東部


鳥取市

鳥取砂丘
長い歳月をかけて生まれた砂丘は鳥取県のシンボルです。
あるときは豪快に、あるときはおだやかに表情を変える鳥取砂丘。
風が吹くたびに変わる風紋や砂簾〔されん〕は、まさに自然がつくりだす芸術。
とくに早朝、まだだれも足を踏み入れていない砂丘の一面に広がる風紋は、圧倒的なスケールと美しさで迫ってきます。日本海に沈む夕日もすばらしく、刻々と変わっていく空と海の微妙な色合いが絶景です。

砂の美術館
世界トップレベルの砂像彫刻家を招き、世界の美しい建造物や遺跡、自然、動物などをモチーフにした「砂の彫刻」を制作展示する施設です。2012年春、砂像展示施設としては世界初の常設ミュージアムとしてリニューアルオープンします。

仁風閣
仁風閣は1907年、旧鳥取藩主池田家の別邸として建てられたフレンチルネッサンス様式の洋館で、館内には鳥取藩に関する資料などが展示されています。

宝隆院庭園
この庭園は、仁風閣の近くに造られている。 11代藩主池田慶栄の逝去により、若くして未亡人となった宝隆院を慰める為、 文久3年(1863年)12代藩主池田慶徳が造った回遊式庭園である。久松山の自然 を背景とした渓谷は美しく鶴の形をした池には豪壮な亀島を浮かべ地形の変化 と幽玄なたたずまいに江戸時代末期の造園の極地をよく伝えている。扇御殿 (現仁風閣位置)に住いした宝隆院が池をめぐり、春の桜、秋の紅葉をめでた 往時がしのばれてゆかしい。

鳥取城跡
豊臣秀吉の兵糧攻めで有名な鳥取城。現在は天守閣や二ノ丸跡などが残っています。周辺は久松公園として整備され、鳥取市民の憩いの場となってます。春は桜の名所で、その後久松山の麓の広場ではツツジが満開に。国指定史跡。

太閤ヶ平
鳥取城が戦国時代末期織田氏と毛利氏の対立から羽柴秀吉の攻撃をうけた際に秀吉が構築した土塁に囲まれた陣跡が樗谿奥の本陣山にあります。この時の包囲戦は「鳥取城の渇き殺し」として知られています。

景福寺
鳥取藩池田家家老「荒尾」家の菩提寺「景福寺」は、南北朝時代摂津国六ノ瀬村(兵庫県川辺郡)に通幻寂霊禅師を開山として創建されたのが始まりである。
慶長年間、姫路城主池田輝政の家老荒尾志摩守隆重は、景福寺11世大桂宗奕禅師に帰依し、同寺を姫路城下に移して再興し中興開基となり、以後、荒尾家代々の菩提寺として護持されてきたものである。

玄忠寺
日本三大仇討ちのひとつ、伊賀越仇討ちで知られる剣豪・荒木又右衛門の菩提寺で、境内には墓と遺品館があります。また、高木啓太郎による羅漢のふすま絵は、実にいきいきとした表情で見るものを惹きつけます。

荒木又右衛門の墓
寛永11年(1634年)備前国岡山藩池田氏家臣の義弟・渡辺数馬の敵を伊賀上野で討った事件は、「伊賀越の仇討ち」として有名。
藤堂家預けとなったのち、寛永15年(1638年)因幡国鳥取藩池田氏に引き取られたが、急死した。

廣徳寺
臨済宗妙心寺派に属する古刹で鳥取藩主池田家分家の菩提寺。
境内墓地には力士墓として最古といわれる「鎌倉十七」の墓がある。

観音院
中国観音霊場の一つ。庭の半分を池が占める、江戸初期の池泉鑑賞式庭園で、抹茶をいただきながらゆっくり鑑賞したい、静かで情緒ある庭園です。国指定名勝

湖山池
千代川の砂の堆積作用で生じた東西4km、南北2.4km、周囲16kmの潟湖。池には大小の小島が浮かび憩いの場として親しまれています。

株湯シンボル
緑の山あいにたたずむ吉岡温泉の一角にある「株湯」は、この町の「恵みの源」であり、シンボルです。この温泉をモチーフとして、広く地域の人々への未来の繁栄と、親しみある場となることを願って創作設計しました。一段高く曲面をもった立体は限りなく溢れ出る湯の姿、中心には古より流れ続けてきた「源泉」を配しました。

亀井殿湯
鹿野城主亀井自茲矩が1600(慶長5)年関が原合戦の功によりこの地の領主となって後開発したもので、浴槽は温・熱の二つあって、1617(元和3)年、津和野へ転封されるまで、禁湯として専用していたがその後は一般の入込湯となった。

白兎海岸
全国的に知られている神話「因幡の白兎」の舞台となったのがここ白兎海岸です。白砂の浜が続く美しい海岸で、夏になれば海水浴場としてにぎわっています。国道沿いには童謡「大黒さま」の歌碑もあり、近くには「因幡の白うさぎ」を祭った白兎神社があります。

白兎神社
大国様に助けられた白うさぎの神話「因幡の白兎」でおなじみ、豊玉姫命が御祭神の神社です。皮膚病、やけどなどにきく神社として知られ、うさぎが体を洗ったと言う池ガマなども見られます。

道の駅
神話の里 白うさぎ
道の駅「神話の里白うさぎ」は、「因幡の白うさぎ」の神話の地である鳥取県鳥取市白兎にあります。海岸線を走る国道9号沿いに位置し、目の前には神話の舞台となった日本海が広がり、駅の後ろにはその白うさぎを祀った白兎神社があります。

青谷上寺地遺跡
青谷上寺地遺跡は弥生時代前期末(約2200年前)から古墳時代前期初め(約1700年前)にかけて存在しました。弥生時代中期後葉(約2000年前)になって、大規模な護岸施設が作られたり、出土品の量も増えることから、この時期に集落の拡大があったと考えられます。

道の駅 清流茶屋かわはら
鳥取県の新しい玄関口。恋愛のパワースポット。「日本で最初の恋物語の地」を楽しむ恋愛観光ステーション、道の駅清流茶屋かわはらです。

流しびなの館
室町時代(約700年前)の京都金閣寺をモチーフにした大型木造建築です。内部の展示室には、江戸時代をはじめ各時代の雛人形、雛飾り、加茂人形、御所人形などを常設展示しています。木と雛のおりなす独特な美しさと雰囲気を醸し出した館です。

岩美町

浦富海岸
「山陰の松島」と呼ばれる景勝地浦富海岸は「日本の渚百選」「平成にっぽん観光地百選」にも選ばれている名所。その景観が似ていることから「山陰の松島」と呼ばれることもあります。約15kmにわたって続くリアス式海岸は変化に富み、西部には海食や風食によってできた奇岩、洞門、断崖絶壁が点在しています。

荒砂神社
当社の草創は白鳳期(7世紀後半)、浦富元宮町鈴見山に勧請と伝える。大同元年(809)8月、蒲生川氾濫にて社地社殿悉く流出。
同年11月15日、現在地に建立鎮座。大神社荒砂大明神と呼称した。
文徳実録の「仁寿元年(851)10月10日因幡国大神社ニ授従五位下」、延喜式の「因幡国大神社」は当社と伝える。元亀3年桐山城に居た山中鹿之助は当社に、戦勝祈願し因幡守護山名豊国を助け鳥取城を攻略した。

小畑古墳公園
高規格道路の駟馳山バイパス建設工事で、小畑3号噴の横穴式石室と家型石棺(町指定文化財)を、国道沿いに移築復元した小さな史跡公園。近くには古墳や石碑などが多く、興味のある人はちょっと散策を。

穴観音(小畑1号墳)
古墳時代後期の築造で石室全長11.2m高さ3.5mあり天井には大きな切石が使われています。安永年間(1780頃)このあたりの大谷沢の干拓事業が成就しはたのを記念して、和田忠太夫が施主となり33体の観音像を石室に安置した。以後この古墳は「穴観音さん」と呼ばれて親しまれてきました。平成2年、石室崩壊の危機のため、すぐ近くの新安置所に移し替えられました。

頼朝の愛馬生月誕生の地
駟馳山の山の牧場から多くの名馬が産出されるようになりました。平安時代末期の源平合戦のおり、源頼朝の命による佐々木高綱とともに宇治川の先陣争いで活躍した名馬・生月もここで誕生したと伝えられています。

若桜町

不動院岩屋堂
修験道寺院の建築として知られ、天然の岩窟内にある舞台造りの建物で、昭和28年に国の重要文化財に指定され、その後解体修理されました。 大同元年(806)飛騨の匠が建築したもので秀吉来攻のとき、兵火にかかり焼失し、この本堂だけが焼け残ったと伝えられています。

岩屋神社
社伝に拠れば大同元年の創立と伝へ、舂米村字須賀山鎮座村社須賀神社(現今舂米神社と称す)の分霊を現地に奉斎し子安権現と称す、(但し舂米神社と祭神異なれり尚究むべし) 然して本社は飛騨の匠の作なりと伝へ、文政十二年九月修理せしが、慶応元年九月十八日消失し、翌二年再建せり、明治元年六月村社岩屋社と称へ、同六年岩屋神社と改称す。

智頭町

智頭宿
智頭宿は、上方へと向かう主要道であった「智頭往来」の宿場町。江戸時代には、参勤交代で江戸へと向かう鳥取藩の最初の止宿であり、藩主の宿泊や休憩の場となる御茶屋や奉行所、制札場が置かれていた要所です。

石谷家住宅
重厚な大門で人々を出迎え、3000坪という広大な敷地に部屋数が40以上ある邸宅、7棟の蔵、美しい日本庭園を持つ「石谷家住宅」。石谷家は、元禄年間(1688〜1704)の初期に鳥取城下から智頭に移り住み、この地で繁栄してきた旧家。江戸時代には大庄屋を務めつつ地主経営や宿場問屋を営み、明治に入ると大規模な林業を営む事業家、国政に参加する政治家としても活躍してきました。

興雲寺
興雲寺は曹洞宗(禅宗)のお寺です。古くは臨済宗(禅宗)妙心寺派のお寺であったと伝えられ、天文10年(1541年)当時、既に建立されていたとの記録があります。 江戸幕府が国替の時、新藩主池田光仲候の父忠雄候のお位牌がこの寺に安置宿泊されことにより、寺領が安堵され、智頭宿と共に発展しました。

河野神社
手・肩・腰などの病を治す信仰があり県外からも参拝者が絶えません。境内には祈願用の木製手形や足型が奉納されています。

八頭町

土師百井廃寺跡
昭和53・54年の発掘調査の結果、塔の西側に金堂、その北側に講堂を配する奈良の法起寺と同じ建物配置となっていることが判明しました。「因幡」と書かれた文字瓦や大棟の両端につけた鴟尾などが出土しており、7世紀中頃から8世紀初めの白鳳時代に建てられた寺院と考えられています。

道の駅 はっとう
八頭町総合運動公園に隣接して、「八頭町フルーツ総合センター」があります。産地ならではのみずみずしい厳選された高品質のフルーツが味わえます。おいしい「フルーツの里」を味わいにどうぞお立ち寄りください。





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