平戸神楽」の奉納もある |
中山愛子像 | |
この像は、明治百年を記念し、明治天皇の祖母にあたる平戸出身の中山愛子姫(〜1906)をしのんで、昭和43年(1968)に建立されました。製作にあたっては、愛らしい画風で親しまれ、多くの絵本を手がけた、平戸出身の童画家黒崎義介(1905〜84)が下絵を描きました。 |
日本最初 たばこ種子渡来之地 |
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日本で初めての海外貿易港として栄えた平戸港には、16世紀後半に、ポルトガル船やスペイン船などが来航しました。そして、数々の異国の品々とともに、たばこも伝えられたと言われています。 |
平戸城 | |
平戸市街地の丘の上に建つ城で、平戸市のシンボルとなっている。 天守閣からの眺めは素晴らしく、眼下に平戸瀬戸の急潮、黒子島の原生林、遠くは壱岐の島が望まれる。 城内には平戸藩時代の遺品等が多く展示されている。 |
イギリス商館の碑 | |
イギリスと日本の交流発祥の地である『平戸イギリス商館』を記念して、1927年(昭和2年)、日本在住イギリス人たちにより寄贈され、イギリス商館比定地の対岸のこの地に設置された。 |
幸橋 | |
市役所そばにある石造単アーチ橋。 幸橋(さいわいばし)、別名「オランダ橋」といわれ、1702年(元禄15)架けられた。 時期になると、この橋の下を「あご(とびうお)」や、とてつもなく巨大なイカが泳いでいたりする。 |
平戸港交流広場 | |
市街地中心部に位置し、広場内に観光案内所があり、しかも無料の駐車場まであるという、まさに平戸観光の拠点となる場所。 イベント会場としても利用される。 夜は広場内がライトアップされ、市街地に彩りを添える。 |
ジャガタラ娘像 | |
1639年(寛永16)幕府は、平戸のオランダ商館長に対して、長崎平戸に居住するオランダ人子女を調査し、その氏名と両親の氏名を書き出すように命じ、蘭英両国人に嫁がして子女を産んだ日本婦人とその子女はひとり残らず、この年出帆のオランダ船でバタビア(今のジャカルタ)に送り届けるよう申し渡された。 長崎平戸の婦女子40人余がこの年追放された。 |
ポルトガル船入港の地 | |
宮の町前の本通りが、当時は海岸で、ここらがポルトガル船最初の入港場所であろうといわれている。 海商五峰王直の手引きによって、ポルトガル船が初めて平戸に入港したのは1550年(天文19)のことである。 |
平戸温泉うで湯・あし湯 | |
平戸の新しい観光スポット「平戸温泉うで湯・あし湯」 特に「うで湯」は「あし湯」より気軽に利用できるとあって毎日大勢の人が利用している。 更に平戸温泉は、神経痛や、やけどなどにも良いナトリウム炭酸水素塩泉。 「肌の調子が良くなった」との声も。 |
平戸のうた 藤浦洸生 誕百年記念モニュメント |
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藤浦洸氏の生誕百年記念モニュメントです。 正面のオブジェに手を通すと「平戸のうた」が流れてきます。 |
オランダ井戸 | |
オランダ商館跡近くに、大小ふたつの石枠を組み合わせて造られた井戸がある。 大きな井戸枠は厚さ15センチ、高さ60センチ余の板石で、長さ150センチ余の正角、小さい方は高さが少し低くなっている。 ふたつの井戸は中でつながっており、大きな井戸は屋外からの水汲み用、小さな井戸は、商館の屋内から調理等に用いたものだと言い伝えられている。 |
平戸和蘭商館跡 | |
オランダとの唯一の貿易港として栄えた平戸。 その和蘭商館跡が、崎方町にある。現在は、カロン庭園として広場が整備され、当時の建物の模型が展示されるなど、観光施設のひとつとして多くの観光客が訪れている。 |
オランダ塀 | |
オランダ商館跡付近から山手に登る階段に沿って作られた、砂石で出来た石塀。 商館当時に目隠しとして作られた塀である。 長年の月日により、老朽化しているが、その分歴史を感じさせる。 |
平戸観光資料館 |
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オランダ塀に沿って少し登った所に石碑が建っている。 その奥にある2階建ての建物が1959年(昭和34)開館した平戸観光資料館である。 ここには、山鹿素行にまつわる資料をはじめ、ジャガタラ文、コルネリアの彫像など貿易当時の資料、マリア観音や隠れ切支丹に関する資料などが展示されている。 資料館入口の左側に置いてある扇形の石は、オランダ商館入口にあったアーチ型石門の一部であったという。 |
松浦史料博物館 | |
建物は1893年(明治26)松浦氏の邸宅として建てられたもので、鶴が峰邸と呼ばれていた。 1955年(昭和30)歴史博物館として開館、以来多くの観光客を迎えている。 松浦家は、鎌倉時代の初期、この地に落ち着いて以来、幕末に至るまで650年余転封等がなかった事から、貴重な遺産が豊富に残されている。 |
お部屋の坂 | |
平戸藩主邸(現松浦史料博物館)の一帯は御館と呼ばれている。 その北側に石畳が続く坂道がある。鶴が峰の峠を越えて大久保の馬場に通じている。 この坂道の中程に、お部屋さまの屋敷があったことから「お部屋の坂」(おへやのさか)と呼ばれるようになった。 この周辺には武家屋敷が立ち並んでいた。 |
六角井戸 | |
県指定の福江市の六角井戸とともに、井戸の型が在来の日本の井戸と異なり、特異なものであるところから、唐人関係、倭寇関係遺跡として伝承されているが、詳らかではない。 この井戸の付近が、明との交易時代外国商人の居住地であったかもしれない。(明確な記録がない) 井戸枠は、水を各方面から一時に汲むのに便利なように六角形にしたものと思われる。長崎県内における数少ない例として保存されている。 |
浦の町大ソテツ | |
オランダ、イギリスとの貿易華やかな頃、延命町(今の浦の町)は、川崎屋助右衛門、半田五右衛門、伊藤謀等の貿易商が軒を並べて、平戸一番の賑わいを見せていた所であった。 この浦の町裏通り天満宮登り口に、大きく枝を四方に伸ばしている老ソテツは、川崎屋全盛時代に植えられたものといわれている。 |
聖フランシスコ・ザビエル記念教会 | |
平戸市街地の丘の上にカトリック平戸教会の尖鋭な屋根と十字架が望まれる。 この教会は、1913年(大正2)に今の愛の園保育園の所に建てられたが、1931年(昭和6)に現在地に建設された。 1971年(昭和46)ザビエルの平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称も「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになる。 |
松浦隆信の墓 | |
松浦家28代隆信(宗陽)は、1591(天正19)年に生まれ、1637(寛永14)年に没した。 隆信(宗陽)の時代は、平戸藩の歴史上もっとも変化の激しい時代であり、平戸がオランダ・イギリス・中国等外国との貿易に、大変な賑わいを見せていた時代であった。 隆信(宗陽)が没した4年後の1641(寛永18)年に、オランダ商館が長崎へ移り、華やかだった海外貿易は終わりを告げたのである。 |
光明寺 | |
1592年(天正2)創建の浄土真宗の寺院。寺号は顕如上人が命名した。寺院の建物と教会の尖塔の風景が重なり異国情緒を感じさせる場所としても有名。周囲の石畳の階段や坂道は古都ならではの静かな散歩道だ。 |
寺院と教会の見える風景 | |
平戸港を一望する勝尾岳では、カトリック教会の尖鋭な屋根と十字架、そして寺院の屋根瓦がひとつの風景となり、日本と西洋の文化を感じさせる平戸を代表する景観のひとつとなっている。 |
瑞雲寺 | |
1402年(応永9)の創立、勝尾岳[かつおだけ]北麓にある曹洞宗[そうとうしゅう]の寺。鎖国により、母と平戸に想いを馳せながら国外に追放された、オランダ商館長の娘コルネリアの供養塔がある。松浦、壱岐300余りの寺の首領禄所として、代々の住職は黄衣着用特許の恩典を与えられたという。 |
最教寺 | |
平戸市街地の南端、朱色の大塔が望まれる。 遣唐使として渡唐し帰朝のおり、青年僧空海(弘法大師)の護摩供養の聖地として西の高野山と称され、西九州大師信仰のメッカでもある。 境内には88ヶ所苔の参道を通じて奥の院大師堂があり、また節分の子泣き相撲、更には仏教芸術所蔵の寺として有名である。 |
冨春園 | |
栄西禅師は、1191年(建久2)7月宋から帰国し、平戸葦浦に着き、新築された冨春庵で日本最初の禅規を行った。その折、宋から携えて来た茶の実を庵の裏山に播いた。栄西禅師が日本においてはじめて茶の実を播いた茶畑である。 製茶の方法や喫茶の法も伝授したといわれる。茶畑の広さは、約2畝(198u)であったという。茶園は、冨春庵に因んで「冨春園」と呼ばれた。 |
冨春庵跡 | |
栄西禅師は、1191年(建久2)の7月宋から帰国、戸部侍郎清貫に迎えられて、新築の小院、冨春庵で8月8日に日本で始めての禅規が行われたという。 その小院冨春庵の跡である。南の隅には、栄西禅師が座禅を組んだという座禅石があり、上の畠には、禅師が中国から茶の実を持ち帰って播いたという冨春園がある。 |
生月町 |
生月大橋 | |
1991年(平成3)7月31日開通。 平戸島の北西に位置する生月島との往来が可能になった。 全長960m、幅員6.5m、海面上31m、主要梁部800mの3径間連続トラス橋が採用されており、中央径間の支間400mは、この形式では世界一。 橋の色であるスカイブルーは、海の色とマッチして大変美しく、橋を渡った辺り一帯は、大橋公園として整備されており生月の特産品を販売する売店や観光案内所、橋を一望できる展望所などがありる。 |
道の駅 生月大橋 | |
「道の駅」生月大橋は、平戸島と生月島を結ぶ橋のたもとの生月大橋公園内にある。公園には土産品店、多目的広場、散策道などがあり、隣接地には平戸市立生月町博物館もある。遣唐使が「ほっとひと息をついた」事からついた「生月」。現代の「ほっ」とできるスポットとして気軽に利用できる場所である。 |
生月大魚藍観音 | |
舘浦漁港を見下ろす高台にたつ観音像は、ブロンズ像としては日本一の大きさを誇る。 【像高:18m、基壇:3m、重量:150t】 世界の平和と海難者および魚介類の霊を追悼し、漁船の航海の安全を祈念して昭和55年4月29日に建立されたものである。 間近に見るととても大きい。しかも中に入ることができる。 |
塩俵の断崖 | |
西部の海岸線はほとんどが断崖なのだが、中でもひときわ不思議な形をしているのが、塩俵の断崖である。 この奇岩は柱状節理といい、溶岩台地の上に玄武岩が重なり、垂直方向に亀裂が入って五〜七角形の断面を作ることにより、あたかも柱がいくつも立っているような形になるのである。 南北に500m、高さ約20mの規模があり、その見事な景観は、長崎県新観光百選にも選ばれている。 |
大バエ灯台 | |
生月島北端の灯台。この灯台には、全国的にも珍しい、展望施設が付いている。灯台へ登ると、また一段と眺めがいい。ここからの眺めは、断崖景観では平戸随一ではないかとも思う。 |
松浦市 |
松浦水軍の兜 | |
松浦党の始祖とされているのが、1069年に朝廷の命で松浦に渡った源久。そのルーツを遡る一説には、嵯峨天皇の皇子・源融の名が挙げられる。なんとこの源融は、『源氏物語』の光源氏のモデルとも言われている人物だ。豪快で、荒くれ者というイメージが強い松浦党だが、深いロマンを感じさせるのは、先祖ゆずりなのだろうか。 |
松浦海のふるさと館 | |
道の駅松浦海のふるさと館は、国道204号および204号バイパスの合流部に位置し、福岡方面から平戸への観光ルートの中間地点となっています。松浦市は古くは、源平合戦で活躍した水軍「松浦党」発祥の地であるとともに、アジ・サバの水揚げ日本一を誇る松浦魚市場があるなど、海との関係が深い地域です。また、物産館では松浦魚市場をはじめ、近隣漁業の新鮮な鮮魚を販売しています。 |