霧島


霧島市

霧島神宮
天照大神は、孫であるニニギノミコトに、高天原から降りてこの国を治めよと命令しました。ニニギノミコトは三種の神器を譲り受け七人のお供の神と一人の道案内(猿田彦命)の神と共に高千穂の峰に降りたのでした。これが天孫降臨の神話の由来です。
このニニギノミコトを祀ったのが霧島神宮で6世紀に造られたのが始まりです。現在の社殿は1715年に島津藩主の島津吉貴が建立したものです。

霧島神宮古宮址
霊峰高千穂の西麓、標高950メートルの河原(瀬多尾越)にあり、947年(天暦元年)天台宗の名僧性空上人によってこの地に社殿が建てられてから1234年(分暦元年)の霧島大噴火で消失するまで約290年間霧島神社および別当寺が祀られている聖地です。

高千穂河原ビジターセンター
高千穂峰の登山口前にあり、ここでは霧島連山の山や湖、生息している野鳥や植物、さらには自然の中で過ごすマナーなどについて紹介している。クイズ方式で楽しみながら情報を収集できる。心強いナビゲーターだから、登山の前には必ず立ち寄ろう。ここから天の逆鉾のある高千穂峰まで約1時間30分で到着する。

丸尾滝
鹿児島県霧島市牧園町高千穂の霧島温泉郷にある滝。国道223号線沿いにあるので簡単に見ることが出来ます。高さは20m程で滝水の白、木の緑、岩の赤、滝壺の青緑とのコントラストが非常に美しい滝です。この滝は温泉水と湧水が流れ込んでいるらしく、滝壺の色が何とも印象的である。

温泉センター 神乃湯
霧島の大地がはぐくんだお茶や柚などの薬湯をはじめ、気泡湯、打たせ湯、浮き風呂などさまざまなお湯が楽しめる心身のリフレッシュセンターです。

西郷公園
人物像としては日本一の大きさの西郷隆盛像(高さ10.5m)が迫力のある西郷公園。無料で入れる公園は薩摩藩の別邸を彷彿とさせる門構えで、庭園や噴水を配した石畳の広場の周囲には、西南戦争を描いた53枚の錦絵をはじめ、西郷隆盛や明治維新に関する資料、軍服、西郷さんにまつわるエピソードなどが展示されています。鹿児島県内の特産品などを集めた展示即売場、喫茶コーナー、茶室などもあり、カステラ製造工程も見学できます。お土産品店には、溝辺のお茶や、鹿児島銘菓の「かるかん」、西郷さんの大好物「さつまあげ」などが並んでいます。

鹿児島空港
南九州のゲートウェイ的な空港でもある鹿児島空港。ここから東京や大阪、名古屋などへ毎日数多くの便が就航している。空港内は南国ムードにあふれ本州から来た人にとっては、とても喜ばしい環境となっている。

鹿児島空港天然温泉
足湯 おやっとさぁ
国内線ターミナルの正面玄関に新設された天然温泉の足湯です。
「おやっとさあ」 とは鹿児島弁でお疲れ様、ご苦労様という意味。
地下1,500mから湧出する薄茶色、源泉温度46.6℃の天然温泉。
足湯には身障者、高齢者対応の手すりや飲泉場も設けられています。

隼人塚
朝廷軍に討たれた隼人の霊魂を供養して災危を免れるために建供養塔と伝えられてきましたが,最近の調べでは,熊襲・隼人の時代よりずっと後世の平安時代の仏教遺跡と考えられるようになりました。
五重塔3基を四天王像が取り囲む形式は,全国的にも珍しいとされています。

鹿児島神宮
天津日高彦穂穂出見尊(山幸彦)とその御姫の豊玉姫を御祭神とし、仲哀・応神天皇、神功皇后をあわせてまつっています。
漆塗りの社殿は、1756年島津24代重年、25代重豪により再建されました。

卑弥呼神社
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の女王卑弥呼が国分、隼人地区に居城を持っていたという由来が分かったのでここに卑弥呼神社を建立したものである。
卑弥呼は日本最初の国王であり日本の統治者であった。
当時、神武天皇他神武天皇の率いる軍隊が中国の魏の国を助けてたくさんの褒美をもらっていた。
近年、吉野ヶ里遺跡が分かってから邪馬台国はいよいよ九州説に決定した。
国は九州の薩摩から博多まで及んだ。しかし博多の南に反抗する国がありそれが吉野ヶ里である。

石體(石体)神社
山幸彦が住まわれた場所(旧高千穂宮跡)で
安産の豐玉比賣命にならい、戌の日石塔の小石を頂いて産後ひとつ足してお返しする習慣がある。

古城の田の神
横川町古城地区の道路端にあります。高さ70cmの神職型で舟形後背にした半浮き彫りの田の神像です。
享和三年三月三日(1803)の銘があり、三角形の烏帽子が特徴です。
田の神像の顔にあんこ餅を塗りつける風習が今も受け継がれています。

大隅国分寺跡
天平年間(七二九〜七四八)飢饉・疫病・反乱がおこり、国内の世情が不安定になり、聖武天皇は五穀豊穣・天下泰平を祈願し天平13年(七四一)国分寺建立の詔をだされました。国分寺は、金光明四天王護国之寺(僧寺)と法華滅罪之寺(尼寺)があり、当地は尼寺跡です。大隅国分寺の建立については、奈良時代末から平安時代初期の頃といわれています。

上野原縄文の森
上野原遺跡は,南に鹿児島湾や桜島,北に霧島連山を望む,鹿児島県霧島市東部の標高約250mの台地上にあります。約9,500年前には定住したムラがつくられ,また約7,500年前には儀式を行う場として,森の恵みを受け,縄文時代の早い段階から多彩な文化が開花し,個性豊かな縄文文化がきずかれました。

湧水町

丸池湧水
「日本名水百選」のひとつに選ばれている丸池は、日量6万トンの水が湧き出し、町の生活用水に利用されています。また、水路沿いの石畳の小道は「せせらぎの道百選」にも選ばれています。桜の名所としても親しまれています。

幸田の棚田
昔ながらの原風景が残る棚田(千枚田)。昔の人の知恵と工夫に改めて驚かされます。「日本棚田百選」にもなっています。

松尾城跡
もともと北原氏の居城でしたが1590年、島津義弘公が入城した南九州唯一の山城跡です。石垣や石段が今も残り、大手門が復元されています。

竹中池
水温16度、毎秒1トンの豊富な湧水に恵まれる竹中池は、そうめん流しと町営プールがあり、涼を求める家族連れで夏場は大賑わいのプレイスポットとなっています

筒羽野の疎水
竹中池に湧く豊富な水は、縦横に引かれた用水路を通って90ヘクタールもの田んぼを潤し、有機栽培米などの美味しいお米を育んでいます。竹中池を水源とする用水路は、別名「筒羽野の疎水」と呼ばれ、農水省が定めた「日本疎水100選」にも選ばれています。

加治木町

日木山宝塔
この宝塔は,現存する高さ2.4m余りで,四面に梵字が深く刻まれている。北側石塔には寛元元年(1243),南側石塔には仁治参年(1242)の年号が刻まれている。
加治木八郎親平の二男木田三郎信経夫婦の墓と言われているが,明確ではない。

精矛神社
この神社は島津氏17代義弘を祀っている
明治2年、終焉の地に神社を造営し、神号の精矛厳健雄命から精矛神社とした。
その後、大正7年(1918)10月1日、没後300年当たり、現在地にあらたに造営遷座した。

端山神社
この周辺では「子供んの神さぁ」である。「南無十一面観世音菩薩」寛永十年(1633)四月吉日権大僧都法印と五種子の梵字を刻した自然石が加治木町福祉センター敷地内にある。

小烏神社
江戸時代は、小烏大明神と呼ばれ、木造の神像二体が祭られていました。明治以降、祭神は、神話「海幸山幸」、つまり彦火火出見尊とされています。鹿児島神宮と同じです。

加治木護国神社
明治元年戊辰役、同10年西南役、同27年日清戦争、同37年日露戦争、昭和16年大東亜戦争の国事に殉じた加治木町出身、並びに縁故ある殉国の英霊を祀る。

加治木島津家屋形の跡
慶長12年(1607),島津義弘が重富の平松城から加治木に移る時,はじめ加治木城に入る予定だったが,幕府に禁じられたために易学者江夏友賢に命じて新しい屋形を定めた。「東の丸」・「中の丸」・「西の丸」などが築かれ,その後「中納言様御殿」や幕末には「御対面所」などが造られた。御対面所は近代になってから,第七郷校,仮県庁,郡役所などに使われた。

姶良町

山田の凱旋門
明治37,8年日露戦争に山田村(当時)から従軍した人たちの無事帰還を記念して明治39年(1906年)3月山田村兵事会が建設しました。
上部はアーチ型に組まれ,中央にタテ60cm,ヨコ121cmの石がはめ込まれています。

白銀坂
白銀坂は、姶良町脇元から吉田町牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。
この坂のある山並みは、古代〜近世における薩摩国と大隅国の国境でした。
戦国時代には、島津貴久や義弘といった武将たちが、この坂に陣を構えて、蒲生氏と対峙したといわれています。

蒲生町

蒲生どん墓
蒲生氏は、12世紀の初めに初代舜清が蒲生の地に入って以来、16世紀の半ばに18代範清が島津貴久に追われるまで、430数年のあいだ蒲生を支配していました。
蒲生どん墓は、鎌倉時代末期から室町中期におよぶ8〜13代の蒲生氏歴代当主とその一族の墓で、法寿寺跡の一角に総数31基の五輪塔がまとめられています。

蒲生八幡神社
今から約870余年前、保安4年(1123)2月21日、蒲生院の総領職であった蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけしゅんぜい)が、豊前国宇佐八幡神宮を勧請し、この地に正八幡若宮(蒲生八幡神社〉を創建しました。
境内の奥には、日本で一番大きい木「蒲生のクス」がどっしりと建っています。

蒲生のクス
蒲生のシンボルである大クスは、蒲生八幡神社境内にあり推定樹齢1,500年、高さ30m、目通し幹囲24.22m、根回り33.57m。クスの内部には、タタミ約8畳分の空洞があり、まるでトトロの家のようです。
昭和63年度、環境庁が実施した巨樹・巨木林調査で日本一の巨樹であることが証明されました。

竜ヶ城磨崖一千凡字仏蹟
蒲生氏の本城であった蒲生城(現在の城山)の岩壁に約120mにわたって梵字が刻まれています。
梵字の数は、1700にもおよび、一か所にまとめられたものとしては、日本最多の磨崖梵字であるといわれてます。
この磨崖(天然の岩壁に彫刻したもの)梵字群は3つの群に分かれ、薬研(やげん)彫りと呼ばれえる彫り方dせ刻まれています。梵字一字一字は、それぞれ仏教の教義や仏尊を表す意味をもっています。





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