日田市 |
日田温泉 | |
天領として栄えた江戸時代、日田随一の料亭として代官や文人墨客に親しまれた。館内では、約200年余りにわたって収集、寄贈された美術品やコレクション、書画、食器などを6つのコーナーに分けて展示している。また、春には日田市のひな祭りの会場となり、趣きのある空間がしばし華やかな雰囲気になる。 |
日田祇園山鉾会館 | |
日田の盛夏を告げる祇園祭のすべてがわかる日田祇園山鉾会館。館内には独特の祇園囃子が流れ、きらびやかな6基の山鉾をはじめ、見送り、水引きなど、祇園祭に関するものを多数展示しています。また、会館前の隈町八坂神社には、樹齢300年、全長約35mの「むらくもの松」が、社殿を臥竜の如く一周しています。 |
五岳の庭 | |
三絶とは,詩,書,画が揃って一幅の絵の中に調和させる事ができると言う意味である.明治時代に於ける南画の名手で,文化6年(1809)3月26日日田郡光岡村渡里の正年寺小松氏(長善寺)の子として生まれる.幼い頃竹田村専念寺(願正寺の前房)のもとに養子となり平野と称する. 実名:聞恵,名を岳,字名を五岳,雅号も五岳..由来は阿蘇の五岳による. 古竹はその園号,古竹邨舎とも号した. |
隈八坂神社 | |
隈町北の方向にあり,スサノオの命を祭る。 宝永3年建立、往古庄手村、村内日隈山に鎮座あり、慶長年間に田島若宮社 に移す居。宝永3年辰年(1706)今の地に遷座す。 |
むらくもの松 | |
隈八坂神社の御神木であるむらくもの松は、宝永元年(1704)隈祇園社 建立のおり、隈町の高倉喜左衛門が献植したということであるが、 一説にはその翌年の宝永2年、隈町の素封家森善兵衛が京都から品質系統の優秀 な苗木を取り寄せ、移植したものであるとも伝えられている。 樹齢約290年、幹の周囲2メートル、地上1メートルの高さで横にはい、 東股の枝先は延長20メートル、西股は延長15メートルにおよび、その形状は 竜が横たわっているように、社殿を半周して全長35メートル。 高さは3メートル余りにも成長してその雅趣形態の異常さはまれに見る奇観である。 「むらくもの松」という名称は、その形状から戦前、千原古泉によって命名された ものである。 昭和47年6月12日に市指定天然記念物、49年3月15日には県特別保護樹木 に指定された。 |
専念寺 | |
当寺は、詩・書・画に優れていたことから「三絶僧」と呼ばれた『五岳上人』が六代目住職を努めた寺でもあります。上人の作品の数は計り知れなく、二万点にも及ぶと言われ、国内は無論、海外でも発見されております。特に平成15年8月には五岳作の『西郷隆盛肖像画』が発見され全国でも大スクープとなりました。西郷さんが日田を訪れ、専念寺を訪ねて五岳上人と会っているという文献もあるようです。 |
亀山公園 | |
日田三丘の一つであり、日田市の観光のシンボルでもある亀山公園。この公園も桜の名所として親しまれており、来客者に朝市や野点、のみの市、カラオケ大会などを催し、楽しんでいただいています。夜のボリ下の花見も格別です。また、亀山公園から鏡坂公園(かがみざかこうえん)までの三隈川河畔の散策コースもおすすめ。 |
亀山公園さくらまつり | |
日田三丘の一つであり、日田市の観光のシンボルでもある亀山公園。この公園も桜の名所として親しまれており、来客者に朝市や野点、のみの市、カラオケ大会などを催し、楽しんでいただいています。夜のボリ下の花見も格別です。 また、亀山公園から鏡坂公園(かがみざか)までの三隈川河畔の散策コースもおすすめ。 亀山公園 ソメイヨシノ 150本 鏡坂公園 ソメイヨシノ 100本 |
日の隈神社 | |
後醍醐天皇、楠正成命の二柱は、明治維新前より旧日田郡光岡村(友田村)の「松陽山岳林永昌禅寺」に安置されていたが、明治元年太政官より神仏分祀の達しがあり、時の日田県知事松方正義(後の内閣総理大臣大勲位侯爵)はこの命令に従い、ここ日の隈山(亀翁山)に社殿を新営して明治3年5月遷宮、日の隈神社と称し奉った。 |
松方神社跡 | |
明治元年(1868)初代日田県知事に任じられた「松方正義」公は赴任後間もなく県役所と豆田町を直結する豪華な石造りの「一新橋」を架橋し、街筋の整備を計った。これを手始めに明治2年、棄児・孤児・貧児の収容所としての「養育館(三本松町)」を創設して、延べ360余名を養育し、その社会事業は全国的にも注目を集めた。(一説には我が国孤児院発祥の地といわれている)又、同3年にはこの地に日隈神社を造営する等諸々の善政をなした。その後、明治政府の要人として中央政界で活躍しのちに内閣総理大臣となって我が国の発展に寄与した。後世の日田郡民は公の徳を慕い縁故の深い此の地に大正13年(1924)生祠を建て経済の神・養蚕の神・家内繁盛・子宝の神として称えた。 |
咸宜園跡 | |
日田出身の儒学者広瀬淡窓が、1817(文化14)年に漢学塾を開いた所。高野長英・大村益次郎をはじめ、門下生は4617人にも及んだ。現在は、淡窓の旧宅秋風庵、思索のための部屋だった遠思楼が残る。 |
咸宜園の井戸 | |
車井戸は道の西側にあり,井戸の枠石がすりへっていて,往時の咸宜園の盛況をしのぶこ とができる. |
豆田の町並み | |
豆田町は、歴史薫る日田の中でも最もその色合いを濃く残したところで、叙情あふれ
、浪漫に満ちたこの界隈の歴史を訪ね、そぞろ歩いてみてはいかがでしょうか。 幕末の学聖、廣瀬淡窓が開いた私塾咸宜園や、その淡窓の生家であった廣瀬資料館、 天領時代の貴重な資料を展示した天領日田資料館など見どころも多く、都市景観条例に より保存、整備された歴史的町並みは、栄華を極めた天領時代の風情を今も偲ばせるま ちです。 |
廣瀬資料館 | |
廣瀬淡窓の生家であった廣瀬資料館。天領時代に掛屋を営む日田でも有力な商家であったことを物語る貴重な資料や、淡窓の遺品等を多く展示しています。 |
市山亭懐古館 | |
天領として栄えていたころ、日田で随一の料亭として代官や全国の文人墨客に愛され親しまれてきた市山亭。料亭時代を通じて200年余りに渡って収集したコレクションを展示しています。 |
草野本家 | |
大分県の有形文化財に指定されている県内最古の商家。ひなまつり、端午の節句、祇園祭、天領まつりの年4回だけ開放され、江戸時代の人形やのぼりなど貴重な展示物が間近で楽しめる。タイムスリップした気分が味わえる豪商桝屋当時のままの建物は居るだけで心の洗濯ができるようだ。5月は中庭の苔が見頃。 |
天領日田資料館 | |
天領日田資料館は、豆田地区の町並み保存運動の拠点として、また天領歴史の語り部として、豆田町に登場した施設です。「天領日田と町人文化」にかかわる諸展示品をお楽しみ下さい。 また、春と秋には毎年、特別展を開催しています。 |
天領ひな陣屋 | |
創業160年の味噌醤油醸造元の老舗「日田醤油」内にあります天領ひな陣屋には、2000体以上の雛人形や雛飾り、古いお道具など様々な貴重なものを観ることができます。 |
淡窓不動尊 | |
天領日田を代表する豆田町の通り(みゆき通り)の程近くにある真言密教寺院です。大正15年にお四国八十八ヶ所参りにて奇跡的に病気を平癒した熱心な信者により明治21年、豆田町に建立されました。その後大正15年に現在地、淡窓町に移転致し現在を迎えております。 |
長福寺 | |
照雲山長福寺は、日田市豆田町(伝統的建造物群保存地区)の中央に位置する浄土真宗寺院です。天正12年(1584)、宗榮によって開山されて以来、今に親鸞聖人の教法を伝えてきました。境内には、寛文9年(1669)再建の本堂(九州最古の真宗寺院本堂)をはじめ、経蔵・山門等の伽藍が残り、これらの諸堂は豆田町の町並みにあって重要な景観を構成しています。
平成18年(2006)4月21日、文化審議会は長福寺本堂を重要文化財に指定することを、文部科学大臣に答申し、同年7月5日、国指定重要文化財に指定されました。 |
月隈公園 | |
月隈公園は、日田三丘陵の一つ、月隈山を中心とした公園で、丸山2丁目に位置します。慶長年間に小川壱岐守が永山城を築城し、徳川幕府のころから日田代官の居城となったところです。今では、その城跡は石垣と堀の一部が残るだけになっています。 園内には、児童プール、遊具施設、遊歩道、アヤメ園、シャクヤク園、東屋等を整備し、城跡の石垣と白壁、堀と桜のマッチした美しい公園です。また、山上の月隈神社に至る坂道には、古墳時代の墳墓跡といわれる横穴群があります。 |
大原八幡宮 | |
日田地方の総社的存在の大原八幡宮は、社伝や諸記録によると馬原村岩松ヶ峯に示現し、貞観13年(871)に求来里村元大原の地に祭られたとされる。寛永元年(1624)に現在地に移され江戸時代には代官や郡代の保護のもと社殿の造営がなされてきた。 現存指定されている四つの建造物は、楼門が貞享4年(1687)、拝殿・本殿・幣殿が寛政6年(1794)と、棟札や史料などから推定される。 |
薬師堂山古墳 | |
大原山の丘陵先端に築かれたこの古墳は、径約35メートル、高さ約5メートルの円墳である。 裾から頂上まで段築と呼ばれるテラス状の平坦面が巡り、これまでに本格的な発掘調査は行われていないが、主体部は箱式石棺または竪穴式石室と考えられている。 古墳の墳丘からは、市内では唯一の円筒埴輪が出土している。 |
大原大しだれ桜 | |
大原大しだれ桜は日田市田島地区の東部中学校の横にあります。このしだれ桜は個人の庭にありますが、道そばにあり、道から眺めることができます。 桜の高さは14m、幹回り2m、で、けっこう大きな桜です。また、この桜は小さな川そばに立っており、川の上に垂れた枝が風流です。この川は江戸時代に造られた小ヶ瀬井路(おがせいろ)という人工的に造られた水路です。 |
サッポロビール 新九州工場 | |
新九州工場のコンセプトは、「環境との共生」。九州屈指の水郷日田の名水を100%使って、おいしいビールをつくっています。原料の「水」を育んだ自然を守るためにリサイクル率100%の達成や省エネ活動など積極的に環境保全に努めています。 |
岳林寺 | |
臨済宗妙心寺派、松陽山。開創、康永元年(1342)後醍醐天皇の勅願により建立。開山、慧明極楚俊像。開基、日田領主大蔵永弘。寺内に郷土資料館を持ち仏像その他の寺宝を展示している。 |
大肥橋 | |
明治三十二年に完成されたこの大肥橋は、セメントやコンクリートの無かった時代に拱矢比4.8という日本でも珍しい扁平な石造アーチ橋であって、余程熟練した石工の手によって作られたものであろう。 |
小鹿田焼の里 | |
静かな山間に小川のせせらぎと陶土をつく唐臼の音が響きあう民陶の里、小鹿田皿山。そこで作られる小鹿田焼は開窯以来、約300年に渡り、蹴ロクロ、飛び鉋や刷け目などの伝統技法を頑なに守り続ける民陶である。 |
天ケ瀬温泉 | |
玖珠川の両岸に、旅館や民家が軒の並べてギッシリと建っている。清流に沿って湧く6つの露天風呂で知られ、川面にゆらぐ湯けむりを見ながら、四季の自然を味わえる。共同露天風呂は安い値段で、地元の人たちとの会話がはずむ。宿の風呂めぐりができる「あまがせ温泉パスポート」が好評。 |
神田湯 | |
天ヶ瀬温泉内に流れる玖珠川の河岸に6つある共同露天風呂の1つ。 6つのうちで一番開放的な岩風呂。 |
慈恩の滝 | |
天瀬町と玖珠町の境に位置する二段式滝で、豊かな水が細かいしぶきをたてながら流れ落ちる様が勇壮。別名「裏見の滝」とも呼ばれており、下滝に通っている遊歩道から落下する滝の裏側を見ることもできる。紅葉の季節や新緑の頃はさらに見応えがあるのでオススメ。夜間は滝全体が緑色にライトアップされる |
高塚愛宕地蔵尊 | |
奈良時代に行基が開山したといわれている由緒ある「高塚愛宕地蔵尊」は神仏混淆の形式をそのまま残している珍しい地蔵尊として知られています。昔は「乳の出がよくなる地蔵さん」として近郊に知られていましたが、今は諸事祈願成就に大変ご利益があるとして年間約230万人が参詣、3月、7月、9月の各24日の大祭には、境内はお参りの順番を待つ長い行列ができ、たいへんなにぎわいを見せます。 |
藪不動尊 | |
自然の山あいにひっそりとたたずむ「薮の不動さま」として親しまれ、毎年10月27日・28日は大祭でにぎわう。 |
豊後・大山 ひびきの郷 | |
平成14年11月にオープンした「豊後・大山 ひびきの郷」。景勝地である響渓谷が望める高台にあり、温泉宿泊施設やリキュール工房、ふるさと料理、体験工房などを備えた都市と農村の交流拠点施設です。 また、大山町は九州一の梅干し生産量を誇っています。「ひびきの郷」そばに「おおくぼ台梅園」があり、ここには梅の実を採るために植えられた梅の木が約6000本あります。例年2月中旬〜3月中旬にかけて梅の花が見頃となり園内が無料開放されます。そして3月初旬の日曜日には「おおやま梅まつり」が開催され、野点や歌会、地元の特産物販売会などでがあり、多くの人で賑わいます。 |
梅の香温泉 なごりの湯 | |
リキュール工房や宿を併設する「豊後・大山 ひびきの郷」内にある。断崖が連なる響渓谷の一角に建ち、露天風呂は、渓谷の岩肌を彩る新緑や紅葉を眺める特等席。 |
おおやま梅まつり | |
10haの敷地に樹齢30年の梅が約5,000本植えられており、開花期には馥郁たる香りが満ち漂う。ここを中心に2月中旬から3月中旬までの1ヵ月、おおやま梅まつりが催され、咲きこぼれる花の下で野点や短歌会などが行われる。 |
老松天満社 | |
日田群司大蔵永弘息男鬼田太夫永季の遺言により、保安四年大山の庄萬々金村に天満宮を勧請し、老松大明神と称し神社を建立し、大宰府の神人の末裔の巫女、この地に来て永く社職を勤む。姓は菅原なり。年毎に二月十一日(中の牛の日永季公)筑前夜須群大根川の橋上にて、天満宮神教を受け給いし、故その祭礼日と定める。 |
道の駅 水辺の郷おおやま | |
「道の駅 水辺の郷おおやま」は日田から阿蘇に通じる国道212号沿いにあります。この道の駅のある場所は大山川(筑後川)に中州ができている風光明媚な、なかなか良い場所です。ドライブの途中で一休みするとき、川や湖のそばで水がある場所は落ち着きますね。この道の駅は平成16年12月にオープンした新しい道の駅で植えてある木もまだ小さいです。後、数年すれば木陰ができすばらしい道の駅になるでしょう。 |
旧矢羽田家住宅 | |
江戸時代中期、熊本県北部から中部にかけて見られた二棟造りの農家を解体、移築復元したもの。国の重要文化財。 |
松原ダムと梅林橋 | |
梅林橋の架かる県道栃野西大山線のこの箇所は、これまでに大型車の離合に支障をきたすなど、交通危険個所でもあったため橋の架設が計画されました。工事は平成4年度から着工し、工事期間約6年で平成9年9月に完成したものです。 |
伝来寺庭園 | |
九州最古の枯山水的庭園は、鎌倉時代後期に作られたと言われており、本堂の西背面に広がっています。随所に見られる雄渾な石組みは、この庭園の持つ顕著な特徴です。春のツツジ、新緑、紅葉、雪景色と、季節ごとの趣があります。やさしい笑顔とおいしいお茶でもてなしてくれる住職夫人との会話も楽しみ。お庭を眺めつつ、四季折々の庭園の写真も見せていただきながら、ほっこりなごみましょう。 |
鯛生金山 | |
明治29年に魚の行商人が発見したという鯛生金山。金山としては佐渡が有名であるが金の採掘量42トンは佐渡の金山を抜き東洋一の量である。 その鯛生(たいお)金山も今は閉山しているが、金山の坑道が地底博物館となっており入口から約800mほど見学できる。坑道の中は当時の様子をリアルに再現している。 |
道の駅せせらぎ郷かみつえ | |
道の駅「せせらぎ郷かみつえ」は大分県の最西南端、熊本県境に位置し、国道387号沿いにあり日田市より松原ダム ・下筌ダム経由で40分、菊池市より国道387号経由で約35分のところにあります。九州最大の河川筑後川の源をなす川原川に隣接しており、渓谷と山々に囲まれた自然の美しい場所です。 |
蜂の巣湖 | |
昭和63年、「森と湖に親しむ旬間」を機に公募、命名。ダム建設時の「蜂の巣城紛争」に因んだもの。 |
蜂の巣湖桜まつり | |
毎年4月の第一日曜、蜂の巣湖の春を演出する桜が咲き匂う頃に、開催されます。 「蜂の巣湖畔でつなごう流域の輪」をキャッチフレーズに、地域色一杯のプログラムで進行され、上・下流域の人々の交流の場になっています。 |
九重町 |
牧の戸峠 | |
別府と阿蘇を結ぶやまなみハイウェイ(県道11号線)で最も高所(標高1,333メートル)に位置する峠で、久住山への登山口。展望台からは、くじゅう連山や長者原、遠くは阿蘇連峰を一望でき、雄大な自然景観を味わうことができます。 春から秋には四季折々の草花が山々を彩り、冬にはあたり一面に霧が発生して幻想的な霧氷の世界となります。 |
タデ原湿原 | |
くじゅう坊ガツル・タデ原湿原は大分県の西部に位置し、九重火山群の山頂帯と山麓湧水地に形成された中間湿原であり、登録地は坊ガツルとタデ原を中心とした地域である。坊ガツルにはヌマガヤーヒメミズゴケ群落、ヌマガヤーヌマクロボスゲ群落、ヤチカワズスゲ群落等、タデ原にはヨシーアカバナ群落、ヌマガヤーヒメミズゴケ群落、ノリウツギーヒメミズゴケ群落等が成立しており、ツクシフウロ、シムラニンジン、オオミズゴケ等の希少な植物の生育が確認されている。なお、これらの植生は毎年、春季に実施される野焼きによって維持されている。 当該地域は、山岳地に形成された中間湿原として国内最大級の面積を有し、多様な地質・地形を反映した植生分布となっており、我が国を代表する湿地タイプである。 |
久重登山口ヘルスセンター | |
長者原は飯田(はんだ)高原の中心地で久住山・三俣山・大船山等の登山基地にあたりドライブインや旅館、ホテルが建ち並び旅行者や登山者でいつもにぎわいを見せている。 また、九州で一番高地に泉源をもつ星生温泉や牧の戸温泉、冷泉で有名な寒の地獄、長者原温泉などがある温泉郷でもある。 久重登山口ヘルスセンター2階にも公衆浴場の温泉があり、ちょっと休憩して旅の汗を流すのに良い温泉です。 |
うたせ大浴場 | |
筋湯温泉の温泉街の中心にある共同浴場。男女別の大浴場にそれぞれ十数本のうたせ湯があり、筋肉のコリや痛みを癒してくれる。 |
小松地獄 | |
標高1,100メートルの大自然の中に吹き上がる蒸気と噴出する不気味な熱泥。 岩肌にこびり付いた噴出物の色合いは、地獄のような雰囲気を醸し出しています。 周辺には九重九湯のひとつ筋湯温泉郷や八丁原地熱発電所などがあります。筋湯温泉の各旅館では、小松地獄の噴気を利用して鶏一羽を丸ごと蒸す名物料理「極楽温鶏」が味わえます。 |
朝日長者史蹟跡 | |
長者の館跡と言われる場所は千町無田を見下ろす高台にあり、そこでは毎年収穫が終わるとだんごをたくさんつくって神(年の神のだんご祭り)に捧げる。 |
九重“夢”大吊橋 | |
長さ390m、高さ173m、幅1.5mの日本一の人道大吊橋。 橋の上からは、「日本の滝百選」に選ばれた震動の滝をはじめ、 九酔渓と遠くには九重連山の雄大な景色が満喫できます |
震動の滝 | |
落差83メートル、水量の多い時は周囲を震動させる様であり迫力満点。 日本の滝百選に選定された竜神伝説の残る九州屈指の名瀑で、滝つぼ周辺には温泉が湧出しており、鍾乳洞もあります。 滝開きや紅葉祭には多くの観光客で賑わいます。 |
九酔渓 | |
玖珠川流域の両岸約2キロにわたって断崖絶壁が直立にそそり立つ「九酔渓」。ヘアピンカーブの連続するこの渓谷は、別名「十三曲がり」と呼ばれる新緑と紅葉の名所。モミやツガ、カツラなどの原生林は四季折々に様々な姿を見せてくれます。とりわけ紅葉シーズンには多くの観光客が訪れ、渓谷を見下ろす峠の展望台からの眺望は、渓谷とマッチして格別な趣があります。 |
天狗の滝 | |
落差約10m、滝の中段左側辺りの岩が光線の角度によって天狗の顔に見えることから名づけられました。 この辺を荒らしまわった天狗を、弘法大師が滝の岩に封じ込めたという天狗伝説が残っており、 滝の傍には天狗の実寸大のゲタが置かれています。 |
川底温泉 | |
延喜元年(901)8月、菅原道真が大宰府に左遷される途中に刺客をのがれて菅原の白雲山浄明寺に身を隠した折、この川底温泉を開いたと言われています。 安政3年(1856)本村の庄屋菅原元徳が村人のために温泉開発を行い、現在の石畳の浴槽を造り、湯小屋・宿屋を建てたと伝えられています。 |
竜門の滝 | |
竜門寺の境内にある高さ20m,幅40mの滝で、中間に滝壷がある二段落としの滝です。 夏には滝すべりや水遊びをする人で賑わいます。みなさん風呂のバスマットのような材質の板のような物を敷いて滑っていました。キャンプ場や茶店で借りられるようです。 |
見晴らしの湯 | |
平成9年にオープンした九重町役場にある健康センター風の町営温泉。 ジェットバス、サウナ、休憩室付き(ただしサウナは男女日替わり利用) 九重インター近くにありレジャーの帰りに寄るのに最適! |
瑞巌寺磨崖仏 | |
平安末期の作と推定され、不動明王など5体が彫られている。 |
二日市洞穴 | |
縄文時代早期の埋葬と 祭祀(さいし)の石組などが層ごとに発見されてて注目をあびている。 |
玖珠町 |
三島公園 | |
昭和49年に玖珠町都市公園として認可され、野外ステージ![]() ![]() 公園には、 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
久留島庭園 | |
久留島氏庭園は、三島公園の童話碑の西側にあります。 南北に細長い池を掘り、山の斜面には枯滝を設けています。 池の中央対岸よりに小島を設け、それに反り橋と平橋をかけて、対岸へ渡れるようにし、池の護岸には巨石を多く用いていていますが違和感がなく、石組みや庭園が上手くまとめられています 池の東側には藩主御殿があったといわれています。 |
童話碑 | |
日本のアンデルセンといわれた久留島武彦の童話行脚を記念して建てられた。高さ約8m、幅3m余の自然石。童話祭はここで行われる。 |
桃太郎像 | |
昭和13年(1938年)5月、久留島武彦氏の提唱により小倉北区「到津遊園」の敷地内に、北九州桃太郎の会の子供たちによって募金建設されたものである。 戦時中には軍による金属製品の供出があり、この像も要求されたが、武彦の弟子である同園長の阿南哲朗氏によって堅く守られた。 その後、昭和25年(1950年)5月5日、旧森町が久留島武彦の50年にわたる口演童話の偉業を記念して、童話碑を建立するや、桃太郎像をこの地に移し、その碑前を飾り一層意義深い存在とした。 |
八丁坂 | |
関が原の合戦の翌年(1601年) かっての瀬戸内水軍の勇将久留島康親公は、豊後国森に一万四千石の領主として入府し、十二代藩主通靖公のとき明治維新を迎え約270年間で藩政時代は終わりました。 森藩の参勤交代道は森陣営から日出の頭成に至る9里23町(約37キロメートル)です。 八丁坂はその起点の岩扇山の峠までの区間を指しています。 幅約170センチメートル〜190センチメートルの石畳の道で、約500メートルの区間は、ほぼ完全に往時の姿を今に残しています。 |
末廣神社 | |
末廣神社は、慶長6年(1601年)に森藩主久留島康親が郷里の伊予国の氏神である三島宮を勧請したことにはじまる。その後、明治5年に妙見宮を合祀し、翌6年に郷社となり末廣神社と改称した。 祭神は大山積之大神、天御中主之神である。本殿は総欅造りで彩色がなく、桁行三間、梁行二間の入母屋造りである。素木造りで彫刻や金具などの装飾も豊かで、細部も時代的特徴をよく表している。この本殿を覆う覆屋は「鞘堂」と呼ばれ、簡略的な建物でなく極めて大規模で本格的な構造をもつ。桁行六間、梁行六間、高さ11メートルの切妻造りである。 |
栖鳳楼 | |
木造二階建て、寄棟造りで、三島宮の造営工事の一環として造られた。『御記録書抜』の天保3年(1832年)9月晦日条に、この建物のことと思われる「御山御茶屋」の棟上げのことが記されており、このことから森藩主八代久留島通嘉の代に建てられたことが判る。 三島宮祭礼の御通夜をはじめ、階下は茶道や華道など高尚な趣味に使用された。春は桜、秋は月見・紅葉見が行われ、「紅葉の御茶屋」とも呼ばれ、二階の天井には断熱効果のために籾殻が20センチほど入れている。 |
久留島記念館 | |
日本のアンデルセンといわれ、86年の生涯を童話一筋にかけ、全国の子どもたちに夢を与え、おとぎ話を語り続けてきた久留島武彦先生(1874〜1960)はこの地に生まれ育った人です。 久留島武彦先生の関係資料や遺品をここに展示しています。 郷土の自然、先人の足跡を残された資料によってふりかえる、そんな時間を大切にしたいものです。 |
成覚寺 | |
寛永元年(1624)に久留島公の外護により四国(伊予国)から移転し、玖珠町(大分県)に創設。 |
安楽寺 | |
森藩主久留島累代の菩提寺。今から500余年前、伊予国の菩提寺安楽山大通寺を大通山安楽寺と山号と寺号を逆さにしてこの地に移された。 |
久留島武彦の墓 | |
大分県玖珠郡森町(現・玖珠町)出身の児童文学者。日本三大口演童話作家の一人。童謡『夕やけ小やけ』の作詞者でもあり、「日本のアンデルセン」と賞される。 来島通総の直系の子孫で、森藩最後の藩主・久留島通靖の孫。 |
桜岡滝神社 | |
滝瀬楽は、桜岡滝神社の秋季大祭10月29日と11月1日に奉納される杖楽である。 起源は昔、40余日の長雨で、万年山麓の一角が崩れ、玖珠川を堰きとめ、そのため人家や田畑が浸水し、死者が700余名にも達する大災害が起こった。住民は必死の排水工事を行ったが効なく、万策が尽きて滝神社に祈願を行った。満願の日に今まで堰き止められていた土砂が押し流されたことから、神の御加護を深く感謝し神慮を慰めることを誓ったのが、始まりだといわれている。 |
三日月の滝 | |
210号線沿い、JR北山田駅の真前に位置しています。 水量の多い時はナイヤガラの滝を思わせる光景に変ります。 この滝には悲恋伝説がのこされています。 少納言清原正高は、京の都で章明親王の息女小松女院と恋仲になったが豊後の玖珠へと配され、そこで妻をめとった。何も知らない小松女院は恋しい正高を追ってきたが、三日月の滝で事の真相を知ると、嘆き悲しんで侍女もろともにその身を滝になげたといわれています。 |
嵐山滝神社 | |
嵐山滝神社には、清原正高の横笛、姫の懐鏡、小切り別当のおのをはじめ、数々の由緒を止める遺品が残されています。 |