西三河


岡崎市

岡崎城址
岡崎公園は、岡崎城の城跡を公園にしたもので、岡崎城や三河武士のやかた家康館を中心とした岡崎市を代表する歴史と文化の公園です。面積は、約10ヘクタールあり、広大な園内には、旧城そのままの白亜の天守閣がそびえ、城塁、内堀や家康公ゆかりの史跡等も多く、家康公と三河武士の生きざまを展示した歴史資料館三河武士のやかた家康館などがあります。

龍城神社
龍城神社は、徳川家康公が生まれた岡崎城本丸に鎮座する神社で、家康公が戦乱の世を鎮め、天下統一をなし、万民和楽の大業を達成した偉業をたたえ、岡崎城内に奉祀されたものです。

三河武士のやかた
家康館
昭和57年、岡崎公園の西隅(旧岡崎城二の丸跡)に開館した歴史観光資料館。常設展示室では、三河武士の源流から家康の祖松平氏の歴史と家康の75年の一生をテーマ別にし、時代順に展示しています。

二の丸能楽堂
岡崎城二の丸跡にある本格的能楽堂は、全国初の市立能楽堂として知られ、家康公の生きた時代そのままの雰囲気を味わうことができます。能をはじめとする古典芸能が演じられ、地域の文化振興と教育にも貢献しています。

からくり時計塔
三河武士のやかた家康館の近くにある人気の時計塔です。定刻になると時計盤3面がはねあがり、照明のついた舞台に能装束の家康公が登場。音楽に合わせて能を舞い、最後に有名な遺訓を語る趣向を凝らした時計塔です。

菅生神社
第十二代景行天皇の御代(110年10月)、日本武尊(第二の皇子)が、東国平定のため、 当地を御通過になり、高岩(今の菅生川畔の満性寺あたり)で、賊を討つために矢を作ら せたとき、神風が吹いて、そのうちの一矢を小川に吹き流された。そこで尊は、その矢を 「御霊代」と仰ぎ、伊勢の大神を祀り、この地に神社を建てられた。

道の駅 藤川宿
かつては旅人が安らいだ東海道藤川宿。約400年の時を経て、人と人がつながり、歴史や文化を現代に伝える新たな交流の場「道の駅藤川宿」が今、蘇ります。

知立市

知立古城跡
知立城は、永見氏の居城であった。永見氏は代々知立神社の神主で、知立城は、平安時代の末、後白河院の北面の武士であった永見貞春の代から17代貞英まで続いたが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦で落城した。貞英の室は刈谷城主水野忠政の娘で、その子お万は家康の側室となっている。

了運寺
知立神社の別当であった神宮寺の一坊で天台宗あったが、明応2年(1943)浄林了運大和尚が浄土宗に改宗し、寺号も改めて中興した。
了運寺の鉄の門扉に徳川家の紋章の三つ葉葵の元となったとされる立葵の紋が付けられている。

知立神社
創建は日本武尊御東征後の奉賽による。本殿は流造。延喜式内社。正安三年銘正一位智鯉鮒大明神の扁額、舞楽面、古文書等がある。例祭には隔年で山車からくり・山車文楽を奉納。秋葉社祭の花火奉納。茅輪神事。外苑の知立公園にて花しょうぶ祭。

知立公園
明治神宮より下賜された60品種が植えられ、満開時には約3万株の色とりどりの花しょうぶが所狭しと咲き乱れ、人々の目を楽しませる。

池鯉鮒宿
池鯉鮒の由来はその名の通り、池鯉鮒神社(知立神社)の池に鯉と鮒がいたことから。
この地の名物は古くからの馬市、特に江戸時代は盛大であった。また芭蕉も詠んだ三河木綿も特産品であった。

寶蔵寺
宝蔵寺。嘉祥3年(850年)、慈覚大師の創建
加賀野井弥八郎重茂の墓と水野忠重に殉死した刈谷の家来2人の追腹塚がある

刈谷市

お富士松
桶狭間の合戦で敗退する今川勢に、西へ急ぐ旅人が信長の回し者と間違われ斬り殺された。村人は哀れに思い旅人を丁寧に埋葬し、一本の松を植えた。この松は“お富士松”と呼ばれ、地名の元にもなった。

乗蓮寺
浄土真宗の東本願寺に属し、江戸時代中期の建立で、約350年の歴史がある。
境内にある椎の木は、樹齢推定850年とされ刈谷市天然記念物です。

今川八幡宮
創建は1688年から1736年頃。社地はかつて、今の今川八幡公園のある田地池の地にあったが、1972年(昭和47年)に県道増設が決定を受け、翌年現在の地に移った。 社地前には今川八幡公園がある。

安城市

安祥城址
永享12年(1440)、畠山一族の和田親平が築城したといわれ、別名を森城といい、天守を持たない平山城で、安城町にあります。戦国時代には、徳川氏の祖、松平氏が居城しました。

大乗寺
ご開山は、福井県の曹洞宗大本山永平寺の第三代・徹通義介禅師(1219〜1309)です。






1