北紀


和歌山市

和歌山城
八代将軍「吉宗のふるさと和歌山市」の中心,こんもりと緑茂る虎伏山に和歌山城天守閣がそびえ,天守閣に登れば,和歌山市街が見渡せます。 和歌山城は,天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。

報恩寺
寛文6年(1666),初代藩主徳川頼宣の正室瑶林院(加藤清正の娘)の追福のため建てられ,2代藩主光貞に招かれた日順上人が開祖した紀州徳川家に由来の多い寺宝が数多く眠っています

紀州東照宮
元和7年(1621),初代藩主徳川頼宣が,南海道の総鎮護として創建された社殿は「関西の日光」ともよばれ,権現造りとなっており,左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作のふすま絵があります。

紀三井寺
早咲桜の名所。朱塗りの楼門をくぐって231段の石段を登りつめた境内からは和歌浦が一望できる。

海南市

且来八幡神社
鎮座年代も不詳であるが、古くは、広大な神領と四十もの末社を擁す近郷随一の大社として、代々の武将や領主たちの深い信仰を集め、ひときわ威光を放っていたという。

熊野古道(四つ石)
かつて多田にあった三上院千光寺の礎石を集めて地蔵尊を祀ったのが、この四つ石地蔵です。
このすぐ前を通る熊野古道は、古代・中世に牟婁の湯行者や熊野三山参詣の道として開けました。

禅林寺
高野長峰礼場第1番札所が禅林寺です。一般に「幡川のお薬師さん」と呼ばれ親しまれています。
33年に一度ご開帳される秘仏の本尊薬師如来座像は天平時代のもので、塑像技法で造られた薬師如来としては全国で現存する唯一のものです。

岩出市

根来寺
室町時代末期には、寺領72万石を誇り、根来衆と呼ばれる僧兵をようした一大寺院。重量感あふれる建造物や名勝指定の庭園がある。

上岩出神社
菩提峠から南に下って来ると山麓にある。開基は大宝元年(701年)大宝律令制定の年までさかのぼる。上岩出神社は根来寺と共に天正13年(1585)に焼失し、その後再建して現在に至っている。本殿は特に由緒ある建造物で昭和44年に県指定文化財となる。

紀の川市

粉河寺
西国33ヶ所第3番札所。鳥羽僧正筆と伝えられる粉河縁起絵巻のある古刹には、左甚五郎作の「野荒らしの虎」がある。

紀伊国分寺跡歴史公園
天平13年(741年)聖武天皇は全国60カ所に国分寺建立の勅願を出した。
紀伊国分寺もその一ヶ寺で、七重の塔跡の礎石は創建期の原型をそのままに遺し往時を偲ばせている。現在は保存修理を行った本堂と、復元造成した講堂跡基壇が歴史を物語っている。

歴史民俗資料館
歴史民俗資料館では、古代から近代にわたる歴史の移り変わりや人々の暮らしを、考古資料や民俗資料などで紹介している。

かつらぎ町

宝来山神社
社伝によると、和気清麻呂が八幡宮を勧請したことが始まり。猿田彦大神をはじめ四神が祭神として祭られ、一間社春日造の色鮮やかな四社殿は重要文化財に、脇社二殿も県の文化財に指定されている。

神願寺
宝来山神社に隣接し、もと同社の神宮寺であった。著名な重要文化財「紀伊国?田庄絵図」に見える「堂」はこの寺にあたると考えられている。

道の駅
紀の川万葉の里
北部の和泉山脈、南部の紀伊山地に挟まれて、悠然と流れる紀の川を眺望できる場所にある「道の駅」が、平成7年、古代の「萩原の駅跡」近くに設けられた。

九度山町

真田庵
真田庵は正しくは、善名称院といい、戦国時代最後の武将、真田昌幸・幸村父子隠棲の屋敷跡として県の史跡に指定されています。

慈尊院
平成16年7月に世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一山の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。

丹生官省符神社
平成16年7月に世界遺産に登録された丹生官省符神社は、弘法大師(空海)が慈尊院を開創した時、その守り神として地元にゆかりある丹生都比売・高野御子の二神を祀られました。

勝利寺
弘法大師(空海)が高野山を開創される以前の創建と伝えられています。
大師が42才の時、厄除けのために十一面観音を奉納されたことから、厄除観音として信仰されてきました。昔は高野山町石道の玄関口として参拝者で賑わったそうです。

紙遊苑
九度山町では先祖の伝えたこの伝統文化を後世に伝承しようと、紙の資料館と体験室を兼ねた「紙遊苑」を創設しました。

高野町

金剛峯寺
このお寺の場所は真然大徳のご住坊があったところでした。天承元年(1131年)10月17日には覺鑁上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立され、その後の文禄2年(1593年)には豊臣秀吉公が亡き母堂の菩提を弔うため、木食応其上人に命じて建立されました。

根本大塔
高野山全体の中心をなす壇上伽藍のひとつ。真言密教の根本道場として、奥の院と共に高野山の二大聖地とされている。堂々とした朱塗りの大塔は、密教の根本を意味する一山のシンボル。

霊宝館
山内の貴重な文化遺産を保存・展観する施設として、大正10年(1921)に開設されました。
その後収蔵品の増加にともない、昭和36年に大宝蔵を増設し、山内の国指定物件の文化財を収蔵しています。

橋本市

隅田八幡神社
国宝指定・人物画象鏡はわが国最古のもの。10月中旬の例祭には山車や御輿が出て、にぎわいを見せる。





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