函館市 |
二十間坂 | |
その名の通り道幅が二十間(約36m)ある坂。この幅は何度も函館を襲った大火に備えてのもの。冬期にはライトアップされ、明治館前まで続くイルミネーションを楽しめる。 |
真宗大谷派 函館別院 (東本願寺) |
|
明治40年の大火で類焼、1915(大正4)年建替えに際して日本初の鉄筋コンクリート造りとした。ニ十間坂沿いに威風堂々と建つ。国指定重要文化財。東本願寺函館別院とも呼ばれる。 |
函館市元町末広町の伝統的建造物群保存地区 | |
北の海の玄関口の一つである函館は、幕末期から開港場として発展した。函館山の麓には、異国情緒が漂う町並が広がり、その中心部分が保存地区となっている。 |
カトリック元町教会 | |
最初の木造の教会堂は1877(明治10)年創建。現在の建物は1924(大正13)年に再建。大聖堂内の豪華な祭壇はローマ法王から贈られたもの。元町の代表的風景、教会群の一角を占める。 |
亀井勝一郎生誕の地碑 | |
ハリストス正教会の坂下にあり、著者の生家付近を描写した「東海の小島の思い出」の一節を碑にきざんである。 |
函館ハリストス正教会 | |
日本初のロシア正教会聖堂。白壁と緑屋根の対比が美しく、函館を代表する歴史的建造物。現存する聖堂は1916年築。鐘の音は「日本の音風景100選」認定。重要文化財。 |
船魂神社 | |
函館山のふもと・元町の、日和坂上にある。北海道最古の神社といわれ、源義経にまつわる伝説もある。海に関連する神が祀られていて、船舶関係者などが参拝に訪れる。 |
日和坂 | |
港の旧桟橋から船魂神社までまっすぐに伸びている坂。かつては広い港を一望でき、空模様をよく判断できたことからこの名前が付いた。西高生の通学路にもなっている。 |
旧函館区公会堂 | |
函館を代表する坂のひとつ・基坂を見上げると、木々の間から桟瓦葺の屋根に、外壁がブルーグレーとイエローの建物がのぞいています。観光客から高い人気を誇る旧函館区公会堂です。大火によって焼失した住民の集会所であった町会所を再建しようと、豪商相馬哲平氏や住民からの寄付などを元手に、1910(明治43)年に竣工しました。 |
元町公園 | |
明治から昭和25年まで、箱館奉行所や開拓使がおかれ、北海道・道南の行政の中心だった場所。港を見おろす高台にあり、公園奥には復元した旧北海道庁函館支庁庁舎のルネッサンス風の洋館を函館写真歴史館として利用し、すぐ近くに古いレンガ造りの函館支庁書籍庫が建ち並ぶ公園。 |
旧北海道庁函館支庁庁舎 | |
函館市写真歴史館のある元町公園は、江戸末期には幕府の箱館奉行所、明治時代には開拓使函館支庁、函館県庁、北海道庁函館支庁が置かれて、政治の中心地でした。当時の庁舎は明治40年の大火で消失、現在の建物は明治42年築の洋風木造2階建て。平成3年の火事で内部を焼損しましたが、平成6年に修復整備されました。 |
旧イギリス領事館 | |
1859(安政6)年の開港とともに、アメリカ、ロシアに次いで函館では3番目に開設された領事館です。最初は当時、現在の弥生小学校付近にあった称名寺内に仮設、1863(文久3)年に現在のハリストス正教会(函館市元町3)付近に新築した後は、幾度かの大火に見舞われ、現在の建物は1913(大正2)に竣工したものです。 |
旧相馬邸 | |
1908(明治41)年、基坂上に豪商相馬哲平の私邸として建築。延床面積680uの豪邸は函館を代表的する民間建築で伝統的建築物指定。2010年から一般公開。 |
諸術調所跡 | |
諸術調所とは、箱館奉行所の研究教育施設で、蝦夷地の開拓と警備に必要な人材育成を目指して、安政3年(1856年)に設立された。 教授は5稜郭設計で有名な武田斐三郎で、蘭学はもとより、測量・航海・造船・砲術・築城・化学などを教え、亀田丸でロシアまで操縦航海するなど実践を重んじた教育を行った |
函館聖ヨハネ教会 | |
四面の白壁に十字架をあしらい、函館山山頂やロープウエイに搭乗して眺めると、茶色の十字形をした屋根が印象的な建物です。 |
元町配水場 | |
1889(明治22)年、横浜に次ぐ国内2番目の上水道として開設。現在も西部地区への配水を担当。敷地内は一般開放され、春はソメイヨシノの桜が美しい。 |
函館市北方民族資料館 | |
上方に旧函館区公会堂が建つ基坂の麓に、まるで冷静に街を凝視しているかのような表情をした、コンクリート造りの建物があります。函館市北方民族資料館。かつての日本銀行函館支店です。明治時代後期から昭和初期にかけて、函館の金融街は末広町にありました。現在の電車通りに多くの銀行が建てられ、他のビルと連なる街並は、都会特有のオフィス・商業施設集合地域そのものでした。 |
相馬株式会社社屋 | |
1913(大正2)年築のルネサンス風事務所建屋。ぺディメント(西洋式切妻破風)など特異な意匠。基坂と電車通りの交差点に建ち、西部の街並みのランドマーク的存在。伝統的建築物。 |
明治天皇御上陸記念碑 | |
1878(明治9)年7月の明治天皇の函館上陸を記念し、1935(昭和10)年に建てられた碑。通算3度足跡が残されたことから、三蹤碑)という別名もある。 |
金森赤レンガ倉庫 | |
函館の西部地区にある赤レンガ倉庫は、長崎から来函し、輸入雑貨や船具などの販売を手掛けていた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年、既存の建物を買い取って営業倉庫業に乗り出したのが始まりです。海運の活況により、荷物の取扱量が年々増加していったため、倉庫の増築で営業規模を拡大していきました。 |
旧函館郵便局 | |
1911(明治44)年に函館郵便局として建てられた赤レンガの重厚な建造物。昭和58年から商業施設として民営化、現在はショッピングモールとして活用されている。 |
箱館高田屋嘉兵衛資料館 | |
「箱館発展の恩人」と称される豪商高田屋嘉兵衛は、私財すべてを投じて箱館の基盤整備事業を実施し、造船所を建設した。その生涯を通じた関連資料が展示されている。 |
日本最古のコンクリート電柱 | |
二十間坂を下った先、赤レンガ倉庫群近くにある角柱型の電柱は、大正12(1923)年建造の日本で最も古いコンクリート電柱。今も現役で使われている。 |
旧桟橋(東浜桟橋) | |
かつて、沖に停泊した連絡船からの上陸に用いられた桟橋。函館駅近くに鉄道桟橋ができるまで函館唯一の桟橋だった。現在はベイエリアの夜景を楽しめる絶好のスポットである。 |
北海道第一歩の地碑 | |
明治以降北海道の玄関口となった函館の上陸地が東浜桟橋(旧桟橋)。ここに開道100年を記念して1968(昭和43)年建立された記念碑。ヒグマと船のいかりがモチーフ。 |
函館八幡宮 | |
函館の夏の風物詩「函館八幡宮例大祭」で有名な函館八幡宮は、谷地頭から坂を上ってすぐのところにあります。室町時代の1445年に、亀田郡の領主・河野政通が初めて函館に館を築いた折、館内に八幡神を祀ったのが起源とされ、現在地には1880年(明治13年)に移りました。 |
立待岬 | |
市街地から見て函館山の左端に位置する立待岬は、海に突き出る形で海抜約30mの断崖がそそり立ちます。大森浜から湯の川温泉街へと通じる海岸線 と、津軽海峡を一望できる絶景の場所で、かつて、寛永年間には北方警備のため異国船の往来を監視する台場、明治時代には函館要塞の背後を防御する要塞が築かれました。 |
石川啄木一族の墓 | |
「死ぬ時は函館で死ぬ...。」石川啄木は、義弟の宮崎郁雨へ宛てた手紙の一節にこう書き残しています。26歳だった1912(明治45)年に、東京で病死した啄木。彼を慕う郁雨と、市立函館図書館の初代館長・岡田健蔵は、函館を永眠の地にすることで悲願を叶えます。 |
特別史跡五稜郭跡 | |
星型城郭で国の特別史跡に指定されている。戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となった。春は桜の名所、冬は堀がライトアップされる。2010年箱館奉行所が復元オープン。 |
箱館奉行所 | |
1854(安政元)年、開港場箱館に設置。1864年には五稜郭に移転、その後の箱館戦争を経て1871年に解体。2010年に部分復元が完成、内部が公開されている。 |
五稜郭タワー | |
五稜郭公園を眺望する107mの高さを持つタワー。2006年の建て替え後は、星形の五稜郭をしっかりと確認できるようになった。箱館戦争の歴史を語る展示物も興味深い。 |
史跡四稜郭 | |
1868(明治元)年の箱館戦争に際して旧幕府脱走軍が五稜郭の北方約3kmの高台に築いた西洋式の土塁跡。蝶の羽を広げたような形状。国指定の史跡。 |
函館朝市 | |
約250件の店舗が軒を連ねる函館朝市。海産物をはじめ野菜、果物、お菓子、珍味など、函館のありとあらゆる味覚が集まる食のワンダーランド。 |
土方歳三最期の地碑 | |
箱館戦争の末期、土方歳三が銃弾に倒れたとされる一本木関門跡に近い若松緑地公園に建つ。全国の土方ファンの手向ける花が絶えない。 |
函館空港 | |
道南の政治・経済・文化の中心地であり観光資源にも恵まれた函館市の中心部から約9km(バスで約20分)東方の海岸沿いの丘陵に位置している。函館の奥座敷である湯の川温泉からはわずかに4.5kmの利便性の高い空港である。 |
トラピスチヌ修道院 | |
日本初の女子観想修道院として1898(明治31)年に創立。現在の聖堂は1927年に再建。煉瓦の外壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的。 |
道の駅 なとわ・えさん | |
国道278号線沿い、活火山・恵山の登山口近くにある道の駅。後方にはは砂浜の海岸が続いている。物産館では昆布の特産品を多数販売している。 |
函館市 縄文文化交流センター |
|
北海道唯一の国宝「中空土偶」を常設展示する博物館。函館市内の遺跡から発掘された、縄文時代の石器や土器、装飾品などの遺物約1200点も展示。 |
道の駅 縄文ロマン 南かやべ |
|
「中空土偶」を常設展示する「函館市縄文文化交流センター」と一体となっている、国内唯一の「国宝のある道の駅」。地元の特産品と、縄文にちなんだアイテムを販売。 |
大船遺跡 | |
函館市中心部から約30kmの南茅部地区で1996年に確認された、縄文時代中期の大規模な集落跡。国の史跡に指定。大型竪穴住居跡は深さ2m、直径10mを超える。 |
北斗市 |
戸切地陣屋跡 | |
開港した箱館周辺の防衛強化を目的として現在の北斗市に1855(安政2)年、松前藩が築造した四稜星型の洋式城塞。内部に17棟の陣屋があったが箱館戦争時に焼失。 |
男爵資料館 | |
男爵いもの生みの親、川田龍吉男爵の農場後地を利用した資料館で、大正時代に建てられたキング型牛舎を利用した館内には、当時としてはたいへん珍しかったアメリカ製農機具や生活用品などの貴重な資料が展示されています。 |
トラピスト修道院 | |
1896(明治29)年創設された日本最初のカトリック男子修道院。函館から列車で約40分。敷地内工場で作られるバターやクッキーは有名。 |
木古内町 |
サラキ岬 | |
サラキ岬は、時に穏やかに時に荒れ狂う津軽の海に面した小高い岬であり、その岬にたつ時、函館山、青森県下北半島、そして矢越岬など、勇壮なパノラマを目にすることができます。 春には雲雀が巣作りして天高く舞い、様々な水鳥も見ることができます |
咸臨丸終焉の碑 | |
咸臨丸の偉大な功績を称えた咸臨丸終焉の碑です。 サラキ岬の先端に設置されており、咸臨丸が眠る岬の沖合を一望することができます。 |
サラキ岬チューリップ祭り | |
サラキ岬のチューリップ花園は、咸臨丸が木古内のサラキ岬に眠っていることを知った、当時のオランダ北海道人会会長の松本善之氏から 「咸臨丸終焉の地に誕生の地であるオランダの国花を植えてほしい」と咸臨丸の偉業と功績を讃えるためにチューリップの球根が贈られたことが始まりです。 |
知内町 |
雷公神社 | |
北海道最古の神社。1244(寛元2)年、大野了徳院によって創建され、別雷神(わけいかずちのかみ)という逓信の神を祀るところから、恋の成就・縁結びがかなえられると言い伝えられています。 |
道の駅 しりうち | |
国道228号に面し、青函トンネルの出入口にも近い道の駅 「しりうち」は、およそ800年の歴史を持つ同町の観光拠点にもなっています。敷地内には旧石器時代の墓と見られる日本最古の土壙が発見され、国の重要文化財に指定されています。 |
日本最古の墓出土地 | |
昭和58年湯の里4遺跡の発掘調査で、旧石器時代の墓と考えられる日本最古の土壙が発見され、そこからコハクや石製の小玉・垂飾・石刃・石刃核・細石刃など14点が出土しています。 |
七飯町 |
北海道昆布館 | |
昆布のオブジェがそびえたつコンブミュージアムをメインに、おぼろ昆布の製造工程を見学できる「昆布ファクトリー」、最新の映像&音声機器にて昆布に関する貴重な映像が観られる「イマジカドーム」、そして新鮮な昆布製品が所狭しとならぶ「コミュニティーマーケット」とまさに館内丸ごと昆布づくし! |
鹿部町 |
しかべ間歇泉公園 | |
地下26mから湧き上がり、周期的に地面から吹き出す間歇泉。同公園では、足湯で温まりながらのんびりと見物することができる。間歇泉の仕組みを解説した資料館も併設。 |
森町 |
オニウシ公園 | |
町名の由来でもあるアイヌ語の「オニウシ」を名とした広大な都市型公園です。国道沿いにあることからドライブの休息ポイントとしても最適で、併設されている道の駅「YOU・遊・もり」からは、噴水モニュメントを中心とした公園全体と秀峰駒ケ岳また、晴れた日には、羊蹄山や有珠山まで360度の大展望を楽しむことができます。 |
道の駅 YOU・遊・もり | |
国道5号線沿い、森町にある道の駅。町の特産品が売られている直売所やメニュー豊富なレストランがある。屋上の展望スペースからは、駒ヶ岳や噴火湾などが見渡せる。 |
道の駅 つど〜る・プラザ・さわら |
|
秀峰・駒ヶ岳の麓にある道の駅。360度の大パノラマを楽しめる展望ホールや特産品を販売する物産館がある。ブルーベリーソフトや道の駅弁「さわらの帆立めし」が人気。 |
東蝦夷地 南部藩砂原陣屋跡 |
|
幕府は安政2(1855)年4月、仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じた。 南部藩は箱館表出崎の警衛を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別まで一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、砂原分屯所(南部陣屋)は安政3年には四軒町にあり兵隊約50名、砂原は市中と神社脇や駒ヶ岳のふもとに小屯(見張所)をおいた。 |
長万部町 |
ヲシャマンベ陣屋跡 | |
安政3年(1856年)、江戸幕府の時代。幕府に命を受けた南部藩が、蝦夷地警備のために南部室蘭陣屋のヲシャマンベ分屯所として設置。 |
飯生神社 | |
長万部駅から徒歩圏内の「飯生神社」は1773年(安永2年)に建てられ、例大祭は毎年8月11日。 この神社は、京都伏見稲荷大社が大元のようですが、御祭神は、天照大神、大国主命、倉稲魂命。 |