日南市 |
日南海岸 | |
宮崎市から串間市都井岬周辺までの国道220号と国道448号の海岸線沿いを通称「日南海岸」と呼びます。日南海岸はコバルトブルーの海と太陽、岬と入り江が織りなす雄大な景色が広がっています。国道沿いにはワシントニアパームやフェニックス、赤やピンクのハイビスカスが彩っています。 |
鵜戸神宮 | |
鵜戸神宮は、宮崎県南で最も有名な神社です。地元では親しみを込めて「鵜戸さん」と呼ばれています。 |
飫肥城址 | |
飫肥の町の北方、町並みを見下ろす丘の上に、飫肥城があった。明治の廃藩置県の際に城の建物は壊されてしまったが、昭和50年代になって大手門などが復元され、往時から残る石垣などとともにかつての面影を今に伝えている。 |
飫肥城下町 | |
飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 |
国際交流センター 小村記念館 |
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小村寿太郎は明治時代に2度の外務大臣を務め、明治38年(1905)にポーツマス条約を調印し日露戦争を終結に導いた人物として有名です。この記念館は、侯の没後80年を記念して平成5年に開設されました。 館内は、侯の生い立ちから外交の舞台での活躍ぶり等を展示物や資料、ビデオにより紹介しています。 |
豫章館 | |
伊東家の家臣伊東主水(御三家)の屋敷だったこの地に、明治2年、飫肥第14代藩主伊東祐帰が飫肥藩知事に任命されて城内より移り住みました。 南側の庭園は、規模と手入れの良さでは九州でも有数のものです。 |
旧山本猪平家 | |
本町は、江戸時代から昭和初期にかけて、商人町として飫肥杉を取り扱う材木商が栄えていました。旧山本猪平家は、明治40年代に豪商山本猪平が、隣接する小村寿太郎生家が没落した際に、土地を買い取り新築したものです。 |
小村寿太郎生誕地碑 | |
碑面は元帥東郷平八郎の書で、裏面には小村の親友杉浦重剛のよせた詩文が銘してあります。内容は、ポーツマス条約の仕上げとして清国との交渉に向かう小村に対して、小村の人柄を賞賛するとともに激励と日本人の期待を託したものです。 |
商家資料館 | |
商家資料館は、飫肥城下町の商人通として栄えた所にあります。 江戸時代の山林王 山本五兵衛が立てたものを資料館に改修し、当時の商家及び商人達が使用していた道具を展示しています。 建物は、木造一部二階建ての白漆壁の土蔵作りで、樹齢200年以上の飫肥杉を使った豪壮な建物です。 |
南郷町 |
道の駅 なんごう | |
日南海岸国定公園の中央に位置する「道の駅」なんごうでは、日向灘を望む美しい海岸線の景色を存分に楽しむことができます。周辺の海は日南海中公園です。隣接して県亜熱帯植物園があり、南国の自然を満喫できます。 駅内には案内人がいますので、道路情報、観光情報、医療情報等を紹介してもらうことができます。 |
串間市 |
都井岬 | |
都井岬は宮崎県の最南端に位置し、日南海岸公園の中にあります。 約5000ヘクタールの敷地内に約120頭の野生馬が生息しております。 春先には可愛い春駒も誕生し、元気に草原を走りまわる姿が見ることが出来ます。 都井岬は野生動物の宝庫です。猿や野ウサギ、イノシシ、鳶、狸などの姿を見ることが出来ます。路上でじゃれ合っている小猿の姿はとても可愛い。 岬内には、灯台や馬の資料館(ビジターセンター)、白蛇神社などの見学できるところが沢山有ります。 |
都井岬灯台 | |
都井岬灯台は、かつて日本三大難所といわれた都井岬沖の海運の安全確保のために昭和4年に建てられた南端海抜255mにそびえ立ち、紺碧の海に向かってくっきりと建つ日本でも数少ない130万カンデラの光度を誇る白い灯台です。 宮崎県の最南端に位置し、九州唯一の参観灯台であり、東南アジア方面から来航する船舶のランドホール(陸地初認標識)として重要な灯台です。昭和4年に建設されてからその後、戦災・災害を経て建設当時の物としては、コンクリート造りの灯塔だけとなっておりますが、この灯台は付近の地形を十分に利用し、屋根を陸屋根として周囲に欄干を設け、灯塔から出入りする屋上庭園式と当時から斬新な設計として注目を集めております。 |
蘇鉄の自生地 | |
中国の南部から沖縄、南西諸島を経、都井岬が自生の北限です。ソテツは、種子植物ソテツ科に属し主に東南アジア、台湾及オーストラリアに分布する亜熱帯植物です。 ソテツ科には、数種類ありますがその中の一種だけが日本の南端に達しています。御崎神社の境内と周辺には、約3,000本のソテツが自生していて北限にあたる貴重な群落であることから昭和27年に国の特別天然記念物に指定され守られていますが、以前は原野一帯に無数に自生していたといわれます。 |
御岬神社 | |
都井岬の最突端の切りたった断崖にあるのが、御崎神社です。社伝に和銅元年(約1,300年前の大和から奈良時代に移った頃)創建されたと伝えられ海人族の尊崇する、上筒男命、中簡男命、底筒男命、の三神を祀り海難よけ縁結びの神様です。1,300年近い歴史をもつ神社の存在は、都井岬沖の海が相当古い時代から、海運、水産の上で重要であり、かつ難所であったことを物語っています。 |
御崎馬 | |
御崎馬は長野県の木曽馬や北海道の道産子などと共に日本在来馬とも言われ、今から約2000年も前の縄文時代後期から弥生時代中期にかけて中国大陸から導入された馬が、その起源とされております。 高鍋藩秋月家は、江戸時代の元禄10年(1697年)に日本書記の中の歌にも詠まれた日向の駒を集めて、今日の串間市を中心に7ヶ所の藩営牧場を作り、軍馬や農耕馬の生産に励みました。この7牧の一つ都井村御崎牧が今日の御崎牧場です。 以来ここで生産される馬は御崎馬(岬馬)と呼ばれる様になりました。 |
うまの館 | |
宮崎県の一番南にある都井岬、その中に都井岬ビジターセンターがあります。野生馬と自然のバランスについて、より深く知っていただくための情報資料館です。御崎馬は野生に戻ったもと家畜馬です。今からおよそ300年前の江戸時代元禄10年高鍋藩の藩主・秋月家が都井岬に牧を作り、日向の馬を集めてここに放牧したのが始まりです。 そんな内容が、1日でわかるのがここ“うまの館”です。 ここでは、なんといっても2階にある360度のサークルビジョンシアターの迫力ある映像が見もの。このシアターは、120名が収容できます。是非、足を運んであなたもナチュラリストとしての一歩を踏み出してください。 |