津市 |
観音寺 | |
津の街の中心地にあり、古くから市民をはじめ、近郷の人々から「観音さん」と呼ばれて親しまれています。 真言宗の寺院で、浅草・大須観音と並んで日本三観音の一つに数えられています。 |
専修寺 | |
一身田町にある専修寺は通称高田本山の名で知られる真宗高田派の本山で 三重県最大の寺院です。寺内には親鸞聖人の木像を中央に歴代上人画像をまつった巨大な 御影堂や如来堂が建てられています。 |
一御田神社 | |
一御田神社は、元和5年(1619)の棟札によると、祭神は「大梵天王、神明、溝淵」の3社であった。 |
松阪市 |
松阪城跡 | |
今から400 年余り前(1588)、蒲生氏郷によって築かれたお城。 豊臣秀吉の命により松ヶ島城に移された氏郷が、より強固な城を求めて今の四五百森にお城を作りました。 かつては三層の天守閣や兵部屋敷などがありました。 桜、藤、銀杏が美しく、今は公園として市民の憩いの場所となっています。 |
本居宣長旧宅 | |
父の没後(宣長12歳)、一家でここに移住。宣長はこの家で医者とし、国学者として72年の生涯を過ごした。また53歳の時、この2階を書斎に改造して「鈴屋」と号した。 明治42年、遺蹟の保存と公開のため松阪公園内に移築され、本居宣長記念館に併設して公開され、宣長とその時代を偲ぶことができます。 |
御城番屋敷 | |
槙垣と石畳をはさんで静かに息づく歴史空間、ここは江戸末期に旧紀州藩士が松阪城警護のため移り住んだ武家屋敷です。 このような組長屋は全国でも大変珍しく、今も人々の暮しが営まれています。 西棟北端の一軒は内部を公開しています。 |
松阪神社 | |
室町時代末期の天正16年(1588年)蒲生氏郷公が松阪城を築城した際、武士の尊崇した八幡様(誉田別命)を併せ祀り、明治41年には、当時の政府の神社合祀令により、現在の氏子地域になっている町より、17の神社(33柱の祭神)が合祀祭神として、意悲神社に併せ祀られたことにより、松阪神社と改称し今日に及んでいます。 |
本居宣長ノ宮 | |
もとは宣長の奥墓付近にあり、山室山神社と呼ばれていました。 宣長をまつった学問の神様。受験シーズンにはにぎわいをみせます。 |
明和町 |
斎王の森 | |
斎宮跡史跡の中央部、方格地割の北側にあり、地元でほ、斎王の御殿のあった場所として伝承されている。森の中には、「斎王宮阯」の石碑や杉の木でできた黒木の鳥居があり、現在は神宮司庁の管理地となっている。 |
塚山古墳群 | |
塚山古墳群は5世紀〜6世紀前半を中心に築造され円墳と方墳が混在する古墳群です。現在までに42基確認されていますが、このうち現存するものが13基、発掘調査でみつかったものが21基あります。 |