奈良・斑鳩


奈良市

開化天皇陵
第9代開化天皇の陵墓とみられる全長約100mの前方後円墳

浄教寺
鎌倉時代に行延法師(親鸞聖人の直弟子)が開基 。
慶長8年(1603)現地に移転。
境内の蘇鉄の巨樹は県指定の「保護樹木」で、奈良市指定文化財です (樹齢約300年)。

興福寺
天智8年(669年)藤原鎌足夫人の鏡女王が建立した「山階寺」を始まりとする。710年に藤原不比等が現在の地に移建し、興福寺と名づける。国宝館には、阿修羅像や佛頭をはじめ多数の国宝文化財が収蔵されている。平成22年に創建1300年を迎えるにあたり境内整備が進められている。

興福寺国宝館
かつて食堂、細殿があった場所に昭和34年建造されました。外形は創建当初の食堂、細殿に似せて、天平様式に復原されています。主要展示品は、奈良時代から江戸時代に至る各時代の仏像や絵画、工芸品、文書などで、1200年以上にわたる興福寺の歴史と伝統を伝えています。

猿沢池
興福寺の放生池。
わずか360mの周囲には柳が植えられており、大変風情がある。小さな池ではあるが、水面に興福寺五重塔の影が映る様子は、奈良公園には欠かせない景観の一つに挙げられる。また、甲羅干しをする亀でも知られている。奈良時代、帝の寵愛が衰えたことに悲嘆した釆女が身投げをしたとの言い伝えもあり、池畔には祭神を釆女とする釆女神社がある。

采女神社
猿沢池のほとりにある、春日大社の末社。昔、帝の寵愛が薄れたことを嘆き悲しんだ采女が猿沢池に身を投げたため、その霊をなぐさめるために建てられたという伝説が残されています。

東大寺
728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した山房がそのはじまり。現在は華厳宗の大本山で、盧舎那大仏造立の詔によって造られた大仏、お水取りが行われる二月堂などが有名(世界遺産)。

手向山八幡宮
紅葉の名所、手向山の山麓にあり天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、まつられました。

氷室神社
平城遷都にともない春日野に氷池や氷室をつくり、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされています。  献氷祭ではコイやタイを封じ込めた高さ1メートルほどの氷柱が神前に供えられます。

奈良公園
総面積約660ヘクタールという広大な公園。奈良市街の東方を占め、興福寺・東大寺・春日大社・国立博物館と一体となり、さらに若草山から春日山原始林まで取り込んで古都にふされしい広大な公園となっています。

鴎外の門
奈良国立博物館、新館の東側にある「鴎外の門」
作家としても有名な森鴎外が、「帝国博物館総長」として奈良に滞在した際の宿舎がこの場所にありました。
建物はすでに取り壊され、残されたこの門だけが鴎外をしのばせてくれます

春日東西両塔跡
春日大社一の鳥居を入った北側にあたる、東西に並んだ二基の塔跡で、現在その礎石が廻廊や門の部分を含め博物館なら仏像館の南側に残っています。西塔は永久4年(1116)に関白の藤原忠実によって、東塔は保延6年(1140)に鳥羽上皇の本願によって建立され、西塔は「殿下の御塔」、東塔は「院の御塔」と称されていました。

春日大社
和銅3年(710)藤原不比等が平城遷都の際、藤原氏の氏神を祀ったのが起こりとされています。神護景雲2年(768)今の地に社殿を造営。興福寺と同様、藤原氏が勢力を伸ばすにつれ盛んに社殿の造営が行われ、平安後期に現在のような規模を整えました。皇族や貴族の春日詣もさかんとなり、また中世以降になると武家や庶民にも信仰がひろまり、全国各地に御分社がつくられるまでになりました。“万燈籠”で知られるさまざまな形の釣燈籠、石燈籠の多くは庶民の寄進によるものだということからも、庶民信仰の深さを伺い知ることができます。

中の禰宜道
春日大社から南の高畑町へ上・中・下の三本の禰宜道が通じていますが、これらは、かつて高畑の社家町から春日の禰宜(神官)たちが春日大社へ通った道でありました。
高畑は社家町にふさわしい建物の構えが今ものこる町といわれています。

春日山原始林
春日山は春日大社の神山として1000年以上も伐採が禁じられていたため、カシ、シイ類を主体とした常緑広葉樹林の原始林となっています。昼なお暗い山内には、モリアオガエル、ヒメハルゼミ、カスミサンショウウオなど珍しい動物が生息しています。昭和30年に特別天然記念物に指定され、また平成10年(1998)世界遺産に登録されました。

新薬師寺
寺伝によれば天平19年(747)に光明皇后が、聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ、七仏薬師如来を安置したといわれています。かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院でしたが、現在は本堂〔国宝〕だけが残っています。東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代の建造で重文に指定されています。また「萩の寺」とも呼ばれ、境内全体に高畑独特の静かなムードがただよっています。本尊木造薬師如来坐像〔国宝〕とそれを囲む等身大の塑造十二神将立像〔国宝〕が有名です。

鏡神社
新薬師寺南門の西にある小社。奈良時代に北九州で反乱を起こした藤原広嗣が祀られている。境内にある本殿は江戸時代に春日大社第三殿を移築したもの。

志賀直哉旧居
志賀直哉が昭和4年から9年間住んだ旧居。「暗夜行路」はここで完結しました。近代的で、自然と平和と調和と静を愛した、文人直哉の人間性が偲ばれます。

浮見堂
奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き、八角堂形式のお堂です。 水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。 春日大社より浅茅が原の林をぬけていくとつきあたります。

荒池
荒池は源を御蓋山(春日山)に発する率川(イサガワ・菩堤川)からの水を貯え、美しい古都の景観を形成している。この池の起源は定かではないが、天正17年(1589年)豊臣秀長が、奈良代官に命じ、奈良中の人夫を総出で築造された農業用水。

元興寺
前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺)でしたが、平城遷都に伴い今の地に移転され名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。

頭塔
奈良時代の13個の石仏が3段にわけて配置されています。いずれも天蓋を有しているのが特徴で、美術的価値も高いものです。

唐招提寺
唐僧鑑真和上により、天平宝字3年(759年)に創建された寺。
“天平の甍”と称される金堂をはじめ、講堂、宝蔵など国宝の諸堂が建ち並ぶ境内は、創建当時の姿をとどめている。
金堂のみ平成21年まで解体修理中で拝観できないが、その他の建物、仏像は従来どおり拝観できる

薬師寺休丘八幡宮
「天満神社」から更に北へ行き、近鉄橿原線西の京第4号踏切を渡ると、正面に「薬師寺休丘八幡宮」が鎮座しています。890年頃(寛平年代)に薬師寺の鎮守として勧請され、国重文のご本殿は、1603年(慶長8年)豊臣秀頼の命により片桐且元が奉行で再建され、三間社流造、桧皮葺、左右に各桁行三間、梁間一間、一重切妻造の脇殿が付いた三棟で、平安時代の作で国宝の祭神、僧形八幡神、木造神功皇后坐像、仲津姫命坐像の三神像と、脇殿に祀られていた十九明神の板絵著色神像は、現在奈良国立博物館に寄託されています

薬師寺
天武天皇が天武9年(680年)に皇后の病気の平癒を願って造営に着手、持統11年(697年)藤原京に完成した。その後平城京遷都に伴い、養老2年(718年)に現在地に移された。
金堂を中心に東塔と西塔の二つの三重塔という配置は薬師寺式伽藍と呼ばれている。




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