伊勢・志摩


伊勢市

豊受大神宮(外宮)
豊受大御神をお祀りしています。建物やお祭りはほとんど内宮と同じですが、屋根の千木や鰹木など細部にちがいがあります。内宮と違ったところを見つけながら外宮を参拝するもいいかもしれません。

皇大神宮(内宮)
皇室の御祖神である天照大御神をお祀りしています。
内宮の奥に広がる神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。
五十鈴川の清流にかかる宇治橋を渡ると参道は深い森につつまれ、静かで神々しい空気を感じることができるでしょう。

おはらい町
内宮宇治橋前から五十鈴川に沿って続く「おはらい町」は内宮の鳥居前町として発達してきた。伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や銘菓の老舗、旅館が軒を連ね、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物もある。

猿田彦神社
猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ"おみちび き"になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行になられた」と伝えられています。

御神田
「猿田彦大神」に捧げる御選米の御田植祭が桃山時代の烏帽子姿の男子と市女笠に手甲脚半の乙女達によって行われます。つづいて団扇角力、豊年踊、団扇破り等の行事が行われます。

二見興玉神社
御祭神に猿田彦大神を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。
正面に見える夫婦岩は、沖合約700m先に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石「興玉神石」と、日の大神を遙拝するための鳥居とみなされています。
古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまず神社に参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多い。

天の岩屋
二見興玉神社の境内にある岩窟で、稲を司ると言われる宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)を祀った三宮神社の遺跡と伝わっています。
全国に「天の岩戸」「天の岩屋」と称される場所がありますが、ここもそのひとつで、天照大神が隠れられた処(日の入処)のひとつ、とされています。

夫婦岩
夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700M先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。
男岩は高さ9M、女岩は高さ4Mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄は1本の長さ35Mで男岩に16M、女岩に10M張られていて、その間は9Mあります。

鳥羽市

鳥羽城跡
この城は、九鬼嘉隆が文禄年間(1592〜1596)に築いた城で、寛永10年(1633)に内藤忠重が入封した後、二の丸・三の丸を増設し、近代城郭としての体裁を整えた。一般に海城は、海を防御のために利用するのにたいし、この城は、建物の正門である大手門を海に開く独特なもので「浮城」とも呼ばれ、全国的にも類を見ない、まさに水軍の城としてその威容を誇った。

光岳禅寺
曹洞宗。正保元年(1644)稲垣重種によって、三河国刈屋村に創建されたもので、享保11年(1726)稲垣昭賢が鳥羽城主となり当地に移された。稲垣家累代の菩提寺で、歴代の位牌がある。

志摩市

仙遊寺
神護山仙遊寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、九鬼隆良、隆次追善供養のため1542年(隆次没年)に創立されました。以後正保年間(1644〜47)および1889年(M22)に再建されています。

ダンダラボッチ公園
波切漁港近くにある小公園で、その中には、ダンダラボッチの足跡を復元した岩があります。
ダンダラボッチとは、この地方一帯に語り継がれている伝説上の大男です。この大男が里人に悪さをして困っていましたが、大わらじを作って見せたところ、自分より大きい人間がいると勘違いして、逃げ出したという話です。

伊雑宮
創立は、約2000年前の第11代垂仁天皇の御代のことであります。皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命が御贄地をお定めになるため、志摩国をご巡行の際に、伊佐波登美命が奉迎して、この地に当宮を創建して、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられています。

磯部の御神田
伊雑宮の御田植式は志摩地方第一の大祭で、一般に「御神田(おみた)」といわれ、国の重要無形民俗文化財です。宮域の南に隣接するご料田(作付面積1,643m2)で毎年6月24日(6月月次祭当日)に行われます。






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