多摩


狛江市

泉龍寺
泉龍寺の本尊は釈迦如来です。曹洞宗に属し、永平寺および総持寺が大本山です。
伝説によれば、奈良東大寺の開山として名高く、伊勢原の雨降山大山寺をも開いた良弁僧正が天平神護元年(765年)、この地にやってきて雨乞いをし、法相宗・華厳宗兼帯の寺を創建したのが泉龍寺のはじめとされています。

弁財天池
伝説によれば1200年以上前、奈良時代の昔に全国的な大干魃があり、良弁僧正がこの池において雨を祈った所、竜神が現れて大いに雨を降らせたということです。

稲城市

穴澤天神社
三沢川沿いの、通称天神山と呼ばれる山の中腹に鎮座している。延喜式神名帳に記載の神社の一つと言われている。『穴澤天神縁起』によると、元禄7年(1694)に地頭の加藤太郎左衛門が社殿を改修し、天満神社を合祠したことが記されている。

威光寺
真言宗豊山派で、坂浜の高勝寺の末寺である。草厚山小沢院と号す。延宝3年より穴澤天神社の別当寺として存在したことが『新編武蔵風土記稿』に記されている。

弁天洞窟
洞窟内には、穴澤天神社北側の横穴内にあったと言われる石仏(弁財天、大黒天、昆沙門天など多数)が安置され、また彩色された大蛇が壁面に彫刻されている。

調布市

布多天神社
布多天神社は、延長5年(927)の『延喜式神名帳』に載る古社で、式内多摩八座のひとつです。
もとは多摩川近くの古天神といわれる地(現・古天神公園)にありましたが、文明9年(1477)に多摩川の洪水を避けて遷座し、そのときに御祭神少彦名命に菅原道真公を配祀したと伝えられています。

三鷹市

八幡大神社
八幡大神社は、三鷹市下連雀にある神社です。八幡大神社は、明暦二年(1656)に創建、明治六年村社に列格したといいます。

井口院
万治元年(1658)武州中野村宝仙寺の第19世清永和尚は、石神井村井口八郎右衛門春重の協力を得て薬師如来を奉安し、この地に寺を建立した。はじめは神龍山開宮寺 威光院と号していたが、のち寛文十二年(1672)に上連雀村の名主・井口家にちなんで現在の井口院と改称した。

上連雀神明社
関村(現在練馬区)より井口権三郎が上連雀の新田開発で入植、正徳6年(1716)上連雀村の鎮守として当社を祀る。
隣接する旧別当寺井口院では、雨乞い弥勒菩薩が信仰を集めている。

龍源寺
新撰組の近藤勇ゆかりの寺として有名。山門の左手に近藤勇の胸像と天然理心流の碑があり、境内を進むと左右にいちょうの巨樹がそびえている。
板橋で処刑された近藤勇の首のない遺体は,身内によってひそかにこの竜源寺に葬られたといわれる。

武蔵野市

武蔵野八幡宮
桓武天皇の御代延暦八年坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられ、四代将軍家綱の頃江戸小石川水道橋外吉祥寺火事の後、周辺町民に移住を命じ、寛文初年吉祥寺村開村により村民の氏神様として尊崇されてまいりました。

杵築大社
当杵築大社は、三代将軍家光公の従兄弟で、出雲の松江初代藩主松平出羽守直政公の鷹狩場で、屋敷内に杵築大社(現出雲大社)と稲荷社両社を創建されて以来、本年で丁度350年武蔵境の鎮守様として、地元そして近隣の人々から厚い信仰をいただいております。

小金井市

貫井遺跡
東京都小金井市にある遺跡。小金井市貫井南町3丁目。貫井神社崖上の武蔵野段丘上にある。縄文時代中期の中頃から末期の住居跡約50軒のほか、墓や貯蔵用の穴がまとまって発見されている。多数の縄文土器・石器・土偶・大珠と呼ばれる石製の胸飾りなどが出土している。旧石器時代の石器や縄文時代早期前半・後期前半の遺物も出土している。

滄浪泉園
滄浪泉園は明治・大正期に三井銀行役員や外交官、衆議院議員などを歴任し政財界で活躍した波多野承五郎(雅号・古渓、1858-1929)の別荘だったところで、大正8(1919)年、この庭を訪れた犬養毅(のち首相在任中に五・一五事件で殺害)が「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」という意味で「滄浪泉園」と名付けたということです。

西東京市

総持寺
真言宗智山派寺院の総持寺は、田無山と号します。総持寺の創建年代は不詳ですが、元和年間(1615〜23)に法印権大僧都俊栄和尚が谷戸に法界山西光寺として創建、慶安年間(1648〜51)当地へ移転したと伝えられます。

東伏見稲荷神社
昭和4年に、京都の社伏見稲荷神社の分霊を遷して創建されました。新東京百景に選ばれています。

小平市

鈴木遺跡資料館
昭和49年、鈴木小学校建設の際に発見された約1〜3万年前の旧石器時代の遺物が展示されている施設です。

国分寺市

武蔵国分僧寺跡
奈良時代中期に聖武天皇が鎮護国家を祈念し各地に建立させた仏教寺院で、武蔵国分寺はその中でも最大級の規模を誇り、隣接した国府(現府中市)とともに、武蔵国の政治・文化の中心として栄えましたが、鎌倉時代末期の「分倍河原の戦い」で焼失しました。現在は史跡として整備中です。

武蔵国分寺
武蔵国分寺は焼失しましたが、 江戸時代の社寺保護政策により徐々に復興され、享保18年(1733年)に本堂が建立されました。現在の本堂は昭和62年に改築されたものです。門前に楼門があり 、境内には薬師堂、文化財保存館、万葉植物園などがあります。

万葉植物園
万葉集に詠まれている植物を集め、往時をしのぶよすがにとの意図で国分寺前住職星野亮勝氏により設置された植物園です。市の天然記念物に指定されています。

お鷹の道
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ−トルを遊歩道として整備 されています。

武蔵国分尼寺跡
東山道武蔵路の西側に、国分尼寺がありました。保存整備事業も終了し、現在は市立歴史公園となっており、金堂の礎や復元された塀を見ることができます。

伝祥応寺跡
本跡は尼寺伽藍の一部とする説もあったが、近年の調査によって、鎌倉時代末頃に建てられた寺院と判明し、本多4丁目の祥応寺の前身にあたると考えられている。

武蔵台遺跡公園
旧石器時代では約3万年前からこの地で人々が繰り返し狩猟をしていたことが、多くの石器や、調理した跡からわかり、縄文時代は早期初頭の住居跡が中央の広場を囲んだ跡が環状に見つかった。

不動橋
国分寺街道沿いの不動橋は、元町用水と野川の合流点に位置しています。現在は木製ですが、かつては石橋 だったことから、北側に石橋供養塔、庚申塔、不動明王碑があります。

庚申塔
石橋供養塔
不動明王碑
不動橋の北側に位置し、庚申塔は延享(1745年)に国分寺村の人々が建て、隣に天保3年(1832年)の記念銘のある石橋供養塔と、 建立年月日不明の不動明王碑があります。

殿ヶ谷戸庭園
大正初期、満鉄副総裁の別邸として造られた後、旧三菱財閥の岩崎彦弥太氏の別邸として、茶室などが整備され、回遊式庭園として完成しました。園内の「次郎弁天の池」は、野川の水源の一部です。

国立市

谷保天満宮
谷保天満宮は、平安時代の学者で政治家でもある菅原道真公をまつった社です。古くから、学問の神様をまつった場所として信仰を集めています。近年は、入学試験が間近に迫ると、合格を祈願する若い人たちで、境内はいっぱいになります。

常盤の清水
湧出量多く、厳島神社を祀る池はかなりの透明度。池から出た多量の水は、神社の外の石垣に沿って流れる。

関家かなどこ跡
関家は、鋳物三家(矢澤、森窪、関氏)の一家と言われ、江戸時代から明治初期まで鋳造を業としていた。
梵鐘、仏像等の他に鍋釜などの日用品を製造しており、鋳物三家の銘のある梵鐘には、立川普済寺、府中高安寺、日野牛頭天王(現八坂神社)等があり、谷保山南養寺のものには、安永6年(1777)関氏の銘が刻まれている。

立川市

諏訪神社
お諏訪様と呼ばれ、多くの人々に親しまれています。8月下旬には、獅子舞、相撲が奉納される賑やかな祭礼が行われます。弘仁2年(811)に、信州(長野県)諏訪大社を勧請したと伝える古社です。市内最古の木造建築物でしたが、平成6年に火災により焼失。現代の社殿は平成12年に再建されました。

府中市

大國魂神社
社伝によれば、景行天皇41年(111)5月5日、武蔵国の護り神として大国魂神を祀ったのが始まりとされています。大化の改新以後、この地に武蔵国の”国府“が置かれて以来、”国司”が祭祀を執り行っていましたが、平安時代に各諸神を合祀する「総社」と呼ばれるものが置かれ、武蔵国では、大國魂神社がその総社となり、さらに、平安末期には著名な六か所の神社を合祀して「武蔵六所宮」と呼ばれるようになりました。

武蔵国衙跡
大化の改新によって、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)がおかれ、その政治の中心地「国府」は現在の府中市に置かれました。国府の政務機関である、”国衙“の跡が30年余りに及ぶ発掘調査の結果、大國魂神社の境内および、その東側一帯に存在していたことが確実となり、さらに、その中枢施設”国庁”とみられる大型建物跡が発見されました。

府中町道路原標
この道路元標は、府中町の道路の起終点として大正9年の設置されました。
平成2年3月、道路整備事業により当時のものを復元したものです。

馬場大門けやき並木
1062年、源頼義、義家父子が、前九年の役の戦勝祈願御礼としてけやきの苗1,000本を寄進したことに始まると言われています。その後、徳川家康が関が原、大坂両役の戦勝の御礼として馬場を献上し、けやきの苗を補植しました。現在のけやき並木には、その江戸初期のものが数本残っているほか、けやきが152本,その他かえでなどの老樹を含め、合計で200本を越える木が植えられています。

源義家の像
八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051〜1062)を鎮めました。その帰途、康平5年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、けやき並木のはじまりと伝えられています。この像は、前九年の役,後三年の役で卓抜した武勇をあらわし,源氏の最盛期を迎えた公と、府中,大國魂神社,けやき並木の史実を後世に伝えようと、府中ロータリークラブにより建てられたものです。

新田義貞公之像
分倍河原の合戦で活躍した新田義貞公の像が建っています。馬上刀をふりかざす勇ましい姿の像は、文化勲章受賞者の富永直樹氏の作品です。

高倉塚古墳
古墳時代の後期の古墳で市の指定史跡に指定されています。京王線分倍河原駅西方を中心に広がる27基の高倉古墳群のなかで墳丘が現存している数少ない古墳の一つであり、その中心に位置しています。中世以降には,信仰の対象となって手厚く保護されてきました。

日野市

高幡不動尊
高幡不動尊は関東三大不動尊の一つに数えられています。不動堂の本尊、丈六不動三尊(国重文)は古来日本一と伝えられています。平安期からの文化財を数多く収蔵し、また土方歳三の菩提寺でもあります。

多摩市

サンリオピューロランド
ハローキティやシナモン、ウサハナといったおなじみのサンリオキャラクターに会える日本初の全天候型屋内テーマパーク。楽しいアトラクションや本格的なミュージカルやライブショーなど楽しさ満載!館内には世界最大級のサンリオショップがあり、ピューロランドオリジナルグッズや限定グッズなどここでしか買えない商品がいっぱいです。

多摩都市モノレール
東京都の東大和市と多摩市を結ぶモノレール路線。旅客案内上多摩モノレールの呼称を使用する。都市計画事業(都市計画道路)としての名称は各都市計画区域ともに多摩南北線である。

町田市

薬師池公園
薬師池は別名福王寺池ともよばれ、天正5年に北条氏照の印判状が野津田の武藤半六郎(河井家祖先)にくだり、水田用水池として天正18年まで開拓されました。
その後、宝永5年にこの溜池は泥砂で埋まり、大塚村、小山村、高ヶ坂村などから人足が出て、3年間を費やし泥砂をさらいました。しかし、文化14年にふたたび泥砂で埋まり、渇水状態となったため、普請願を提出し、ひでりにあえぐ七町余歩(約7ヘクタール)の水田の水を得るため、溜池を堀りなおし、今日にいたっています。面積は、7,700平方メートルあります。

旧・永井家住宅
外観は入母屋造かやぶきで軒は低く古い形式をそなえている。間取りなども江戸時代前期から中期にかけての広間型で桁行九間半、梁間五間が測られ、なお平入り(建物の長手正面に出入口がある)であった。

宏善寺
暦応元年 (1338) の創立。開山善立院日海。当初真言宗の坊として創立。宗祖が佐渡流罪の途次休息、文永8年より本宗に改宗。鎌倉時代の戦乱で焼失、暦応元年再建。戦後本堂、客殿、庫裡、山門を建立する。付近に出の沢古戦場あり。
祖師像は改宗時からの古仏である。またかつて板曼荼羅本尊が祀られていたがいつの時代かに持ち去られ行方不明になっている。
古くは身延山の末寺なるも時代の変遷により池上本門寺末となる。宝物館を新築し大坐人の一遍唱題の直筆もある。

菅原神社
鎌倉期の古戦場井手ノ沢の山上に位置し、室町期に天神像が奉安され、江戸期初め新たに渡唐の天神像を奉安して当地の鎮守となった。町田三天神の一社で、緑濃い境内に新しく神楽殿も竣功した。

八王子市

子安神社
天平宝字3年(759)淳仁天皇の皇后の安産のために創建されたと伝えられる。昔この神社とその周辺は、船森と呼ばれた森と湧水池で名高かった。

福伝寺
多摩四国八十八ヶ所第七十七番札所安榮山明王院福傳寺である。当山は天文年間(一五二三〜一五五四)以前に子安村(南口前に開創されたもので、恐らく天文二年(一五二三)以前)に賢栄によって開山された。

片倉城跡
築城は、鎌倉幕府初期の重臣、大江広元を祖にもつ長井氏によって室町時代に行われたという説がありますが定かではありません。
城主も城が放棄された時期もはっきりとは解りません。

住吉神社
城の鬼門に住吉社があり、城主と目されている大江備中守師親が長門国住吉神社を勧請したものであると言われるが確証はない。

慈眼寺
慈眼寺は、文安2年(1445年:室町時代)に心安守公和尚開創の古刹で、曹洞宗の武相観音札所です。寺の入口には「板橋 (=旧釜貫橋)より壱丁参道」と記された道標があります。かつて山門に吊された鐘には、鑓水商人の名前が記されていました。

昭島市

拝島大師
天台宗。元三大師ともいう。
天正6年(1578)の創建。正月2日・3日の縁日は、「だるま市」として古くから有名。

大日堂
天台宗。正式には拝島山密巌浄土寺大日堂という。
天暦6年(952)の創建と伝えられ、戦国時代には滝山城の鬼門よけとして、北条氏の庇護をうけていた。本尊大日如来とその両脇侍(釈迦如来、阿弥陀如来)はいずれも都指定有形文化財。

日吉神社
旧拝島村の鎮守。祭神は大山咋命・香山戸命・羽山戸命。毎年9月の例祭は有名で、その前夜祭の榊祭は都指定無形民俗文化財。






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