日向市 |
願いが叶うクルスの海 | |
願いが叶うクルスの海には、訪れると願いが叶うという不思議な言い伝えがあります。展望台から見えるクルスの海は、その岩の形状かかなうと言う文字に見えることからこういった伝説が言い伝えられたものです。ここを訪れた方の心を清め願いや希望を天に託すため、その象徴として願いが叶うクルスの鐘を設置しました。この鐘は人間がいたわり合い、想い合う姿を表現しています。 |
馬ケ背 | |
「馬ヶ背」は日向灘(太平洋)に突き出た柱状節理の上に立つ小さな岬、岩肌の色が馬の背の栗色をしていることや、馬の背のように狭い岩場であることから「馬ヶ背」と呼ばれるようになりました。 |
妙国寺 | |
細島港の南側にそびえる米ノ山の麓にある600年の歴史をもつ妙国寺の庭園。岩盤の露出した山野風景を利用した名庭で、山景を利用して池、谷、山、滝などを配し、均整のとれた庭園美を見せてくれます。国指定文化財として名勝に指定されている。 |
みなと資料館 | |
市指定文化財「旧高鍋屋旅館及び附属屋」を改修したもので、平成11年に「日向市細島みなと資料館」としてオープンしました。大正10年(1921年)に建築され、木造の3階建ての建物は、県内でも2棟しか残っていません。正面玄関の軒瓦と、唐破風と呼ばれる屋根が当時の様子を伝えています。 |
鉾島神社 | |
鉾島神社の縁起書には神武天皇が東征の途中ここに立ち寄り鉾を祀ったとの記述がある。 細島の名称は港を囲む細長い半島に由来するという説に加えて鉾島が転訛したという説がある。 |
観音寺 | |
明治4年(1871)正月4日、前年12月15日東京を出港、勅使として鹿児島に赴いた大納言岩倉具視公がその帰途陸路御到着、当寺を御本陣とされた。 |
美々津町並 | |
美々津は遠く神話の時代、神武天皇東征の時の船出の地として知られ、それにまつわる多くの伝説や遺跡が残っている。江戸時代は、高鍋の秋月氏の支配下にあって、藩の重要な港として藩船碇白泊となり、海上交通の要地であった。中町は現在も町並みがよく残されており、中央付近の東側に「元回船問屋旧河内屋」がある。もとの持主が、土地・屋敷とも日向市に寄付し、昭和55年に市有形文化財に指定され、改修して歴史民俗館・資料館として一般公開されている。( |
立磐神社 | |
神武天皇東征の折、ここで戦勝と海上安全を祈願したといわれ、後に景行天皇の時代(82年)、創建されたと伝わる。境内には神武天皇が腰掛けたといわれる大きな岩が「お腰掛け岩」として祭られている。 |
日本海軍発祥の碑 | |
日本海軍は天皇が統治された海軍で有りました。このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米井光政閣下の揮毫により、碑面に刻記されたものであります。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元されたのであります。 |
道の駅「日向」 | |
道の駅「日向」は、は日豊海岸国定公園内に位置し、日向灘を一望できる風光明媚な場所にあり、物産館内には各種地場産品の販売コーナーや道路情報・観光情報・医療施設情報等をインターネットで検索できる情報コーナーが設置され、また、公衆トイレについては2つの多目的トイレを備え、車椅子利用者やオストメイト対応となっています。 近隣にはオートキャンプ場、子供の遊具広場、テニスコート、照葉樹林、海岸歩道が整備されており、心と体のリフレッシュができます。また、道路情報、観光情報等を情報端末と案内人が紹介します。 |
日向ひょっとこの湯 | |
日向ひょっとこの湯は、九州最大級の設備、駐車場を完備したスーパー銭湯です。 当施設は、宮崎県の県北に位置し、北は門川町、延岡市、南は都農町、川南町 西には美郷町と隣接した風光明媚な観光都市です。 旅の疲れや日頃の疲れをを癒す、ひとときのくつろぎの時間を当施設でお過ごしください。 |
道の駅 とうごう | |
のびのびとした開放的な広いスペースに日向市の特産品コーナーや自慢の牧水そば(十割手打ちそば)、椎茸めし、椎茸シュウマイ、中華ちまきなどの軽食や女性に人気の手づくりジェラートなどおいしさいっぱい。ふるさと味工房ではそば打ち体験などもできます。また、水・土・日・祝日にはふるさと市場で地どれの新鮮な野菜や特産品の販売を行っています。 |
田野神社 | |
今から444年の普田野川集落に悪疫が流行し集落民の人、大半は病気に罹り中には死没する人達も数多く在り其の上悪天候が続き農作物は大凶作と成り集落民は飢餓寸前に至る。当時の弁差人(現在の区長)は集落民を集め協議の結果妙見神社を祀る事と成り早速其の年に社殿を造営し以後毎年旧暦10月25日を例祭日と定め五穀豊穣併せて氏子の安全を祈願し今日まで盛大に祭典を執行するに至る。 |
若山牧水生家 | |
牧水生家は弘化2年(1845年)に牧水の祖父健海によって建てられており、現在も牧水の少年時代の姿をそのままに伝えている。前方には尾鈴連山がそびえており、春はヤマザクラ、夏は新緑、秋は紅葉と四季折々の眺めはすばらしい。 |
若山牧水記念文学館 | |
若山牧水記念文学館は県産材のスギやヒノキを用いた木造平屋で、牧水生誕120年に合わせ新築されました。記念文学館は3つの展示室を設け、第1展示室に直筆の掛け軸や原稿、愛用品などを展示。第2展示室では東郷町出身の詩人高森文夫や若山牧水賞受賞者を紹介。また企画展示室では牧水賞とその受賞者について紹介しており、現代短歌の世界を感じることができます。 |
美郷町 |
西の正倉院 | |
韓国より贈られた国宝レプリカ28点他を展示。内部を非公開とされてきた奈良正倉院を復元。百済王族の遺品といわれる24面の銅鏡をはじめ、奈良正倉院と同一の銅鏡等を展示。 |
百済の館 | |
韓国より贈られた国宝レプリカ28点他を展示。内部を非公開とされてきた奈良正倉院を復元。百済王族の遺品といわれる24面の銅鏡をはじめ、奈良正倉院と同一の銅鏡等を展示。 |
神門神社 | |
養老2年(718)創建。旧郷社。銅鏡など多数の宝物を有する。例祭日10月17日。特殊神事に師走まつりがある。 |
塚の原古墳 | |
神門神社から国道388号で日向方面へ約5km。道路下の田んぼの中に、小さな木の鳥居が見える。これが禎嘉王の墓と伝えられる塚の原古墳。直径10mほどの小さな円墳は古墳時代後期とされている。 伝えでは「禎嘉王は伊佐賀の戦いで深手を負い死亡。塚の原に葬り、神門大明神となった」とある。 |
水清谷眼鏡橋 | |
この石橋は、明治33年頃の架設で、熊本形式架橋といわれる。蕨野の山本重信家の先代(重信氏祖父)山本畩治は名工と呼ばれた石工であり、この畩治と親交のあった肥後の石工、岡勝治は、神門地区に通じる道路工事で来村し、水清谷神社石段の工事も行なったそうである。この眼鏡橋は、昭和9年に現在の道路ができるまでは村の基幹道路に位置し、いかなる重量を通すとも、また、いかなる大水害にも微動だにしなかった名橋である。 |
ながされ番所跡 | |
南郷村は、江戸時代、延岡藩の領地であった。元禄三年(1690)山陰農民(東郷町)の逃散が起こり、現在の日向市、東郷町の一部が天領(幕府直轄地)となった。以来ここ「流され」は天領や高鍋藩に接近していたので、通行上の用地として、通行人や搬出入される物資の検問を行い、通行税に当たるものを徴収する番所が置かれた。 |
おせりの滝 | |
三段からなる雄大荘厳な滝で、特に春は新緑、秋は紅葉が美しく、滝の周りにはハイキングコースがある。「黄金のみかん」など滝やこの地域にまつわる伝説・民話も多い。 |
諸塚村 |
塚原ダム | |
塚原ダムは、完成当時高さ、体積など日本最大級の水力発電ダムで、国際的にも最新技術で施工され、土木業界では有名な歴史的ダムである。 |
ほたる橋エコパーク | |
しいたけの館21対岸に水辺と森の空間「ほたる橋エコパーク」があります。できるだけ自然な生態系を維持できるように工夫された水辺、水田、蓮池の3つのビオトープと「檪の森」が中心になっています。 |
しいたけの館21 | |
しいたけの館21は、従来の施設中心の考え方を脱して、地域の文化や自然を生かしながら活動していくソフト的な部分を重要視していて、諸塚村の地域興しの総合情報発信基地として「全村森林公園・諸塚」の中核になります。 |
櫟地蔵 | |
古の昔から自然と共生してきた諸塚の民にとって、櫟は村の木でもあり、シイタケの原木として森の恵みの象徴でもあります。その森の恵みへの感謝の気持ちと、「苦を抜く木」であるクヌギの地蔵を祀ることで、人の心の苦を抜き、やすらぎと癒しの世界へといざなう願いを込めて建立されたものです。 |
成人式発祥の地 | |
昭和22年に日本で最初に成人式を実施したことを記念する。 |
椎葉村 |
那須家住宅 | |
鶴富姫と那須大八郎の恋物語の舞台ともなった場所。正式には那須家住宅という。建物は藤原期の寝殿造りで、椎葉の代表的な作り。この家の建立は明確な資料がないが建築技術等から約300年前と思われる。昭和31年国の重要文化財に指定された。 |
化粧の水 | |
鶴富姫が化粧に使ったとされる湧水。壇ノ浦の合戦に敗れた平家の残党を追い椎葉村にやってきた那須大八郎に、鶴富姫がこの水を汲んであげたことが縁で二人は恋仲になったと伝えられている。 |
鶴富姫の墓 | |
鶴富屋敷の敷地内には、鶴富姫の墓と伝えられる石づくりの宝匡印塔があります。杉の大木に囲まれた中にひっそりと建つ、苔むした小さな石塔・・・。悲劇のヒロインにふさわしいものです |
椎葉民俗芸能博物館 | |
民俗文化のみならず、伝えられた芸能を展示し、さらに九州・アジアの民俗芸能も取り上げる博物館は全国でも珍しい。民俗学発祥の地として注目される椎葉の、季節ごとに行われてきた行事、狩猟文化を色濃く伝える神楽、山の仕事、寄り添うように生きてきた人々の暮らし、テーマごとに分けられた展示物は、どれも興味深い。歴史、民俗資料、文化遺産など役350点を展示。 |
椎葉厳島神社 | |
1185年鎌倉幕府より長門国壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門追討の命を受けた那須大八郎宗久が、椎葉山中での平家残党の叛意なき姿を深く憐れみ、平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請し建立したものとされています。 |
長迫の水 | |
国道256号を五ヶ瀬方面に向かう途中、国見トンネルのやや手前にある。春はミツバツツジ、秋は紅葉と折々の季節に彩られる渓谷美は村でも随一。中でも必見は清涼感あふれる湧水。岩肌から澄んだ清水が滔々と湧き出している。近くにある長迫の水は国道沿いにある湧水。椎葉村の北の玄関口にある癒しの水処として人気がある。 |
門川町 |
小園井堰 | |
門川町随一の規模を誇る農業用かんがい井堰。 また五十鈴川の清流には、鮎や鯉などの魚も多く生息し、四季折々の豊な川の恵みを感じさせてくれます。 |
延岡市 |
今山八幡宮 | |
天平勝宝3年(751年)に領主土持直綱が宇佐神宮の分霊を勧請したと伝えられる。延岡歴代の藩主はみな領内の守護神社として崇敬した。今では市内はもとより県北一円からの参詣者が多い。 |
今山恵比寿神社 | |
今山八幡宮の南参道の石段登り口にあり、今山八幡宮の末社で、九州三大恵比寿神社のひとつです。毎年2月10日・11日の10日えびすには、商売繁盛祈願、航海安全祈願などに県内から約5万人の参拝者が訪れます。今山恵比寿神社は博多・若松のえびすと並び、九州三大えびすに数えられ、日向の国七福神霊場の一つとして毎年、県内はもとより、全国各地から多くの参拝者が訪れています。 |
今山大師寺 | |
山は、養老元年(717年)に延岡地方における最古の寺院が創建されたところといわれています。頂上には、日本一高い(17m)弘法大師像があります。 毎年4月には、九州三大春祭りのひとつといわれる「延岡大師まつり」が3日間にわたり開催され、最終日には「大名行列」をはじめとするパレードが市街地を練り歩きます。 |
延岡城跡 | |
慶長8年(1603年)に高橋元種が築いた延岡城の城跡で、本丸、二の丸、三の丸からなる宮崎県を代表する近世城郭です。頂上の天守台跡地には鐘つき堂があり、今もなおお鐘守の手によって時が告げられています。 また、城山には約250本の桜があり、花見の時期には灯りがともされ夜桜が楽しめます。 |
内藤政挙公の銅像 | |
延岡藩最後の藩主です。 維新後は文教の興隆に尽力した他、経営する日平銅山から電気を引くなど、延岡の発展に力を注ぎました。 |
道の駅 北川はゆま | |
道の駅 北川はゆまは、宮崎県の北の玄関口となる北川町の国道10号沿いにあります。 「はゆま」とは約1300年前の飛鳥時代に設けられた駅制度のなごりで駅馬の古い呼び名です。 木工体験のできる「はゆま館」は、北川町産杉ひのきを使用した木の香ただよう駅です。 |
日之影町 |
天翔大橋 | |
天翔大橋はアーチスパン260mでコンクリートのアーチ橋としては日本一長い橋です。五ヶ瀬川の水面から橋面までの高さも143mあり、これも日本一高い橋となっています。 なお、風の強い橋の上には風力発電のプロペラが設置してあり、照明の電力をまかなっているそうです。 龍天橋、青雲橋とともに「日之影町日本一三大アーチ橋」となっています。 |
青雲橋 | |
日之影川に架かる鉄橋の遥か上空に、アーチトラスの偉容を誇ります。 水面からの高さは日本一。列車は徐行してご案内いたします。 |
道の駅 青雲橋 | |
道の駅青雲橋は、国道218号沿いに位置する自然環境の素晴らしいところにあります。 日之影町のシンボルである青雲橋(水面からの高さ137m・長さ410m)を一望でき、売店では新鮮野菜、地元生産者による加工品が販売されているほか、レストランも完備。 キオスク端末や電子掲示板も整備され、道路情報や観光情報を紹介しています。近くには公園もあり、ドライブ休憩に便利な施設です。 |
高千穂町 |
高千穂峡 | |
高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した溶岩流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった渓谷です。 この高千穂峡は、昭和9年11月20日名勝・天然記念物に指定されています。 付近には、七ツヶ池と呼ばれる歐穴や日本の滝100選にも選ばれた真名井の滝、槍飛橋などがあります。 高千穂峡では、貸しボートで「名勝真名井の滝」に近づくことができ、スリル満点です。また自然遊歩道や、釣り堀、淡水魚水族館などがあり、夏は流しそうめんなどを楽しめます。 |
真名井の滝 | |
高千穂峡に位置する名瀑。柱状節理のすばらしい断崖から高千穂峡の碧水に白蛇のように流れ落ちる様は美しい。また、貸しボートがあり、滝のすぐそばまで近づくことができる。「日本の滝100選」に選ばれている。 |
神橋 | |
竣工は大正の時代だと言われている。長さ32m、高さ31mの石橋です。 |
高千穂神社 | |
御祭神は、上古高千穂皇神と申し上げ別名十社大明神という神号で親しまれています。十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている国史見在社です。天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、特に往昔、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表しました。境内には、この時重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)がそびえている。 |
くしふる神社 | |
往古は社殿はなく、背後の天孫降臨を伝えるくしふるの峰を神と崇め、高千穂88社の1つに数えられていた。明治6年5月25日二上神社と改称し県社に列せられ、同43年11月19日に旧名のくしふる神社に改称。本殿には、支那二十四孝物語の代表15の彫刻がある。 |
天真名井 | |
天然の湧水がわき、天孫降臨の際、この地に水が無かった為、天村雲命が天上より水種をこの地に移されたとされるところです。 |
天岩戸神社 西本宮 | |
天照大神を祀る神社で、社殿背後を流れる岩戸川断崖の中腹に弟素差男命の乱暴に怒り天照大神がお隠れになった天岩戸の洞窟があります。付近には、天浮橋、天香山や天照大神が天岩戸にこもられたとき、八百万の神々が集い神議ををされたという天安河原等があります。 |
天岩戸神社 東本宮 | |
天岩戸神話を今に伝えるこの神社は、天照大神がお隠れになった天岩屋戸を御神体とする西本宮と、大神をお祀りする東本宮にわかれています。 |
天安河原 | |
天安河原は、天照大神が岩戸にお隠れになった際に、八百万の神々が相談を行った場所とされています。積み上げられた石々に訪れた人々の想いが込められています。 |
寧静ループ橋 | |
阿蘇〜高千穂への観光ルートとして重要な役割を持つ国道325号の熊本県高森町、宮崎県高千穂町県境に架かる橋です。地形が台地と複雑な谷、急な崖により高低差が非常に大きいため地域周辺の豊かな自然に馴染むよう景観に配慮したループ橋になっています。 名称の由来は天孫降臨の連山を見渡すこの橋が、この地に夢と希望、勇気と知恵を与え、生命の絶え間ない創造を興し21世紀に向けた両県、両町の任務の繋がりを願いに込めて「寧静」と命名されました。 |
五ケ瀬町 |
三ケ所神社 | |
昌泰年間(898〜901)創建、元亀2年(1571)再建、旧郷社。国指定無形民俗文化財の荒踊りは9月最終土曜日に奉納される。本殿は平成14年に県有形文化財に指定。 |
浄専寺 | |
浄土真宗本願寺派。この浄専寺境内には、宮崎県の天然記念物に指定されている樹齢250年のしだれ桜がある。 |