西部


米子市

上淀廃寺跡
平成3年2月から発掘調査を行い、5月には金堂跡から法隆寺金堂壁画と並ぶ我が国最古の寺院壁画が出土しました。壁画は金堂の壁の内側に描かれていたものと考えられます。自然の絵の具を使って、仏や風景が描かれており、「変相図」と呼ばれる仏教の物語が描かれていたものと考えられます。

境港市

夢みなとタワー
1997年夏に開催された、夢みなと博覧会の跡地にリフレッシュオープンした「夢みなと公園」。その、夢みなと公園内にある「夢みなとタワー」は高さ43m。その最上階の展望室は、見渡すかぎり360度大パノラマ。日本海、国立公園大山、島根半島、境水道大橋、境港市街、弓ヶ浜、中海、米子市街、皆生温泉これだけが一望できるんだから上がってみる価値あり!

水木しげるロード
134体の妖怪たちがブロンズ像になって「水木しげるロード」に出現!鬼太郎グッズや鬼太郎パンなどもあって、大人から子供までとにかく楽しめる。

水木しげる記念館
漫画家にして妖怪研究家、冒険旅行家でもある水木しげる氏。
「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる水木氏の出身地、境港市に異才の魅力と作品の集大成として平成15年に開館。
所蔵点数は約630点。記念館オリジナルイラスト、絵画、昔のコミック本、海外収集した妖怪コレクション、妖怪フィギュアなどが展示されています。

妖怪神社
神社は、水木しげるロードにいる妖怪たちのふるさとして、また妖怪達が住みやすい自然環境を守り育てるための≪妖怪の郷≫の意を込めて造ったもの。

日吉津村

蚊屋島神社
天照皇大御神と天照高比売命の2つの神が祀られている神社。1532年以前に創建されたと古文書に記されています。

大山町

妻木晩田遺跡
中国地方の最高峰・大山の麓に甦った弥生時代の国邑、それが妻木晩田遺跡です。
遺跡のひろがりは鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよび、弥生時代に大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったと考えられます。

南部町

赤猪岩神社
寺内集落の山手に赤猪岩神社があります。大国主命を主神とし、その御祖神にあたる素盞鳴尊、刺国若比売命、さらに稲田姫命が祀られている神社で、大正6年創建の久清神社と要害山山頂にあった赤猪神社が、大正9年に合祀され赤猪岩神社となったものです。神社の境内には、古事記に登場する「大国主命が抱いて落命した」と言い伝えられている岩が祀られています。

殿山古墳
三崎集落には山陰最大級の三崎殿山古墳があります。全長が108m.の威容を誇り、盗掘痕が見当たらないので、保存状態は良好と考えられます。

岩舟古墳
殿山の16基からなる古墳群の西南端、山ろく近くに岩舟古墳があります。墳丘はその跡をとどめず、繁っていた松の大木も枯死し、その太い根がくい込んで多少破壊された石棺がむき出しになっています。
この石棺は、凝灰岩をくり抜き、蓋と身の部分を重ねて造った家型石棺で、伯耆地方ではほかに2例の出土しかなく、現存するものはこの石棺だけという貴重なものです。

伯耆町

おにっ子ランド
巨大な鬼の銅像が目印。
ダイナミックなローラー滑り台、木製の大型遊具など、小さな子供連れでゆっくり過ごすにはぴったりの公園です。

楽楽福神社
長年住民を苦しめた鬼退治に成功し、その一番の貢献者である孝霊天皇、またその一族を祀った古社。
伯耆町の楽楽福神社、日南町宮内の東楽楽福神社・西楽楽福神社の3社を日野郡三楽楽福神社とし、日野大社と呼ばれる大変崇敬の篤い神社として尊んできました。

楽楽福神社の古墳
楽楽福神社の主祭神大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)即ち第七代孝霊天皇御歳百三十二歳で崩御され人民悲しみ遺徳を偲び崩御所脇に砂鉄吹社 笹葺社 楽楽福神社を造りました。又崩御所には古墳をつくりました。古墳は前方後円墳又は東西に長い円墳ともいわれています。

日南町

ノジュール群
ノジュールとは聞き慣れない言葉ですが、地質用語で地層中にできた塊のことです。日南町のノジュールは、直径70〜80cmもあり、砂岩層から突き出るようにいくつも並んでいます。奇妙な形で、地元の人には「目玉石」と呼ばれて親しまれています。

樂樂福神社
人皇第七代孝霊天皇を主神とし其の御一族を祀る旧県社。古くは鉄生産の祖先神として崇敬された日野郡開拓鎮護の総氏神である。
その創建は千百年以上の昔と伝わっている。孝霊天皇が当地を巡幸された折に鬼林山に蟠踞する邪鬼が里人を悩ます由を聞召され御一族を従えて彼の邪鬼を退治された伝説を伝えている。開運招福・願望成就の福の神として人々の崇敬も厚く、たくさんの人々が訪れる。

日野町

長谷部信連と屋敷跡
平安末期から鎌倉初期の武士で高倉宮以仁王に仕えた。
下榎一区の西端に土居のうちといわれる長谷部屋敷跡がある。東西約85m、南北約70mで、堀の跡と思われるもの、礎石と認められるものも現存している。屋敷跡のほぼ中央に伊藤博文公篆額の彰徳碑が建っている。

長楽寺
長谷部信連公により再建されたと伝えられる曹洞宗のお寺です。平安時代の作ともいわれる本尊薬師如来脇侍日光・月光菩薩・毘沙門天・不動明王の5体の仏像は、全国でも傑作といわれる国の重要文化財です。

金持礫岩
礫岩は色々な種類の石が礫として集合し、堆積することにより岩石となったものです。含まれる礫の一つ一つを調べると、地球の永い歴史を読み取れます。金持礫岩は、ここ金持地区に、少量その分布が認められ、中生代白亜紀(今から約1億年前、恐竜がいたころ)にできたと考えられています。

金持神社
全国で1か所しかない縁起の良い名前の神社です。太平記で一躍注目をあびた後醍醐天皇が隠岐島から脱出された際、天皇に従い船上山へと義兵を挙げた元弘の忠臣・金持景藤が必勝祈願をしたと伝えられています。

本陣の門
本陣は現在は形を留めていないが門だけが残り、松江藩主の参勤交代時には峠下のこの根雨に必ず投宿したことから、17世紀には既に宿場としての態勢が整っていたと推定されている。

江府町

下蚊屋ダム
農業用水確保のため江府町下蚊屋地区の日野川水系俣野川に
農水省がダムを造って水を貯めています。
この水は、900o〜300oのパイプで、江府町から大山町(旧中山町)まで
40.2kmの水路を通って送られています。

江美神社
江美神社は、天暦(947〜57)の頃の創建と伝え、はじめは磐船神社、のち王子権現と称した。領主が幾た びか代わっても、その都度尊信を受けて、今日まで続いたようだ。明治6年(1873)、江尾神社となり、大正4年(1915)には現在地に遷座、江美神社 と改めた。

浄楽寺
伯耆三十三観音霊場第十三番札所
江府町立江尾小学校貝田分校の跡だそうです。





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