奥豊後・大野川


竹田市

岡城阯
1185年築城。1586年には島津藩3万の軍勢をわずか1000人で守り抜いたと伝えられる難攻不落の名城で、その姿から別名「臥牛城」とも呼ばれる。松を渡る風の音”松籟”が環境庁の「日本の音風景百選」に認定され、また春の桜も「日本さくら名所百選」に選ばれたほどに見事。秋には紅葉も楽しめ、年間を通して素晴らしい景観である。本丸跡には朝倉文夫作の滝廉太郎像がある。

滝廉太郎像
岡城には竹田出身の彫刻家朝倉文夫が作った滝廉太郎 の像がたっています。 もともとは豊後武士の緒方三郎が源頼朝と仲たがいした義経を迎えるために1185年に築いた城で、その後大友氏の一族の志賀氏が岡城と称しました。今は石垣しか残っていないが、石垣の高さと急な勾配で天下三堅城と言われたとのことです。

広瀬神社
明治37年(1904年)3月27日に日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬中佐の人格と報国の精神を敬仰する人々により「広瀬神社創建奉賛会」が結成され、昭和10年(1935年)5月に社殿が落成、同月25日に鎮座祭が行われ、県社に列した。
昭和23年7月、大分県直入郡遺族連合会が、郡内の国家公共に尽くして亡くなった人々の霊の広瀬神社への合祀を議決し、翌年、第1回の合祀が行われた。

岡神社
本社は元岡城北尾にあり愛宕神社と称せり。
元和戌午四年(紀元2278年)城主中川内膳正久盛山城国愛宕神社の御分霊を勧請し城北守護の神として鎮祭せしを明治41年5月5日今の社地に遷祀し付近の数社を合祀して岡神社と称したるなり。社殿は江戸時代建築の大なる特徴を有し、その美的価値は對丘の愛染堂と比肩すべくこれを中央の社寺建築に対比して豪末の遜色をも認めざるものなるが如し。

殿町武家屋敷
家老や奉行を務めた江戸時代の上級武士の屋敷が並ぶ殿町。土塀や重厚な長屋門が100mに渡って立ち並び、当時を偲ばせる。通り沿いの竹田創生館ではウォーキングマップなどの観光情報が入手できる。

キリシタン洞窟礼拝堂
キリシタン禁教令にもかかわらず、熱心な信者がひそかに礼拝していた場所で、凝灰岩に西洋風のドームを掘り抜いてある。岡藩主、中川久盛公のとき、ペトロ、パウロ、ナバロ、フランシスコ、ブルドリノの5名の神父が、2つの洞窟に保護されたと伝えられている。礼拝堂の内部の広さ約10平方m、最高部は約3.5m、正面奥に祭壇がある。

旧竹田荘
江戸末期の文人画家、田能村竹田(1777〜1835)の生家。現在では竹田荘の周辺の高台や岩石を利用して庭園が造られており、また庭内には、画聖堂や筆塚もある

竹田市立歴史資料館
岡藩や岡城に関する歴史遺物や南画の田能村竹田、作曲家瀧廉太郎、彫刻家朝倉文夫などの資料を展示。

竹田荘公園
旧竹田荘、歴史資料館に隣接しており、展望台からは、市街地が見渡せる。

観音寺
元和4年(1618)に藩主中川公が、祈念所として建立した観音寺への参道の石段の右側、自然石の上に石造十六羅漢が並んでいる。 毎年行われているたけた竹灯籠 竹楽(ちくらく)のときは見どころの一つである。

愛染堂
愛染堂は城下町竹田で現存する最も古い建物です。寛永12年(1635)に二代藩主中川久盛により建立されました。宝形造の三間堂で内部に柱を用いない独特の設計で、春と秋に公開されます。 本尊の愛染明王は恋愛成就の願掛けで有名。内側には天女などの壁画が描かれています。近くには円通閣や十六羅漢があり静かな風情を楽しむことができる。春は桜、秋は紅葉と竹楽の名所。

円通閣
愛染堂と同じ敷地にある旧大勝院の山門。岡藩八代藩主中川久貞(なかがわひささだ)が天明4(1784)年に江戸から招いた儒学者唐橋君山のために造りました。中国蘇州の寒山寺楼門を模したとされる中華風の楼門です(現在、修理中)。唐橋君山は藩校由学館の教授。田能村竹田らが集い書画や詩作を学んだ岡藩の文化発祥の地です。君山はこの地で亡くなり寺域にお墓があります。

豊音寺
瀧廉太郎記念館を出て左手にみえるのが豊音寺の二重門。豊音寺は岡藩時代から続く寺町の禅寺です。幕末の嘉永三年(1850年)に建立された門は寺町でも最大級の門。西南戦争の惨禍をくぐりぬけた岡藩時代の生き証人で門の二階に釈迦如来と十六羅漢が配置されていた。門をくぐる時に見上げると、天井には岡藩の画師森?谷筆の黒龍の絵が描かれています、必見!

瀧廉太郎記念館
「荒城の月」で知られる音楽家、瀧廉太郎が12歳から15歳まで暮らした屋敷を現在は記念館としており、館内には手紙や写真、直筆の譜面などを展示している。また、廉太郎の生涯を紹介した15分間のビデオは必見!

御客屋敷
御客屋敷とは、江戸時代に来藩した武士以上の客人が宿泊や食事、会合をするのに使用した屋敷です。伊東家が管理を任されていて、七代目が松月堂古流の生け花の師匠伊東亀齢軒(いとうきれいけん)という方です。再三、火災に見舞われましたが、現在の建物は1806年に普請されたものです。当時の三分の一程が残されています。庭園は、狭いが枯山水様式で生垣を隔てて願成院の遠見燈籠や八幡山を借景とする南画的な風情が楽しめます。著名な客人としては、延岡藩内藤家の立の姫君や豊後の測量に来藩した伊能忠敬らの名があります。明治6年の百姓一揆の際に受けた鍬や鎌による傷跡が残っています。

西光寺
全国でも珍しい銃眼造り付き本殿と大分県内最古の鐘楼があります。
西光寺は浄土宗西山派の寺で、中川家一族の菩提寺のひとつです

竹田温泉 花水月
竹田の透きとおる清い名水を露天風呂・釜風呂など多彩な湯船で贅沢に入浴することができる。自然からの恵みが肌に安らぎを与えて心に和みがうまれてくる。友達や家族で温泉三昧な1日を過ごしてもらえる。

岡城天然温泉 月のしずく
旧竹田市には竹田駅の近くに竹田温泉「花水月」があるが、国道57号線沿いで豊岡小学校に近くに岡城天然温泉「月のしずく」が2003年にオープンしている。露天風呂のほか低温スチームサウナや歩行浴のできる11mの浴槽もある。この日も近隣の人達が多く入浴してにぎわっていた。

扇森稲荷神社
玉来のお稲荷さまと呼ばれます。1616年(元和2年)に創立しました。その昔、岡藩士が白狐の頭を埋めたことから狐頭さまとも呼ばれます。赤鳥居と白鳥居があり商売繁盛の御利益あらたかと言われます。旧暦2月の初午の日を中心に3日間、大祭があります。京阪神地方からも参詣者が見えます。

道の駅 竹田
竹田市は大分県の南西部に位置し、「荒城の月」の滝廉太郎で知られる城下町です。昭和62年名水百選の地となったほど、市内各地に豊富な湧水があり、近隣地域から水を求めて大勢の人が訪れます。このような環境の中に「道の駅・竹田」があり、澄んだ空気と湧き出る水は定評があり、アウトドア計画にはもってこいの場所。一足のばせば、壮大なけしきの久住高原へ行けます。

明正井路
大正8年に建設された用水路。その工事は、当時、たいへん困難をきわめたと言います。歴史を感じさせる重厚な水路橋は、6連の美しいアーチをもち、 長さ78m、高さ13mで日本最大規模を誇ります。

住吉橋
竹田市入田地区の長小野にある2連の石橋。緒方川の支流である門出川に架かっている。大正11年(1922)に造られた石橋である。九州以外ではこの頃になるとコンクリートの橋が主流となり石橋は造られないが、九州では昭和の初期まで石橋が造られていた。それだけ石橋を造る技術を持った石工が多くいたということかもしれない。たぶん馴れないコンクリートで橋を造るより実績のある馴れた石橋のほうが施工主としても安心であったのであろう。

長小野湧水
岩の間から滝となってすべりおちる水が、目にも涼しい長小野湧水。
この湧水には、「昔々、不治の病に苦しむ人が滝の水を飲んで治った」という言い伝えがあり、鳴滝神社としてもあがめられています。

泉水湧水
クセのないまろやかな味で、多くのファンをもつ湧水。この地区の湧水群のなかでも、豊かな湧水量で知られています。道路脇の駐車場には湧水マップが掲げられ、他の湧水に行くのにも便利です。

河宇田湧水
竹田市内から車で6、7分の道路沿いに、「水辺環境の碑」があります。 ここは、河宇田湧水から引き込む水がこんこんと湧き出る場所。 週末には、県内外から水を求めにやってくる人たちでにぎわいます。

荻神社
荻神社には「ゆたて」という神事が伝えられている。これは奈良時代に行われていたという裁判法「クガタチ」(神の前で熱湯の中に裁かれる者が手を入れ、心正しい者は火傷をしない)が時代とともに神事の一つとして儀式化したもの。毎年4月26日に行われ、湯師が四方に散らす湯が体にかかると無病息災になるといわれている。

荻の里温泉
大浴場でぬくもりながら九重連山の素晴らしい景色を眺め、露天風呂では勇壮な風景と爽快な風を感じることができます。バリエーション豊かな温泉と真心こめた荻の味でゆっくり体を休めてください。宿泊施設も完備しています。

岩戸橋
嘉永2年(1849)に架設された石橋で大分県下で3番目に古い。昭和49年に石橋としては大分県下で最初に重要文化財に指定された橋である。

東福寺供養塔
このあたりは、鎌倉・室町時代に栄え、天正4年に大友宗麟によって焼かれたと伝えられる東福寺の跡地で、五輪等、宝塔など数多くの石造物が残されていたが、今は大方散逸してしまった。
この石幢は、石灯籠型六地蔵塔と呼ばれる石塔の一部で、大永7年(1527)の銘がある供養等である。

白水ダム
なだらかな曲線と曲面で構成される白水ダム。ダムの壁に沿って、幾本もの水の筋が白いドレープを描いて流れ落ちています。その景観は清々しく、そして優美。国の重要文化財にも指定されています。

白水の滝の湧水
深い緑に囲まれた陽目渓谷の上流にある湧水で、水飲み場は名水茶屋の前に位置しています。近くのある白水の滝も必見です。

七ツ森古墳
竹田市街地から熊本方面へ国道57号線沿いに約8q行った所で、荻町に続く高台にあります。円墳と前方後円墳が各2基づつあり前者は直径20m高さ4m、後者は全長47m高さ6mです。「日本書紀」や「風土記」などには、第12代景行天皇が九州の熊襲を征伐したという伝説があります。その天皇と関わりがあると思われるのが七ッ森古墳です。大正時代の調査では、二つの組み合わせ式石棺の中から6枚の銅鏡、勾玉、碧玉製釧、刀子などの副葬品が出土しました。

桑畑湧水
長湯温泉の入口の交差点にある水場で、大量の湧水が溢れいつも水汲みであふれている。汲みやすく観光目的の水場として作られたもの。

ガニ湯
芹川のほとりにある、神秘的な伝説をもった公共の露天風呂。裏通りにあるとはいえ開放的な露天風呂は人目が気になる方は抵抗があるかも。脱衣所は橋の下にあります。

ラムネ温泉
ラムネ温泉の名前の由来は、作家の大仏次郎先生が長湯を訪れたときの旅行記『絵の国豊前豊後』(昭和9年)の中で、“ラムネの湯”と紹介されたことによります。
30度を越えて多量なイオンを含んだ天然炭酸泉はドイツのバートナウハイム、バートナクロツィンゲン、そしてここ長湯温泉だけ。
炭酸成分が皮膚から吸収されて血管が拡張し、血流が飛躍的によくなります

長湯ダム
長湯ダムは昭和28年完成のかん漑用ダムで、堤高15m、堤頂長122m。こちらはルアーでブラックバスなどの大物をねらう釣り人が多い。湖畔にはカヌー、ヨット、ボートなどの艇庫があって、体験型観光の基地となるほか、規模の大きい宿泊・食事施設ができ、常連客も多くなっている。

ドイツ村
ドイツ、バートクロチンゲン市との交流を記念して建てられた「ドイツ温泉村」の正面にある飲泉場。初体験の飲泉は意外にくせがなく、飲みやすく感じた。ドイツ温泉村にはドイツのビールや小物なども手に入る「ドイツ物産館「クロチンゲン」や温泉、簡易宿泊所などがあります。

久住神社
神武天皇の兄五瀬命を祀る。

豊後くたみ温泉 ほていの湯
九州本島最高峰である久住山、大船山を北にひかえ雄大で緑豊かな大自然を有する久住高原の地で長い間温泉を掘ることに希望を託していたところ、ある夜布袋様が夢枕に立ちここを掘るようにとお告げがあり思い切って掘ってみると、炭酸シュワシュワのラムネ源泉そのままの湯がこんこんと湧出しこの温泉を「豊後くたみ温泉ほていの湯」と名付けました。湯量が豊府で飲用すれば胃腸病・糖尿病に効能があります。
布袋様は人々に幸福や幸運・財運を授けるといわれています。
心地よいゆったりとした安らぎの世界で、ほていの湯に身をしずめ心身ともにリフレッシュして下さい。

お湯の駅 あすかの湯
こちら お湯の駅 あすかの湯は源泉100%かけ流しの8つの特徴を持ったお風呂が楽しめる宿泊温泉です。
全施設バリアフリーでご年配の方や体の不自由な方も安心して寛げる悠々スペースです。
ご宿泊はもちろん、25畳無料の休憩棟もあり日帰りでも楽しめます。オートキャンプやロッジのご利用もたいへん人気です。

久住高原
くじゅう山の東南麓一帯に展開する南北3km、東西8kmのなだらかなスロープの広大な高原である。高原は、放牧、採草するために伐採や火入を行っている。全体がススキの草原で、ハルリンドウ、スミレ、オキナグサなどの植物がみられる。牧歌的風景地で、春はワラビ狩り、夏はキャンプ、ハイキング客で賑わう。九重町飯田高原と合わせて「くじゅう四季の草原、野焼きのかおり」が『かおり風景100選』に選ばれた。

スカイパークあざみ台
標高1038m、360度視界が開けた場所柄、昔から「県境の字を見る」ポイントになっていたため、字見台=あざみだいと呼ばれてきたとか。ベンチに座っていても、南に阿蘇五岳、振り向けば九重連山がバッチリ眺められる。地元の特産品が揃う売店やレストランもあり、休憩ポイントとしてもおすすめ。

豊後大野市

原尻の滝

緒方平野の真中に突然落ち込むように現われる幅120m、高さ20mの滝です。
 9万年前の阿蘇山の大噴火による火砕流でできた凝結溶解岩の柱状節理が見れます。 滝の下流には高さ22m長さ90mのつり橋「滝見橋」があり、滝を正面から見ることができます。毎年8月13日〜15日の間は、原尻の滝がライトアップされます。原尻の滝周辺のイベントはイベント情報をご覧ください。


緒方チューリップフェスタ
日本の滝百選で有名な原尻の滝。春になると、周辺の田んぼはお花畑に変身する。50万本の色とりどりのチューリップが咲き競う”ちょうちょもよろこぶ緒方の春”。平成5年から始まったこのフェスタ、期間中の毎週土・日曜日には楽しいイベントが盛りだくさん。

緒方三郎惟栄館跡
源平争乱の頃、豊後国緒方荘を拠点として勢力を広げ、歴史上に一躍その名を馳せた人物です。
その生涯の大部分は謎につつまれていますが、彼にまつわる神話や伝説(緒環伝説など)は、今なお緒方のこの地に息づいています。

普光寺
高野山真言宗、筑紫山。通称、紫陽花寺。敏達天皇12年(583)に日羅によって開山。平安期には荘司・大野氏によって、また鎌倉期には戦功で領土を拡大し、岡城に居を構えた地頭・志賀能郷の庇護により大変な発展を遂げました。江戸時代初期までは「筑紫尾寺」と称し、京都三聖寺の末寺として栄えた。 天正14年(1586)、豊薩の役が起こり、薩軍による打ち壊しや焼き打ちに遭い、普光寺も衰退したのです。文禄3年(1594)岡城主中川久清は、岡城の鬼門にあたるこの普光寺を真言宗の密教寺院として再興。 県内最大の磨崖仏である高さ11.3mの不動明王像(県指定史跡)は、鎌倉期、藤原期の作。不動明王の右手には多聞天、弁財天の像が刻まれ、セイタカ童子とコンガラ童子を両脇に従えています。

普光寺磨崖仏
6世紀の頃僧「日羅」によって開かれた。
鎌倉時代には地頭の志賀氏が院主職を兼帯し、400年近い長期にわたり「真言密教」の修験道場として栄えた。
境内の約20mの絶壁に彫られた不動明王は、浮き彫りでは日本最大級の磨崖仏で、像高11.3m、偏平の素朴な彫刻で鎌倉期の作。
最近アジサイ寺として有名になった。

用作公園
「用作」という地名は,鎌倉期に大友能直の8男大友能郷が志賀姓を名乗り 隣接地背子に地頭屋敷を構え,その所有する用作田がなまって伝わったものです。 文禄3年(1594)中川秀成が岡藩主として入府し,岡藩が統治することになり ました。寛文4年(1664)藩主中川清久より岡藩第1家老中川平右衛門に参勤 交代道にあたる重要な当地を与え別荘地とした。
中川平右衛門はこの地に書院 造りの屋敷を構え,金山楓(かえで)と松を植え,心字池と丹字池を作り,さ らには射撃場を作り洋風訓練の場としました。
現在は町有地として保存と活用に努めています。

田楽焼跡
用作が中川平右衛門の別邸として造園されると、藩主の往来は勿論、文人墨客の来訪も多くなり、お客屋敷の様相も出てきました。
中でも南画家「田能村竹田」や儒学者「頼山陽」の宿ともなり、名物の「田楽焼」を賞味した炉跡として残っています。当時「岡大豆」は、大阪でも高値で取引されている程でこれを原料に豆腐を作り四季の木の芽味の味噌を付け、焼きながら味わう田楽がこの地の名物となりました。この炉跡は当時の姿を彷彿とさせてくれる所です。

道の駅 あさじ
道の駅あさじは大分県の国道57号沿いにあります。 「菜花朧月館」はスケルトンログ工法を用いた丸太材の建物で、中では特産品、新鮮野菜、土産品等を販売し、 レストラン福寿草では豊後朝地牛を使った料理や、山ぶどうソフトクリームを食べることができます。

中渡橋
平井地区と堀家地区は、平井川を挟んで南北に相対している。両地区の生活道と県道(現国道57号線)との接続は住民生活にとって重要であった。そこで堅牢な石造アーチ橋を架設し、豊肥線朝地駅の開通によって高まった時勢の需要に尾対応した。

道の駅 きよかわ
国道502号沿いにある「道の駅」きよかわでは、清川の産品にこだわった、安くて安全な新鮮野菜と真心のこもった手作り加工品が並ぶふるさと物産館が、新しい田舎の魅力をお届けします。無形民俗文化財の御嶽神楽や日本一の石橋などが見どころです。

臼杵藩岩戸口番所跡
臼杵藩が正保3年(1646)に設置した関所で、現在石垣及び旧街道跡の一部が残っている。
番所は口屋とも呼ばれ、藩の内外に移動する人・物資等の監視をした施設である。番人は一名で、地元より採用したとこ記録がある。

道ノ上古墳
三重町下赤嶺下区の台地先端上に所在する前方後円墳で、全長約74mと県南最大規模を誇る。前方部長28m、後円部径48m、同高さ6mで、後円部頂上に社殿跡があるが、主体部は不明である。墳丘上に葺石が敷かれてあり、円筒埴輪や壺形埴輪の破片も出土している。古墳時代前期の4世紀後半頃の築造年代と推定されている。

下赤嶺五輪塔
三重町下赤嶺下区の道ノ上古墳(みちのうえこふん)の後円部頂上にある。明治時代頃に現在地に移転されたと伝えられている。総高は155cm、各輪四方に梵字(ぼんじ)が薬研彫りされているが、移転の際によるものか方位がずれている。地輪(ちりん)に銘文があり、鎌倉時代の正安2(1300)年に時宗関係者による造立と推定されている。

虹澗橋
虹澗橋は文政7年(1824)に架設され大分県指定有形文化財に指定されている石造アーチ橋です。通称「柳井瀬橋」といい、大野川の支流である三重川に架かっている石橋で、架設当時は最大のアーチ幅でした。虹澗橋の“澗”は谷川という意味らしく、三重川の渓谷に架かる虹のように華麗な姿から虹澗橋と命名されたようです。

蓮城寺(内山観音)
真名野長者(炭焼小五郎)が建立した豊後国最古の寺といわれる蓮城寺。通称「内山観音」と呼ばれ、長者伝説にまつわる一寸八分観音、長者夫婦の墓、金亀ヶ淵などが残されている伝説の地。桜の名所としても知られる名勝地であるとともに、観音堂には本尊の千手観音、薬師堂には京都三十三間堂と並ぶ998体の薬師像が安置されるなど、内山観音は文化財の宝庫でもあります。

金亀ヶ渕
この渕は昔南都久我大臣の真名姫 玉津姫が炭焼小五郎(後の真名野長者)を尋ね来て黒痣のお顔を洗われたところ不思議にも黒痣が消え去り絶世の美女となられた渕である 後に小五郎と玉津姫が夫婦の契りを結ばれた際この渕に金の亀が浮き出て、鴛鴦が並び遊んだといわれ小五郎夫婦は大いに喜んで金亀ヶ渕と名付けた。





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