甲府


甲府市

武田神社
甲斐の名将・武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建されました。この地は、元来、武田氏三代が63年に渡り国政を執った由緒ある「つつじヶ崎」の館跡で、国の史跡に指定されています。つつじヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るものです。菱和殿の天井画には、山梨県内で見られる草木・禽獣やキノコが描かれ、幽玄な世界を醸し出しています。

武田氏館跡
「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16(1619)年に石和からこの地に館を移したことから始まります。その後、信玄、勝頼と、武田家当主の館として使われました。そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの約70年にわたりこの館一帯は領国の政治、経済と文化の中心地として発展しました。

積翠寺
境内の巨石から泉が湧き出ていたことで、石水寺と呼ばれていましたが、後に積翠寺と改められました。信虎夫人がこの寺で信玄公を産んだといわれ、現在も産湯をくんだ井戸や産湯天神が残っています。信玄公はこの寺で和漢連句の会を開き、その記録が残されています。

甲府城跡
武田氏滅亡後、16世紀末に築城された甲府城。かつては20ヘクタールほどの広大な城郭であったが、現在は城跡の一部が「舞鶴城公園」として開放され、市民の憩いの場となっている。
公園の一角に「富士の国やまなし情報コーナー」があり、山梨の魅力的な情報を紹介している。

甲斐善光寺
信玄公によって創建された甲斐の名刹。信玄公は、長野善光寺が川中島の戦いで戦火に遭うのを心配して、本尊の阿弥陀如来をはじめ諸仏や寺宝類を甲府に移しました。武田氏の滅亡以後も徳川家康らの手厚い保護を受けてきました。本堂と山門は国の重要文化財になっています。撞木(しゅもく)造りの本堂は、東西約38m、南北約23m、高さ約26mもある堂々としたもので、東日本最大級の木造建築物です。

東光寺
名僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が再興し、信玄公が厚く保護したお寺です。
信玄公の長男・義信と諏訪頼重のお墓があります。長男・義信は父・信玄と対立したといわれ、東光寺に幽閉され、自害しています。
そのほか、境内には、蘭渓道隆が築いたといわれる見事な庭園(県文化財)、室町時代に建てられたという、国の重要文化財に指定されている仏殿(薬師堂)などがあります。

武田信玄公墓所
死を秘していた3年間、信玄公はここに葬られていたと言われる。現在は江戸時代に建てられた墓石とともに廟所として整備されている。

龍華山永慶寺跡
現在は護国神社となっておりますが、昔ここは、柳沢吉保の菩提寺である永慶寺がありました。
7堂伽藍の輪美をつくした素晴らしいお寺だったそうです。吉保の子・吉里の大和郡山への所替の後、その伽藍の美しく雄大さが幕府にとがめられ、姿を全く残さず解体されてしまいました。僅かに現存する石塔などの文字も削り取られ全く読めません。山門は大泉寺に移築され現存しております。

円光院
甲府五山の一つである円光院の名は信玄公の正室・三条夫人の法名からつけられたといわれている。毎年7月最後の日曜日に三条夫人の法要を行い、檀家をはじめ多くの方が寺を訪れる。昭和52年に再建された本堂、その右手には平成11年に完成した庫裏、左手には鐘楼、高台にあるこれらを背に振り返ると、甲府の街並みの素晴らしさを実感できる絶景が広がっている。

三条氏墓
信玄公の正室である三条夫人の墓です。三条夫人は京都の名門である三条家の出身です。
朝廷の勅使として甲斐の国に下向したのが、左大臣・三条公頼でした。この年の7月に今川義元の媒酌で三条夫人が信玄公の正室となりました。50歳でなくなりました。ちなみに信玄公は53歳でなくなっております。

山梨市

七日子神社
地域の氏神で 推古天皇誕生の歴史 秘話と七日子粥 で有名な安産の神様」です。
神社の「お砂をお借りする」と母子共に健康に長生きするあり難い神様との伝いです。

七日子遺跡
七日子神社の周辺一帯は石器時代の住居跡が密集し縄文時代より奈良朝に至る文化遺物の伴出により、山梨県の七日子遺跡として史跡指定されている。

笛吹市

一宮浅間神社
甲斐国志によると、垂仁天皇の八(紀元前22)年南の神山のふもと(現在の摂社山宮神社)に鎮座したのが起こりという。その後貞観七(865)年に現在地に移されたと云う。甲斐の国の一之宮である。

甲州市

向嶽寺
臨済宗向嶽寺派本山。1380年創建。
中門は国の重要文化財となっており、国宝「絹本著色達磨図」をはじめとして多くの重要文化財などが残る。

秋葉神社
秋葉神社は元文四(1739)年に始まり、火伏せの神を勧請し、向嶽寺の鎮守として祭られている。

恵林寺
武田信玄公の菩提寺 4月12日 信玄公忌。
国指定名勝の恵林寺庭園(夢窓国師築庭)や県指定文化財の木造夢窓国師坐像、武田不動尊坐像、武田信玄公の墓、柳沢吉保の墓などがある。
また宝物館には武田信玄所用の兜・軍配団扇、風林火山で有名な孫子の旗など多数の武田氏に関する文化財を所蔵している。

武田信玄公の墓
恵林寺境内にある。1672年に、信玄百回忌が執られた際に建てられた。墓は「信玄霊廟・明王殿」裏手にあり、この周りは聖域と称されている。明王殿には信玄が自らをモデルに作らせた「武田不動尊」が祠られる。

柳沢吉保の墓
柳沢美濃守吉保と正室定子(曽雌氏)の墓塔である。花崗岩で二重蓮座台、六角形状で吉保の墓が高さ227cm、幅120cm、また定子夫人の墓は高さ200cm、幅120cmある。吉保が在世中の宝永5年(1708)に甲府城外の北方に位置する岩窪の地(甲府市岩窪町)に菩提寺として建立した黄檗宗の龍華山永慶寺と夫人の牌所となっていた塔頭真光院にあったものを、享保9年(1724)3月、大和郡山へお国替えの折吉里の懇望で急遽恵林寺へ改葬された。

放光寺
真言宗の古刹。平安期作の国指定重要文化財「天弓愛染明王坐像」等 四季折々の花が咲く。

西藤木の水車
本水車は、三間四面、東側は寄棟造、西側は切妻造木造建築である。大輪の下部を水路(小屋敷セギ)に直結させた押し車屋で、中には舂臼四台、臼一台がある。水車創立については不明であるが、伝承では江戸時代末期に個人が創設したものを、地域の連30名が譲り受け共同水車として「水車日割表」によって使用した。

旧高野家住宅(甘草屋敷)
高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれている。

白鬚神社
塩山市三日市場佛師原前に鎮座する。普通神社は南向きあるいは東向きに鎮座しているが、此処の白髭神社は西を正面に鎮座している。なぜ西向きに鎮座しているのか、理由は定かではないが、珍しいものだと思われる。祭神は猿田彦命・天宇受売命。

清水寺
清水寺は甲斐の国三十三観音霊場第十八番札所で、山梨県甲州市塩山上井尻にあります。当山は諸国を回りながら橋や堤防などを建設し社会事業を手がけ、深く民衆の帰依を受けたという行基菩薩が開かれた寺で千二百年以上の由緒ある小寺であります。ご本尊は如意輪観世音菩薩で開祖の行基作と伝えられています。





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