大津


大津市

琵琶湖
総面積674平方kmを誇る日本最大の湖で、滋賀県の面積の約6分の1を占める。三重県上野盆地にできた大山田湖が琵琶湖の原形といわれ、約400万年をかけて現在の位置まで移動してきたと考えられている。一年中琵琶湖で見られるカイツブリは滋賀県の県鳥に指定されている。

園城寺(三井寺)
近江八景「三井の晩鐘」で名高い天台寺門宗総本山。
国宝の金堂をはじめとする数々の歴史遺産の豊富さは圧巻。観音堂は西国三十三所観音霊場第十四番札所。

長等神社
天智天皇が大津京鎮護のため長等山の岩倉に須佐之男大神を祀ったのが始まり。貞観2年(860)円珍が園城寺の守り神としてまつったといい、天喜2年(1054)庶民参詣のため山の上から現在地に移った。楼門は明治38年(1905)の完成だが、中世の古い様式が細部にわたり見事に生かされている。

大津祭曳山展示館
湖国三大祭の一つ大津祭をテーマにした展示館。原寸大の曳山(レプリカ)をはじめ、独特のからくりや幕類を映像などで紹介。ダイナミックに展開される祭りの賑やかさ、楽しさが体感できる。

近江大津宮錦織遺跡
大津京(宮)は、667年、天智天皇により奈良の明日香から遷都されたが、672年の壬申の乱で廃都と化した。以後長らく宮跡さえ不明で、所在地を巡り論議を呼んでいたが、昭和40年代に宮跡らしき遺構が発見された。国の史跡に指定。

天孫神社
桓武天皇にいわれのある海運神、10月の大津祭は有名です。
四宮神社ともいわれ、彦火火出見尊、国常立尊、大名伴遅尊、帯中津日子尊の四柱を祀ることから、また、彦火火出見尊が天照大神の第四代目にあたるという説からきている。

近江神宮
ご祭神は大津京を建都した天智天皇。皇紀2600年を記念し、昭和15年に創建。
広大な森に囲まれた境内には、朱塗りの楼門、近江造りの本殿などが荘厳な雰囲気を漂わせている。天智天皇は日本で初めて漏刻をつくったことから時計の始祖としてしられ、境内には様々な時計がある。

比叡山延暦寺
比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録されています。奈良時代末期、19歳の最澄(767-822)が、比叡山に登り草庵を結んだのが始まりです。

根本中堂
根本中堂は、延暦寺の総本堂にあたる。
現在の建物は、徳川三代将軍家光により再建され寛永19年(1642年)に造営が完了した。国宝に指定。
本尊である伝教大師最澄自作の薬師如来の前には、不滅の法灯が1200年間消えることなく灯り続けている。

釈迦堂
伝教大師最澄自作の釈迦如来を本尊とする。
釈迦堂は、三井寺の金堂を移築した山内最古の建物。

横川中堂
横川の中心となる大堂で、848年に根本観音堂として創建されたのがはじまり。何度か焼失しましたが、昭和46年に再建されました。

元三大師堂
慈恵大師(元三大師)良源の住坊跡に建ち、康保4年(967)以来四季毎に法華経の論議がなされるようになったところから、四季講堂と呼ばれる。

本福寺
南北朝時代(1334-1392)の開山。応永元年(1467)三代目住持法王の時、法難を逃れた蓮如が身を寄せ、同寺に本願寺を置き再興の拠点とした。蓮如ゆかりの遺品が数多く所蔵されている。

伊豆神社
天暦3年(947)、下鴨神社の分霊 玉依姫命を勧請して、神田神社と同神社の二神が祀られました。
境内には伊豆の霊石があり、石を撫でると幸福を呼ぶと伝えられています。

浮御堂
近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺という。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。

草津市

立木神社
1200余年の歴史を有する、滋賀県隋一の古社。旧東海道に面して鎮座し、古くより交通安全厄除けの神社として信仰を集めている。
境内には延宝8(1680)年11月建立の銘がある県内で最も古い石造りの旧追分道標が立つ。

小汐井神社
中山道第一の宮として旅人からも厚い信仰を受けてきた。周辺の氏子からは、安産の神としても信仰されている。 社名の「おしおい」とは、古代、人が神を祭祀するにあたり、まず海中に入り、海潮により潔斎し、その後神事に臨んだ事を指す言葉を指す。

栗東市

平松の美し松
アカマツの変種で主幹が真っ直ぐには伸びず、株元から多くの幹に枝分かれして独特の美しい樹形となります。
園芸品種の多行松に似ていますが、ウツクシマツは自然性で、高さは10mを超え、滋賀県湖南市美松山だけに、それも群生することで知られ、大正13年に国の天然記念物に指定されている珍しいものです。

野洲市

御上神社
近江富士で有名な三上山(432m)の山麓、国道8号沿いの森の中にあります。祭神は天御影之神。この神が三上山に降臨したのを祀ったのが始まりといわれています。

稲荷神社
神社縁起に、天武天皇壬申の乱に野洲河原で戦死した人々の供養及び鎮護国家を祈願し、石域村主宿禰が福林寺を建立、その守護神として天暦二年伏見稲荷大明神を勧請したという。






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