須崎市 |
発生寺 | |
元々同寺は西願寺と称していたが、幾度も津波などの災害にあい、現在の地に移されるとともに、寛延元(1748)年に発生寺と改称された。 |
坂本龍馬首切り地蔵 | |
発生寺には、龍馬が木刀を振って一撃のもとにその首を打ち落としたといわれる首切り地蔵と手植えの松がある。 |
眼鏡橋 | |
糺ノ池より市街地を東に流れる堀川に、糺町と横町へ通じる往還道として架橋したもので、明治初年の記録には木橋で糺橋と呼ばれていた。 |
道の駅 かわうその里すさき | |
道の駅「すさき」は、高幡広域圏のインフォメーションセンターとしての役割を担っており物産をはじめ、観光・道路情報を提供しています。新鮮な須崎地区の一次産品の産地直売市場や、土佐の風味を気取らずに満喫できるレストランなどが整備されています。また、隣接して園芸団地、新荘川河川公園などもある。 |
中土佐町 |
久礼八幡宮 | |
久礼中心部、海を正面に静かなたたずまいの久礼八幡宮は、久礼の漁師さんの守り神です。 境内には樹高約30mの大楠、ミカドアゲハの食用となる小賀玉の木などの大木が木陰をつくっています。 |
大正町市場 | |
土佐久礼の真ん中の商店街。 その日の朝どれ・昼どれの新鮮な魚介類を、漁師のおばちゃん達が肩を並べて威勢良く売っています。そう ここが中土佐町久礼の台所大正町市場(大正市場)です。 |
四万十町 |
岩本寺 | |
天平年間(729〜748)聖武天皇(在位724〜749)の勅願により行基菩薩が仁井田に7ヶ寺を建立し、その根本寺として福円満寺がありました。 その後、弘法大師が弘仁年間(810〜823)にこの地を訪れ星供秘法を修ぜられ、5社、5ヶ寺を増築して仁井田5社、12福寺といわれていました。そして福円満寺を改め藤井寺とし、第三十七番札所として定められました。5ヶ寺を増築したときに大師がそれぞれご本尊を刻まれたため、岩本寺にはご本尊が5体安置されています。 |
道の駅 あぐり窪川 | |
道の駅「あぐり窪川」では「窪川まるごとめしあがれ」をテーマに、新鮮野菜市で野菜や花卉、窪川産の生乳と、町内で生産された、土生姜や大豆等を使ったアイスクリーム、好評の豚まんや窪川ポーク・野菜を用いてレストランメニューに窪川の素材を生かしています。 |
上宮沈下橋 | |
上宮橋は、四万十川の右岸の大正北ノ川集落と左岸の上宮集落を結ぶ沈下橋である。上宮地区へは、上舟戸、中舟戸、下舟戸と呼ばれる3ヶ所の渡し場があり、この場所に沈下橋が架けられるまで渡し舟が運航されていた。 |
道の駅 四万十大正 | |
最後の清流・四万十川の中流域。四万十町大正地区の轟崎にある「道の駅・四万十大正」 眼下に四万十川を望む公園内には、町のシンボルにもなっている石の風車やフィールドアスレチック、屋外ステージ、縄文・弥生時代の土器、石器を展示している郷土資料館なども設置しています。 |
木屋ヶ内遺跡 | |
高知県下で最大級の大型石斧は、平成4年にここで出土した。 |
道の駅 四万十とおわ | |
「こいのぼりの川渡し発祥の地」旧十和村。当駅は、日本最後の清流「四万十川」流域のど真ん中に位置し、目の前に広がる雄大な四万十川の絶景が自慢です。 周辺の旧国道は、広葉樹が生い茂り、樹木によるトンネルが形成され、サイクリングやウォーキングを楽しむことができます。 |
津野町 |
弘法の石垣 | |
地層の堆積した面に残された凹凸で、ソールマークと呼ばれるものである。この地層は中生代ジュラ紀後期に堆積したもので、この場所が比較的浅い海底だった頃、粘りのある泥の層の上に水流によって運ばれてきた砂が体積した。その際、砂の重圧と海水の動きによって泥と砂の境にこのような凹凸ができたと考えられる。 |
四三九狸 | |
ここは古くから伝説のある白砂利と云う所です。向かいの山は不入山と云い日本最清流四万十川源流域です。 |
高野の舞台 | |
野地区にある「鍋蓋上廻し式」の舞台で、明治6年8月の建築。この方式では、残存する舞台の中で日本唯一とされ、昭和52年に、国の重要有形民俗文化財の指定を受けました |
天狗高原 | |
日本三大カルストのひとつですが、長さ(約20km)と標高(約1,400m)では日本一と自負しております。 あちこちに遊歩道が整備されており、ハイキングにもってこい!春は新緑、夏はハンカイ草などの草花と避暑、秋は紅葉、冬はスキーとオールシーズン楽しめます。 |
大成城址 | |
河野家の家臣である、中川主膳正直清が築き、土佐から攻めてきた長曽我部元親の大軍からここで伊予を守った。 |
梼原町 |
三嶋神社 | |
梼原町、津野町を含むこの地域は、津野山郷と呼ばれます。境内には開祖津野経高を祀る津野神社や、朝鮮松(ハリモミ)等があります。 また、境内に続く橋は木製で御幸橋と呼ばれ訪れる方の目を引いています。 |
茶堂 | |
茶堂では昭和30年代まで、夏間、町民たちが持ち回りでお茶番を担当し、そこを通る人なら旅行者であろうと誰彼なしにお茶の接待をしていました。 |
黒潮町 |
鹿島神社 | |
漁師の信仰が厚い神社。毎年3月3日に神輿戻しや鼓踊りが奉納されます。 |
カツオふれあいセンター黒潮一番館 | |
ここ黒潮町佐賀に伝わる、昔ながらのカツオのタタキづくりをとおして、土佐の黒潮に育まれた私達、漁師の文化を体験していただくことができます。 |
道の駅 ビオスおおがた | |
黒潮香る太平洋に面した場所にあります「道の駅ビオスおおがた」。歩いて1分で海へと到着します。 店内には高知県の特産物の他に、地元でとれた野菜や魚介類をたくさん販売しております。 |
四万十市 |
半家沈下橋 | |
四万十市の中で四万十川にかかる一番上流の沈下橋。 急流の中にかかり瀬音や白い水しぶきの流れが楽しめる。秋祭りには、牛鬼や五鹿が渡り、地域の厄払いを行う。 |
長生沈下橋 | |
キャンプヤカヌーで夏場は多くの観光客で賑わう沈下橋です。 |
三原村 |
五社神社 | |
昔から三原郷の総鎮守として崇敬されている。 太平洋戦争末期は、陸軍の郷土防衛隊が駐屯した。 |
土佐清水市 |
足摺岬 | |
紺碧の海が広がる太平洋に突き出た足摺半島の先端の岬。展望台からは180度以上の視界が広がり、地球の丸さが実感できる。 足摺岬では自然が織りなすダイナミックな景観があり、地球の雄大さを感じずにはいられない。 |
金剛福寺 | |
四国最南端の足摺岬にたつ金剛福寺は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基。境内にはいるとまず目につくのが大きな亀(大師亀)の石像。海上で修業をする大師が海亀を呼び、その背に乗って海を渡ったと伝えられている。 |
ジョン万次郎の像 | |
150余年前、日本人として初めてアメリカに渡り、測量や航海術などを学んだ後、鎖国時代の日本に帰国し、日本の夜明けや国際交流に多大な功績を遺したジョン万次郎。 |
万次郎足湯 | |
あしずり温泉郷の散策遊歩道の中心にある。足を湯につけてほっこりしながら、全面ガラス張りの大きな窓の外に、日本有数の大きさを誇る「白山洞門」を眺めることができる。 |
白山洞門 | |
高さ16m、幅17mと高知県の天然記念物に指定されています。 海が造った洞門としては、日本一の大きさを誇り、海岸に続く遊歩道があります。 |
ジョン万次郎生誕地 | |
郷土の偉人ジョン万次郎こと中浜万次郎がこの世に生を受けた場所が、ここ土佐清水市中の浜地区。 元々は万次郎という名前だけだったが、アメリカから帰国後、旗本になった際に出身地を姓として付け中浜万次郎になった。 |
ジョン万次郎生家 | |
生家は「万次郎の生家」として残る写真を基に設計した茅葺きの木造平屋。市内の有志が募金活動で集めた浄財を中心にジョン万次郎の地元中浜に建設しました。 |
高知県立足摺海洋館 | |
「土佐の海と黒潮の魚たち」をメインテーマに土佐清水市及び大月町の黒潮が迫る沿岸海域を泳ぐ魚類から、磯の潮だまりに棲む無脊椎動物まで多種多様な海の生物3000匹を飼育展示。 |
大月町 |
道の駅 大月 | |
道の駅大月内の物産センターでは、大月町の特産物を始めとして高知県のお土産やグッズ、リニューアルして大好評のバンカンジュースなど、大月の自慢の味覚を数多く取り揃えています。 |
宿毛市 |
延光寺 | |
赤亀が梵鐘を背負って来て、寺に奉納してという伝説から山号が赤亀山となった。また、梵鐘は国の重要文化財となっている。境内には、「眼洗い井戸」があり眼の病気にご利益があるという。 |
浜田の泊り屋 | |
幕末から明治にかけて、幡多地区の各部落では泊り屋を建てて若い衆が宿泊する風習がありました。幡多地区の泊り屋は、すべて高床式の独立家屋で、百数十ヵ所も設置されていました。 |