北河内



大東市

慈眼寺
野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749?757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。

四条畷市

四條畷神社
飯盛山の西にあり、楠正行を主祭神として楠木正時・正家以下一族の将士24人を配祀しています。明治22年、楠正行墓所に創建を予定して着工しましたが、後に現在地に移され、翌年4月5日に鎮座祭が行われました。境内には桜や楓が植えられており、特に春と秋の景観が見事です。

門真市

伝茨田堤
茨田堤は、古墳時代中期に築かれた日本最古の堤のなごりであると伝えられています。
「日本書紀」仁徳紀11年10月条に北の河の労を防がんとして茨田堤を築く。」と記され、「古事記」にも「秦人を役てて、茨田堤を作りたまい。」と記されています。
これにより河内平野に農耕文化が急速に発違したことを伝えています。

守口市

佐太天神宮
創立については、必ずしも明らかではありませんが、「佐太天神宮記」等によると菅原道真が太宰府左遷に際して、暫く舟をつないだ所とされ、その後、道真を慕って祠を建てたのが創建とされています。
現在の本殿は棟札によると、寛永17年(1640年)に再興した後、天和3年(1683年)から計9階の屋根替が棟札により確認されています。

来迎寺
来迎寺は、大念仏宗中興法明上人の弟子実尊誠阿上人西願が、正平2年(1347年)に下仁和寺庄守口村に一宇を建立したのが始まりといわれ、今も来迎寺の地名を残しています。
住職が代わるたびに本尊を移し、332年間に26回も移転したことでも有名で、延宝6年(1678年)に現在の地に定堂しました。

寝屋川市

住吉神社
住吉神社(別称 ねや川戎神社)は寝屋川市の中心部にある京阪電鉄寝屋川市駅のすぐ南側に位置し、古来三社大明神と称し、息長足姫命(住吉大神)・武甕槌命(春日大神)・事代主命(戎大神)の三柱が御鎮座されており古来より三社大明神として親しまれて来ました。

交野市

薬師寺
薬師寺は無住寺で保存会が管理しているが本尊の薬師如来は、室町時代作の総檜づくりである。千体仏は、同じく室町時代に総檜づくりで地蔵菩薩坐像や薬師如来立像等671体が5個の木箱に納められたもので、いずれも交野市指定文化財になっており、毎年文化の日に一般公開されている。

光林寺
当山の創建時期は不明だが、『光林寺什物帳』によると、「開基の儀は不詳だが、中興は長隆上人で、1591年(天正19年)のこと」と記されているとのことである。
 『交野市史』によると「寺に残る『過去帳』には10世住職貞阿の寂年が1726年(享保11年)とあり、これより推算して開山1世は少なくとも桃山時代、或はその少し前までさかのぼると思われる」としている。