中讃


善通寺市

曼荼羅寺
空海の先祖にあたる佐伯氏の氏寺として創建されたと伝えられる古寺。創建当時は世板寺と呼ばれていました。空海が唐から持ち帰った金剛界、胎蔵界の二つの曼荼羅を安置し、大日如来を祀った伽藍を建立して、曼荼羅寺と名を改めたと言われています。

出釈迦寺
空海が7才の時、衆生救済の誓願をたて、現在奥の院がある我拝師山の頂上から身を投げた時、釈迦如来が現れたことから、如来像を刻んで寺を創建したと伝えられています。古色豊かな山門を入ると、本堂、大師堂、虚空蔵菩薩堂が建っており、山の頂上近くにある奥の院の裏には、石の護摩壇と稚児大師像が祀られています。

甲山寺
空海が満濃池の改修にあたったとき、岩窟に毘沙門天を祀り、工事の成功を祈りました。改修後は、朝廷から賜った功労金で堂塔を建立し、自作の薬師如来像を本尊として創建したと伝えられています。

善通寺
弘法大師の誕生地にして、真言宗善通寺派の総本山です。
高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに、大師三大霊蹟のひとつです。
唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、大同2年(807年)から6年の歳月をかけて建立した真言宗最初の根本道場で、文君佐伯善通公の名をとって寺号としました。

護国神社
約10,200坪もある大きな神社で、明治維新以来、国のために尊い命を捧げた香川県出身の英霊が祀られている。また、境内には日本一社交通神社、先賢堂、警察消防招魂社などもある。

金倉寺
空海の姪の子でもある円珍は、小さい頃から利発でやがて天台宗比叡山延暦寺の5代座主となりました。その円珍が唐から帰り、金倉寺と名前を改め建立しました。金倉寺本尊の薬師如来像は円珍作。寺は明治29年の旧11師団創立当時は乃木将軍の宿舎となり、多くの遺品が残されています。

王墓山古墳
大麻山麓の大池の近くにあるこの古墳は有岡古墳群の中央部にあります。首長の墓と考えられる古墳が集まっていて、国の指定史跡になっています。6世紀半ばにつくられたこの古墳は前方後円墳。横穴式石室を持ち、石室からは土器類、装飾品、武具・馬具類などたくさん出土しています。

宮が尾古墳
有岡古墳群の一つでもあるこの古墳は、6世紀後半につくられた古墳で、両袖式横穴式石室になっています。昭和40年頃この古墳の壁面には線刻画が描かれていることが分かりました。このような、装飾古墳は全国でも珍しく、2体の武人像、人物郡、馬にのる人物、舟団(写真)などが線刻されています。全国的に注目されている壁画がある古墳です。

多度津町

道隆寺
奈良時代のはじめ、土地の豪族、和気道隆公が薬師如来をご本尊にまつってお堂を建てたのが起源とされています。
広大な寺域には、本堂をはじめ、仁王門、護摩堂などが建ち、古い仏像、仏画、古文書類に法灯の歴史がしのばれます。


丸亀市

丸亀城
高さ日本一の石垣に鎮座して400年の歴史を刻む丸亀城。大手門から見上げる天守閣は威厳に満ち、夕暮れの天守閣は優しさをまとって、心を和ませます。
400年の時を経た今日でも決して色あせることなく、自然と調和した独自の様式美をはっきり現在に残しているのです。

宇多津町

郷照寺
四国霊場第78番札所であり、また「厄よけうたづ大師」として幅広く親しまれている。平安時代創建の歴史ある寺で回遊式庭園、木造阿弥陀如来像など数多くの文化財が保存されている。近年の空海ブームから若い人の参拝姿も多く見られる。

宇夫階神社
神社の創建は古く、紀元前より鵜多郡津之郷に鎮座し、宇夫志奈大神と称え祀られていました。日本武尊の御子武穀王が阿野郡(現 綾歌郡)の国造となり、内海を舟で巡視のおり暴風雨に遭い、驚いた王が宇夫志奈大神に御祈念なさると、忽ち小烏が飛び来て風波をしのぎつつ泊島(本島)に導き、難を逃れられた、との故事により小烏大神とも称えられています。

巨石磐境
社殿後ろの巨石磐境は、神社創建以前の古代祭祀の遺構とい
われ町指定の天然記念物になっています。

綾川町

滝宮天満宮
光孝天皇の御代、仁和2年正月16日、菅公御歳42歳のとき、讃岐の国司に任ぜられ同年4月御来任、阿野南条郡滝宮の官舎に住まわれました。現在の神社境内地はその官舎跡だと伝えられています。

滝宮神社
滝宮神社は、滝宮天満宮の西側に鎮座する神社。
8月25日の午前中にこの神社で滝宮念仏踊が行われる

琴平町

金刀比羅宮
古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれている海の神様です。参道の長い石段は有名で、本宮まで785段、奥社までの合計は1368段にも及びます。広い境内には、「旭社」など由緒ある御社や御堂が点在するほか、宝物館や書院などには第一級の美術品や文化財が陳列されています。参道の両脇には土産物やうどんの店などが並び、周辺には、旧金毘羅大芝居(金丸座)や高灯籠など見どころも数多くあります。

金丸座(旧金毘羅大芝居)
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、年3回(3・6・10月)の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎などの興行を行っていましたが、だんだんに門前町の形態が整ってくるにつれて常小屋の必要性と、また一方その設置を望む多数の庶民の声を反映し、高松半寺社方より許可を契機に、大阪三座の一つ大西芝居(後の浪花座)を模し、富籤(現在の宝くじのようなもの)の開札場を兼ねた定小屋として建てられました。

金陵の郷
こんぴらさん(金刀比羅宮)の参道口にあります。酒造り創業当時(寛政元年(1789年))の白壁の酒蔵をそのまま復元しています。大楠がそびえる「くすのき広場」を取り囲むように建つ「歴史館」「文化館」では、昔ながらの酒造りの風景を再現しています。

まんのう町

道の駅 空の夢
もみの木パーク
「道の駅・空の夢 もみの木パーク」は、二宮忠八が世界最初に固定翼型飛行原理を着想した国道32号の樅の木峠にある二宮飛行神社の門前に設置され、特産品センター、食堂(もみの木茶屋)、青空市 があり、地域産物の発進拠点として、賑わいをみせています。

二ノ宮飛行神社
明治22年(1889)11月9日、陸軍衛生兵二宮忠八は、演習の途次、正午過ぎ本町の縦の木峠でカラスの滑空する姿を見て飛行原理を着想した。
自らの考えていた飛行機が現実に世界の空を飛び交うようになったとき、その事故による犠牲者の多さを嘆き、自宅に「飛行神社」を建立し、航空殉難者の慰霊に一生をそそいだ。

二宮忠八飛行館
二宮忠八が飛行原理を世界の誰よりも早く着想した緑の地、まんのう町 国道32号線沿 もみの木峠。
二宮忠八翁の子供時代の好奇心や視点また夢を実現するための努力や、その物語を通じて「21世紀を担う子供達に夢を見る力を育む」をテーマにした展示を行っています。





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