南河内



富田林市

錦織神社
錦織神社の鎮座しますこの地域は、古代錦部郡と呼ばれ錦を織る技術者の集落として、また水流の合流点として栄え、この地域の守護神として室町時代正平八年(一三六三年)に創建されたのがこの神社です。

富田林寺内町
1558年(永禄元年)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、商売の盛んな在郷街として発展しました。

旧杉山家住宅
富田林寺内町造営の中心であった八人衆の筆頭年寄であった杉山家は、当初木綿問屋を営み、その後酒造業を始めた河内酒造業の肝いり役を務めた大商家。明治の明星派歌人・石上露子(いそのかみつゆこ)の生家でもあります。

大阪狭山市

狭山池
大阪狭山市の中央部に位置する狭山池は、「古事記」や「日本書紀」にも記述がみられるわが国最古の灌漑用のため池で、その優れた景観は古くから知られ、大阪府の史跡・名勝に指定されています。

狭山神社
祭神天照大神、素盞鳴命を祀り、狭山の郷の鎮守として崇敬されてきた社格の高い式内社(平安時代の初め、醍醐天皇の命により編纂された「延喜式」神名帳に記載された神社)である。創建は狭山池の築造以前といわれるが、南北朝の動乱により社殿が焼けたために室町時代に再建されたものと伝えられる。

河内長野市

天野山金剛寺
空海が密教の修行を積んだという言い伝えがあり、女人高野・天野行宮の別名。室町時代の庭園は四季の彩り豊か。

観心寺
南朝ゆかりの寺で楠木正成の学問所だったことでも知られている。金堂、如意輪観音座像が国宝指定。

千早赤阪村

建水分神社
「水分神社」とも呼ばれ、もともとは、崇神天皇5年(西暦前92)、金剛葛城の山麓に水神として奉祀されたのが始まりとされ、建武元年(1334)、後醍醐天皇の命により、楠木正成が社殿を現在地に移し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営したと伝えられる。

楠公誕生地
楠木正成の誕生地。
南朝の英雄であり、千早赤阪村随一の有名人。
古典軍記「太平記」にてその名を轟かす忠臣。

道の駅 ちはやあかさか
大阪府下で、一番最初に設置された道の駅。
小さく、コンパクトであることから,別名「日本一かわいい道の駅」。
国道309号線からは、少し村道を入った所にある。

千早赤阪村立 郷土資料館
千早赤阪村の 歴史・郷土資料 を 収集・保管・展示 するために設置された郷土資料館。
1Fは、近隣の古墳群から発掘された遺物や、楠木正成か築いた城に関する資料等の歴史資料が展示されている。

楠公産湯の井戸
ヒノキでつくられた階段の先に小さな井戸があり、いまも水が湧き出ている。楠木正成は永仁2年(1294)、千早赤阪村水分山ノ井で産声を上げたと伝えられる。

河南町

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘
一須賀古墳群を史跡公園として整備・保存しているのが、大阪府立近つ飛鳥風土記の丘。約29haの園内に、直径15m前後の円墳が(一部方墳)102基、うち40基が横穴式石室のもので、石室の内部に入って見学も可能だ。これらの古墳群から夥しい数にのぼる出土品は、近くの近つ飛鳥博物館内で展示・紹介されている。博物館からは近つ飛鳥風土記の丘全体を一望できる。

府立近つ飛鳥博物館
「近つ飛鳥」の文化遺産の紹介。多様なメディアを駆使しながら、律令国家の成立過程や古代の国際交流など、わかりやすく展示。8.8メートルの修羅も展示する。安藤忠雄氏の設計によるもの。

太子町

叡福寺
聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立され、奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられる叡福寺は、聖徳太子信仰の霊場として発展しました。

聖徳太子御廟
太子墓は径50メートル、高さ10メートルほどの円墳で、内部は精巧な切石を用いた横穴式石室です。太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられることから、三骨一廟と呼ばれています。

羽曳野市

壺井八幡宮
康平7年(1064年)に源頼信の子・頼義が、石清水八幡宮の神を私邸の東側に祀ったのが始まり。頼義の子・義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる「黒韋威胴丸」(重要文化財)や「太刀」(重要美術品)、南北朝時代に製作された、僧形八幡神像、男神像、女神像が納められている。

清泉 壺井
平安時代前九年の役(1051?1063)のとき、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、弓の先で崖を突き崩して得た冷泉により将士の意気があがったといわれている。

源氏三代墓
11世紀前半、河内国司に任ぜられた源頼信は、壺井に邸宅を構えた。その子の頼義と孫の義家(八幡太郎義家)は前九年の役や後三年の役で活躍し、武将としての地位を確立した。鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にあたるため、壺井は「(河内)源氏発祥の地」といわれている。

通法寺跡
長久4年(1043年)、源頼義によって建てられた寺。頼義が猟の途中、山中で拾った仏像を本尊として安置したのがはじまりという。その後、河内源氏の菩提寺となったが、南北朝時代に兵火にかかり焼失。元禄13年(1700年)、徳川幕府により再建されたが、明治初期に廃寺になった。

源氏館跡
平安時代後半になって、急速に武士が力を伸ばし始めた頃、源満仲の三男頼信は河内守となって、寛仁四年に河内国古市郡壺井里のの香呂峯に居館を構えて本拠地とした。

大黒寺
日本最古の大黒出現の寺という伝承を持つ。天智4年(665年)、役行者が金剛山で桜の木を刻んで大黒天を造り、小堂を建てて安置したのがはじまりといわれているが、天正年間(1573?1591年)に焼失。享保19年(1734年)に再興された。

応神陵古墳
応神天皇陵は墳丘長415m、後円部の径256m、前方部の幅330mで、幅60?80mの濠を持つ日本最大級の前方後円墳である。面積では仁徳天皇陵に劣るものの、体積では日本一を誇る。

藤井寺市

仲哀天皇陵
(岡ミサンザイ古墳)
築造年代は5世紀後半。墳丘の長さは242メートルで、古市古墳群では4位、全国で18位の規模の古墳。中世に城郭として利用された形跡があり、当初の状態から大きく変化している。

葛井寺
葛井寺は紫雲山と号し、剛琳寺ともいいます。古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳期に建立されました。
西国三十三箇所観音霊場の第五番札所として信仰を集め、多くの巡礼者が訪れています。
毎月18日には、本尊の国宝乾漆千手観音坐像が公開されます。

辛国神社
延喜式にも記載のある古い歴史を持ち、物部の祖を祀ったことに始まります。室町時代には春日の神を合祀し、春日丘にその名を残していますl。
その後、明治時代になって長野神社を合祀しました。なお「延喜式」とは平安時代に編集された法令集で、その神名帳に記載のある神社を一般に式内社と呼ばれています。深い緑に囲まれた長い参道は「大阪みどりの百選」に選ばれています。

国府遺跡
約2万年前の旧石器時代から、縄文・弥生・古墳と、各時代の人々が生活したと思われる跡が発見されており、現在までの調査で縄文・弥生時代の90体以上の人骨が出土しました。