城下町エリア |
本丸御殿大広間 | |
往時の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所等の機能が備わっていたが、今回、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)と大台所を復元する。 建築面積:約2,161平方メートル。建築費:約41億8千万円で復元中。平成19年12月完成予定。 |
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熊本県護国神社 |
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藤崎台球場の隣に建ち、神社の前には梅の木が植えられた公園があります。昭和14年に内務省令により熊本県護国神社と公称し、昭和32年に現在の社殿が完成。境内には戦没者のためのさまざまな慰霊碑が建ち、戦争歴史資料館があります。神風連の乱の際に本陣が置かれた場所で、神風連挙兵本陣跡の碑が建っています。 | |
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藤崎台県営野球場 | |
スコアボード横の大きなクスノキが名物の藤崎台県営野球場は、昭和35年の熊本国体の時に完成し、以来、高校野球をはじめアマチュア野球からプロ野球まで数々の球史が繰り広げられています。 平成8年にメインスタンドの改修工事を行い、近代的な野球場に生まれ変わりました。 |
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熊本城稲荷神社 | |
加藤清正(かとうきよまさ)が入国(1588年) にあたり、熊本城の守り神として勧請し、四百年の歴史があります。白髭(しらひげ)さんと親しまれています。最大の祭りは、毎年2月の最初の午の日に開催される「初午大祭」で、この日に参拝することを「福詣り」と呼び、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛などを願う多くの参拝者でにぎわいます。 | |
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熊本大神宮 | |
元は上通りの熊日新聞社の近くにあったようです。祭神は、天照皇大神と豊受大神です。境内は有料駐車場になっています。 | |
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谷干城像 | |
熊本城を囲むように流れる坪井川沿い、千葉城橋と厩橋の間に位置する高橋公園内にある銅像。天保8年(1837年)、土佐藩に生まれた谷干城は、明治10年(1877年)の西南戦争で、政府軍の熊本鎮台司令長官として少数の兵とともに籠城。52日間にわたる薩軍の猛攻に耐えたことで名を馳せました。以前は熊本城内の天守閣南側にありましたが、熊本城本丸御殿の復元に伴い、高橋公園に移設されました。 | |
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横井小楠と維新群像 | |
熊本城を囲むように流れる坪井川沿い、千葉城橋と厩橋の間に位置する高橋公園の中に、横井小楠のほか、彼と親交のあった坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の5人の銅像が維新の群像として立てられています。横井小楠は、熊本市内坪井出身の思想家で、坂本龍馬や吉田松陰などとも交流のあった歴史上の人物で、維新群像は小楠と志士たちの功績を讃えたものです。 | |
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宮本武蔵旧居跡 | |
細川忠利は武蔵の名誉を重んじ、客分として招き千葉城の大邸宅を与えた武蔵はここに5年住み62才で死去した。千葉城跡である石碑はたっている。 |
みずあかり | |
「みずあかり」は今年で2回目を迎える、熊本の暮らし人の祭りです。 「故郷・熊本の魅力を再発見し、ここに暮らす喜びや切なさまでも共感できる、市民と地域でありたい」という願いの下、企画から運営までの全てを、地域住民、一般市民、企業、行政が行っています。 |
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熊本城城下町 坪井川精霊流し |
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ライトアップされた熊本城と、精霊船の灯りが幻想的なイベント。 | |
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夏目漱石内坪井旧居 | |
明治29年(1896年)、第五高等学校(現在の熊本大学)の教師として来熊した夏目漱石。彼は4年3か月の熊本滞在期間中に6回も転居。そのうち、5番目に移り住んだ家で、最も長い1年8ヶ月を暮らしたのがこの家です。当時、新婚だった鏡子夫人と暮らし、長女筆子さんが誕生した夏目家にとっての思い出の家。後に、鏡子夫人は「熊本で住んだ家の中で一番良かった」と語ったといわれています |
横井小楠の生誕地 清正公井跡 |
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幕末期の維新志士に多大な影響を与えた思想家で、「清正公井」跡が横井小楠の生誕地にあたります。 |
正福寺 | |
「坪井の仁王さん」の名で知られる高野山真言宗の寺院です。寺伝では細川忠利入国の際、豊前から随伴した宥専(山)が寛文年間(1661-73)に建立したと伝えられています。明治10年、西南戦争で消失しましたが、のち再建されました。秘仏として歓喜天を祀ることから「聖天さん」とも呼ばれます。 |
城の湯 |
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熊本城に程近い天然温泉利用の温泉施設。露天にジャグジーがある洋風浴場と露天岩風呂がある和風浴場があり、座り湯やサウナなどを設置。泉質は弱アルカリ性で神経痛、筋肉痛などに効能があります。アカスリコーナー、マッサージルーム、エステサロンを備え、レストランや売店もあり、充実した施設です。 | |
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ゲンキ・スクエア | |
地下1000mより湧出する特別深い所のお湯なので、温泉効果のもととなる鉱質含有量が多い天然温泉です。和風呂と洋風呂があり、1ヶ月おきに男女が入れ替わります。露天風呂、ジェットバス、サウナバスなどがあります。泉質は弱アルカリ単純温泉、レストラン、仮眠室、ホットヨガスタジオなどを備えています。 | |
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厄除地蔵尊 | |
厄除地蔵尊は昔、木山街道と渡鹿の分かれ道の処に鎮座されて、庶民に親しまれて尊崇されていた。お姿は、ご円光を背に、浮き彫りされた温顔の大きい地蔵尊であった。 創建は、加藤清正公が大井手川を築造された慶長年間の380年前と推定されている。 |
六角堂観音 本覚寺 | |
加藤清正公入府して後、その後室・本覚院殿月心妙光日圓大姉[菊池武朝の子・菊池香右衛門武宗(武宗は佐々陸奥守成政軍と戦い上益城郡福田左目神社付近にて敗死)の娘、川尻殿と称す」の菩提寺として日蓮宗寺院となり本覚寺と称す。 |
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妙永寺 | |
当山は1600年に逝去された加藤清正公の御母堂、聖林院殿天 室日光大尊尼の菩提を弔う為、1602年(慶長7年)の三回忌に加 藤清正公が建立。開山は、本妙寺と同じ発星院日真上人です。 |
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繁華街エリア |
横井小楠旧居跡 (水道町の家) |
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現在は、鶴屋パーキングとなっている。蓮政寺公園の一角に標木が建てられている。ここでは、兄夫婦と14歳から37歳まで過ごしている。6畳の畳は破れ、壁はボロボロに崩れ雨戸がないので藁蓆を軒からつり下げて雨風をふせぎ、縁は青竹を束ねてあった。 |
おてもやん像 |
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熊本の代表的な民謡「おてもやん」の銅像は、熊本市の中心部、熊本阪神デパート前にあります。熊本民踊会が会の創立25周年を記念して市に寄贈したもので、作者は熊本大学教授の石原昌一(いしはらしょういち)氏です。毎年8月12日に「火の国祭り」で、おてもやん総踊りが行われています。 | |
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下通アーケード |
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熊本県内最大のショッピングアーケード。デパートやブティックが立ち並び、ファッションやアミューズメントの中心地であると同時に、カフェや郷土料理店などの飲食店が軒を並べるグルメ街としても有名です。長さ510m、幅15mの通りは、ストリートミュージシャンによる演奏や、各種団体の展示の場としても利用されています。 | |
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手取天満宮 | |
後光照天皇の御代承応年間に管公を尊崇していた平井勘右衛門正垣私邸内の井中に管公の霊像を得て、神祠を建て創祀されました。 宝永5年の大火にて鎮護山長安寺(現在地)に御選座され、今日、学問の神として受験生や多くの方々に崇敬されています。 |
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JOGK放送発祥の地 | |
昭和三年(1928)六月十六日この地にNHK熊本放送局が開局し九州で最初のラジオ放送が始まりました。 | |
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光のページェント | |
中心市街地の街路樹にイルミネーションを設置、企業等のイルミネーション、「築城400年祭」との連携により、熊本市の象徴である熊本城と城下町を光で繋いでいきます。ロマンティックに彩られた熊本の夜の街をお楽しみ下さい。 |
県令安岡良亮旧居跡 | |
安岡良亮は、樋口真吉に従って国事に奔走し、薩土密約にも参画した。戊辰戦役にも出陣し、捕縛した新選組局長近藤勇を斬罪に処したのは谷干城と安岡だったとも言われている。西南戦争前夜、熊本県令となって不満分子の懐柔に努めたが、明治九年(1876)神風連の乱に遭い殺害された。 |
藤崎温泉 天望の湯 | |
ビルの11階にあり、熊本城を一望できる眺めのよさが魅力。露天風呂の他にジェットバスやジャグジー、サウナなどがあります。単純温泉(弱アルカリ性温泉)で、筋肉痛や神経痛に効能があります。レストラン、マッサージルームを併設。 | |
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熊本市役所 | |
熊本の中心に位置する熊本市役所。熊本城を観光すると隣に建っているので、すぐに分かるほど立派な建物だ。 | |
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熊本市電 | |
大正13年に開通した歴史ある市電で、今でも熊本市民の足として活躍しております。現在、熊本駅及び上熊本駅から繁華街、熊本城、水前寺公園などを結ぶ2系統があります。 | |
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熊本県立劇場 | |
熊本県立劇場は、1982年12月に落成された施設。大江のシンボルとも言えるもので、連日イベント等が開催される熊本の文化発信地でもあります。コンサートホール、演劇ホールをはじめ、敷地面積44,896平方メートルの広大な敷地の中には、さまざまな施設が含まれています。 | |
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立田口大神宮 | |
本宮は南北朝以前より神明宮として御鎮座あらせられるが御創建の年代は不詳である。 其後、人皇114代中御門天皇の享保12年藩主細川宣紀公の命により新に立田口大神宮として造立されたが宝暦12年7月8日に類焼 其後再建せられ殊に藩主細川宗孝公の崇敬篤く、しばしば御社参御祈願せられし 特に社頭にあたる赤鳥居は往時より熊本北部方面の道標として広く世人に親しまれ其由緒は真に深遠である。 |
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水前寺・江津湖エリア |
水前寺成趣園 | |
桃山式の回遊庭園。寛永9年(1632年)、肥後藩主・細川忠利公が水前寺という寺を建立、後に廃寺となりましたが、三代目藩主網利公のときに庭園が完成し、中国・東晋時代の詩人陶淵明の詩「帰去来の辞」に因み、成趣園と名づけられました。東海道五十三次を模したといわれる庭園には、湖に見立てた池が配され、ゆるやかな起伏の築山とともに、庭園美を楽しめます。 | |
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古今伝授の間 | |
桂離宮を建てた智仁親王の幼少時代の学問所を復元したもので、大正元年(1912年)に京都から水前寺成趣園内に移築されました。桂離宮建設の際には古今伝授の間の様式が参考にされたともいわれています。また、細川藤孝公、別名幽斎が智仁親王に古今和歌集の奥義を伝授した間というエピソードも有名。昭和39年(1964年)には熊本県指定重要文化財に指定されています。 | |
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江津湖 | |
江津湖は、つながる二つの湖、上江津湖と下江津湖からなっています。長さは2.5km、周囲6km、水面の面積は約50ヘクタール。一日の湧水量は40万トンです。交通量の多いバイパスや電車通りがすぐ側を通りながら、その豊かな水に貴重な植物や野鳥が育まれ、「水の都熊本市」を実感できる場となっています。代表的な植物としては、江戸時代に細川藩から幕府への献上品として使われていた、現在は絶滅危惧種に指定されている「スイゼンジノリ」のほか、九州ではこの江津湖だけに分布する、同じく絶滅危惧種の水草「ヒメバイカモ」などが有名です。 |
夏目漱石第3旧居 | |
目漱石が熊本で住んだ3番目の家で、漱石はこの家から同僚の山川信次郎とともに「草枕」の旅へ出かけました。かつては大江にありましたが、現在水前寺公園の洋学校教師館の敷地内に移築されています。内部の見学はできません。 | |
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肥後国分寺 | |
奈良時代天平の頃、各国に国分寺と国分尼寺がおかれ、都にはその総本山として東大寺・法華寺が造られた。肥後の国分寺も国府の東に造られ壮大な伽藍を誇っていたと考えられる。 この礎石はその七重塔の心柱のものである。ただし、元位置より移動しているとみられる。 |
熊野坐神社 | |
創立不詳 現社殿は安政4年8月建立。 祭神は伊奘冉神ほか五柱。 |
熊本県庁のイチョウ並木 | |
熊本県庁のメイン門であるプロムナードは立派なイチョウ並木になっており、毎年秋には辺り一面を黄金色に美しく染めています。期間中の夜間はライトアップもされ、より幻想的な雰囲気になり、散策はもちろん、写真撮影や写生に訪れる人も多く、若者の間ではデートスポットとしても人気があります。 | |
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天然江津湖温泉 |
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天然温泉を利用したスーパー銭湯。塩化物泉炭酸水素泉で、切り傷、やけど、慢性婦人病などに効能があります。リラックスバス、エステバスや子ども向けのキディーバスを備え、スチームサウナやソルトサウナと充実した内容。家族風呂もあります。レストラン併設。 | |
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アピス温泉 庭園の湯 | |
肉の大塚の温泉。ALLかけ流し。 露天風呂・歩行浴・フィットネス・軽食が楽しめる温泉施設。 |
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健軍神社 | |
熊本市では最も古い神社で、昔は「たけみや」と言い、のちに「けんぐん」と読まれるようになりました。阿蘇四社のひとつで、電車通りの大鳥居から神社まで続く、八丁馬場と呼ばれる約1200mの長い参道には、加藤清正の頃植えられたと伝えられる杉並木の一部が残っています。明治10年2月22日、西南戦争で、薩軍を救援するため結成された熊本隊の挙兵の場所です。 | |
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健軍自衛隊祭り | |
西部方面隊創隊51周年記念行事 西部方面隊は、11月26日(日)、健軍駐屯地で西部方面隊創隊51周年の記念行事を行います。 当日は、健軍駐屯地を午前8時30分から開放し、記念式典(午前9時45分)、自衛隊通りでのパレード(午前11時)等がおこなわれます。また、装備品の展示や車両の体験試乗、ヘリコプターの体験搭乗(抽選)、キッズコーナーなどの催し物があります。 |
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天然温泉 ぶぶたん | |
気泡湯、ジェットバス、水風呂などがあり、大きな岩と樹木を配した大露天風呂が人気を集めています。 弱アルカリ性単純泉で疲労回復などに効能があります。焼肉レストランも併設されています。 | |
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沼山津神社 | |
沼山津神社の額が掲げられている大きな鳥居(昭和15年と記載してある)をくぐり、まず石段を3段だけ登ると左手に子供サイズの相撲の土俵がある。この土俵を使って毎年9月9日に子供達の相撲が行われているそうである。昔はこの場所で、大人も子供も相撲を取っていたそうである。平坦な道を10mほど進むと中段に権現宮の石額を掛けた旧鳥居がある。 | |
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横井小楠記念館 | |
「四時軒」の隣りには横井小楠記念館が建てられており、小楠に関する資料のほか、勝海舟(かつかいしゅう)や吉田松陰(よしだしょういん)、西郷隆盛(さいごうたかもり)などの、小楠にゆかりのある人々の書も展示されています。また、「四時軒」から北東方向へ10分ほど歩いたところに、小楠の銅像や頌徳碑(小楠の徳をたたえる碑)などが建てられている、小楠公園もあります。 | |
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立田山エリア |
一夜塘 | |
小幡宮から道沿いに進むと右手側に高さ3メートルほどの土盛が80メートルほど続きます。これは江戸時代に築かれた堤防です。 堤防は当初、豊年塘と呼ばれていたようです。堤防が完成したことで豊年になったのかそれとも豊年になるよう願いを込めて名付けられたのでしょうか。その豊年塘もいつの頃からか、後期が短くすぐに完成したこと(約半年間)から一夜塘と呼ばれるようになりました。 |
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桜山神社 (神風連資料館) |
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神風連資料館には西南の役の3ヶ月前、明治政府の急激な欧風化政策に対して「敬神党」と呼ばれた神官を中心とする人々が挙兵し、わずかな手勢で熊本鎮台を襲撃した「神風連の乱」。首領、太田黒伴雄以下123名の墓があり、彼ら憂国の士の思想を支えた、林桜園の資料ほか遺品が展示されている。 | |
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立田阿蘇三宮神社 | |
祭神は神武天皇の第一皇子国龍命と妻室比羊命で、元弘二年(1332年)上立田牧鶴に勧講・創建されたものである。寛文元年(1661年)藩主綱利公の時大道往来の諸人の安全のため、現在地に移転されたものである。旧藩時代から細川歴代の崇敬を受けていた。 | |
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極楽湯 麻生田店 |
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遠赤外線サウナ、各種気泡湯、露天風呂、日替わり湯、水風呂、塩サウナ(女湯)などがある、充実したスーパー銭湯。垢すりや、指圧道場もあります。 | |
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代継神社 | |
応和元年(960)の創建と伝えられ、本来紀氏の祖先神として奉祀されたものと考えられる。その後加藤清正の慶長7年(1602)、花畑邸創設のために神社は白川左岸に移転した。 | |
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弓削神社 | |
白川をはさんで一対の弓削神社があります。龍田町弓削の弓削神宮(女神)と、弓削町の弓削法皇社(正式名上弓削神社)(男神)です。男神が対岸の女神のもとに川の中の飛び石を渡り行き、毎夜の逢瀬を楽しんでいたという言い伝えから、農作物の豊穣、子授け、多産や夫婦仲のよさと子宝に恵まれた、至極円満な家庭の守り神とされてきました。最近は浮気封じのご利益を求めて、絵馬に釘を打ち奉納する人も多いといわれます。 |
拝聖院 | |
西南戦争の時に旧細川藩医の鳩野宗巴(はとのそうは)が同僚の医師七人とともに拝聖院や近隣の寺院、民家で官軍、薩軍の区別無く治療にあたった事に由来します。 看護婦の活動も行われ、日本赤十字社の前身で熊本で設立された博愛社よりも約3ヶ月ほど早く活動をはじめました。 |
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梶尾温泉 | |
熊本市北部に位置する泉源を循環させずに用いた天然温泉。単純温泉で慢性リウマチ、神経痛などに効能があります。露天風呂、サウナ、ジャグジーなどがあり、家族湯、レストランも併設しています。 | |
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カントリーパーク | |
「学習」「遊び」「解放感」の三つの視点から農業への理解が深まるよう配慮されています。 また、「食べる」「買う」「触れる」「遊ぶ」などの行動も、農業体験の一環となるように、農業館を核として農業公園全体が ストーリー性のある展示の場となっています。 |
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山伏塚 | |
熊本城の築城に際して、清正は上方から山伏の龍造院を招いて地鎮祈祷をしました。祈祷は無事に終わったのですが、上方に帰る龍造院を送るために開かれた宴席で、龍造院がふと城構えについて話したから大変です。城の秘密が漏れると考えた武士たちは、龍造院の後を追い、熊本城の北、現在の熊本市池田町あたりで龍造院を切り殺してしまいました。この塚は、殺された龍造院を葬ったものといわれています。 | |
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釜尾菅原神社 | |
尾地区の氏神社。由緒、創立は不詳。釜尾天神木の信仰があり、その後釜尾古墳の横に社殿が創建されたという。平成十一年の台風十八号により神殿が倒壊。 |
フードパル熊本 |
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食に関する施設が集まる食のテーマパーク。園内では工程の見学やソーセージづくりなどの体験ができます。イベントや料理教室が開かれる「熊本市食品交流会館」、手作りのお菓子やとうふ、惣菜などを販売し、アクセサリーや花篭づくりなどの体験コーナーもある「こだわり工房村」があり、「とれたて市」では、地元の新鮮な野菜や食品を販売しています。 | |
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釜尾の天神木 | |
このイチイガシのある場所は、現在釜尾の村中に鎮座する菅原神社(天神社)の旧所在地であるという。その名残で、この木は「天神木」ともよばれる。古老の話では神社が台地上に移った後も樹下にお神酒が供えられていたらしいが、今では途絶えてしまった。樹高は21.5m幹周は6.02m(h1.3m)根廻りは11.0mある。 |
釜尾古墳 | |
丘陵端部に位置し、東麓を流れる井芹川両岸との比高差は約50mである。円墳で、墳丘は変形しているが径18m、高さ6mと推定されていた。平成2年の周溝確認調査によって、内径28~29m、幅3~4mの周溝が検出されている。 |
釜尾天神 | |
釜尾天神の祭神は菅原道真公です。設立年代などは不詳ですが、天神木(イチイガシ)信仰や、地区の高台にある古墳の隣に移築された経緯などを見ても、釜尾地区の氏神様として尊敬され、永く信仰を集めていることが分かります。 |
金峰山エリア |
三賢堂 | |
熊本出身の政治家安達謙蔵が昭和11年,精神修養の場として建てたものです。釣耕園の庭園の奥にある円形の堂で、肥後の三賢人として、菊池武時、加藤清正、細川重賢の座像が、田島亀彦、朝倉文夫、長谷秀夫ら彫刻家によって制作され、安置されています。 |
原泉荘 | |
安達漢城の旧居。 書斎は備於斎と名づけられ昭和24年遺言により熊本市に寄贈された。 |
長命水 | |
崖に埋もれるようにして作られた石の祠の下から湧く長命水は、かつては肥後藩主・細川氏が茶の湯に使用したほどの名水でした。飲用はできませんが、古い石造りの祠の屋根にはつる草が茂り、年代を感じさせます。 |
少年の家跡地湧水池 | |
実業家、古荘健次郎氏の別邸であったものを、昭和17年(1942)青少年健全育成のための施設として熊本市に寄贈されたものである。 その後、老朽化が進み解体されたが、跡地の北側、岩の間から湧き出る自然の水は、今も島崎湧水群の一つである。 |
釣耕園 | |
細川家五代藩主綱利が作った「お茶屋」と呼ばれる別荘の一つで、続弾右衛門に与えられました。細川藩の中老で漢詩人の米田波門が、その景観を「釣月耕雲」と詩に詠じたことから、「釣耕園」と名づけられました。庭園は飛石を配した広い池に山渓を取り入れたもので、4月下旬から5月上旬ごろには、しゃくなげが花をつけます。 |
叢桂園 | |
釣耕園の下手にあり、藩の医学校再春館の師役村井家の別荘で、見朴の子椿寿(琴山)が作庭したと伝えられています。庭には釣耕園の水を引き曲水をつくり、その下手に中国の洞庭湖に模した池を設けました。その北には簡素な茶室があり、西側の小窓を開くと荒尾山が望めます。頼山陽などの文人が訪れたといいます。 | |
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谷尾崎梅林公園 | |
谷尾崎公園のある谷尾崎地区は、昔から梅の木が多い一帯で、旧藩時代には年貢がわりに梅干を納められていたと伝えられています。今でも公園内には、13種の梅の木が約178本が植えられ、梅の開花時期には、色とりどりの花や春を感じることが出来ます |
武蔵ゆかりの座禅石 | |
梅の名所として知られている谷尾崎梅林公園の林の中に、たたみ二畳ほどの巨石があり、宮本武蔵がこの上で座禅を組んだと伝えられています。 |
本妙寺 | |
加藤家の菩提寺で日蓮宗の名刹。天正13年(1585)、清正が父の菩提寺として大阪に建立したものを、同16年、肥後入国後、熊本城内法華坂に移し、後、清正の逝去後、現在の中尾山中腹に移建されました。壮麗な仁王門から桜並木の参道を行き、「胸突雁木」と呼ばれる急勾配の石段を登りつめると、清正公を祀る浄池廟に至ります。裏山には槍を手にした清正公の銅像が、今も熊本の街を見下ろしています。 | |
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加藤清正像 (本妙寺)
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加藤清正の銅像は浄池廟から、さらに長い石段を登ったところに建っている。昭和10年が清正没後325年に当たったので記念事業として銅像が建てられた。それゆえ長い石段も25段くぎりで300段ある。その後、銅像は太平洋戦争末期に金属供出で撤去されたが、昭和35年に再建された。ここから見る熊本市内の眺望はすばらしい。 | |
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岩戸の里公園 | |
岩戸の里駐車場の隣が岩戸の里公園です。この奥にある黒岩展望所からの眺めは抜群です。 眼下には肥後耶馬溪、手前には有明海、そして雲仙嶽を望むことができます。 |
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黒岩展望所 | |
岩戸の里駐車場の隣が岩戸の里公園です。この奥にある黒岩展望所からの眺めは抜群です。 眼下には肥後耶馬溪、手前には有明海、そして雲仙嶽を望むことができます。 |
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金峰山頂上神社 | |
山頂には、金峰山神社(蔵王権現社)があります。金峰山は昔は飽田山と呼ばれていたようですが、832年に淳和天皇が奈良県の金峰山蔵王権現を勧請されてから、金峰山と改称されたと伝えてあります。 |
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南越展望所 | |
有明海(ありあけかい)や雲仙岳(うんぜんだけ)を展望できる名所のひとつです。昭和37年、天皇陛下が皇太子のとき皇后陛下とご一緒に立ち寄られました。 漱石(そうせき)の「降りやんで 蜜柑まだらに 雪の舟」の句碑もあります。 |
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高橋稲荷神社 | |
日本五大稲荷の一つに数えられ、全国的に商売の神様として知られています。毎年2月の初午(はつうま)の日に行われる初午大祭には、商売繁盛や五穀豊穣を願う大勢の参拝者が訪れます。数回に分けて行われる「福餅まき」では、高い石垣の上からまかれる紅白の福餅を拾おうと人々が詰めかけ、盛り上がります。神社の前には江戸時代から続く老舗の田楽屋があります。 | |
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高橋西神社(若宮社) | |
高橋西神社の御祭神は天照皇太神、住吉大神、天児屋根命、鍵盤龍命をはじめとする阿蘇十二宮の分霊で白川天皇の応徳乙丑三年(1085)に高橋村の産土神として、ここ堂園に創祀され、若宮社と唱えました。 高橋はかって津(港)として栄えたことから若宮大神は海上の安全を祈って祀られました。 |
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河内阿蘇神社 | |
河内神社は中川内区の南小高丘にある。別に阿蘇官ともまた河蘇十二社大明神とも去う。社は丘を背にして南面し境内は広漠にして老松古梅等老い茂り、前面は悠々たる有明海に臨み風光明媚の地である。本社は旧藩時代五町郷の氏神として崇敬篤く戦前までは郷社として極めて由緒ある社である。祭神は阿蘇郡一の官町にある官幣大社であった阿蘇神社たる十二宮をお移し祭ってある。 | |
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川尻エリア |
南州翁本営跡 | |
西南戦争の際の西郷隆盛(さいごうたかもり)の本陣であったことから、「明治十年戦役南州翁本営跡」の碑が建てられています。 川尻地区が、水上交通の要所・商業の拠点として肥後五ヶ町に数えられた繁栄期を代表する建物で、国の登録有形文化財になっています。 |
鹿宮の森 | |
住宅街のはずれにある鹿島神社の樹木は「鹿宮の森」として地元の方々に親しまれています。 熊本県の「ふるさと熊本の樹木」として、昭和56年3月26日に登録されている樹木たちは、過去2度の戦火を経験しているという。最初の西南戦争二度目の第二次大戦と多くの大木を失いながらも今も人々の憩いの場として利用されています。 |
ガメ堰 | |
小亀堰は、通称「ガメ堰」の愛称で親しまれ、天明新川と加勢川を結ぶ無田川に農業用水を確保するために約100年以上も前に造られています。従来の堰は、石組みの構造で堰の上部を道路として利用していましたが、20m上流に橋と堰を切り離して新設しました。改修により堰体そのものを越流するよう建設され、農地への越水被害がなくなり、管理も省力化されました。 又、本体には亀の甲羅をイメージした地元の馬門石を張付けて地域景観に配慮しました |
富合町 |
木原不動尊 | |
木原の谷にあって境内の広さは、約6,600平方メートル。門前十数段の石段を登ると仁王門があり、その両方に丈九尺余りの仁王像二体がおかれています。 天台宗に属し院号を尊乗院と号し、本尊は不動明王、木像一躯、立像厨子入りです。比叡山延暦寺の末寺で、伝教大師の開基による西国第一の談義所と言い伝えられています。 金錦不動、火伏不動、水引不動として有名で、日本三大不動の一つ。2月28日の大祭では、特に火渡り、湯立ての荒行が行われ、県内外から大勢の参拝客で賑わいます。 |
六殿神社 | |
守富荘の鎮守・六殿神社は、治承2年(1178年)平重盛による鎮座と伝えられています。10月9日の大祭には、古式豊かな神楽と流鏑馬(やぶさめ)が奉納されます。特に国指定重要文化財の楼門は、入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶ)き、丸柱などは全て朱塗りで、巧みな手法による複雑な組みものや装飾など、室町時代の代表的な建造物です。昭和61年には天皇在位60周年を記念し、参道入口に大鳥居が建立されました。 |
城南町 |
下田のイチョウ | |
国指定天然記念物「下田のイチョウ」は、県下有数の大イチョウで樹齢は700年近いといわれます。場所は、町の中心部美少年酒造の北側に隣接する旧下田家の庭にあります。 高さ21メートル幹まわりが9メートルもあり、秋の黄葉はまさに絶景です。 ※「宇城三十六景」にも選定されています。 |
塚原古墳公園 | |
町立塚原古墳公園は、塚原古墳群を中心に整備された公園で、歴史民俗資料館も併設されています。国指定史跡であるこの古墳群には、約500基にものぼる前方後円墳や方形周溝墓、円墳があり、芝が張られた古墳の上でのんびり過ごすことができます。資料館前には、古代祭石像群が作られ、古代人の祭りが再現されています。公園内には、熊本県民天文台や遊園地もあり、遊具で子供から大人まで楽しむことができます。 |
城南町歴史民俗資料館 | |
塚原古墳公園の中にある資料館です。考古・歴史・民俗の3つの展示室があり、豊富な収蔵品を備えています。塚原古墳群の出土品をはじめ町内各所からの縄文・弥生時代の出土品や民俗資料などを約400点を展示しています。 |
熊本県民天文台 | |
1982年5月の開設以来、市民への公開活動を続けている、ユニークなアマチュア天文台です。 これほど活発な活動を長年にわたって続けているアマチュアの天文台は、日本中探してもここだけ。 世界でも大変珍しい天文台といえるでしょう。 |
城南町火の君まつり | |
町外の人にも塚原古墳をはじめとする文化財や、町の特産品・農産物等を知って貰おうと開催されているお祭りです。有名タレントによるステージショーや子供たちに人気のキャラクターショーをはじめ、地元の特産品・農産物の即売会などで賑わいます。又、会場内では、「ふれあい動物園」や「体験・伝承コーナー」など、多彩なイベントが行われ、ファミリーで楽しめるお祭りです。 |
隈庄城跡 | |
隈庄城は中世における益城地方の重要な古城でした。天正15年(1587)4月18日に、薩摩の島津氏追討の豊臣秀吉がこの隈庄城内に宿泊しています。現在城の鼻公園になっています。 |
御領貝塚 | |
シジミやアサリなどでできた、縄文時代後期の西日本最大級の貝塚で、国指定史跡にもなっています。土器や石器なども多数出土しており、その土器は御領式土器とよばれています。 |
阿高貝塚 | |
海産物カキやハマグリなどでできた縄文時代中期の貝塚です。すぐ近くに御領貝塚があり、その貝塚を形成する貝の違いに、古代の海岸線の変化をみることができます。 国指定史跡。 |
黒橋貝塚 | |
縄文時代中期から後期にかけての貝塚。マガキ、ハマグリのほか、ヤマトシジミが目を奪う。赤褐色で西九州的な土器と、北九州や瀬戸内と関係が深い土器が出土しました。石器類も多く出土しており、縄文時代を知る上での貴重な貝塚です。 近くの阿高貝塚から出土した土器は、深鉢で凹線紋で押点を特徴としており、阿高式土器の名前で呼ばれています。 |
陳内廃寺 | |
白鳳時代~奈良時代(約1200~1300年前)に建てられた熊本県最古の寺院跡です。規模は、160m四方にも及びその中に金堂や塔が立ち並んでいました。現在は、五重塔の心礎(柱を支えた基礎石)が残っています。 また、南へ500mほど離れた斜面には,瓦を焼いた窯跡を見ることができます。この時代の窯跡としては、国内でも良好な形で保存されている珍しいものです。 |
メリ穴 | |
公園近くの洞窟から勢いよく水が流れていて、住民は昔からそこの水の神を祀りました。その「参り穴」から「メリ穴」と呼ばれるようになったそうです。現在は住民の憩いの場となっています。 |
尾窪横穴墓群 | |
尾窪の本村から南西寄りに200m程いった町道沿いの深い谷間の崖にあり、現在10数基の横穴墓を見ることができます |
くまもと城南温泉 スポーツ文化センター |
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松橋インターから車で5分のところにある、豊かな自然に囲まれた天然温泉(単純性アルカリ泉)です。4コース32ホールの本格的なグランドゴルフ場やテニスコートもあり、家族やグループで楽しめます。館内には和室や家族風呂、ふれあいホール(60畳)、食堂などあります。また、くまもと城南カントリークラブも隣接しています。 |
植木町 |
田原坂公園 | |
明治10年(1877)日本最大、最後の内戦である「西南の役」の激戦地です。「雨は降る降る人馬は濡れる・・・」の民謡でも有名な官軍と薩軍との攻防は、17昼夜に及び1日当たり32万発の銃弾が使われ「西南の役」全体での戦死者は両軍合わせて約14000余名にものぼりました。現在、春には桜やつつじが咲く美しい公園に整備され、西南の役に使用した銃器、弾丸等の遺品を集め展示してある田原坂資料館、官軍と薩軍を一同に祀った慰霊塔や美少年の銅像があり、点在する両軍の基地などにその激しい戦いの跡が見られ、歴史散策ができます。 |
田原坂資料館 | |
日本の夜明けを夢見て散っていった若き英雄たちの写真や遺品、銃器類や戦死を伝える電文、錦絵ほか小銃弾同士が空中で衝突した「空中かちあい弾」実物大の大砲模型などが展示されており、また、「田原坂の戦い」のビデオも常時放映しています。 明治10年(1877)日本最大、最後の内戦である「西南の役」の激戦地、田原坂の戦いは17昼夜にも及ぶ壮絶な戦いで1日あたり32万発の銃弾が使われ「西南の役」全体の戦死者は両軍合わせて約1万4千余人にものぼると言われています。 |
小野泉水公園 | |
平安時代の絶世の美女、小野小町が産湯を使ったと言い伝えられている小野泉水は、小町小説の他、ホタルの生息地として”くまもとホタルの里100選”のひとつとしても知られています。池畔には小野小町の像が安置されている小町堂があり、その横には小町が詠んだ歌が刻まれた歌碑が建立されています。岩の隙間や池底から湧き出る水が美しいこの小野泉水公園は、植木町の新名所として、休日には家族連れやグループ等で賑わいます。 「花の色はうつりにけりな・・・」の歌で知られる六歌仙で唯一の女流歌人であり、絶世の美女であったといわれる小野小町が、この泉水を産湯に使ったと云う伝説が残されています。 |
正院めがね橋 | |
安政三年(1856)に正院川に架設されていた橋であるが、河川工事により昭和52年3月に正院より現在地に移転して復元されている。凝灰岩製単一のアーチ橋である。幅2メートル10センチ両脚間の幅4メートル80センチ水面までの高さ2メートルである。楔石に陰刻銘がある。 |
七国神社 | |
同神社は小野の泉水公園にあり、五十四代任明天皇の承和年間に、当時権力を欲しいままにしていた藤原氏の讒言で同地へ流罪となった小野良実に由来する。 |
鬼のいわや古墳 | |
直径約20メートル、高さ7メートルの円墳で、南に開口する横穴式複室墳である。玄室の奥壁から羨道端までの全長9.6メートル。玄室の奥行3.58メートル、幅2.67メートル、床面より天井までの高さ3.77メートル。奥壁と両側壁に石屋形を構築している。側壁は床面より1.76メートルまで一枚の凝灰岩を用い、その上は持ち送り式に積みあげ、一枚の巨石をのせて天井としている。 |
天然温泉 ゆうぜん | |
落ち着いた佇まいの中に、一回毎入れ替え式の12の家族湯(内5室は露天風呂付)やサウナ付き大浴場を完備しました。ファミリーからグループの皆様までお楽しみいただけます。そして極め付けは、いま女性に人気沸騰の温床浴“珊瑚美ら砂温床浴”を導入しました。 |
味取観音堂 | |
曹洞宗瑞泉禅寺は江戸中期のこの地出身面山和尚に関係する寺で、放浪の詩人「種田山頭火」が1年半も投宿した味取観音堂。山頭火をも魅了した風情あるお堂には、山頭火ソックリの住職さんがあたたかく迎えてくれ る。門前町として味取町が加藤清正時代から栄え、細川忠利入国時正式の町となった。味取町から元禄時代植木町が分かれ、当初は味取新町といった。 |
加茂の六地蔵付板碑 | |
六地蔵、凝灰岩で作られていて、高さ約2メートル49センチメートルである。全体に風化がひどく紀年銘などは不明であるが、室町時代に建立されたものと推定されている。 板碑、高さ143センチメートル、幅146センチメートル最大厚25センチメートルの安山岩の板状自然石の板碑。碑面の中央上部に飛雲、蓮台上に阿弥陀如来立像。その右下に、道泉禅門、妙泉禅尼。左に永正十一年甲戌二月吉日、角田掃部頭藤原益吉敬白 と陰刻がある。 |
植木温泉納涼花火大会 | |
植木温泉を流れる合志川河畔で、約3,000発の花火を打上げます。昼間は温泉の無料開放もあり、多くの人が植木町内外から訪れています。西南戦争の傷を癒したといわれる植木温泉は、合志川沿いに湧く田園温泉で、熊本市の奥座敷とうたわれる名湯です。ラジウムを含有する弱アルカリ泉で、泉度は45度から52度とちょっと熱めのお湯となっています。 植木温泉河川敷の夜空を彩る花火大会は、例年開催されています。 |
宝田温泉 宝の湯 | |
「宝の湯」温泉は、昨年NHKテレビで全国に紹介され、「田の中から湧き出た温泉」、「長寿の里」として有名になりました。お湯の発見から70有余年、植木町宝田地区では地区住民の健康と幸福と万病に効く「宝」として代々、 大切に受け継いできました。この程、温泉堀削に経験豊富な(株)肥後ハウスに依頼して、同社独自の掘削工法により、数度にわたって岩盤を掘削したところ、塩岩盤から湧き出る43度Cの豊富な湯量とうすいグリーン色をしたこれまでどうりの良質な温泉を得ることができました。私たちは21世紀を迎えた年を記念して大きな浴場を新築し、より多くの皆さんのご利用をお待ちしています。 |
宮原温泉 | |
明治27年に発見され、単純炭素鉄泉で、鉄分を多く含んでいるため、湯の色がやや赤みを帯びている鉱泉で、タオルも染まる程です。鉄分を多く含んでおり、飲用すると新陳代謝を促すと言われています。また、神経痛、リウマチ、婦人病等に効果があると言われており、昔から湯治場として親しまれています。 |
あしはらの湯 | |
源泉掛け流しの温泉は ヌルヌルすべすべで上がったあとも気持ちいいです。家族風呂全6部屋露天風呂トイレ付きでゆっくりできます。 |
菱形八幡宮 | |
「神皇正統記」(北畠親房)によれば”肥後の菱形の池”に応神天皇の霊(八幡神)が再降臨し八幡大菩薩の姿で現れたとされる。これが日本の神仏集合のもとになったといわれる。後にこの神は宇佐に移ったとされる、神社後方の白龍窟は応神天皇の母神功皇后のヘソ石をまつるとされ、安産の神として古代の姿を伝える。ここでは穴ごもりが行われ輪くぐりのもととなった。 |
菱形の池 | |
八幡神出現の伝承地・円台寺真下の谷川の一部を切石で菱形に囲んだ池は、常時清水が湧き出している。 かっては菱形八幡宮の横、古代には白龍窟の中にあったと伝えられる。ヒシの実の形が菱形とされ今日このいわれは雛祭りのヒシモチとして残っている。 |
円台寺磨崖仏群 | |
円台寺の参道の上がり口にあたる崖の中腹の岩肌に、見事に彫られた麿崖仏がある。かすかに残る彩色が、鎌倉時代と推定される石仏の作者の心を、時を越えて伝えている。 この坂、仁王坂の登りにはかって仁王像が立ち、七曲りの坂を登ると円台寺三十六坊のあった寺院群跡に至る。 |
七本官軍墓地 | |
西南戦争で戦死した政府軍人・軍夫・ 警視隊を埋葬した官軍墓地は県内に21ヵ所つくられている。この七本官軍墓地には、「田原坂の戦い」のあと、植木や吉次・木留、辺田野・平野・滴水などで戦死した各鎮台および近衛兵300余名が埋葬されている。 大きな二本の木の下に実際の死体は埋められたと伝えられる。カエデの木の下に軍夫の墓や連隊旗手河原林少尉の墓もある。 |
七本柿木台場薩軍墓地 | |
明治十年三月初旬から 四月中旬まで続いた田原坂周辺の戦いで、木留・七本原付近で戦死した薩軍や熊本隊の兵士329名が埋葬されている薩軍墓地。地域的に見て官軍が田原坂の攻略に成功 した時期の死者とみられる。ここが三月二十日田原坂陥落のきっかけとなった陣地である。 |
豊岡眼鏡橋 | |
麓の豊岡眼鏡橋からの標高差は僅か80mの田原坂。一の坂、二の坂、三の坂と頂きまで1.5Kmの曲がりくねった道が続く。この道だけが唯一大砲を曵いて通れる道幅があり、この坂を越えなければ官軍の砲兵隊は熊本へは進めない。また薩軍にとっては生死を制する道である。ともに戦略上の重要地であり、この平凡な坂道が激戦の舞台となったのである。この橋は享和二年(1802年)江戸時代後期に作られた橋で、年号のはっきりしている石造眼鏡橋では熊本県内で最古の橋といわれている。橋の北側川沿いに続く道が当時のままの高瀬街道の一部である。 |
内空閑城跡 | |
この城跡を城の越(古跡)と呼び、公園として永年内空閑顕彰会によって管理されていたが、昭和57年に内区に移管されている。以来、4月3日を祭り日として定められている。当日は区役で公園の清掃を行い、その後、内空閑氏の遺徳をしのび小宴が開かれている。 |
砥石の宝筐印塔群 | |
内空閑神社の境内に二基の墓碑がある。凝灰岩でつくられ、宗活禅定門山本郡主内空閑鎮資、天正三乙亥(1573)八月廿七日の銘、他の一基は妙間禅定尼同年十一月二日と刻印がみえる。この塔は階段状の笠と、四隅の突起した飾りが特色である。日本では鎌倉時代中期から供養塔または墓塔としている。塔の四方には梵字が刻まれている。 |