人吉


球磨村

神瀬鍾乳洞
洞口は日本最大で、奥に御池とよばれるプールがあり、冷水が湧出しています。
古くは寺があったともいわれ、文化的背景もあって、「熊本県指定天然記念物」となっています。

一勝地阿蘇神社
大同2年(807)創立といわれ、祭神は阿蘇三柱神。対照2年8月21日大山祇神九体と弥都波能売神が合祀されています。

人吉市

ひとよし温泉
ひとよし温泉の歴史は古く、 明応元年(1492年)に相良家12代当主 為続(ためつぐ)が湯治をしたという記録が残っています。
球磨川沿いを中心に温泉が点在し、泉源は50を超えます。
市内には温泉旅館のほかに公衆温泉浴場も20数軒あり、重要な観光資源となっています。

人吉城跡
鎌倉時代から幕末までのおよそ700年間、相良藩の中心だった中世城趾で、球磨川と胸川を堀がわりにした特異の築城と、江戸時代末期に施された石垣のはね出し武者返しは、我が国の築城史上でも珍しい遺構です。相良氏の入国時に城の南端から発掘された三日月の紋様がある奇石から「繊月城」の別名があり、先年、大手門際の多門櫓と角櫓、長塀等が復元されました

大村横穴群
この大村横穴群は、JR人吉駅のすぐ裏の崖にある27基の横穴群のことで、古墳時代後期(約1,400年前)の古代の墓である。
村山大地南側の阿蘇熔結灰岩の面に20数基群集して見られる。この中の7基に装飾があり、早くから学界にも注目され国指定史跡(大正10年3月3日指定)として保存してある。装飾は、横穴の外壁に武具、幾可学文、動物などが彫刻として残っている。

青井阿蘇神社
大同元年(806)創建と言われる神社。現在の社殿は相良長毎により慶長14年から18年(1609-1613)にかけ造営されたもので、本殿、幣殿、拝殿、楼門はいずれも国指定重要文化財。茅葺き屋根の社殿は豪華壮大な特徴の桃山様式で、楼門屋根の四隅には喜怒哀楽を示す「人吉形式」と呼ばれる鬼面があります。
この楼門は球磨の代表的な民謡「球磨の六調子」に「球磨で名所は青井さんの御門、前は蓮池桜馬場」と歌われています

永国寺
応年十五年(1408年)の創建で、相良九代前続公の開基により、実底超真和尚が開山した曹洞宗の寺。幽霊の掛け軸があることで知られている。常時、幽霊の掛け軸(レプリカ)は展示されており、ビデオで寺や掛け軸の由来を知ることができる。幽霊がでたという池は湧水池で春にはつつじや海棠等、夏には水連等四季折々の花を楽しめる。また、西南の役の際の本陣としても知られている。

九州相良藩 武家屋敷
人吉には、この武家屋敷がある土手町を中心として多くの武家屋敷が立ち並んでいましたが、現在はほとんど消滅してしまい、ほぼ当時のままの姿で現存するのはこの旧新宮家屋敷だけとなりました。
この武家屋敷の正面に建つ門は堀合門といい、人吉城が廃藩置県で取り壊される際に新宮簡氏が当時の藩主、相良頼基公から拝領したもので、現在人吉市の重要文化財に指定されています。

からくり時計
人吉駅前広場にある、人吉城をイメージして作られたからくり時計。7〜21時の間に7回(11〜2月は7〜19時の間に6回)、約3分間、人吉地方の民謡にあわせて、9体の人形が、殿様の城下見学を表現し、8体の人形が勇壮な臼太鼓踊りを披露する。

願成寺
人吉を700年にわたり治めた相良家の菩提寺です。天福元年(1233)、相良長頼(ながより)によって創建され、人吉城の鬼門にあたる場所に位置します。本尊の木造阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の作で国の重要文化財です。ほか文化財に指定された数多くの仏典や仏像、古文書類を所蔵しています。本堂裏手には相良家代々の墓地が、南側には相良三十三観音巡りの第1札所・清水観音などがあります。

相良家一族の墓
願成寺の裏山には,初代長頼公から37代頼綱公までの歴代藩主とその妻,そして一族の墓石群(相良家墓地)があり,相良藩700年の歴史を感じさせてくれます。
右手正面にある大きな墓は相良藩主初代 相良長頼公のもので、奥に二代以降の墓があります。このように歴代藩主一族の墓が整然と立ち並び見事な造形美を表している例は全国でも珍しいものです。

人吉クラフトパーク石野公園
「伝統文化体験型、歴史」のテーマパーク。総面積19.7haもある広大な敷地には、鍛冶、民工芸館、紙すき館、木工館、陶芸館等の体験館や遊びの広場、展望所などがあります。特に体験コースは、郷土玩具の花手箱、きじ馬、スーパー竹とんぼ、紙すき、陶芸、銀の指輪等バラエティーに富んでいます。高さ25mの展望台からは公園が一望できるほか、売店には人吉球磨地方のお土産や特産品がズラリと並んでいます。

人吉球磨は、ひなまつり
@おひな通り(人吉市九日町・五日町商店街)A鍛冶屋町通りB人吉クラフトパーク石野公園(人吉市)C専徳寺(球磨郡相良村)D神城文化の森「福助館」(球磨郡錦町)の5会場をメイン会場とし、期間中は、人吉・球磨がひなまつり一色となり、30ヶ所あまりの施設でひな人形が展示されます。

人吉梅園
JR肥薩線大畑駅近くの丘陵18ヘクタールに白梅、紅梅合わせて5種類、4,600本の梅が植えられ、2月下旬ごろから白、ピンクの花が広大な斜面を彩り始めます。毎年、満開の時期に合わせて開かれる梅まつりは有名です。5月には梅狩りもできます。(開花時期は、2月中旬〜3月中旬)

人吉ループ橋
熊本、宮崎の県境に加久藤峠があり昔から交通の難所であった。国道221号線は高低差をループ橋により緩和させスムーズな車の流れを確保している。
人吉側のループ橋を「人吉ループ橋」えびの市側を「えびのループ橋」と言いループの規模は東洋一といわれている。
ちなみに九州縦貫自動車道はこの加久藤峠下に大トンネルを貫通させており、あっというまに通過することができる。

角柱塔
高さ72センチ、建立の由来等は不明。市で他に類例を見ない。建立は古く、「正和6年」である。昭和6年は1317年にあたる。

石水寺
春、カイドウの可憐な花に覆われる寺として知られ、また大きな岩石をくりぬいた山門や、この地方最古といわれる石造りのめがね橋は一見の価値あり。

山江村

山田伝助の墓
寛政8年(1796年)7月に御大禁を犯したとして藩により処刑された伝助の墓。
江戸時代に禁じられていた一向宗の信者 「山田村の伝助」は祖父の代より熱心な信者で、仏飯講を開き、懇志金を集め、本山へ上納することが多かった。

合戦ノ峰観音
勝負事、競争事で勝を得るご利益があると伝わる合戦の峰観音。総ヒノキ造りで見事。受験やスポーツ選手がよくお参りに来る。高寺院の末寺。
相良藩三十三観音12番札所。

高寺院
高野山真言。宗相良氏が当地に入国する以前の、正徳2年(1198)に平重盛の菩提を弔うために建立されました。高寺院は、球磨郡で一番古い寺院です。365段の石段を登ると頂上に奥の院があります。高寺院・毘沙門天立像毘沙門堂は、奥の院への石段の登り口にあり、5体の毘沙門天立像が安置されています。その内の2体は、国の重要文化財になっています。

山田大王神社
山田大王神社は永吉庄山田村地頭であった平河次郎藤高の霊を祀る神社です。
本殿は天文15年(1546年)、拝殿及び神供所は宝暦11年(1671年)、本殿覆屋は安永10年(1781年)、鳥居は延享2年(1745年)の建立です。

山江村歴史民俗資料館
地元産の杉をふんだんに使用した資料館で、館内には九州自動車道の建設現場から発掘された石器や土器、村に伝わった民具などが展示されています。また一向宗の仏画や相良藩の弾圧にあった「山田の伝助」に関する資料も紹介されています。

相良村

十島菅原神社
池の上に建つ本堂は16世紀の建築様式とともに地域的な特色が色濃く現れた神社です。境内の池には十の島があり、「十島」の由来といわれています。学問の神様として知られる菅原道真公が祭神で、受験シーズンには多くの参拝者が訪れます。国指定重要文化財。

十島仏像仏具焼却地
天文23年(1554)2月7日の真宗禁令により球磨一円の真宗信者の家から仏像仏具を撤収し、焼却した地で、その後、随時摘発が行われ焼却した処です。
今も当寺の灰があり、古老の話によると、この地には昔は草も生えず、牛馬も避けて通ったと言います。現在、記念の祠が建てられています。

十島観音
相良三十三観音めぐりの14番札所。十島菅原神社の別当寺であった蓮花寺にあった堂舎(安養寺)に祀られていた聖観音が由来で、天和3年(1683)以降2度の移転を行い、現在の場所に祀られたといわれています。その聖観音は現在、平成7年に建てられた御堂に祀られています。

専徳寺
明治13(1880)年、人吉大谷派説教場在勤者大願寺師より、柳瀬説教場を設立したのが始まり。毎年2〜3月に開催される「人吉球磨ひなまつり」では、会場として応接間などを開放し、約1200体の雛人形の展示することでも有名です。

山本神社
深水の山本地区にあり、温泉センター茶湯里から歩いて5分ほどのところにある。祭神は安閑天皇。天正元年(1573年)に建立されました。
平成4年に村の文化財に指定されています。

深水観音
相良三十三観音めぐりの18番札所。かつては「長命寺」と呼ばれていた。長命寺は永正2年(1505)に地頭・深水右馬介長命(ふかみうめのすけちょうめい)の菩提寺として創建されたものとされています。本尊は十一面観音であったとされるが永く廃絶した後、天和3年(1683)東林寺の天瑞和尚が慈雲庵として再興した際、聖観音を安置したのが現在の本尊とされています。深水が水の不自由な土地柄であることから、水に対する祈願と、堤を守る仏として祀られています。また「歯の神さん」としても有名です。

さがら温泉 茶湯里
天然温泉・露天風呂、温泉プールのほか、本格的な茶室、日本庭園や球磨産材をふんだんに使った宿泊棟を完備した複合施設です。相良茶を使った薬膳料理を食べられるレストランや地元特産品販売コーナーもあります。

北嶽日吉神社
四浦晴山より登って、相良村と須恵村の境、標高645メートルに大山咋之命を祭神とする北嶽神社がある。
今から約1,100年前大同年中の創立といわれ、伝説に岩見重太郎の狒々退治など数々の伝説を持つほか、市房神社に次ぐ高神として知られている。
祭日は秋の彼岸9月23日で、例年神社境内で多くの参拝客を集めて狒狒舞が奉納されている。

錦町

花立
天文23年(1554)2月7日の真宗禁令により球磨一円の真宗信者の家から仏像仏具を撤収し十島仏像仏具焼却地(相良村柳瀬十島)に於いて焼却されました。
その焼却の炎を見るたびに、球磨川の対岸地から信心深い念仏婆さんが、川端に花を供えて伏し拝んだことから「花立」をいう地名となりました。

神城神社
この地は、古く神城または神城原と称し、神の聖地としてほこらのご神体が祀られてきた。
この地を開発するにあたり、藤田勲は神の御社をお祀りし、大国主命をご祭神としたいという強い思いがあった。
そして白蛇神の御姿を見て、開発の成功を祈願したところ、「この地に天上天下をあまねく照らす太陽神である天照座皇大御神(天照大御神)の御霊を遷祠し、神城神社とせよ」との神託を得て、昭和六十年八月十日に神城神社として社殿を建立した

神城文化の森
錦町の大型ショッピングセンター、サンロードシティに隣接し、季節の花が咲く緑豊かな丘の上に出現した「神城文化の森」。いにしえの外城を復元し、江戸時代から昭和・平成に至る私たちのくらしの周辺にあった懐かしい品々、かわいい小物、骨董品や高級美術品ほかが展示されている。人吉球磨地方の観光の新名所として、おみやげ選びや食事もたのしめる。

神城温泉
立ったまま首までつかるこのできる立ちうたせ湯をはじめ、サウナ、ジェット風呂等7種類の風呂があります。竹林に囲まれた露天の岩風呂は風情たっぷり。1000円の1日フリー入浴券(10:00〜17:00)を買うと何度でも入ることができます。旅館風の宿泊施設もあります。

錦・くらんど公園
広大な敷地(6.5ha)に芝生広場、わんぱく広場、錦鯉が泳ぐ錦池等親子でのんびりと過ごすエリアとして平成15年1月にリニューアルオープンしました。命名の元となった丸目蔵人の立像、少年剣士の像も建立されています。なお、道の駅、特産品を販売する農産物直売所くらんど市も併設しています。

土屋観音
文安五年(1448年)、人吉城は突然の襲撃を受け、城主はひそかに薩摩の菱刈に落ちのびた。それに同行した大蟲超虎が、藩主急死の後人吉に帰り小槇山の麓に一院を建て、一乗寺(一城寺)と名づけた。そのなごりが土屋の観音堂である。ご本尊は聖観音座像。

桑原家住宅
この住宅は、熊本県南部とくに球磨・人吉地方に多く見られた鉤屋(かぎ)型の民家で、建築年代は江戸時代後期の文政(1818〜1830)の頃といわれている。

丸目蔵人佐の墓
一武地区の切原野の堂山にある、剣豪丸目蔵人佐の墓です。晩年、鉄斎と号した蔵人佐は、相良氏から与えられた切原野の土地を開いて農耕にいそしみ、90歳でこの世を去るまで晴耕雨読に明け暮れたそうです。法名を雲山春龍居士といいます。

荒田観音堂
木造釈迦如来坐像を安置。県下で三例目の墨書きで胎内腹部前面に「奉造立釈迦如来像天台僧林与 保延7年2月14日」の銘文が書かれています。

荒田大王神社
現在もこの地区付近には、マムシが住みつかず、マムシにかまれたときは、ここにお参りすれば治るといわれ参拝する人が絶えず、この境内の土を塗り山に入れば、マムシの害をまぬがれるといわれています。

あさぎり町

おかどめ幸福駅
JR人吉駅から、くま川鉄道に乗り換え6番目の駅に日本で唯一幸福と名の付く現役の駅「おかどめ幸福駅」があります。
「幸せを呼ぶ駅」として多くの人が訪れます。
この駅は、平成元年くま川鉄道発足の際、新しく出来た駅で、名前の由来は、駅のある地名が「岡留」ということと、駅の近くに「幸福神社」と親しまれている神社があり、そこから「おかどめ幸福駅」と名付けられました。

岡留熊野座神社
おかどめ幸福駅の目の前の丘の上にある「岡留熊野座神社」。駅からから歩いて5分の所にあります。
『「難」を留めて「幸せ」を祈る社』といわれており、通称「幸福神社」と呼ばれています。
岡留熊野座神社は、弘安4年(1280年)に創建され、祭神は伊邪那岐神)、伊邪那美神)をお祀りしてあります。

岡留公園
おかどめ幸福駅の正面右手にある高台の公園です。春は桜、初夏は色鮮やかなツツジの花が園内を彩ります。眼下に緑の田園風景、彼方には市房山や白髪岳と豊かな自然を一望できます。
 休日には、公園内に、ゆったりとした芝生広場や北欧遊具などがあり、家族連れやグループで賑わいます。

才園古墳
2号墳は盛り土がなく横穴式石室が露出しています。2号墳からは、りゅう金獣帯鏡1面、玉るい31箇、金環3箇、馬具るい、銅鈴8箇、鉄刀剣るい1括、鉄のはさみ1箇分など、たくさんの遺物が出土しています。これらは、国の重要文化財に指定されています。

築地熊野神社
熊野神社は、くま川鉄道東免田駅の北、築地地区にあり、周囲はのどかな田園地帯となっています。

築地五輪塔群
熊野神社境内には、室町時代から桃山時代にかけて建立された中世の趣がある五輪塔群が整然と並んでいて、築地五輪塔と呼んでいます。

宮原観音堂
桃山時代に建てられた厨子と推定されていて、県の重要文化財に指定されている。ひっそりとした宮原谷の入り口で、風雪に耐えた姿を見せる。

おいちの墓
旧須恵村役場近くに通称「おいちの墓」と呼ばれる六地蔵石憧の龕部が祀られている。
その六面には地蔵菩薩を線刻。造立年代は室町時代とみられる。

川瀬観音堂
須恵川瀬地区の球磨川左岸沿いの川瀬観音堂に木造聖観音立像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像の3体の仏像を安置。
本尊の木造聖観音菩薩立像は南北朝の彫作。
脇の毘沙門天像と不動明王像は室町期の彫作という。

永峯観音堂
相良三十三観音霊場第21番札所。文化十年(1813)の深田村絵図によると、元の位置は、北西350mの買多田に描かれている。明治初期、県道沿いに移転したといわれ、さらに昭和47年(1972)3月25日、現在地に移転。本尊は如意輪観音立像で、札所のなかではめずらしく、この観音堂だけである。

多良木町

王宮神社
多良木町の球磨川畔にある古社。別名・王宮大明神・黒肥地神宮。
大同年間、日向より土持太郎忠綱が久米蓑毛(現在の多良木町久米付近)に移り住み、帝廟を多良木源嶋に勧請したことがその始まりといわれている。
大同2年(608年)。王宮大明神として奉り、後に現在の多良木町黒肥地是居へ遷座。
以後、上相良氏・下相良氏(相良氏)によって、代々造営や修復を繰り返し、現在の楼門は応永23年(1417)上相良氏7代・相良頼久の建立以来のものと伝えられている。

栖山観音堂
この千手観音は身高283cmと郡内では最大の巨像です。脇の四天王とともに県指定文化財になっています。

黒肥地寺跡
ここは黒肥寺跡です。お堂には町指定のニ身像が安置されております。
木造虚空蔵菩薩坐像 木造阿弥陀如来立像 室町時代の作

長運寺薬師堂
鎌倉時代、鍋城にあった長運寺が正平22年(1367)焼失したため、弘和3年(1383)に今の小川に移して再興した。この堂はそのときに建立されたものと思われる。屋根は寄棟造り、茅葺である。正面4.8m、側面4.8m、すべて円柱を用いてあるが、組物はない。この薬師堂は簡素であるが、よく時代の特色を示している。薬師堂の正面に小さな楼門がある。

中山観音堂
この観音堂は、人吉藩家老井口石見が隠居をしていた所で、相良三十三観音の巡礼の歌はここで書かれたとされる。ご本尊は聖観音立像で、四天王と共に町指定の文化財になっている。

吉祥院勘代寺
境内に守り本尊八体佛をおまつりし、厄避けの石段が男女対であります。

えびす温泉センター
男女合わせて3種類のサウナがある公営温泉施設。大浴場は日ごとに男女が入れ替わり、サウナはスチーム、遠赤外線、ミストがある。一方の浴場に歩行浴を設けている。

多良木えびす物産館
多良木えびす物産館は、町内で生産される農作物や加工品などの特産物を消費者、都市部の方々に展示・直販する施設です。生産者のみなさんも毎日良い品物を出荷しようと頑張っています。ご来館をお待ちしております。

太田家住宅
太田家は、かつて相良家の家臣として人吉に住んだが、後に多良木村に移り農業と酒造業を営んだと伝えられる。建築年代は、形式、手法から見て19世紀中頃(江戸時代末期)の建築であろう。建物は寄棟造り、茅葺の屋根を2カ所折り曲げ、前後に突出部のある曲屋風の外観を持っている。「ざしき」「あらけ」の部分と「だいどころ」「土問」の部分の棟と平行にし、前後にずらし「なんど」の部分でつないでできた寄棟造から発展した型の一つと推察される。

多良木菅原神社
多良木菅原神社は宝永年間(1704〜1711)に京都の北野天満宮から勧請されたものです。
また、この神社には10年ほど前に、近くにあった風の神様が移され、県立球磨工業高等学校の生徒たちが建てた立派な社が石で組んだ台座に設置され、毎年旧暦の7月4日に風の神祭りが行われます。それ以来、台風の大きな影響はないといいます。

百太郎溝取入口旧樋門
百太郎溝取入口の樋門に使用されていた石材で、昭和35年4月、南部利水計画改修工事のため取り除かれたので、樋門に利用されていた主な石材を神社境内に移して復原したものである。凝灰岩で作られ、高さ5.8mの石柱に全長9.5mに及ぶ後方の渡し石等を主材としている。樋門の構築年代は明らかでないが、鎌倉時代と推定。水利事業にかかわる文化遺産として貴重なものである。

青蓮寺阿弥陀堂
青蓮寺は上相良三代頼宗が、初代頼景の菩薩を弔うため創建した上相良家菩提寺です。分厚い藁葺き屋根の阿弥陀堂は、鎌倉時代の様式を今に伝える代表的な建築物で、堂内の阿弥陀如来像ともども国の重要文化財に指定されています。

湯前町

湯前まんが美術館
(那須良輔記念館)
くま川鉄道湯前駅の東側にある美術館には、町出身の政治風刺漫画家・故 那須良輔氏の作品が収蔵・常設展示されています。
風刺の効いたマンガの数々は、今でも思わずニヤッとさせられるものばかりです。
その他、同氏や郷土ゆかりの漫画家を中心とした企画展示、全国公募の風刺漫画コンクールも大好評です。

城泉寺
城泉寺(浄心寺)は鎌倉時代の初め(貞応年間:1222-1224)、久米氏によって建立されたと伝えられており、県内最古の木造建築であり、鎌倉仏教文化を代表する古寺です。
境内には七重、九重、十三重の塔があり、七重、九重石塔が国指定重要文化財となっています。

宝陀寺観音
宝陀寺の外観は、昭和49年に改修されましたが、内部の須弥壇や円柱などは、当時のままの姿で残されています。
木造十一面観音立像は、檜の寄木造で、頂上面を除く化仏、持物、光背、台座などは、後世になって修復されたと思われます。

八勝寺阿弥陀堂
桁行三間、梁間三間で近年まで茅ぶきでしたが、桟瓦ぶきになり、回縁も失っています。
しかし、軸部・組物等当初の形をよく保っており、貴重な建造物として知られています。

平野の庚申塔
庚申信仰とは、60日に一回めぐってくる庚申の日に徹夜で本尊をまつり、健康長寿を祈る信仰です。この信仰の本尊はここでは梵字が「力」で地蔵になっています。右面に当時の庚申信仰の仲間達の名前があります。

里宮神社
高台にある湯前城跡に立つ神社。縁結びの神様として名高い、水上村市房神社の遥拝所として、昭和9年に再建されました。市房山の中腹までの参拝が難しいため、この場所に里宮として移されたものです。
毎年春と秋には「どっこい祭り」が開かれ、棒踊りや太鼓踊りが奉納されます。境内からは、緑に囲まれた湯前町を一望することができます。

栄立寺
明治19年の頃に、日蓮宗自仏堂として布教所が置かれたのが始まりです。
栄立寺はそもそも、天正元年(1573)、駿河国庵原郡内岳村に本成寺末寺として、善住坊日受上人によって創立されました。
人吉・相良地方すなわち相良藩は、明治になるまで日蓮宗の信仰が奨励されなかった為、明治になってこの地方の布教活動が始まりました。

下町橋
都川にかかるこの橋は下城と古町を結ぶのでこの名があります。明治39年に竣工した町内に残る数少ない石造橋で、今でも、町の人々の生活には欠かせない橋のひとつ。 周囲の自然環境と調和がとれていて、季節ごとに美しい姿を見せています。

上里の町観音
ご本尊は聖観音立像で、嘉永5年(1852年)に、久米の仏師弓削田市内が補修をしたという銘はありますが、後は不明な点が多いと言われています。
堂前の墓碑の裏には「冬川の流れに落ちし枯葉哉」と彫った墓があります。

水上村

市房ダム
昭和35年に完成した多目的ダムで、高さは78.5mで、有効容量は28億8000万リットル。湖水は球磨川南部2300haに農業用水として送られるほか、発電に利用されています。また、ダムが完成した昭和35年から桜の植栽が進められ、春には周囲13.4キロメートルのダム湖に約2万本が一斉に咲き、周回道路はピンクの帯となり桜のトンネルができます。「日本一の桜の里」をめざし、祭り期間中はライトアップされて夜桜が楽しめるようになっています。。

もとゆの森
豊な自然とさまざまな施設をそなえた公園「もとゆの森」があります。敷地内には、岩風呂風の足湯や体験炭焼きがま、健康遊歩道などが整備されています。今の季節は楽しいイルミネーションも楽しめます。

湯山温泉 元湯
有史以前から湧出しているという湯山温泉の共同浴場。湯は単純硫黄泉で、切り傷、慢性皮膚病などに効用がある。風呂上がりにうどんなどが食べられる軽食コーナーがある。

生善院観音堂
天正10年(1582年)普門寺の盛誉法印が無実の罪で殺され、生母・玖月善女が怨念を愛猫に託して入水した怨みを鎮めるために、相良長毎が寛永2年(1625年)頃たてたものです。その由来から猫寺と呼ばています。

五木村

白滝公園
白滝公園は、頭地より大通峠方面へ車で約15分走った、小鶴トンネルのそばにある、自然湧水のある公園です。急峻な岩の下には渓流が流れ、吊橋、東屋などが設けられています。 自然湧水のため夏の水は冷たく、水遊びとして、釣りなどに最適な行楽地となっています。

白滝
高さ70m、幅200mの威容を誇る石灰岩の岸壁、それが「白滝」です。幽玄な雰囲気があり、内部には小さな鍾乳洞もあります。春は新緑、夏は水遊び、秋は紅葉、冬は壁面に氷柱が下がり、1年通して楽しめます。

道の駅 子守唄の里五木
平成15年8月に熊本県で17番目に道の駅として指定され、平成16年4月1日に開駅しました道の駅「子守唄の里 五木」は、九州中央山地と清流川辺川など自然に恵まれた県立五木・五家荘自然公園の国道445号沿いに位置します。
五木村は「五木の子守唄」の発祥の地として親しまれ、駅内には子守唄の彫刻や昔ながらのかやぶき民家、足湯も備えた温泉館、五木の旬が詰まった物産館などくつろぎの空間となっております。

五木温泉 夢唄
道の駅「子守唄の里 五木」に隣接する温泉センターです。お湯は、弱アルカリ性単純泉で柔らかく、ジェットバスや気泡湯等があり、足湯も整備されています。
泉質は無色透明の単純アルカリ泉で、リウマチ、関節痛、慢性疾患などに効能があります。付近では5〜6月にはホタルの乱舞、秋には紅葉が楽しめます。