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葵区 |
駿府城跡 | |
徳川家康は将軍職を秀忠に譲り、駿府に移り住みました。慶長12(1607)年,家康は、輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には5層7階の勇壮な天守を配置した城を全国の大名に命じて(天下普請)築城させました。 |
駿河区 |
登呂遺跡 | |
登呂遺跡は、静岡市にある弥生後期の集落遺跡で、杭や矢板をならべて区画したたくさんの水田跡、住居跡、高床倉庫跡などがあり、弥生農村の実態がわかります。 |
登呂博物館 | |
登呂遺跡から発掘された出土遺物の展示を中心とし、「登呂ムラと稲作」と「登呂遺跡の記憶(登呂遺跡の歴史)」を主なテーマとした展示を行っています。 水田稲作を営む農村であった登呂ムラで展開した弥生文化、登呂遺跡の発掘調査や保存設備がもたらした学史的意義・社会的意義、弥生時代から鮮やかに蘇った登呂遺跡の実像についてより深く理解していただきます。 |
清水区 |
由比本陣公園 | |
江戸時代、参勤交代の大名宿である「本陣」や「脇本陣」があった東海道由比宿。現在は公園として整備され、一般に公開されている。 |
東海道広重美術館 | |
東海道広重美術館は、由比本陣公園内にあり、浮世絵師・歌川広重の作品を中心に収集・展示する世界で最初の美術館です。美術館内は「由比の自然と歴史」「東海道の宿場町・由比」「広重と浮世絵の世界」の3つのテーマペースが設けられ、江戸庶民文化の世界へと誘ってくれます。 |
御幸亭 | |
由比本陣には明治天皇が三度ご小休され、その離れ座敷を記念館として復元した。又亭内には数寄を凝らした茶室を備えた伝統的な和風建築となっている。 |
おもしろ宿場館 | |
由比は旧東海道十六番目の宿場町。 旅籠に、桶屋に、寺子屋などなど、上り下りの旅人で賑わった由比宿の町並みを再現。 本陣奥間には、参勤交代のお殿様やお姫様。豪華絢爛な大名駕籠や家臣もいっしょにご宿泊。 |
由比正雪生家 | |
由比正雪の生家。江戸時代より十八代つづく今も現役の染め物屋。季節を題材にした手拭やハンカチ、手作りのバッグなど取り扱っています。また、由比家は代々本陣職を勤めた古いお家柄。 |
脇本陣 羽根ノ屋 | |
脇本陣とは、副本陣という意味です。由比宿には脇本陣を交代でつとめた家が三軒ありまし た。そのうち江戸時代後期になる頃、徳田屋に代わって、つとめたのがこの羽根ノ屋とおも われます。この羽根ノ屋は、江尻宿脇本陣羽根の屋の分家で、寛政5年(1793)幕府に脇本 陣を願い出たことが史料にあります。 |
梅蔭禅寺 | |
臨済宗妙心寺派に属し、足利時代創建の古いお寺です。次郎長、大政、小政などの墓があり、侠客としては全国で唯一となる次郎長の銅像が建てられています。 |
清水次郎長の墓 | |
「侠客次郎長の墓」は幕臣から明治政府の郵政大臣を勤めた榎本 武揚の書によるものです。 |
万霊塔碑 | |
天明二年、回船問屋播磨屋作右衛門が干潟を埋め、新田を造成した際、たくさんの人骨が出たのでこの霊を慰めようと法要後、万霊塔を建立した。 |
吉田町 |
展望台小山城 | |
現在、能満寺山公園となっている場所は戦国時代に武田氏の平山城が築かれていた所。永禄11(1568)年、武田信玄は遠江をおさえる第一歩として、この地に砦を築きました。その後、元亀2 (1571)年、城郭を備えて新たな名前を付けたのが「小山城」です。 |
能満寺 | |
本堂前にある蘇鉄は、長徳元(995)年頃、安倍晴明が中国から持ち帰り、植えたものとされます。高さは約6m、幹の太さは約5mにも達し、日本三大蘇鉄に数えられています |
焼津市 |
焼津神社 | |
日本武尊が東夷御征討の折、この地で野火の難に遭われた際、天叢雲の剣で草を薙ぎ向火を放って、悉く賊徒を討滅されたという御事蹟を伝えます。創建は、駿河国風土記によれば、反正天皇4年(409)といわれています。古来、入江大明神とも称され、8月の例大祭は「東海一の荒祭」として有名です。 |
藤枝市 |
志太郡衙跡 | |
国史跡志太郡衙跡は、昭和52年、住宅団地の造成工事に伴って発見された遺跡で、掘立柱建物や門、板塀、井戸、道路などの遺構群が検出されました |
島田市 |
大井川川越遺跡 | |
江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。その「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現したのが、この遺跡です。 |
川合所 | |
東海道最大の難所であった大井川の川越があります。その大井川を越えるための料金所がこの川合所です。 見学自由で、中には大高欄輦台や半高欄輦台が展示されています。 |
八重枠稲荷神社 | |
八重枠稲荷神社は、宝暦十年(1760)に川越しの事故で亡くなった人々を供養するため建立され、社殿は文化九年(1812)と明治三十四年に修繕されたが、礎石は建立当時のままで、大井川の川石を亀甲形に加工して積み上げたものである。 |
島田大堤 | |
江戸時代の初めに、大井川の決壊により甚大なる被害に見舞われた島田宿の端に設けられた川除け堤。これを期に島田宿が繁栄したとされる。 |
朝顔の松 | |
大井川川越遺跡」そばにある、「朝顔日記」の悲恋物語に登場する松の大木があった場所。昭和初期に枯れてしまったが、お堂にその松の木碑が残る。 |
島田市博物館 | |
江戸時代の大井川島田宿の川越しをわかりやすく紹介する常設のほか、特別展を開催しています。 立体的な映像のジオラマビジョンで島田宿の様子を見ることができます。 |