名古屋


中区

名古屋城
慶長17年(1612)、徳川家康の子義直の居城として家康の命により築城。戦災で焼失したが、昭和34年金のシャチをいただく大天守閣と小天守閣を再建。天守閣は、博物館相当施設に指定され所蔵品の展示や特別展に利用される。園内には、名勝二之丸庭園がある。

名古屋テレビ塔
日本で最初に建設された電波と観光の集約鉄塔。地上100mにある展望台からは名古屋市街はもちろん、三河湾や知多半島、木曽御嶽山や中央アルプスまで見渡せる。日没から24時までライトアップ実施中。
2006年6月リニューアルオープン。レストラン・ギャラリーなどが加わり、スタイリッシュな空間へと変貌。

NAGOYAアカリナイト
NAGOYAアカリナイトでは、ものづくり中部の中心地であり、またデザイン都市名古屋にふさわしいテーマとして「アカリ」に着目し、これからの産業及び未来を灯すLEDを様々なかたちで活用したイベントを実施します。

小袖懸けの松
この地は、名古屋大地の東端線に位置し、名古屋城築城以前は、自然に恵まれ、眺望のよいところであった。築城後は、基盤割の街づくりがされ、この辺は、袋町筋と本重筋の間で町人の町・小塚町(のち、小市場町と合併)として栄えた。その昔、この地に「小袖懸けの松」と呼ばれた古い松があり、古書に多くの伝説が記されている。

大須観音
真言宗。正式には真福寺宝生院、俗に大須観音という。もとは美濃の大須(現在の羽島市大須)にあったのを、名古屋開府の際に家康によって現在地に移された。美濃時代からの数多い蔵書は大須文庫として名高い。

大須商店街
日本一元気な商店街といわれ、家電店から古着屋さん、グルメまで、あらゆる業種のお店が軒を連らねており、いつも多くの人たちで賑わい、活気にあふれている。商店街には、万松寺、大須中華街があり、近くには大須演劇場もある。
又、8月には大須夏まつり、10月には大須大道町人祭り、2月には大須節分宝船行列など一年を通じてイベントが開催される。

萬松寺
曹洞宗。天文9年(1540)織田家の菩堤寺として、信長の父信秀が名古屋村に建立。信秀の葬儀はここで盛大に行われた。慶長15年(1610)名古屋城築城の際、現在地に移築。

東区

徳川園
徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式です。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮しています。
さらに徳川園は、高低差の大きな地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を大観できるようにしています。

徳川美術館
本館は当時流行した城のような屋根をもつ帝冠様式の建物。棟の上には鯱が飾られている。収蔵庫は本館の南にあり、建設当初から現在まで収蔵庫として理想的な室内環境を保っているとされる。1997年(平成9)国の文化財に登録。

蓬左文庫
尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫。閲覧室での蔵書の閲覧(一部複製利用)のほかに、徳川美術館の大名道具と合わせて、武家の学問と教養など、近世武家文化をわかりやすく紹介する展示や、徳川美術館・徳川園と連携した講演会などを企画開催している。平成16年11月2日新館開館。

片山八幡神社
紀元1171年に鎮座した由緒ある片山八幡神社。
こちらでは天照大神、武家の守護神であり、武神・軍神である誉田別尊(応神天皇)、移住者の守護神である菊理媛神が祀られています。
また、近年では境内社の谷龍神社の例祭に併せてドラゴンズの優勝祈願祭も行っています。

オアシス21
栄・錦通と久屋大通の北東角に誕生。オアシス21のシンボル「水の宇宙船」、花壇や樹木が配される「緑の大地」、魅力あふれる吹き抜け広場で様々なイベントが催される「銀河の広場」のほか、バラエティに富んだ店舗や公共交通の結節点としてのバスターミナルを配した『立体型公園』。

中川区

松重閘門の塔
中川運河と堀川運河を接続し、両運河の水位差を調節して水運の便をはかる ため、つくられた。しかし、戦後は工場、倉庫が港寄りに移り、輸送もトラ ックが主体となってハシケの通過数が減ったため、1968(昭和43)年に閘門 としての役目を終え、現在は塔とその周辺が公園として整備されている。

中村区

JRセントラルタワーズ
名古屋の玄関口「JR名古屋駅」。真上の多彩な機能を集約した立体都市空間。デパート、ホテル、オフィス、レストラン街を結合した、日本最大の延べ床面積であり、ギネスブックには世界一の駅ビルと認定されたランドマークビル。

タワーズライツ
タワーズ東壁面に「絵本の中」から飛び出した「輝く街」を色とりどりのLEDで演出、時間とともにダイナミックに変化していきます。12/26(金)から雪景色の中にオーロラが登場する第3期演出に切替わりました。これからも変化のあるイルミネーションをお楽しみください♪
2階タワーズテラスには、巨大ツリーを3本配し、壁面の「輝く街」の中央部にある3本の木と連動して赤や白に色を変化させます。

豊国神社
愛知県名古屋市の中村公園内にある豊国神社は、豊臣秀吉の出生地を記念して、明治18年(1885)に建立された社です。
豊国神社では旧正月1日に神誕祭が、5月中旬には例祭(太閤祭り)が開かれます。特に太閤祭りでは、秀吉の出世にちなんで子供の成長を願う「稚児行列」が盛大に繰り広げられます。

豊臣秀吉誕生の地
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、天文6年(1537年)尾張の国愛智郡中村にて木下弥右衛門と”なか”の子として誕生。後に織田信長に仕え立身出世し、近江長浜の城主から信長の死後に天下統一を果たし、太閤秀吉となつた。その生誕地一帯が現在「中村公園」として整備保存されています。

千種区

日泰寺
国内唯一の無宗派国際寺院。インドで発見されタイ国王から寄贈された釈迦の舎利をまつるため、明治37年(1904)に建立された。毎月21日は縁日で賑わう。

千体地蔵堂
普段は扉を閉められていますが、21日の縁日には開帳されます。実際に数多くのお地蔵さんが祀られています。

覚王山歳弘法堂
覚王山の参道には歳弘法堂があり、毎月二十一日に公開されています。 この覚王山の歳弘法は像が小さく、各像の前に蝋燭が供えられるようになっています。明治30年に作られたということです。

北区

御用水跡街園
御用水は、庄内川の水を名古屋城内へ引き入れるために開かれた。街園はその水跡敷。並行する黒川は、黒川治愿(はるよし)により明治9年(1876)に竣工(翌年完工)した。上流は木津用水につながる。

緑区

有松町並み保存地区
有松は、慶長13年(1608)旧東海道の池鯉附宿(知立)と鳴海宿との間に、尾張藩の命によって開かれた茶屋集落(間の宿)であり、有松絞りの開祖竹田庄九郎ら8名が東海道鳴海宿の東に続くこの地に移住し、街道を行く旅人に絞りを売ったことから、絞りのまちとして発展した。

竹田家住宅
竹田家住宅主屋は江戸時代に建てられた建物で、木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入。外壁は1階の腰壁が海鼠壁、その上部が黒漆喰、主要部が連子格子、2階は黒漆喰で仕上げられ、開口部は虫籠窓になっています。

岡家住宅
江戸末期のの建造で重厚な建築形態を良く残した建物で一棟の建物としては有松で一番大きなものである。主屋1棟・作業場1棟・蔵2棟の構成で、連子格子・なまこ壁・虫籠窓・塗ごめ造りをよく残してる。2階のひさし下の塗ごめ造りが波状になってるのがこの家の特徴となってる。

熱田区

熱田神宮
伊勢の神宮に次ぐ由緒ある大宮で、三種の神器の一つである草薙神剣をまつり、景行天皇43年(113)創建と伝えられる。面積19万uで本宮は神明造、屋根は銅板葺。宝物館には刀剣類など国の文化財指定の宝物も多数所蔵。

法持寺
弘法大師が建立した小祠がその由緒で、近くの伝日本武尊墳とされる白鳥古墳の宝物を守る鎮守としての意味から「宝持寺」と最初は呼ばれていたという。これは何と天長年中の話というから凄い。ここに出てくる碑の裏面には住職の名が彫られてあるが、この相撲好きの住職は「三十四世」とのことだ。

白鳥古墳
5世紀末ごろの前方後円墳。全長47m、最大幅25m。日本武尊の墓と伝えられてきたが、豪族の尾張氏の陵と考えられている。

港区

リニア・鉄道館
平成23年3月14日にオープンした。東海道新幹線を中心に、在来線から超電導リニアまでの車両展示を通じて、「高速鉄道技術の進歩」を紹介。
精緻な鉄道ジオラマや新幹線の運転シミュレータなどもあり、鉄道のしくみや発展の歴史を楽しみながら学べる。

名古屋港水族館
南館では「南極への旅」テーマとして、南極観測船「ふじ」が日本から南極へ至るコースに沿って5つの水域の生物の棲む自然環境を再現。北館では「35億年はるかなる旅」をテーマに、バンドウイルカやベルーガなど飼育展示。約3,000人収容のスタンドを設置した世界最大級のメインプールでは、生態や行動をより深く理解できるようにパフォーマンスを実施。

南極観測船ふじ
『南極観測船ふじ』は昭和40年(1965)から18年間活躍した砕氷船で、昭和60年(1985)からガーデンふ頭に永久係留してあり、「南極の博物館」として当時の姿のまま保存されています。

名古屋海洋博物館
ガーデンふ頭のシンボル「ポートビル」3階にある海に関する博物館。主に名古屋港の貨物取扱いについての展示。ジオラマや模型も多く展示されており、港湾技術の活用、ガントリークレーンの模擬体験等、見て、触れて、楽しめる内容となっている。

名古屋港ポートビル
海に浮かぶ白い帆船をイメージした名古屋港ポートビル。地上63m、建築延面積6,503m2、海と陸が接する水際に建つビル内には、海・船・港等を紹介した海洋博物館をはじめ展望室、講堂、会議室などを備え、市民と港のふれあいの場としてシンボルとなっています。

南区

笠寺観音
真言宗智山派の寺院。正式には天林山 笠覆寺。尾張四観音の1つで、あわせてなごや七福神の恵比須を祀る。
聖武天皇の天平8年(736年)、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、天林山小松寺を建立した。

笠寺一里塚
名古屋市内に唯一残る一里塚が,笠寺に存在する。一里塚は,旅人の目印として江戸時代に街道沿いに設置された。
1601年(慶長6)に宿駅制が定められ五街道が整備されるにつれて,各地で一里塚が作られるようになった。一里塚は街道の両側に置かれ,多くの場合は榎(えのき)が植えられた。これには,「ええ木を植えろ」を「えのき」と聞き間違えたという説がある。

守山区

龍泉寺
龍泉寺は延暦年間、伝教大師最澄が創建したといわれている。古文書「龍泉寺記」には、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った」という内容が記述されている。






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