北勢



四日市市

日永の追分
四日市は東海道五十三次の四十三番目の宿場として栄えました。日永の追分は、東海道と伊勢街道の分岐点で、往時の繁栄ぶりを今に伝える史跡です。

木曽岬町

木曽岬神社
伊勢湾台風の後、町の犠牲者の霊を慰めるため、雁ヶ地地区に創建。また同時に伊勢大神、町の功労者の霊と護国の英霊を勧進して祀っています。

了清寺
芭蕉の句碑 「永き日を囀(さえず)りたらぬ雲雀(ひばり)かな」と建立した俳号、一巴の「雲に入って雛を慕ふや揚げ雲雀」の句が刻まれた碑がある。宝暦8年(1758年)3月建立。

朝日町

浄泉坊
浄土真宗本願寺派。徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩堤寺になっていたことがあるといわれ参勤交代の大名はこの門前では駕籠を降りて黙礼したと伝わる寺。見所は山門の扉や屋根瓦にある徳川家の定紋三つ葉葵。

川越町

善養寺
寛正年間に布教のためこの寺を訪れた蓮如上人のゆかりの品が今も大切に残されています。
また境内に今も残る菩提樹は、蓮如上人が庭に種をまき、寺の繁栄と樹木の成長ぶりを念じたと伝えられています。

鈴鹿市

椿大神社
開運みちびきの神様として知られる猿田彦大神を祀り、全国から参拝者が訪れる。
木々に囲まれた厳かな境内には松下電器の創業者・松下幸之助翁寄進の茶室「鈴松庵」があり、流派を問わず広く一般にも開放している。

都波岐神社・奈加等神社
伊勢国一宮は、椿大神社と都波岐奈加等神社の二社があり、ここは都波岐神社と奈加等神社が合殿して祀られている。都波岐神社の創祀年代は不詳。都波岐神社は雄略天皇23年(479)に伊勢国 造高雄束命が勅を奉じて、河曲郡中跡里に社を造営したのが始まりと伝わる。都波岐神社には猿田彦大神を、奈加等神社には、天椹野命 、中筒之男命を祀る。

亀山市

亀山城跡
天正18年(1590)、岡本宗憲によって築かれた城。丘陵の上に建ち、白壁の櫓・門・土塀などを連ねる景観が蝶の群れとなって舞う姿にたとえられ、「粉蝶城」とも呼ばれた優美な城でした。寛永9年(1632)、幕府から“丹波”亀山城の修築を命じられた堀尾忠晴が間違えてこの亀山城の天守閣を解体してしまったという伝承があります。

大久保神官邸宅門
関実忠が文永二年(1265)亀山城(古城)の鎮守として勧請した南崎権現社の神官大久保但馬守邸宅の門であった。門は本柱の間に二枚開きの扉が付けられ柱の後ろに控柱があり切妻屋根で破風の下に縣魚がたれる。門右にくぐり門、左は土塀に続く。亀山西小学校の裏門に利用されていたが、昭和三十年現在地に移築された。

亀山神社
亀山市役所の近くで亀山城跡に鎮座する 江戸期には交通の要衝で城主が度々変わった城で在ると云い大木の多い参道で在り幾つかの鳥居や狛犬を過ぎて拝殿で在る 風騒ぐ中に御本殿も在り拝殿前には天満宮の小祠が置かれる。

宝筐印塔基礎部
この宝筐印塔基礎部は、この地にあった善導寺が西町へ移転された時に残されたものとされ、昭和26年の西小学校運動場拡張工事の際、取壊された本丸石垣の中から五輪塔などと共に発見された。

亀山公園
亀山城跡を中心とした市街地中心部に位置する総合公園。夏には、菖蒲園で花しょうぶが咲き乱れますが、秋には紅葉が周囲の景色を鮮やかな赤に染め上げます。様々な木が混ざり合い、赤・黄・橙・緑の錦を織り成す様もまた絶景です。

野村一里塚
慶長9年(1604)2月、徳川秀忠は、諸国の街道に一里塚を築くように命じました。野村一里塚もこの時築かれたものです。現在は三重県下で唯一原形をとどめる一里塚で、わが国の交通史を考えるうえで貴重な遺跡として、国史跡に指定されています。




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