藤沢市 |
遊行寺 | |
1325年(正中2)に創建された時宗の総本山。黒塗りの総門を入ると石畳の参道が続き、境内には本堂、一遍上人像、宝物館、浄瑠璃で知られた小栗判官と照手姫の墓などがある。 |
龍口寺 | |
日蓮宗で山号は寂光山。文永8年(1271)日蓮が処刑されそうになった龍ノ口刑場に、弟子日法が草庵を結んだのが始まり。慶長6年(1601)日尊の発願により寺として整備された。明治期までは寺に住職を置かず付近に八つの寺を建立し、輪番で寺務を司った。周辺にある法源寺、常立寺、本蓮寺など輪番となった寺はいずれも山号を龍口山とする。境内には湘南地区には珍しい五重塔のほか龍ノ口法難の時、日蓮が座ったという首座の石などがある。 |
江の島弁財天道標 | |
江戸時代に杉山検校(和一)によって寄進されたと伝えられる「江の島弁財天道標」は、現在12基が本市の有形文化財(建造物)に指定されています。この道標は本来「江の島道」(藤沢宿等周辺から江の島へ至る道)に沿って建てられていたものですが、時を経て移動し、沿道以外にも見られる所があります。 |
小田急片瀬江ノ島駅 | |
昭和4年(1929)4月、小田急江ノ島線(相模大野〜片瀬江ノ島駅間)開通と同時に開設された駅。平成11年(1999)、「関東の駅百選」に認定された片瀬江ノ島駅は、竜宮城を思わせる奇抜な駅舎で、当初は仮設のつもりで建設されたが現在も江の島観光のシンボルとして親しまれている。 |
新江ノ島水族館 | |
平成16年(2004)4月、江の島、富士山、相模湾を一望する湘南に「新江ノ島水族館」がオープン。「わくわくドキドキ冒険水族館」をコンセプトに、海の生物の不思議「発見」、また実際に触れて知る「体験」もできる、子供はもちろん大人も楽しめる水族館だ。展示施設には、相模湾を再現した大水槽があり8000匹のマイワシの群れや全長約2mのエイが悠々と泳ぐ様子が見られる。 |
青銅の鳥居 | |
江の島弁財天信仰の象徴である青銅の 鳥居が創建されたのは延亨4年(17 47)のこと。現在のものは文政4年 (1821)に再建されたもので、約 200年の間、潮風をうけながらその姿をとどめている。 |
旧岩本院 | |
時は鎌倉時代。岩本坊はのちに岩本院となり江の島、三宮の総別当職を務めました。 以来七百五十有余年の永い歳月の中で芝居、講談、小説など、数々の名作に岩本院の名は取り上げられ、広く世に語り継がれてまいりました。 |
福石 | |
江戸時代、幼くして失明した杉山和一という鍼医がいた。 江の島弁財天の祠へ詣でたとき、山から下りる帰り道に福石につまずいて倒れてしまった、その時、偶然に拾っ た竹筒に松葉が入っていた。これをヒントにして杉山式管鍼術を考案し、その後、将軍徳川綱吉の病気を治し関東全域の盲人を束ねる最高位・関東総検校にまで出世した。 |
江島神社 | |
安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされる。 欽明天皇13年(552)に岩屋(御窟)に神を祀ったのが始まりとされ、 御窟を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた。 |
八坂神社 | |
江島神社の境内社。腰越の小動神社に祀られていた社が大波で壊され、御窟の前の海中に沈んでいた御神体を漁師が拾い、ここへ祀ったという。 |
中津宮 | |
江の島の中腹にたたずむ朱塗古社。仁寿3年 (853)に慈覚大師によって創建されたと いわれている。現在の権現造の社殿は元禄2 年(1689)に再建されたもので、平成8 年(1996)には大改修が行われ、朱塗り がいっそう鮮やかになった。 |
江の島展望灯台 | |
江の島サムエル・コッキング苑の中にある展望灯台で、苑と同じく平成15年(2003)にリニューアルされた。避雷針まで入れた高さは59.8m(海抜119.6m)あり、その斬新なスタイルは江の島の新しいシンボルとして親しまれている。 |
寒川町 |
寒川神社 | |
寒川神社は八方厄除けの御神徳の高い神社だ。寒川は「清い水の湧く泉」という意味で、神殿の裏には「難波の小池」と呼ばれる神池があり、禁足地となっている。1月の追儺祭はいっさいの灯を消して行う秘祭。7月の浜降祭には40基あまりの神輿が茅ヶ崎の西浜海岸に終結し海で禊をするという奇祭である。 |
西善院 | |
江戸時代は寒川神社の供僧として、神社内の仏事を執り行っていましたが、明治2年(1869)神仏分離により、別当薬王寺と供僧神照寺の檀家等を引継ぎました。本尊は阿弥陀如来坐像。 |
興全寺 | |
天正5年(1577)、福泉寺と同じ英顔麟哲の開山と伝えられます。明治初年まで一之宮村に西光寺という末寺を持っていました。本尊は釈迦如来坐像。境内には南北朝時代の宝篋印塔2基、とんがらし地蔵、英国から輸入された種豚で高座豚の祖ペンドレーバグルボーイ二世の墓などがあります。 |
平塚市 |
平塚八幡宮 | |
祭神は、応神天皇・神功皇后・武内大臣。 仁徳天皇の御代、地震による災害が激しいため、応神天皇を祀ったところ治まったのが起源と伝わる。 平塚の総鎮守。 |
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湘南平塚七夕まつり |
平塚の七夕まつりは、戦後商業振興策として始められたもので、活発な商業力に裏づけられた日本一といわれる竹飾りの豪華さに特色があります。期間中は竹飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげられ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。 |
光明寺 | |
坂東三十三ヶ所観音霊場第七番札所で、縁起では大宝2年(702)に小磯の浜で観音小像を感得したのが始りだと伝えられています。現在も坂東札所巡りの人たちが多く参詣に訪れていますが、市域では金目観音は安産祈願のお堂としても知られています。 |
伊勢原市 |
伊勢原大神宮 | |
駅近くの市街地にある神社で「大神宮さん」と呼ばれ市民に親しまれている。その昔、この鎮守の神に伊勢の大神宮を迎えたことから現在の市の名称の起因となった。 |
洞昌院 | |
江戸城・川越城・岩槻城の築城主で文武両道の鑑といわれた太田道灌公の墓がある。この近くには道灌の主君上杉定正の粕屋館跡があり、道灌はここで謀殺されたとされている。 |
太田道灌の墓 | |
道灌はこの辺りにあった粕屋館で非業の死を遂げた。 洞昌院の境内北側に胴塚と呼ばれる宝篋印塔の墓と自害石と呼ばれる平らな石と、さらに北に殉死した家来を葬った7人の塚がある。 |
日向薬師 | |
かつて日向山霊山寺といわれ、元正天皇(716年)の頃、僧行基によって開創されたと伝えられる、日本三薬師の一つ。鉈彫の本尊薬師如来三尊像を始め、薬師如来像・阿弥陀如来像・四天王・十二神将など25点の国の重要文化財があります。また樹齢800年と言われる、境内の幡かけ杉は、県の重要文化財に指定されています。御本尊は4月15日の大祭の他、初薬師(1月8日)と正月3カ日に御開帳になります。 |
彼岸花自生地 | |
里の稲穂が黄金色に色づく9月中旬頃、田のあぜや野辺のあちこちに真紅の彼岸花が咲き始めます。日向路一帯に自生する彼岸花は、山の緑と稲の黄色に映え、見事なコントラストを見せます。「かながわの花の名所100選」の一つ |
白髭神社 | |
霊亀1年(715)日向山に来た行基が薬師三尊像を彫るに良材がなく困っていた所、若光は香木を与え日向薬師開山に協力した。薬師の守護神として若光を祭ると供に熊野権現を勧請し、参道入口に神社を創建したのが始まりという。 |
秦野市 |
泉蔵寺 | |
頭高山のふもとにあるお寺。 「東国花の寺百ヶ寺」に選ばれ、 春には2万株ものチューリップが咲き、4月にはチューリップ祭りが行われます。 1481年(文明13年)に開かれた寺で、 1649年(慶安2年)8月に徳川家光から寺領13石の朱印を受けています。 本堂には、 平成15年に秦野市指定重要文化財となった 鎌倉時代後期から南北朝時代の作とされる石造十王像が安置されています。 |
若竹の泉 | |
渋沢断層からの湧水で、渋沢丘陵に沿って流れる室川の源流に位置します。 緑に囲まれてひっそりとたたずむ湧水で、その緑に溶け込むようせせらぎの音を響かせています。 |
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秦野たばこ祭 |
秦野市でもっとも大きいお祭です。火をテーマにした迫力あるイベントが満載。毎年20万人ほどの観光客を迎えて盛大に行われます。ジャンボ火起こし綱引きコンテスト、弘法の火祭、仕掛花火、打ち上げ花火、フロートパレードなど様々なイベントがあり、一日中楽しむことができます。 |
出雲大社相模分祠 | |
明治21年に現在の秦野市の渋沢、峠地区に建立され、昭和50年に現在位置(秦野市今泉)に移転しました。 正月の福迎祭、春の梅まつり、夏のほおずき市・朝顔市など四季折々のイベントが催され賑わいを見せます。 |
秦野千年の杜 | |
この杜は、秦野を「世界で一番美しい森の盆地のまち」にすることを目指し、さまざまな生命を育む森や緑豊かな地球を大切にしようとの願いが込められています。 |
御嶽神社 | |
当社は創立年月日不祥なるも、大正十二年、神木の倒木時、年輪が九百八十あり千年近く前より当時平沢の氏神として尊崇せられた神社である。 |
震生湖 | |
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災でこの付近は幅約200mに
わたって陥没し市木沢(いちぎさわ)がせき止められ、震生湖は誕生しました。 ゴルフ練習場北側の絶壁は当時の崩壊した跡といわれています。 この震災で、小原地区の女の子2人が南小学校から下校する途中、峰坂で行方不明になったといわれています。 現在、峰坂を登った丸山のバス道路わきに、その供養塔が見られます。 面積13,000平方メートル、周囲約1,000メートル、水深は平均4m、深いところで10mといわれています。 |
田原ふるさと公園 | |
なつかしいふるさとを思い出すようなのどかな田園風景の中にあるのが田原ふるさと公園です。 田原ふるさと公園は、地域農業の活性化を図り、 人々の憩いの場となることを願って、平成12年に整備されました。 水車小屋で石臼製粉した「こだわりの手打ちそば」 や「そば打ち体験」、朝取り野菜などの農産物の直売が評判です。 |
源実朝公御首塚 | |
源実朝公は、甥の公暁によって殺され、 その後、御首は、公暁を討ち取った三浦氏の家来、武常晴らによってこの秦野の地に持ちこまれました。 そして当時この地を治める波多野忠綱に供養を願い出て、 手厚く葬られたと伝えられています。 当初の五輪塔は木造でしたが、1250年(建長2年) に波多野忠綱(ただつな)が金剛寺を再興した時、石造に代えたと言われています。 木造の五輪塔は、現在、鎌倉市の国宝館に展示されています。 |