西讃


観音寺市

銭形
有明浜の白砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えます。一般には、寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたといわれ、他に類を見ないものといえます。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなると伝えられ、多くの人がこの地を訪れています。

琴弾公園
瀬戸内海国立公園にも含まれる名勝琴弾公園。園内に砂絵「寛永通宝」があり、白砂青松の有明浜と松の美しい琴弾山々頂からの展望が見所となっています。園内にある琴弾八幡宮や神恵院・観音寺等も合わせると約48haの広さを持ち、名所旧跡が点在しています。琴柱池周辺には、桜やツツジ、フジ、サザンカの花が季節を彩ります。

琴弾八幡宮
大宝3年(703年)嵐が続いた後、琴の音が海から聞こえました。船上の人に尋ねると「われは八幡大神である」とのこと。この琴を弾く八幡様を祀るための神殿が琴弾八幡宮です。381段の階段を上がると本殿があります。

観音寺
観音寺は、八幡宮の別当として建立されました。ここに弘法大師が住職の時、本尊として観音様を安置して、観音寺と改めたそうです。

神恵院
四国霊場八十八ケ所では、琴弾八幡宮が六拾八番、観音寺が六十九番札所でしたが、明治のはじめ、神仏分離により八幡宮の本地仏を観音寺内の神恵院に移しました。そのため、神恵院が六十八番札所となり、観音寺は珍しい1寺2霊場となったのです。

萩原寺
萩の名所として知られる萩原寺は、大同2年(807)弘法大師によって開基されたと伝えられ、平安時代には仏法興隆の一大拠点となりました。江戸時代には末寺280余ヶ寺を統轄した本寺として、輝かしい歴史を持っており、現在でもその名残りを見ることができます。

豊稔池堰堤
堤長145.5m、堤高30.4mのコンクリート造溜池堰堤で、両端部を重力式、中央部が5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式で、その先駆的かつ希少な構造形式は農業土木史上価値が高く、また、昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を示しており、平成18年12月19日に重要文化財(建造物)に指定されました。

豊稔池
当初、池の名称は「田野々池」でありましたが、昭和4年5月に三土忠造大蔵大臣が現地視察をした際に「豊稔池」と命名されました。

五郷ダム
五郷ダムは、下流域の洪水調節および水不足の解消などのために、昭和36年に建設事業に着手し、39年度に完成しました。

雲辺寺ロープウェイ
雲辺寺ロープウェイは、全長約2,600m、山麓駅から山頂駅の高低差約660mを毎秒10mというスピードで山頂に到着する日本最大級の規模を誇るロープウェイです。

雲辺寺ヶ原史跡広場
明治時代には、日本陸軍善通寺駐屯の第十一師団の山砲射撃場が設置され、谷間に砲声がこだましました。現在広場に遺されているのは、昭和初期に建設された監的所で、砲弾の着弾地点を観測していたようです。

三豊市

本山寺
大同2年(807)、弘法大師空海によって建てられたと伝えられる本山寺は、四国88ケ所霊場第70番札所として、多くのお遍路さんが訪れます。
広々とした境内には国宝の本堂、国指定重要文化財の二王門をはじめ、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂、慰霊堂、鐘楼、客殿、庫裏が整然と並んで、まさに大寺の風格を示しています。

大興寺
縁起によれば、弘仁十三年(八二二)嵯峨天皇の勅命で弘法大師が熊野三所権現鏡護の霊場として開創し、ご本尊の薬師如来を彫刻して安置された。後に真言、天台の二宗によって管理され、真言が二十四坊、天台は十二坊あって本堂の左右に真言、天台の大師堂があった。

弥谷寺
死者の霊魂が行く山といわれる弥谷山にある弥谷寺は、一般に「いやだにさん」と呼ばれ親しまれています。天平年間に行基が開山し、弘法大師が幼年期に修行を積んだ「獅子窟」や、賽の河原、五輪塔などが残されています。
また、岩という岩に弘法大師が仏像を刻んだといわれ、県の史跡に指定されている磨崖佛も残されています。

道の駅 ふれあいパークみの
弥谷山ふれあいの森の中心にあり、ドライブの途中、弥谷寺の参詣、コスモランドみのの休憩場所として気軽に利用できます。休憩・ランチにお勧めの喫茶「タイム」、町名産品やお土産品が並ぶ売店があります。





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