東部


徳島市

眉山
「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山」と万葉集にも詠まれた眉山は徳島市のシンボル。山頂一帯は眉山公園となっており、慰霊塔パゴダ・モラエス館・展望休憩施設などがある。山頂からの眺望は素晴らしく、徳島市街はもとより天気の良い日には淡路島・紀伊半島までもが一望できるほか、美しい夜景も一見に値する。また、春の桜・秋の紅葉は四季の移ろいを表し、見る者を楽しませている。

モラエス館
亡き妻の故郷徳島を愛し、徳島で生涯を終えた元ポルトガル神戸総領事モラエスの記念館。妻ヨネの死後徳島に移り住んだ彼は、ポルトガルの新聞に日本を紹介するとともに、日本に関する作品を数多く残しました。そんな彼の遺品や、彼が使っていたとおりに再現した仕事場が展示されています。

パゴダ平和記念塔
パゴダ平和記念塔は、徳島県徳島市の眉山公園内にある第二次世界大戦時の戦死者慰霊のために建てた記念塔。
1958年(昭和33年)に県ビルマ会が第二次世界大戦で戦没した多くの戦友たちの霊を慰めるために建てたもので、当時の資料を展示している。

阿波おどり会館
阿波おどりの衣装や鳴り物などの実物を展示し、阿波おどりの映像を楽しんだり、踊りの実力を試したりするとともに、楽しみながら阿波おどりの歴史を知ることができます。

しんまちボードウォーク
徳島市は国土交通省の「水の郷百選」にも選ばれた水の都です。そのシンボルとして、新町川水際公園はすっかりおなじみとなりました。
昼間は湧水、滝、噴水などの水の芸術、夜はイルミネーションに彩られたロマンティックなムードと、昼と夜で違った顔を持つ公園です。

満ち潮水族館
新町川に生息する魚30種類を満ち潮時に見ることができる自然の水族館です。

竹林院
築山泉水式で江戸中期に作られたと言われる借景様式の書院庭園。池は、東西に細長く延びた心字の池で、中央の岸には舟着石を置き、中島との間に4個の石橋が架けてあります。周りの木々は、四季を通じて色彩の変化に富み、自然のいろいろな顔を見せてくれます。また、正面に見える十三層塔(現在は一層を欠いている)は、静御前の供養塔と伝えられています。

大日寺
弘法大師が大日如来のお告げによって建立したと伝えられる寺。境内は老木に覆われ、閑静なたたずまいを見せています。

一宮神社
延喜式内大社の天石門別八倉比賣神社の論社である。往古から一宮大明神と尊称されてきた。鎮座地が一宮城府の一郭になっていたので、戦国時代には度々の兵乱にあい、一切を失ってしまったと云う。
明治の神仏分離までは八十八ヶ所十三番札所であったので、現在でも四国遍路の参拝は多い。

常楽寺
庭石を波のように配した流水岩の庭、七福神の庭など端正な庭に囲まれた寺。弘法大師が自刻による弥勒菩薩を安置して開山したと伝えられています。

国分寺
天平年間に聖武天皇勅命により、国ごと建立された護国の寺のひとつ。境内は「阿波国分寺跡」として県の史跡に指定されています。

阿波国分寺跡
全国に建立された官寺で、阿波国司庁(現在の国府町府中)の近く、気延山下の平地に、僧寺(国府町矢野)と尼寺(石井町)が南北に相隔って建てられた。寺は現在の本堂を中心に二町四方、その配置も東大寺式の正規の国分寺様式のものであったと推定されている

観音寺
国分寺と同じく天平年間に聖武天皇の勅願寺として建立されたと伝えられています。霊験伝説の多さは、八十八ヶ所のなかでも有数です。

八幡総社両神宮
当社は総社と、近在の八幡神社を合祀したもので、安政三年(1856)再建の棟札を存する。

井戸寺
弘法大師が一夜で掘り上げたという井戸が、寺名の起こり。寺内六角堂に安置されている十一面観音像は、国の重要文化財に指定されています。

八幡神社
7世紀後半の創立と、井戸寺の記録にあり、古くは宇佐八幡宮とも称した。

鳴門市

渦の道
渦の道は、大鳴門橋橋桁空間に設置された遊歩道です。
450m先の展望室までの海上散歩をお楽しみ頂けます。
先端の展望室は太平洋側、瀬戸内海側ともに眺望できるガラス張りです。
また、床下にも眺望ガラス床がはめこまれ、世界三大潮流の一つに数えられる鳴門の渦潮を、約45mの高さからガラス越しにのぞくことができます。


エディ
(大鳴門橋架橋記念館)
渦の道から徒歩5分のところにあるうずと橋のおもしろミュージアムです。「渦」と「橋」を展示テーマに、鳴門のうず潮と大鳴門橋のメカニズム等をビジュアルに紹介します。
270インチのハイビジョン映像の「うず潮劇場」、鳴門の海と空を体験できる「アドベンチャーシュミレーターうず丸」などがあります。

大鳴門橋
大鳴門橋は、渦潮で有名な鳴門海峡を渡る中央支間長876mの吊橋です。
完成時は上部に6車線の自動車専用道路、下部に新幹線規格の鉄道を備えた2階建て構造となりますが、現在は道路4車線が供用されており、将来は道路2車線と鉄道2車線を追加できる構造となっています。

霊山寺
天平年間に聖武天皇勅願の道場として僧行基が開基したといわれています。
”一番さん”と親しまれ四国八十八か所霊場巡りの出発点であり、一年中、白装束に同行二人と書かれた菅笠をかぶったお遍路さんでにぎわっています。

極楽寺
極楽寺は四国八十八ヶ所二番の寺であり、真言宗高野山派に属す。
三方を山に囲まれた閑静な雰囲気の中にあり、すばらしい宗教的な霊気につつまれている。
もともとこの地方は古くより開かれた土地で、寺の裏山からは旧石器時代の造物が多数出土している。

大麻比古神社
阿波國開拓の祖神をまつり、当國の一之宮として広く県民から「大麻はん」と親しまれ、厚く崇敬されている。
御祭神は、大麻比古大神、猿田彦大神で、方除、交通安全の神として県内外の人々から信仰されている。

ドイツ橋
大麻比古神社の境内奥の板東谷川に架けられた石造のアーチ橋である。この橋は、第1次世界大戦で俘虜となり、この地にあった板東俘虜収容所に収容されたドイツ兵俘虜たちが、1919年(大正8年)に地元住民への感謝の気持ちを込めて築造したもの。ドイツ橋は、設計・施工ともにドイツ人の手になる国内唯一の石橋である。また、

ドイツ館
ドイツ館では俘虜の遺品や写真、等身大のロボットを通して、板東俘虜収容所でのドイツ兵の生活の様子を知ることができます。
松江豊寿所長の人道的管理方針のもと、所内では音楽やスポーツ、演劇など様々な活動が行なわれました。また、地域との交流も活発に行なわれました。

道の駅 第九の里
道の駅「第九の里」は、鳴門市が整備を進めている「ドイツ村公園」の中核施設である「ドイツ館」と「賀川豊彦記念館」の敷地内に設けられるため、道路利用者だけでなく「ドイツ村公園」見学者にも利用しやすい施設です。

ドイツ兵慰霊碑
「ドイツ兵の墓」とも呼ばれてきた古い慰霊碑には、板東ゆかりの11名の名が刻まれています。

板東俘虜収容所跡
板東俘虜収容所の跡地は現在「ドイツ村公園」になっています。

松茂町

人形浄瑠璃芝居資料館
松茂町の歴史・民俗を学び、芸術品、文化財を鑑賞できる施設です。「水とたたかう松茂の人」と「人形浄瑠璃芝居」をテーマにしています。入場は無料です。また、藍染の体験もできます。

北島町

能満寺
能満寺の十一面観音立像は、北島町にある仏像の中では最も古いものである。

藍住町

勝瑞城址
藍住町勝瑞には、戦国時代末期に阿波を支配した三好氏の居館であると考えられている大規模な遺跡があり、現在までの発掘調査で濠跡や枯山水の庭園跡、礎石建物跡が確認され、平成13年1月29日に国指定史跡となりました。 そのうちの、勝瑞城跡は、三好氏の菩提寺である見性寺の境内地となっていましたが、史跡公園整備事業に伴い城内の北半分と濠跡が国有化され、勝瑞城址公園として整備されました。

見性寺
勝瑞城内にある見性寺は、三好氏の菩提寺であり、当時は城の西方にあったが、江戸時代の中期にこの地へ移転してきた。境内には、之長・元長・義賢・長治らの墓が並んでいる。また、見性寺が所蔵する絹本着色の三好長輝(之長)・長基(元長)の肖像画は徳島県の有形文化財に指定されている。

勝瑞義家碑
徳島藩の儒員で四国正学といわれた那波魯堂の撰になる勝瑞義家碑は町の参考資料に選定されている。

板野町

金泉寺
当山は行基菩薩の開基で、金光明寺と号していたが、弘法大師が四国御巡錫の折、ここの境内の古井戸から黄金の仏像が現われたというのにちなんで、寺号を金泉寺と改められたといわれるが、この井戸は今も大師堂のそばにある。後90代、亀山天皇は当寺を深く信じられ、三十三間堂を建立して山号を亀と称された。

白鳥神社
日本武尊が大川郡松原に飛来の途中この地に立ち寄られたという説があり、ここに白鳥神社を建立して尊を祀っている。

諏訪神社
昔、信濃国より移ってきた木内丹後守が、川端城築城の際「城の巽方向に祠を建て以て守護神とす」とあって、信濃国の諏訪神社の分神を勧請したものと伝える。

愛宕山古墳
前方後円墳,竪穴式石室をもつ。

大日寺
当山は弘法大師四国御巡錫の開基と伝えられ、本尊の大日如来は一寸八分の秘仏で、弘法大師の刻まれたものといわれ大日寺と号した。後、さびれて廃寺となったこともあったが、天和貞亨の頃再建せられた。

地蔵寺
嵯峨天皇の勅願により弘法大師の創建。本尊は、当山中興浄函上人が、後宇多天皇の命により熊野権現遷宮の尊師を勤めたとき、神託によって権現の霊木で延命地蔵を彫刻して、胎内に大師ご自作の1寸8分の勝軍地蔵を蔵めたもの。

上板町

安楽寺
真言宗高野派の名刹で本尊は薬師如来。
境内には弘法大師が植えたとされる「さかまつ」があり、これにより大師が大厄の歳に「弓矢の難」を逃れたという故事があり、厄除けの寺として今も信仰を集めています。

吉野川市

藤井寺
弘法大師の手植えという五色に咲く藤で有名です。明治44年に国の重要文化財にも指定された「木造薬師如来座像」があります。ここから第12番札所 焼山寺への遍路道は「最後まで残った空海の道」として大切に保存されています。

石井町

田中家住宅
藍の豪商の家で、吉野川平野にキリコ細工を施した石がきを築いている。南北に50m余り。東西に40m余の屋敷を構えている。
主家は寄棟造、カヤぶきで4面に本瓦ぶきの庇をめぐらしている。

多祁御奈刀弥神社
通称、お諏訪さん、あるいは東の宮という。
三代藩主光隆公が疱瘡にかかった際に霊験があり、この社の分霊を徳島市内の佐古山に勧請し、市民の信仰を集めたという。

神山町

焼山寺
昔から「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ、遍路道の中で一番の難所であった焼山寺。十一番の藤井寺からの遍路道はとても険しく、「へんろころがし」と言われるジグザグな坂道も存在します。
寺の境内からは、はるかに四国山地を望むすばらしい展望が開けます。

十二社神社
祀り神は,神代七代の神と地神五代の神の十二柱の神様

杖杉庵
焼山寺参拝途中にあり、伝説によれば弘法大師が四国遍歴の際、豪農の門前で托鉢した折、強欲非道な主人は鉢を地面にたたきつけた。その後、彼の息子は次々に悲惨な死をとげ、彼は大いに恥じ、子の冥福を祈るため四国巡礼をした。途中、大師に会い、前非を悔いたので成仏したが、その時杖をこの庵に立てたので杖杉庵と称するようになった。

上一宮大粟神社
通称は、大阿波さん。
御祭神・大宜都比売命が伊勢国丹生の郷より神馬に乗り八柱の供神を率いて阿波国に移られ国土を経営し、粟を蒔き、当地一帯にひろめられたという。

神宮寺
当山は聖武天皇、上一宮大粟神社を崇敬の余り勅令を以て神亀5年3月、行基菩薩をして創建せしめた勅願寺である。

道の駅 温泉の里神山
道の駅「温泉の里神山」は、地域産業の振興のため、道の駅を訪れる一般来訪者の方を対象に、木の良さを知ってもらったり、木造建築に興味を持ってもらうという使命を持っています。

佐那河内村

大宮八幡神社
足利時代(室町)では、細川家の祈願所となった。江戸時代後半のペルー等黒船来航の際には蜂須賀候も再三祈願に来ている。祭神は八幡大神で応神天皇である。

上勝町

慈眼寺
四国霊場20番札所鶴林寺の奥の院、四国別格霊場3番札所。お寺の周辺の自然美は桜、ツツジ、紅葉の名所として四国巡礼者が絶えません。また、寺院の境内にある鍾乳洞は、弘法大師が発見したと言われ、全長100mほどの洞窟をロウソクを頼りに巡る体験ができます。

雌淵
アート作品「淵神の塔」がある場所から、道路下の川を眺めると、雌淵を見ることができます。秋には、紅葉と緑葉のコントラストが美しい。

淵神の塔
地域の誇りである雄淵・雌淵の力強い水の流れをテーマに、景観に霊力を感じるこの場所と、分かちがたく一つになった作品を制作しました。 水は命の源、水の神様である竜神の造形化です。上勝を訪れる人々のために、雄淵・雌淵の入り口のサインにしたいと思います。

阿波市

阿波の土柱
阿波の土柱は千帽子山・高歩頂山・円山にまたがる日本随一の奇勝で、風雨の侵蝕で削り取られてできた切り立つ断崖の連続は、圧倒的な景観美を誇っています。昭和9年に文部省より天然記念物に指定された波濤嶽のほか橘嶽・筵嶽・不老嶽・燈篭嶽の5嶽からなる一帯は、ヨーロッパのチロル地方やアメリカのロッキー山脈の土柱と並び世界三大土柱の一つとされています。

熊谷寺
四国霊場第8番札所。桜並木の参道から続く仁王門がシンボル。二層の堂々たる山門で、県の文化財にも指定されています。本堂は昭和2年火災で焼失。再建を経て、現在の本堂は昭和46年に完成したものです。境内には焼失をまぬがれた多宝塔などを備え、周辺の景観とあいまって幽玄な山寺の趣を生み出しています。

十楽寺
四国霊場第7番札所。龍宮城を彷彿とさせる朱塗りの鐘楼門が特徴的。中門の先に広がる境内には見事な老松が生い茂り、その中に建つ本堂が風格のあるたたずまいを醸し出しています。十楽寺の名は、人間の持つ8つの苦しみをのがれて極楽浄土の10の楽しみを得られるようにとの願いが込められています。

丸山古墳
徳島県唯一の周濠をもつ円墳です。5世紀中葉から末期にかけて築造されたものとされており、直径約30m・高さ約6m、周濠の幅約15m。被葬者は阿波国造「粟凡直(あわのおおしのあたい)」の直系ではないかと考えられています。

法輪寺
四国霊場第9番札所。熊谷寺の南西約2?。広々とした田園風景の中にある法輪寺。ひっそりとたたずむ山門、本堂、大師堂、庫裏などに往時を偲ぶことができます。88ヶ所中、唯一ここだけが涅槃像を本尊としており、大師が刻んだと伝えられるその像は秘仏とされ、5年に1回だけ開帳されています。

切幡寺
四国霊場第10番札所。空海とはた織り女の伝説でも知られる切幡寺。阿波守の細川氏との関係が深く隆盛であったようで、細川氏からの書状も残され、境内には利生塔(供養塔)が建てられました。本堂より一段高い山腹には二重の層塔があり、美しいこの大塔は国指定の文化財です。

小松島市

恩山寺
当山は行基菩薩の開基と伝えられる。はじめ、女人の登山を禁じて花折の坂から入れず、百余年の後、弘法大師が当山にある時、その御母公は大師をしたって来山され、大師は仁王門のあたりで17日の秘法を修して、女人の登山を開禁され、御母公に孝養をつくされ、当山で御剃髪された御母公の生像を作られたと伝えられ、寺号を現在の様に改められたという。

弁慶の岩屋
弁慶の岩屋と呼ばれる古墳は、今から約一千数百年以前この地の豪族のお墓でいわゆる横穴式古墳であり、県下では珍しい立派なものである。
このすばらしい岩屋は強力な弁慶でなくては出来ないということでこの地方の人たちが名付けたのである。

立江寺
当山は人皇45代聖武天皇の勅願寺にして、天平年間、行基菩薩、聖武天皇の御后妃光明皇后安産の御念持仏として、勅命により閻浮壇金一寸八分の本尊延命地蔵尊をお作りになり、伽藍を建立御開基せらる。

勝浦町

鶴林寺
当山は延暦の昔、高祖弘法大師御修業の砌,悉地成就の瑞相現われ一寸八分の黄金の地蔵大菩薩、老杉の梢に降臨し給える霊地なり。大師即ち歓喜ましまし、御手自ら3尺の地蔵尊を彫刻し、金像を胎内に収めて安置し奉るもの、今の本尊にして国宝に指定せらる。





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