南木曽町 |
妻籠宿 | |
江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともよばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目の宿場となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交差する交通の要衝として古くからにぎわいをみせていました。 |
延命地蔵堂 | |
堂内には直径2メートルの自然石が安置されている。文化10年(1813年)、蘭川の河原で 地蔵が浮き出ている石が光徳寺住職の中外和尚によって発見され、ここに移され祀られた。 |
下嵯峨屋 | |
この建物は18世紀中期の建築と推定され、妻籠宿でも最も古い建物の1つです。当時の木賃宿の形式を良くとどめており、昭和44年の解体復原では古材を極力残すよう努め、当時の姿を再現いたしました。 |
桝形の跡 | |
宿場の城塞施設で、街道を2度直角に曲げ、外敵が浸入しにくいようにつくられたもので、当時の姿を残しています。 |
妻籠宿本陣 | |
宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父の所へ養子にきた広助でした。 |
脇本陣奥谷 | |
脇本陣奥谷は代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い建てられました。 |
歴史資料館 | |
歴史資料館は脇本陣奥谷に隣接しており、奥谷から続いて見学できるようになっています。 南木曽町や木曽路の歴史、町並み保存運動、全国の町並みなどの資料を模型や映像を用いてわかりやすく展示しています。 |
大桑村 |
妙覚寺 | |
妙覚寺の裏庭に天保三年(1832年)に作製されたという、十字架を左手に高く揚げたマリア観音が安置されています。 |
道の駅 大桑 | |
ドライブのお休みどころ「道の駅大桑」。 伊勢神宮をモチーフにた落ち着いたたたずまいで皆様をお迎えいたします。 木曽桧、天然木で造られた館内には、休憩所や特産物直売所、焼たてパンの店、会議室などがあります。 |
上松町 |
寝覚の床 | |
寝覚の床は、巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれてできた自然の彫刻です。その壮大さは列車の車窓からも一望できます。古くは中山道を訪れた文人・歌人などの記録に残り、今では国の名勝史跡天然記念物として伝えられてきました。 |
木曽町 |
福島関所跡 | |
福島宿には江戸幕府が江戸防衛のために、東海道の箱根関所や荒居関所、中山道の碓井関所などと並ぶ日本四大関所の一つで、木曽川を真近かに見下ろす高台にあり、創設以来約270年間、中山道の要衝として入鉄砲、出女等を厳しく取り締まった所です。 |
高瀬家 | |
島崎藤村の姉が嫁いだところで、小説「家」のモデルとなった旧家。 藤村関係の資料を展示。 |
木祖村 |
薮原宿高札場跡 | |
薮原宿の南の入口、街道沿いの西側にある。木祖村教育委員会の立てた標柱が立てられている。現在遺構は何も残されていない。ここが薮原宿の京方の入口にあたる。 |
防火高塀跡 | |
元禄八年(1695)薮原宿大火の後防火を目的に各戸の間口を一間に付き一寸の割合で出し合い寄せ合わして路地を生み出し広小路を設けた。後年そこに石垣を築いて基礎としその上に土塀を設けて防火に備えたもので、この石垣は当時のままのものである。 |