尾張旭市 |
直会神社 | |
白鳳5年(676)に天武天皇の大嘗祭がおこなわれ、その悠紀斎田がこの地(尾張国山田郡)にあったと伝えられています。大嘗祭とは、天皇が即位したあと、その年にとれたお米などを神様に供える祭りです。 |
瀬戸市 |
瀬戸蔵 | |
産業観光の拠点施設として瀬戸焼の総合ミュージアムをはじめ、やきものショップやレストランもあります。ミュージアムは<瀬戸の20世紀>をテーマに石炭窯や陶房などを復元しています。 |
旧蔵所交番 | |
1939年に建てられ、瀬戸市の名物になっていた蔵所交番が2003年12月、瀬戸市末広町に移築復元され「せと案内処」として観光情報発信基地の機能を果たしていましたが、2008年4月、「らくちん」と改称、リニューアルオープンし、機能を拡張させました。 |
招き猫ミュージアム | |
招き猫ミュージアムは、「日本招猫倶楽部」の世話役をつとめる板東寛司・荒川千尋夫妻の個人コレクション数千点を展示する、日本最大の招き猫博物館です。 |
長久手町 |
愛・地球博記念公園 | |
「2005年日本国際博覧会(愛・地球博)の主会場は、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)として生まれ変わりました。約194ヘクタールの広大な敷地を有し、園内には自然やユニークな施設が配置され、年間を通じて100万人以上の人が訪れています。 |
サツキとメイの家 | |
愛・地球博(愛知万博)の森の中に再現された、映画『となりのトトロ』の主人公サツキとメイが暮らす昭和30年代の家。愛・地球博開幕中の超人気施設。モリコロパークオープンとともに再オープンし昭和30年代の家を体感できます。 |
春日井市 |
味美二子山古墳 | |
味美二子山古墳は、春日井市で最大の規模を誇る、盾形の周濠をもった墳長94mの前方後円墳です。昭和11年に国の史跡に指定されました。 平成3・4年に公園整備に伴う発掘調査が行われ、現周濠の外側に溝が確認されました。溝からは大量の埴輪や須恵器が出土しました。 |
御旅所古墳 | |
二子山公園の一角にある墳径約31メートル、高さ約2.9メートルの円墳で、公園に隣接する白山神社(味美白山神社古墳)の西南約80メートルに位置する。名称は白山神社から神輿渡御が行なわれる御旅所であったことに因む。 |
白山神社古墳 | |
前方後円墳で、古墳全体が白山神社の社地であり、社殿が置かれているため墳頂部周辺に改変が見られる |
白山神社 | |
万治2年(1659年)、味鋺村にあった白山神社を現在の地に遷座し、それまで鎮座していた物部神社が合祀されたという。可美真手命が物部神社の祭神。 |
津島市 |
津島神社 | |
津島神社は古くは津島牛頭天王社と申し、今日なお一般に「津島のお天王さま」と尊称されております。社伝によれば欽明天皇元年(西暦540)にご鎮座され、その後弘仁元年正一位の神階と日本総社の号を、一条天皇の正歴年中には天王社の号を賜わり、諸国の天王社の総本社で、全国に約三千のご分霊社があります。 |
宝寿院 | |
宝寿院の庭は 季節の花々の中に お釈迦様の世界を 現しています。 阿吽の象さんの山門は 誕生から涅槃を示し 人の一生の幸せを祈っています。 これは お釈迦様の母 麻耶夫人が ある日 白象の夢をご覧になり 懐妊されお釈迦様が誕生されたという故事より製作されました。 |
小牧市 |
田縣神社 | |
当神社は、古来より五穀豊穣、家業繁栄、開拓の祖神として崇められております。特に大同二年(807)に編纂された古典『古語拾遺-御歳神の条-』の故事に基づいて男茎形を奉納し祈願する俗習があり、「産むは生む」に通じて、恋愛、子宝、安産、縁結び、夫婦円満、商売繁昌、厄除開運、諸病の平癒の守護神として、全国の崇敬者から格別の崇敬を受け、また世界各国の人々から注目される神社でございます。 |
犬山市 |
犬山城 | |
犬山城は豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存する日本最古の木造天守閣です。 |
針綱神社 | |
延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本には従一位針綱明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座せされ東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でありました。 |
三光稲荷神社 | |
創建は明らかでないが、天正14年(1586)の伝承があり。犬山城内三狐寺山に鎮座せられ(現在の丸の内緑地公園内)、古きより織田信長の叔父織田信康公の崇敬殊に厚く、また犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の祈願を籠め数々の神宝を寄進される。 |
犬山神社 | |
成瀬正成以降の歴代犬山城城主を祀るほか、戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者を祀る。 |
からくり展示館 | |
あの「茶運び人形」の実物が見られる場所がここ。犬山祭の車山(やま)に関する貴重な歴史資料も間近で眺められます。 |
犬山市文化史料館 | |
城下町犬山には先人が残した多くの文化財があり、それらを訪ねるたくさんの方々をお迎えしています。犬山市文化史料館は、そうした方々に犬山の文化財のいく つかをより詳しく、より深く鑑賞していただくため、昭和62年に犬山市の文化施設の一つとして竣工しました。 |
本町車山蔵 | |
車山蔵とは、犬山祭の車山を保管しておくための蔵です。 本町の車山蔵は、明治42年(1909年)に建築されたもので、登録文化財に指定されています。 |
犬山城下町 | |
犬山城下町は総構えと呼ばれる、城と城下町の外周を堀で囲い込んだ城郭構造をそのまま残した、歩いて楽しい町です。ありのままの犬山城下町をごらんください。 |
札の辻 | |
この場所が「札の辻」とよばれ御高札が立っていた場所であり、ここを初め、采地の要路にあった。 切支丹の禁制を始め、治安、道徳、倹約、金銭、商売、労銀等に付けて、絶えず掲示されたが、尾張藩の奉行の名に依って指令されたものを、成瀬、竹腰の連名又は成瀬が副署したものである。 |
高木邸 | |
本町通りは、犬山城の正面通りとして町をにぎやかにするため、呉服屋、酒造業など商店を多く配置して城下町の中心とした。その中央の中本町に、大正元年(1912)に建てられた「高木邸」が残っている。平入りの大型の町家で、二階を半間引っ込めて建て、庇を付けた中塗り仕上げの塗籠である。高木家は、昭和10年頃まで酒造業を営んでおり、酒造業としての部屋の配置と外観を残している。 |
先聖寺 | |
当寺は禅宗黄檗宗(本山宇治の萬福寺開山隠元大和尚)の末寺である。 延宝四丙辰年(1676年)名古屋竹屋町より浄土真宗泉正寺という潰寺の号譲り受け、開山上州黒龍山不動寺潮音道海大和尚とし、開基はその弟子玉堂大和尚を請け熊野山先聖寺と称した。 |
扶桑町 |
楉埜神社 | |
創立年代は明らかではないが、尓波県連苗裔である?埜神社神主村瀬宮内が記した、「尾張州従三位下埜天神住吉大明神詞記」に、慶雲・大宝年代(701~707)以前の創建とある。 |
江南市 |
北野天神社 | |
この北野天神社は菅原道真をおまつりした神社で「北野の天神さん」の愛称で親しまれ、学問の神として尊ばれてきました。 |
岩倉市 |
神明大一社 | |
この地は神宮雑書に見る如く、鳥羽天皇奉献の神領の地であり、永久(平安時代)以前より、伊勢の神宮を勧請奉斎された神明社であります。 戦国時代は戦乱の巷と化し、社殿も、織田信長による岩倉城攻と同時に炎上の憂に遭遇しも、文禄三年に再興されました |
山内一豊誕生地碑 | |
山内一豊公は、天文14年(1545年)7月岩倉城の家老但馬守盛豊公の子として、岩倉の地に誕生しました。 山内一豊誕生地碑は、一豊公の父盛豊公が「武運長久を祈って社を建てた」という由緒により、昭和9年に神明生田神社境内に建てられました。 |
神明生田神社 | |
岩倉駅東に鎮座する。当初の鎮座地は、小字丸之内にあり、岩倉城の築城された文明10年(1478)頃以降に、城内へ生田神社が勧請さた。天文23年(1554)岩倉城主織田信安の老臣山内盛豊が勧請したと伝えられる。 |
豊明市 |
桶狭間古戦場伝説地 | |
織田信長が天下布武への糸口をつくった今川義元との戦いの地。 昭和12年国指定史跡 毎年6月第1日曜日には桶狭間古戦場まつりが開催されます。 |
高徳院 | |
高野山真言宗、桶狭間本山。弘仁元年(810)開創以来高野山上にあり、明治27年(1894
)諦応が本尊および寺名をこの地に移し本堂を建立して安置した。開基、智泉大徳。 |
豊山町 |
八所神社 | |
桓武天皇の時代の記録に既にありこの地方開拓の祖、物部氏の氏神であったと言われている |
常安寺 | |
豊山町の基盤を作った織田氏家臣溝口蔵田により開基 |
北名古屋市 |
高田寺 | |
入母屋造り・檜皮葺きのこのお寺は建築年代は不詳とされていますが、様式手法によりおそらく鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて建立されたものだと推定されています。 |
白山社 | |
社伝によると天文14年(1545年)の建立といわれます。その後、寛永15年(1678年)、元禄2年(1679年)に修理の手がくわえられましたが、向拝柱、斗きょう、手挾、木鼻などに当初の様式手法をよくとどめています。 |
清須市 |
清須城 | |
現在の清洲城天主閣は平成元年に再建された建物で、ふれあい郷土館として郷土文化・文化・歴史・産業展示室を設け、芸能文化館・黒木書院、日本庭園・土蔵・大手門等が作られました |
清洲古城跡公園 | |
清洲城天主閣の対岸に位置し、清須越の後、現在まで清洲城跡地として保存されています。 |
あま市 |
七宝焼ふれあい伝承館 | |
作品鑑賞・製作工程の見学・製作体験・各種イベントなど「七宝」に関する情報と設備がそろい、見て・触れて・学び・体験することができます。 |
甚目寺観音 | |
尾張四観音の筆頭として尊崇を集めてきた鳳凰山甚目寺は、甚目寺観音の名で町内外を問わず広く親しまれています。初観音、節分、桃十日には、遠来の参拝客で賑い、全国有数の高さを誇る三重の塔は、国の重要文化財に指定され、町のシンボルとして町章のデザインにも使用されています。 |
漆部神社 | |
三見宿称命は火明命の五世の孫で尾張氏と同族、漆部の祖神。漆部とは漆を栽培、採取し、漆製品を製作する氏族のこと。尾張氏とともにこの地方へ移住し、この地に神社を建て祖神を祀ったという。 |
大治町 |
明眼院 | |
明眼院は平安時代の802(延喜21)年に僧聖円により開基された天台宗の寺院です。 創建時の正式名は五太山安養寺。 最初は仏法を学ぶ大道場として知られるようになったそうです。 |
蟹江町 |
地蔵寺 | |
県指定文化財の絹本著色文殊菩薩画像、絹本著色千手観音画像を所蔵する真言宗の寺院です。 本尊の地蔵菩薩は聖徳太子の作と伝えられています。 |
龍照院 | |
天平5年に行基菩薩によって創建されたといわれています。本尊の木造十一面観音立像は胎内に寿永元年(1182)の墨書の銘があり、国の重要文化財に指定されています。また、鰐口、大日如来坐像、太閤お手植えの銀杏が町の文化財になっています。 |
冨吉建速神社・八剱社 | |
天平5年に創建、木曽義仲が再建、織田信長が社殿を造営したといわれています。 富吉建速神社本殿は一間社流造・桧皮葺、八劔社本殿は、三間社流見世棚造桧皮葺で、それぞれ室町時代の特色をもった建物で国の重要文化財に指定されています。 |
飛鳥村 |
飛島村大宝排水機場保存館 | |
大宝新田は飛島村で最も古く、元禄6年に開拓されましたが、地震などで地盤が沈下、干拓を利用しての自然排水ができなくなり、長い間湛水被害に苦しんできました。 こうした窮地を救うため、明治39年に完成したものが大宝排水機場です。 |
飛島善光寺 | |
明治38年2月15日建立。大正元年、同10年秋台風被害深し。昭和19年12月7日南海大地震にて損傷を受ける。このように種々の天災のため、昭和34年5月本堂大屋根銅板葺替。同年9月伊勢湾台風にあうも今日に至る。 |
弥富市 |
立田輪中人造堰樋門 | |
排水に苦慮した立田輪中普通水利組合は、木曽川改修工事の行われた明治35年(1902年)にこの樋門を完成させた。しかし、排水の効果は十分得られず筏川を利用し排水することになった。 |
愛西市 |
船頭平閘門 | |
船頭平閘門は、愛知・岐阜・三重の三県県境付近の福原地先にあります。 明治の河川改修によって、木曽川と長良川が分流されました。当時は水上交通が盛んであり、水位が違う木曽川と長良川を渡るための施設として、明治35年に閘門が建設されました。 |
木曽川文庫 | |
木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川に関する各分野の図書、研究論文などの収集保存を行なっている。 |