東部


室戸市

室戸岬
室戸岬は温暖湿潤の亜熱帯気候。冬でもあたたかく、亜熱帯植物が生い茂ります。海岸に続くアコウやビロウ、ウバメガシといった亜熱帯植物林は国の天然記念物にも指定されています。室戸岬を彩るハイビスカスはいかにも南国の雰囲気を漂わせ、室戸岬を訪れる人々を楽しませてくれます。

室戸岬灯台
室戸岬のシンボルは、青い空と海のはざまに立つ白亜の灯台。
明治32年以来、 航海者たちの安全を照らす水先案内人として活躍しています。
レンズの大きさは直径2m60cmと日本最大級。
毎年11月1日に近い日曜日に行われる「灯台まつり」の日には、 内部を一般開放しています。

最御崎寺
室戸山明星院と号し、真言宗豊山派、四国霊揚第24番の札所で大同2年弘法大師の開基。 本尊は「虚空蔵菩薩」で大師の一刀三礼の秘伝 と伝えられています。嵯峨天皇以来の勅願寺でした。重要文化財に三体の仏像があります。

目洗いの池
ややひし形の小さな池。この池にたたえられた水を加持し、人々の目の病気を癒したと伝えられています。近くに、女性が小石を投げ入れると子を授かるという、子授けの岩もあります。

中岡慎太郎銅像
中岡慎太郎は、海援隊長の坂本龍馬とともに活躍した明治維新の勤王の志士。
慶応3年11月15日(1867年)京都河原町の近江屋で刺客に襲われ龍馬とともに落命。この時慎太郎は30才。
銅像は昭和10年安芸郡青年団が主体となって建てられました。

御厨人窟
室戸市には、弘法大師(空海)ゆかりの場所が数多く残っています。
その一つがこの「御厨人窟」です。
約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で、内には五所神社と呼ばれる社があります。
“空海”と名前をつけたのも、ここから見える空と海に感銘を受けたからと言われています。
なお、「御厨人窟の波音」は環境庁の「日本の音風景100選」に選ばれています。

夫婦岩
室戸岬町と佐喜浜町の境の鹿岡鼻にある、海中から直立する2つの岩柱。
しめ縄でしっかりと結ばれ、まるで夫婦が連れ添っているようで人目をひく。
多年の風触作用による蜂の巣構造と風紋が美しい。

金剛頂寺
金剛頂寺は、行当岬から連なる三角山の頂き近く、標高200mの高台にあります。諸説ありますが、大同2年(807年)に弘法大使の精舎建立により開基された説が有力です。開山の頃は三角山と号していましたが、龍頭山と山号を改めました。

津照寺
室戸のまちの小高い山に本堂を構える津照寺は、大同2年(807年)弘法大師が漁業と海上の安全を祈願して、高さ1mほどの延命地蔵菩薩を刻み本尊としたとあります。

願船寺
本尊は阿弥陀仏で真宗東本願寺末である。慶長年間に泉州の商人が本尊仏を安置した。慶長9年(1604)の地震、高潮の時、不思議に助かり正徳4年(1714)願船寺となった。

キラメッセ室戸
太陽発電所により電力をまかなっている、地球にやさしいクリーンエネルギー施設です。農産物直売所では室戸市の特産品である、早生の茶、スイカ、ビワ、ポンカンなどの果樹、備長白炭や地元農家から直送される新鮮な野菜などを販売しています。その他、ここしか買えないグッズを揃えた地場産品の物産店、レストラン、鯨資料館などを併設しています。

東洋町

天満寺
天満寺庭園はごく小規模だが,小堀遠州流の庭園。

野根八幡宮
五穀豊穣・家内安全の神様。神輿は町内のものでは最も大きいものです。近年の祭りの中心はなんといっても流鏑馬です!人も馬も装束を纏い、走りながらの的の射抜きは雄壮で歴史ロマンを感じさせてくれますよ!

奈半利町

森家住宅
森家住宅(旧野村茂久馬邸)は野村茂久馬自身が設計した家として知られています。
東、南、西の周囲を浜石の練り積みの石塀で囲まれた大きな邸宅で、主屋は総二階になっています。二階座敷は南から北に、八畳、十ニ畳、八畳、十畳と四室並び、間の襖を取り除けば三十八畳の大広間になります。建築当初はその外側を三尺の畳廊下がぐるりと取り囲んでいて、「広大無辺の大広間。内緒話もできなければ、隠れる部屋もない。」と茂久馬はいっています。

野村家住宅
藩政時代に土佐藩への年貢米を集めた「蔵床」と呼ばれた場所で、大正11年頃の建築です。
主屋の妻面は腰壁に下見板張りで、その上の土佐漆喰の壁に三段の水切り瓦がついています。
浜石を詰め込んだ練り積みの石塀が特徴で、入り口内部には曲線を描く石塀があります。

二重柿
昭和37年に高知県天然記念物に指定された柿です。
「南路誌」にも記載されている柿の珍種で、元は百石部落の大坪伊勢守の墓に生えていた柿の木の子生えを、植えたものと伝えられています。

馬路村

金林寺
高野山真言宗の仏教寺院。山号は月光山。詳名は月光山珠勝院金林寺。通称は馬路薬師堂で、開基は空海(弘法大師)と伝える。建造物では、四国東部初の国の重要文化財として指定される。
不動明王立像、毘沙門天立像など国指定重要文化財も祀られている。

五味隧道
石造隧道。全長36,5m。現在は安田川の川上側のみに坑口が現存。半円アーチ形の頂部には五角形の盾形の要石があり、坑口には川下から順番を示す「Z」の刻印が残っています。

北川村

中岡慎太郎生家
慎太郎は、天保9年、この屋敷に生まれた。現在の家は慎太郎没後百年祭にあたって、昭和42年11月17日(慎太郎の命日)に復元公開されたものです。
茅葺き屋根の肘屋建築。庄屋には必ず勘定の間があり、玄関の式台を上り、次の間、客間は公の間。その他の奥の間を私生活の間としたと言われ、裏にあるナツメの木の切り株は慎太郎がよく登って遊んだ木と伝えられています。

中岡慎太郎館
坂本龍馬とともに近江屋で非業の死を遂げた中岡慎太郎の、人生や夢を再現した歴史記念館。映像やパネル、資料で生涯を紹介する。

田野町

岡御殿
岡家は米屋と号し、豪商田野五人衆の随一で、祖先岡氏は泉州から山内候に従って田野に来たと伝えられている。岡家は特独礼の格式でたびたび藩に御用銀を調達した。藩主の宿泊所として建てられたこの書院造りの建物は天保時代に建て替えられ、上段の間に近侍の間が並び、その外に一間の次の間が廻って、その外側に三尺の廻廊と切縁がある。そして溜りの間、便所、湯殿やその家具に至るまで完全に保存され、当時の建築様式がそのまま残されている。

道の駅 田野駅屋
四国一小さな町の四国一元気な道の駅。鉄道「ごめん・なはり線」田野駅と一体となった道の駅「田野駅屋」は、地元の産品が集まる直販コーナーや軽食コーナーを併設し、小さな田野町のすべてがぎゅっと詰まった施設です。位置的にも高知県東部のほぼ中心となる当施設の情報コーナーでは、様々な「生」の情報が入手できます。

安田町

神峯寺
神峯寺は、四国霊場八十八ヵ所の27番札所で、札所中、屈指の難所として知られていましたが、車道の開設により、容易に参拝できるようになりました。神峯神社のすぐ下にあり、竹林山と号し、真言宗豊山派に属します。
 本尊は行基作と伝える十一面観音で、開基は、聖武帝の天平2年に本尊を安置し、神と共に祭ったと伝えられ、年間を通じて多くの参拝客で賑わっています。

安芸市

野良時計
明治20年頃、この地の地主だった畠中源馬氏が、10歳の頃に父に買ってもらったアメリカ製の八角時計を分解しては組み立て、構造を理解し、すべての部品から手作りで作りあげた。
以来、120年にわたって時を刻み続ました。現在は、観光シーズンやイベント時などに所有者のご協力を得て動かしていただいています。

弘田龍太郎歌碑
童謡「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」などの名曲を次々と発表し、童謡・歌曲作家としての地位を確立。
晩年は、作曲活動のかたわら、幼児教育に携わり、放送講習会やリズム遊びの指導にあたる。
現在10基の歌碑が安芸市内各地に建立されている。

岩崎弥太郎生家
1834年(天保5)に生まれた、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の生家。生け垣を巡らした屋敷内に茅葺の母屋や、2階建て土蔵が残る当時の代表的な中農の造り。土蔵の鬼瓦には、岩崎家の紋で、後の三菱のマークの原型といわれる三階菱が見られる。また、庭には少年時代に弥太郎が造ったという日本列島の形をした石組みの石庭がある。

タイガースタウン安芸
阪神タイガースのキャンプ地として永らく使用されているのが安芸市営球場
阪神主催でオープン戦の他ウエスタン公式戦も年に数試合開催されています

道の駅 大山
武家屋敷や土蔵造りの町並みなど今も城下町の面影が残る田園都市安芸市。道の駅「大山」は安芸市の末端、国道55号線沿い、手結住吉県立自然公園区域内に位置しています。

芸西村

琴ヶ浜の松原
高知県東部で最大規模の松林が並んでいる芸西村の琴ヶ浜では美しい海と背景の松原でロケーションは最高です。  ここは夜須町より続いている海岸線沿いのサイクリングロードの中継点でもあります。
また、敷地内にろ過した海水を使用し太平洋を眺めながら泳ぐことのできる温水プールもあります。海水なので普通のプールより身体が軽く、楽に泳ぐことができます。

お龍・君枝姉妹像
お龍は龍馬を失ったあと、明治元年から一年余り、妹の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。
この琴ヶ浜にお龍と君枝の像を建てて追善、併せて義兄弟の龍馬と覚兵衛の二人を記念したいという芸西村の人たちの温かい気持ちが実ってこの姉妹の像となった。





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