佐世保


佐世保市

三浦町教会
佐世保の玄関を飾るシンボルとして親しまれている佐世保駅のすぐそばのカトリック教会です。第二次世界大戦中は、空襲の目標になりにくいように、真っ黒く塗られたこともありますが、昭和5(1930)年に建築された当時の美しい姿を今に伝えています。

海上自衛隊佐世保史料館
佐世保は古くから海上防衛の役割を担ってきた街です。戦後も昭和28年に海上自衛隊佐世保地方総監部おかれました。この資料館は、旧海軍将校の社交場だった水校社という石造りの建物を一部に残した近代的なフォルムで、帆をイメージしたデザインから「セイルタワー」という愛称で親しまれています。
展望ロビーをかねた最上階の7階から見て回る展示となっており、グラフィックや、ジオラマ、映像を駆使した分かりやすい展示で、佐世保の歴史を探ります。

海上自衛隊艦艇一般公開
普段なかなか見ることの出来ない、海上自衛隊の艦艇が、一般公開されます。
佐世保を母港とする「あぶくま型護衛艦」「はつゆき型護衛艦」のうちいずれか一隻を見学する事が出来ます。甲板までは乗船することが出来、写真撮影も自由。
倉島基地内にある売店では、グッズも販売されています。

亀山八幡宮
神社に伝わる由緒によれば、天武天皇白鳳4年に神託により宇佐神宮から分霊を迎えたのが始まりという。その後江戸時代にかけて領主松浦氏の崇敬を受け東彼杵郡48ヶ浦の総鎮守として重んじられた。明治時代以降は軍港佐世保の鎮守神として海軍将兵の信仰も集めたが、1945年6月の佐世保空襲で社殿を焼失した。現在の社殿は戦後の1964年に再建されたもので鉄筋コンクリート製。

めがね岩
高さ10m、横幅20mのびょうぶ状の岩に、巨大な穴が自然にくり抜かれて眼鏡状になった奇岩で、鬼が作ったと言う伝説があります。

泉福寺洞窟
郊外の住宅地の近くにあり、この洞窟から1973年に発掘された土器は世界の歴史をぬり変える大発見でした。
その土器は「豆粒文土器」と言い、今から1万2千年以上も前の新石器時代のもので国の重要文化財に指定されています。

西海パールシーリゾート
遊覧船「パールクイーン」をはじめとする西海国立公園「九十九島」を楽しむ様々なクルージングがここから発着しています。
パールシーセンター内には水族館、船の展示館、アイマックスドームシアター、などの体感施設で遊んだり海辺のログデッキを散策したりとゆっくり過ごせるスポットです

九十九島遊覧船
パールクイーン
緑の島々の間を縫うように進く白く輝く遊覧船。その名も「パールクィーン」。
海の女王をイメージした名前のとおり、優雅な白い船体に木目調の落ち着いた装飾が施されています。
広々とした船内はバリアフリー構造で、2階甲板には貸し切りパーティーや、ミニイベントができるスペースやドリンクコーナーもあります。
ゆったりくつろぎながら快適なクルーズをぜひお楽しみ下さい。

九十九島
佐世保港外から北へ25キロ、平戸瀬戸まで連なる大小およそ208の島々を九十九島といい、島の密度は日本一と言われています。佐世保近海の島々は特に「南九十九島」と呼ばれ、一つ一つの島が独特の表情を持ち、とりわけ美しい海域です。
九十九島へは「西海パールシーリゾート」から遊覧船が運航しております。また、市内の4つの展望台からの眺めも格別です。

船越展望所
西海パールシーリゾートから亜熱帯動植物園へと向かう道の途中にある展望所。海がすぐそこに迫っているので、他とは違う迫力があります。ここから見る九十九島は雨の日もまるで墨絵のような美しさ。
どんな天気でも晴らしい九十九島が楽しめます。

石岳展望台
佐世保在住のカメラマンなら必ず行ったことがある、九十九島夕景の一押し撮影ポイント。夕日が落ちるポイントと島影の構図が芸術的。
佐世保市亜熱帯動植物園駐車場の横から車でかなり上まで登って行けますが、最後は徒歩で山道を数分歩きます。

花みずき温泉サスパ
潮湯、冷泉、海を望む広々とした大浴槽、サウナがある24時間営業の健康ランド。イオンを多量に含む良泉は新陳代謝や発汗作用を高め、リラクゼーション効果がある。

化石漣痕
第三紀層に見られるものです。海岸近くの水底の砂上にできる高低のある波蓮痕は、波状の模様で、その断面の形は波頂を境にして左右対称になっていることと、波長が数センチから十センチであることが特徴で、河水や海水の流れによって生ずる流痕とは違っています。

西河内橋
大正9年(1920年)7月に、八幡崎新田の堤防に架橋された小佐々町唯一のアーチ型の石橋。アーチの形が川に映ったときに円になり、太鼓のように見えるので太鼓橋と呼ばれるようになった。

神崎鼻公園
神崎鼻は、東経129度33分18秒、北緯33度12分51秒に位置し、「日本本土最西端のシンボル塔」がそびえる神崎鼻は、西海の海に抱かれた景勝の地。その澄みきった青い海に釣糸をたれる磯釣り客も多く、西北の海上に五島列島、平戸島を望むことができる。

鹿町町

長串山公園
西海国立公園・北九十九島を一望できる長串山(標高234m)は、長崎県北部の歴史の町「平戸」とハウステンボスで有名な「佐世保」とのほぼ中間に位置し、それぞれ1時間以内で足を延ばすことのできる絶景の地にあります。
久留米ツツジ、平戸ツツジをはじめとする10万本のツツジと北九十九島が織りなす景色は絶景です。

大野台支石墓群
支石墓は大陸文化の影響を受けて、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけて作られた墳墓で西北九州に多く分布する。県内では本支石墓群の他に15ヶ所が確認されており、群をなす特徴をもっている。 本遺跡は江迎湾に注ぐ鹿町川南岸、標高70〜80mの玄武岩大地上にあり、その規模は原山支石墓群とともに最大級を誇る。

江迎町

寿福寺
真言宗智山派、栄久山。水掛地蔵。寛永11年(1634)寿福寺建立。享保2年(1717)寿福寺は長福寺とよんでいたが栄久山寿福寺と改める。享保4年(1719)寿福寺本堂再建。500年前から毎年、8月23日24日の両日は、地蔵盆千灯籠まつりで子供達が水掛地蔵をかついで町内を練り歩く奇祭が行われる。九州八十八ヵ所第76番札所。

六地蔵
六地蔵信仰は平安時代に始まり、鎌倉時代に入って全国的な広がりを見せた。江迎町に現存する六地蔵は、室町時代のものと思われるが、由来等は不明である。

七腕の宝筐印塔
町内数箇所に残っている宝筐印塔は室町時代のものと思われる。

潜竜ヶ滝
文政十二年、平戸藩主観中公が「潜竜」と命名し、周辺を神域と定め、鳥居、石垣などを整備したと言われており、今も鳥居にかけられた観中公直筆の石額が、二基の石灯篭と共に残されています。

御橋観音寺
真言宗智山脈、石橋山。開創、養老年間(717〜724)行基。この寺の境内に長さ27m、幅3.6m高さ18mの天然の大石橋がある。渡ることはできないが、自然の不思議な造形に驚く。また、境内一帯にシダ植物の群生があり国の天然記念物に指定されている。 春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪の観音と山水画のような四季が楽しめます。

佐々町

三柱神社
三柱神社の創建は古く、貞元2年(977)埼玉県大宮市の氷川神社より三柱(三体の祭神)を分霊し、古川岳に祀ったことに始まります。その後、佐々川北岸、里村山王山、羽須和免大宮原そして羽須和免社ノ元へと遷座しました。その歴史は実に1030年にも及び、とても由緒ある神社なのです。

潮土肥跡
文明3年(1471)、平戸から進出してきた松浦豊久は佐々川の流れを現在の古川橋付近から西方の古川岳山麓に寄せる築堤工事に取りかかり、五年の歳月をかけて里田原(現本田原免)約30町歩の干拓を完成させた。
この時、国道204号線と佐々バスセンターを東西につなぐ道路とほぼ重なる位置に築かれたのが潮土肥である。

波佐見町

中尾山交流館
陶郷中尾山に関する資料や古陶磁器をはじめ、中尾山にある各窯元のオリジナル作品が並ぶ小さなギャラリーがあります。
中尾地区の自治会公民館と兼ねており、中尾地区の方々によって運営されています。
土曜日と日曜日は中尾山の窯元が交替で皆さまを迎えします。

波佐見金山跡
波佐見金山の発見者は湯無田郷の山本作左衛門です。明治29年のことです。明治43年日本興業銀行の直営となり、火力発電所が建設され、さらに精錬所は拡張され、最盛期を迎えました。従業員は1000人を越え、毎日100台からの馬車が有田から石炭を運びました。内海は飲食屋、商店でにぎわいました。

長田山窯跡
長田山窯跡は、平成8年(1966年)に発掘調査が行われました。その結果、窯の保存状態が非常によくまた主に青磁の大皿や高炉など生産していたことがわかりました。窯が使用されていた年代は、1690年代から1740年代ころと推定されています。長田山窯跡は18世紀前半代の青磁を知るうえで非常に重要な窯であると言えます。

やきもの公園
陶芸の館に隣接しており、「波佐見陶器まつり」や「はさみ炎まつり」が行われます。
また、施設内には、古代から近世にかけての世界を代表する窯12基を再現した世界でも珍しい野外博物館「世界の窯広場」があります。

鬼木棚田
鬼木は虚空蔵火山の裾で馬蹄形に開けたところですが、その斜面には石垣で畔を築き、棚田が段々に重なっています。最近の圃場整備で、田の広さや形は耕作に便利となりましたが、下の開田から見上げると山裾まで何十段重なっているでしょう。始めて見る人は、その見事さに目を奪われます。日本の「棚田百選」に選ばれました名勝地で、四季の変化は訪れる人の心をなごませてくれます。

百貫西窯跡
皿山日記によれば、「百貫西窯跡は、元禄十年(1697)に創始した」とされています。

畑ノ原窯跡
慶長4年(1599)大村藩に気化した李祐慶は村木郷の畑ノ原・不動佐・古皿屋・脇ノ谷に朝鮮式連房登窯を築いて陶器を焼きました。その後、磁器の原料を三股郷喉口と井石郷高羅越に発見し、何度も試験を繰り返し遂に磁器を作ることに成功しました。それらの窯跡群の中で400年の歳月がたった今でも、原型を昔のまま残しているのが畑ノ原窯跡です。磁器窯としては日本で最も古く考古学的にも貴重なものです。技術的に見ても成形、釉薬、ゴス染付文様等、日本で初めて作られた立派な遺品の多いことに驚きます。

東彼杵町

ひさご塚古墳
長崎県の代表的前方後円墳で、ひょうたんの形をしているので「ひさご塚」と呼ばれています。
内部の構造は、破壊されていたしたが竪穴式石室と考えられ、その形式の古さから5世紀の築造とされています。後円部は2段に築かれ、埴輪列はみとめられませんが側面は葺石で覆われていました。副葬品は盗掘により現存しませんが、鉄刀や玉類が出土したと伝えられています。
また大和朝廷の下で大村湾周辺の地方を治めていた首長の古墳と考えられています。

兵五郎どん
その昔、兵五郎どんと呼ばれる人がいました。この兵五郎どんは、修行のため全国行脚されていました。
ところが、彼杵へ来た時、足・腰などが痛くなって行脚ができなくなり、そのまま彼杵に住まわれるようになりました。

道の駅 彼杵の荘
「道の駅」彼杵の荘は、長崎県のほぼ中央に位置する玄関口として国道205号沿いにオープンしました。長崎市やハウステンボスへの観光ルートの中に特産品販売の物産館、隣接する歴史民俗資料館、文化伝来の道「長崎街道」など、新しい歴史と文化の交流スポットです。

川棚町

常在寺
毎年7月に祇園祭を開催します。
御輿をくぐると1年中病気をしないと言われるこのお祭りは、“ぎおんさん”の呼び名で親しまれ300年近く続いている伝統行事です。百津浮立や木場浮立などの行進浮立もみられます。

大崎くじゃく園
インドクジャク約400羽,ポニー,うさぎ,水鳥が放し飼いされている。クジャクは,昭和38年,日印親善を記念してインドから寄贈された。周辺にはキャンプ場,海水浴場,国民宿舎,川棚大崎温泉しおさいの湯、花の階段,かぜの広場,サイクルモノレール,ゴーカート,バッテリーカー,冒険の森,野鳥の森等がある。

西海市

西海橋
西海市への東の玄関口として、佐世保市針尾とをつなぐ橋として利用されてます。赤いアーチ型の橋に周辺の緑と、四季折々に咲く花々たちの彩りに合わせ、濃紺の海と渦巻く潮流が重なり合います。特に桜が開花する頃になると潮流も激しさを増し、見事なコントラストに何とも言えない情景を堪能することができます。

新西海橋
県内2時間交通圏を目指し、長崎市と佐世保市との連携強化による産業・経済の発展、人口の定着による生活環境の改善、地域活性化の原動力として、またハウステンボスや西海橋公園などのリゾート開発を支援し、施設利用の際の交通混雑の解消に貢献するために作られました。





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