北薩摩


出水市

ツル渡来地
ツルは、荒崎地区を中心に、毎年10月中旬から渡来し翌年3月末頃まで滞在する。毎年訪れる約1万羽のうち、およそ7割がナベヅル、残りがマナヅルとなっており、その他にクロヅル、ソデグロヅル、アネハヅル、タンチョウなど珍しいツルを見ることもある。ツルの集団越冬地としては、世界に例を見ない貴重な渡来地といわれている。

鎮国山感応寺
建久5年(1194年)島津家初代忠久が創建し臨済宗禅の祖栄西禅師が開山した日本最古の禅寺で、島津家菩提寺として栄えたところです。
寺宝として、県指定重要文化財の十一面千手観世音菩薩像と脇立四天王像の5体の木造が所蔵されているほか、様々な文化財が保存されています。境内には、忠久、忠時、久経、忠宗、貞久の島津家5代の墓碑、五廟社が残されています。

感応寺のソテツ
野田町には、至る所に古い木や大きな木が残されており、自然も多く、住民が一体となって保存している望ましい姿がうかがえる。
このソテツは、永禄10年(1597年)に感応寺の第18代茂林和尚が阿久根の楞厳寺に隠居中、薩州島津家6代義虎の文船使者として琉球に赴いた際、帰りに中山王から贈られたもので、葉の付け根の切除跡から推測しても400年前後の樹齢と考えられ、歴史的背景もあり、植物学的観点から考察しても価値の高いものである。

出水市麓武家屋敷
出水麓武家屋敷群は、御仮屋跡(現在の出水小学校)を中心にし、5つの集落から成り立っている。かつての郷士の住む場所を麓といい、この出水麓は、新しく土地を整地して作られた住宅地兼陣地であった。武家屋敷の規模は、知覧や入来等よりも大きく、石垣の特徴ある美しさ、武家門、生垣等は島津藩の外城制度の麓集落をしのぶに十分であり、県内外からの見学者が多い。

日本一のお地蔵様
大正14年、真言宗の僧侶斑目仏師によって建立された地蔵尊です。一刀彫りでは”日本一”。台座まで含めると高さ4.15mあります。交通安全、無病息災、子育てや延命などの御利益があるとされています。出水市本町の八坂神社境内にあります。

出水市ツル博物館
クレインパークいずみ
ツルが羽を休める姿をイメージした2階建ての博物館。ツルの生態を描いた「風の記憶―ツルのくるまち出水」をドームスクリーンで上映しているほか、常設展示室がある。

箱崎八幡神社
薩州・島津家の始祖、島津忠久公が鎌倉から下向の途中に博多の沖で船が難破しようとした際、筥崎宮に誓願して難を逃れ、無事に山門院野田(現在の出水郡野田町)に辿り着いたことから箱崎八幡神社を勧請したと伝えられる。
祭神は応神天皇・神功皇后・武内宿祢。

日本一の大鈴
「成せば成(鳴)る。大願成就の大鈴」。大きさは、高さ4m、直径3.4m、重さ5トンあり、鶴の里出水ならではの鶴の親子の舞いを浮き彫りにした日本一の大鈴です。出水市上知識町の箱崎八幡神社境内にあります。

高尾野温泉センターもみじ
高尾野温泉センターもみじには大浴場(白湯・サウナ・リラックス湯・冷水浴・あがり湯など)、露天風呂、家族湯、身障者浴室、レストラン、大広間、各種休憩室、レストルーム、会議室等が完備されており、町内外から多くのお客でにぎわっています。

木牟礼城址
文治2年(1186年)に島津家の始祖・島津忠久が薩摩・大隅・日向三国の守護職に任ぜられた際、家臣の本田貞親に命じて、山門院(現 野田・高尾野・荘など)の木牟礼に築城させ、島津三州支配の基礎を作りました。島津氏の家臣が常駐し、守護勢力の拠点となり五代貞久まで続きました。本田貞親は場内に竹林城を築き、ここを居住地としたと伝えられています。

阿久根市

沈溺庶霊塔
寛政11年(1799)旧暦3月10日に、脇本の郷士を始めとした39名が、阿久根大島の金毘羅祭りに招かれ、その帰りに突風に遭い、舟が転覆して29名(内3名は女性)が、海に投げ出されて溺死した。
溺死した人の多くは、この下村の海岸に打ち上げられたことから、ここに慰霊の塔が建立されたのもである。
片面には、当時の遭難者の氏名が彫られているが、風化のため、解読することは難しい。

医王山永福寺跡
創建の時期は不明であるが、開山は天窓和尚、二世珪山、三世雲海、四世天屋、五世徳岩和尚であったと言われている。
享保16年(1731)以前は野田慶応寺の住職が兼任していた。慶応寺の末寺であった。
養福寺と記録されている書もあるが、これは寺号が改められたもので、明治3年(1870)廃寺となった。

光礁
戸柱公園の下、大島を望むところにこの大岩があります。昔から奇しき光をはなつ岩として、天下にその名が知られています。

道の駅 阿久根
道の駅 阿久根は、鹿児島県北部に位置し、国道3号沿線で第1号の「道の駅」です。 東シナ海に面し、陸と海がマッチした絶景の場所にあります。物産館では新鮮な鮮魚、野菜、農水産加工の特産品の展示即売、 レストランでは前浜で朝方水揚げされた新鮮な魚を使った料理を提供しています。

宮崎神社
古里集落にある神社で,厳島姫命を祭っていますが,御神体は木造の弁財天だといわれています。
昭和44年に,神社脇の遺跡から土器や祭器が多数見つかり,古代脇本地方の中心地だったことが分りました。

長島町

堂崎城跡
城川内の国道から海に突き出た岬が見えます。ここが堂崎城のあった所で、長島氏が遅くとも南北朝時代(14世紀)には築城したと考えられ、長い間、長島氏の居城でした。
 登城口に行くと自然の石をきれいに並べた石段があります。これは、当時のままのもので、町の指定文化財に指定されています。

指江古墳群
指江古墳群は指江庁舎の前から海岸の方に400メートル行ったところの雑木林の中にあります。この雑木林は海岸に沿って小高い丘になっており、この雑木林の中に140基をこす古墳があるのです。これらをまとめて指江古墳群とよんでいます。ここはすぐ前が海で、波打ち際にたくさんの丸石があり、この石で指江古墳の1つ1つの石室は造られています。

道の駅 長島
道の駅 長島は、国道389号沿いの東シナ海を一望できる場所に位置する心やすらぐ景勝地です。 夜は漁火が街のネオンのように見え、ロマンチックな旅情を誘います。長島海中公園では美しいサンゴも見ることができます。 駅周辺には海水浴場があり、キャンプや磯釣りもできます。

小浜崎古墳群
夏になると観光客でにぎわう小浜海水浴場。ここのすぐ上の丘が小浜崎半島です。ここには6基の古墳があり、これらをまとめて小浜崎古墳群と呼びます。土や石を高く積み上げて作った古墳を高塚古墳といいますが、小浜崎古墳群はこの高塚古墳の九州西海岸での南限地帯を示すものとして、重要な史跡です。

明神古墳群
蔵之元小学校から海の方に向って約800メートル行くと明神浜とよばれる美しい海岸に出ます。この海岸に沿って長さ約100メートルの雑木林があり、古墳群はここにあるのです。古墳の造り方は指江古墳群とよく似ており、海岸の丸い石で造られています。

明神下岡遺跡
小川をはさんで、明神古墳群の北側には明神下岡遺跡があります。
 ここは、昭和54年に住宅建設計画が出てきたので町教育委員会で調査したところ、30基の墳墓を発見、翌年4月、その内10基を発掘調査しました。
その結果、明神下岡遺跡では、遺跡の状況や遺物から、今からおよそ2000年前の弥生時代中期から古墳時代の5〜6世紀頃まで長い期間、墓が造られ、埋葬が行われたと考えられています。

唐人石
江戸時代、長島町は薩摩藩の肥後との国境となったので、蔵之元港には船津番所という役所がおかれ、薩摩に出入りする船や人々を取り締まっていました。
 江戸時代鎖国下の寛文3年(1663年)8月、オランダの海賊船が台風を避け、ここに入港するという事件がありました。唐人石はその時その海賊船をつないだ石と伝えられています。唐人石は湾の奥の方に現在も残っています。

薩摩川内市

人形岩
国道3号沿いの西方海岸にある奇岩で、人形岩の向こうに夕日が沈みゆく様は、川内随一の絶景です。この岩には、海辺で亡くなった母親が人形岩の父と子に会いに行くという伝説が残されています。
また、岩と砂浜が織りなす西方海岸の風景もすばらしい眺めです。

タイヘイヨウアカボウモドキ
2002年7月26日,鹿児島県川内市の海岸に体長6.48mのアカボウクジラ科鯨類がストランディングした.
国立科学博物館とかごしま水族館は神奈川大学,日本鯨類研究所,九州大学,オークランド大学(ニュージーランド)の協力を得て同定作業を行った結果、本個体はこれまで我が国近海では知られていないタイヘイヨウアカボウモドキ(Indopacetus pacificus)であるとの結論に到達した.

新田神社
新田神社は、神亀山(高さ70メートル)の山頂にあり、ニニギノミコトをまつる神社です。かつて、薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残しています。6月の御田植祭で奉納される棒踊り、奴踊りは県の無形文化財に指定されています。

可愛山稜
可愛山陵は、神代三山陵の一つにあげられ、明治7年7月にニニギノミコトの墳墓と指定され宮内庁直轄で管理されています。社殿に上る石段の途中には御神木のクスなど緑が茂り、緑陰をつくっています。

泰平寺
創建から約1300年の歴史を刻む薩摩屈指の古刹です。奈良時代初期に薩摩国の中心都市、川内(千台)の地に、女帝・元明天皇の即位と共に出された勅願により、「天下泰平・万民豊楽」を祈願して建立されました。
戦国期には豊臣秀吉の九州平定の本陣となり、ここで島津義久との和睦の会見が行なわれたことはあまりにも有名です。

和睦石
公園を横切り泰平寺に向かうと正面に和睦石が見えます。泰平寺は、豊巨秀吉が薩摩を攻めたときに本拠をおいたところで和睦を記念したのがこの石です

薩摩国府跡
薩摩国府は現在の川内市に置かれました。川内平野北側の台地上の六町四方(一町は約109メートル)が国府域であり,その中央付近の二町四方が国衙域と推定されます。

川内歴史資料館
川内地域は薩摩の中心で、かつて国府の置かれた土地です。川内歴史資料館ではおよそ2万年前から現在に至る歴史・文化の流れを2階の第1展示室・第2展示室で紹介しています。第1展示室では川内地域の歴史を流れにそって見ていただくとともに川内地方の民俗を紹介し、第2展示室では特色ある文物にスポットをあてて展示しています。

薩摩国分寺跡
国分寺跡の史跡公園としては、九州でははじめてのものであり、総面積16,449uです。14個の礎石を使った塔跡の他、講堂跡、金堂跡、北門跡等当時の様子を復元してあります。
ここでは毎年10月に「薩摩国分寺秋の夕べ」が開催され、会場一杯に設置される灯明アートが幻想的な雰囲気を醸し出します。

道の駅 樋脇
道の駅 樋脇は、天下の名泉「市比野温泉」の入り口に位置しており、駅内には観光案内所を設け、 無料の足湯(島津の殿様湯)を備えています。物産館では「樋脇町」自慢の特産品を販売し、軽食が取れるレストハウスがあります。

藺牟田池
平成8年ベッコウトンボの生息地保護区に指定され,国内希少野生動植物種である「ベッコウトンボ」の生息地としても知られいます。「ベッコウトンボ」は池の西側で4月〜6月頃に見ることが出来ます。
ベッコウトンボの外に7種類のトンボも生息しています。
池の畔にある生態系保存資料館「アクアイム」ではベッコウトンボや藺牟田池に生息する動植物の生態系を学ぶことができます。

世界一郷水車
鹿児島県祁答院町の南西にある蘭牟田池から流れ出す渓谷は、竜仙峡と呼ばれているようですが、その入り口にあって、シンボルとして聳えているのが、世界一郷水車です。
この水車の構造は、上掛け式でその部分は竜の形になっていて、支柱から垂直に立ち上がっていますので、水流は自然の位置エネルギーではなくて、ポンプアップしているものと思われます。

伊佐市

小川内関所
小川内関所は、薩摩大口筋と肥後の国境にあった、薩摩三大関所の一つでした。大口筋は、鹿児島を始発点として、重富までの白銀坂をとおり、現在の加治木別府川から溝辺へ抜け、横川、大口へと続き、この関所を通過し、肥後の水俣へと通じる街道の一つでした。薩摩の外城の麓の中でも大口と野間関があった出水は、国境の出入りを取り締まる重要な拠点だったのです。

郡山八幡神社
国指定重要文化財「郡山八幡神社」は大口市の北方にあり建立は建久4年(1193)と言われており、京都の金閣寺より古い歴史をもっており、室町及び桃山形式の手法と琉球建築の情緒が強く加味されています。

高熊山
大口盆地の北東に位置し、市街地を一望に見渡せる高熊山は、明治10年の西南の役で、辺見序Y太率いる薩摩軍と官軍との激戦地となった場所で、昭和58年の発掘作業で山頂の塹壕跡から弾丸、薬きょう、刀等が発見されました。

釈迦段
高熊山山頂西側一帯は釈迦段と呼ばれていてお釈迦様の石像を祀ってあり昔は四月のお祭の日には沢山の人がお参りに来て賑わったそうである。
特に山頂付近新納家の領内であったので、木ノ民の村役の人たちが維持管理に当たり石室や石塔等寄進している。

曽木の滝公園
滝幅210m,高さ12mの壮大なスケールを誇り,「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる曽木の滝。
千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流とその轟音は,訪れる人々を釘付けにするほど豪快。一帯は自然公園となっており,四季の彩りも美しく桜や紅葉の季節には,イベントも開催されます。

清水神社
縁結び、安産、文筆の神として、千有余年、滝と観音淵を望める絶景の地に鎮座されていたが曾木の滝の観光開発の為現在の場所に移されました。

曽木第一発電所
曽木の滝公園内にある曽木第一発電所までの散策路が出来上がりました。
この発電所は国の有形文化財である曽木第二発電所が造られた前に操業していたもので,ヘッドタンク部分が残されています。

曽木第二発電所
曽木の滝の1.5km下流に,今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は,明治42年に竣工し,その出力は当時国内でも最大級のもので,水俣のチッソなどにも送電を行っていました。昭和40年に鶴田ダムの完成とともに水没することになりましたが,現在では渇水期の5〜9月頃に中世のヨーロッパの居城後を思わせるレンガ造りの建物が姿をあらわします。

さつま町

別府原古墳
別府原古墳群は古墳時代の5世紀末頃の埋葬遺跡で,昭和42(1967)年の発掘調査では6基の地下式板石積石室が検出されました。
地下式板石積石室は,安山岩もしくは扁平な河原石を縦に用いて円形に石室をつくり,遺体を安置し,板石を積み重ねて被覆したのち,さらに上から土を被せて地下に埋設したものです。川内川流域・北薩地方に特有の墓で,大隅地域の高塚古墳や地下式横穴と対比されます。

観音滝公園
観音滝公園は、キャンプ場、川遊びができる河川プール、そば打ち体験ができる実習館、ガラス工芸館、グラウンドゴルフ場、温泉などがあり、豊かな自然を思う存分満喫することができます。

観音滝
ガラス工芸館から観音像のわき道に入ると、巨大な岩石を貫いて流れ落ちる三層の観音滝があります。秋には紅葉に混ざり、優雅さを増します。滝見台でゆっくり涼みながら見物できるよう、椅子やテーブルも設置しております。
四季を通じて表情を変える観音滝をお楽しみください。

長野城跡
観音滝の背後の山が長野城跡である。
長野城は祁答院氏の守る城であったが、島津軍の攻撃の為、永禄12年5月25日、遂に落城した。

長野金山
長野金山が盛んな頃は、坑道は遠く横川 町山ヶ野の地底までも通じ6番坑道と呼ばれ、途中 には坑内事務所・コンプレッサー機械室・500尺竪 坑・斜坑巻き上げ場・上坑道からの鉱石落とし口 などがあって、主に運搬や坑夫の出入り口であった。





1