宇佐・中津


宇佐市

宇佐神宮
全国に4万余社ある八幡宮の総本宮で、725年(神亀2)応神天皇の御神霊、八幡大神を祭る本殿の一之御殿が創建されたことが始まりと伝わる。太古からの原生林に囲まれた境内には八幡造の3棟の本殿(国宝)をはじめ、御殿、神橋、呉橋、能楽殿、宝物殿など貴重な建築物が立ち並ぶ。また10年に一度(次回は平成17年齋行)、皇室から勅使を迎える勅使奉弊祭も開催される。

呉橋
呉橋は西参道にある屋根がついた神橋です。
昔、呉の国の人が掛けたともいわれ、この名があります。鎌倉時代より以前からある橋です。

宇佐参宮線26号蒸気機関車
この機関車は明治24年(1891年)にドイツ・ミュンヘン市のクラウス社が製造、明治27年に九州鉄道(株)(国鉄の前身)が購入し活躍していましたが、昭和23年機関車の大型化に圧され大分交通(株)に譲渡の後、宇佐参宮線の主役となりました。
宇佐参宮線は、大正5年(1916年)3月開業し、昭和40年8月に廃止されました。
二六号機関車は形式10、製造番号2550号、最大長7.509m、高さ3.616m、幅2.546m、運転装備時重量23.36tで、実に71年間にわたり活躍しました。

御塚石棺
ここには古墳時代(約1600年前)の箱式石棺一基が保存されています。黒川に沿った一帯には、古墳時代に勢力を有した豪族たちのムラ(小部遺跡)が発見されており、この墓はそれらの豪族と深い関係があると考えられます。

葛原古墳
径約50m、2段築成の円墳と思われるが、帆立貝式古墳の可能性もある。
墳丘は2段築成で、周囲を濠がめぐり埴輪を備える。
明治時代に発掘され、銅鏡や玉類、甲冑など多くの副葬品が出土した。出土品は市の重要文化財になっている。

城井一号掩体壕
掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設です。掩体壕の中には杵築沖から引き上げられたゼロ戦のエンジンとプロペラが展示されています。

東光寺五百羅漢
520余体の石像が並ぶ東光寺の五百羅漢。15代住職が生活に苦しむ住民を救おうと文久3年(1863年)から24年かけて石工に作らせたものです。ユニークな羅漢様もありますので好みの羅漢様をさがしてみてはいかがですか

宇佐風土記の丘
九州最古の古墳「赤塚古墳」などの前方後円墳が6基、中小の墳墓が160基あまり点在する広大な史跡公園です。鶴見古墳は中に入って見学ができます

大分県立歴史博物館
館内には、伊勢神宮につぐ宗廟と呼ばれる宇佐神宮の神殿模型や熊野磨崖仏などのレプリカが収められており、宇佐・国東の歴史と文化を中心に「おおいたの歴史と文化」を学べます。

赤塚古墳
川部・高森古墳群の1基で、全長約58mの前方後円墳。墳丘の周囲を濠がめぐっており、二重口縁壺の破片が見つかっている。後円部で見つかった箱式石棺からは三角縁神獣鏡などの銅鏡5面や玉類、鉄製品などが出土した。築造時期は3世紀末と推定。

免ヶ平古墳
免ヶ平古墳は、赤塚古墳の次に造られたと思われます。現在は、直径25mの円墳状に削られていますが、元は、全長約50mの前方後円墳でした。約5mの竪穴式石室を持ち、副葬品には、鏡・碧玉・勾玉・鉄刀・鉄剣・農耕具などがありました。

福勝寺古墳
福勝寺古墳は、全長78メートル、後円部の径54メートル、高さ7.5メートル、前方部の幅22メートル、高さ3.5メートル全長約80メートルと、川部・高森古墳群で最大、大分県で4番目の大きさの前方後円墳で、5世紀前半の築造と推定されている。春日山古墳とも呼ばれる。内部は未調査である。

法鏡寺廃寺跡
白鳳時代に創建された寺院で、680年に制定された官大寺の制により、大官大寺(後の大安寺)、薬師寺、法興寺、川原寺(弘福寺)などとともに官寺として保護された。

四日市横穴古墳群
6世紀後半〜7世紀に築かれた総数150基以上の横穴墓群。
横穴は一鬼手地区と加賀山地区に分布し、一部の横穴の壁面には装飾が施されているものもある

東本願寺四日市別院
豪華な山門は、鳳凰、雲龍、牡丹などの紋様が随所に刻まれ、正面幅16.2m、奥行4m、高さ15.6mの重層山門で、九州最大の規模を誇るそうです。

大乗院
大乗院の鬼のミイラは座高1.4m、立てば2mを超そうという大きなミイラです。このミイラは願い事を叶えてくれると有名で、多くの参拝客が訪れます。

豊前善光寺
西暦958年(天徳2年)、九州に下った空也上人が宇佐神宮に参籠された折、八幡神の御神託(お告げ)により、この地(芝原)に一宇を建立し本師如来を安置したのが開基とされる。

旗本時枝陣屋跡
旗本は江戸屋敷にいて、時枝領には目代を派遣し、陣屋は時枝村に置かれ石垣の一部が残っています。布津部に蔵役所がありました。

須崎の滝
津房川にかかる滝。滝壺へ行く道はないが、国道500号線に展望台がある。

桂昌寺地獄極楽
江戸末期、大衆教導の場として造られた貴重な地獄極楽。全長40mの洞窟の入口には怖い顔をした閻魔大王や牛頭・馬頭などが並んでいます。地獄を通り抜け、鎖をつたって丘に登ると、そこは仏様のいる極楽浄土。ちょっとした冒険です。

楢本摩崖仏
道路から石段を少し登った崖に上下2段に仏像が刻まれている。不動明王や仁王がよく目立ち、朱色の彩色が残っている。覆いがないので開放的で、道路からも見える。

中津市

中津神社
明治16年(1883)3月31日六所神社を主とし義氏神社・稲荷神社・蛭子神社及び大江八幡宮の御分霊を合祀す。当時大江八幡宮に属せる祇園踊車八車は中津神社に寄進された。

城井神社
黒田孝高に謀殺された豊前の豪族宇都宮鎮房をまつる。

中津大神宮
ご祭神は天照大神、豊受大神ほか二柱。明治14年9月伊勢神宮御分霊を奉迎鎮祭、神宮県教会としてご鎮座。

中津城
中津城は、豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田孝高(如水)が山国川(当時高瀬川)河口の地に築城したのが始まりです。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。
現在の天守閣は、昭和39年に建設されたものです。

福澤旧居・記念館
福澤諭吉が起居した母屋と、自ら改造し勉学に励んだ土蔵が残っています。 また隣接する記念館には、諭吉に関する様々な資料が展示され、その一生がつぶさに見られます。

自性寺
自性寺は奥平藩歴代の菩提寺です。藩祖信昌公が、三河新城にいた時、金剛山万松寺と称して創建。その後いく度か藩の転封に従い、移り、1711年(享保2年)、6代藩主昌成公の時、中津に転封。1745年(延享 2年)、自性寺と改称します。

大雅堂
池大雅は、九州の美しい景色にふれて、自由に筆をふるいました。これらの書画は1778年(安永7年)、書院の襖に貼られます。後、十代藩主昌高公が「大雅堂」と染筆、扁額を掲げてから、この書院を「大雅堂」と呼ぶようになりました。

河童の墓
自性寺13代海門和尚は、真玉町にある真玉寺の小僧や、中津の女性に取り憑いたカッパを仏縁により改心させています。

田原淳博士の顕彰碑
20世紀初頭において心臓学の最大の研究業績を挙げた世界に誇る中津市出身の偉大な医学者

自性寺のお囲山
かつて城下を取り囲んでいたお囲い山といわれる高さ5メートルほどの腰巻土塁の一部が自性寺に現存している。

村上医家史料館
村上医家史料館では、村上医家の史料及び人体解剖に至るまでの医学の流れを中心に展示を行っています。中津の医学・蘭学・文化の歴史を通して、前野良澤や福澤諭吉を生み出した郷土の学問の系譜と歴史を掘り起こし、市民の郷土に関する理解と文化の向上を目指しています。

上ノ原遺跡
上ノ原横穴群は、下毛郡三光村大字左知の 山国川 東岸段丘の傾斜面に、5世紀後半から7世紀前半にかけて営まれたものである。 横穴群 のある段丘上一帯は標高30m前後の「下毛原」と呼ばれる 洪積世台地 で、上ノ原と通称されている。

青の洞門
山国川のほとりの競秀峰のすそに掘られた青の洞門。今は車が通るトンネルになっているが、昔の素掘りのトンネルも一部残っている。
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でよく知られる話が残っている。
人を殺めてしまった償いに難所であったこの地にトンネルを掘ろうと決意した禅海が、ノミとツチだけで30年かけて完成させたと言う話である。

道の駅 耶馬トピア
「道の駅耶馬トピア」は史跡「青の洞門」近くの国道500号線沿いにあり、施設は川の中洲に造られている。中洲は大樹が茂り木陰も多く夏には良い涼み場所となる。施設はレストランやそば打ちが体験できる「ふれあいステーション」や耶馬溪の資料などを展示している「耶馬溪風物館」、地域の民具の展示などある「ふるさと塾」などがある。店は駐車場わきにソバが食べられる「洞門そば」と町特産物の販売をしている「産直マーケット」がある。

羅漢寺
羅漢寺は約1300年前の大化元年(645年)にインドの僧、法道仙人が金銅仏を持参しお寺を始められたのがこのお寺のはじまりであると伝えられています。全国羅漢寺の総本山で由緒ある寺です。なお、本寺は昭和18年に火災で焼失、現在の本堂は昭和44年に再建されたものです。
羅漢寺は羅漢山の中腹にあり、岩壁には無数の洞窟が口を開き、山門も本堂もその中に埋め込むように建っています。そして洞窟には3700体以上もの石仏が安置されているそうです。その中でも無漏洞(むろどう)の五百羅漢や1100体以上の石仏が納められている千体地蔵などが有名です。

指月庵跡
中津藩主小笠原長勝(1666〜1682)により茅葺き数寄屋作りの茶室として建造されたと言われる。昭和18年(1943年)1月31日本堂の火災で焼失した。

禅海堂
羅漢寺ふもとのリフト乗り場近くにあり、青の洞門を完成した後に禅海和尚が寝起きをした所で、安永3年(1774)88歳の生涯を閉じた所です。堂内に有る禅海和尚のお墓は香煙の絶え間が無く、地元の人々に守られています。又堂内には禅海和尚が洞門を掘る時に使用した槌やノミ、錫杖、茶釜などの遺品が展示され、正面には禅海和尚が托鉢の時使用していた鈴ガ吊り下げられています。

馬溪橋
山国川に架かる5連の石橋。橋の石の一部にツタがからみ付いており、このツタが秋には紅葉して赤くなる。もうすこしツタが増えればすばらしい光景となるだろう。
また、橋のたもとには西浄寺があり境内にはイチョウとモミジの木がある。この木が秋には紅葉(黄葉)し、石橋に彩りを添えている。

耶馬溪ダム
耶馬溪ダムは1984年(昭和60年)山移川に完成した堤高62mm、堤延長313mの洪水調節・不特定用水の補給・都市用水の開発等を目的とした多目的ダムです。
山国川の豊かな自然環境を有効に活用に活かしながら、安全で安心して暮らしていくためには、川の水の流れを適正に管理していく“治水”と、川の水の効果的な利用を図っていく“利水”という2つの取り組みを、そして、山国川本来が持つ自然の環境を維持していくことを目標に管理運営がされています。

一目八景
深耶馬溪は耶馬渓一番の景勝地である一目八景があるところである。一目八景とは海望嶺、仙人ヶ岩、嘯猿山、夫婦岩、郡猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山の8つの景色を一目で見ることができるので「一目八景」と呼ばれている。

雲八幡宮
ご出現1300年の古社で古くは「雲のやしろ」と称した。出現の地には「雲石」が残っている。境内には「千年杉」と呼ばれる杉の巨木が林立し圧倒される。毎年7月29日には「かっぱ祭り(宮園楽)」が、9月には「雲の森コンサート」が開催されることでも有名。

一戸城址
国道212号線の山国町との境、一戸トンネルの真上、岩山の頂上に築かれた典型的な山城でした。
緊急の用事等では正面の岩を攀じ登っていましたが、平素は左の神谷谷から山の尾根伝いに城への道がありました。何れにせよ街道を真上から見下ろす要害で攻め辛い城でした。
築城は永和2年、今から620年前、友杉部と言う人が中摩郷(山国町)の地頭に任ぜられ築いたと言われます。

亀岡八幡宮
中摩仲秋祭が亀岡八幡社にて開催され、神楽のほか、市指定無形文化財の「白地楽」も奉納されます。
白地楽はカッパを封じ込む踊りで、元文2年(1737年)が起源といわれています。はやしの音色に合わせ、カッパを示す赤装束の「中むらし」を取り囲むように、4名の「大団扇持ち」が大きな団扇をかざしながら力強く舞います。

立羽田の景
山国方面へ抜ける道の途中にある景勝地。緑に覆われて屹立する岩の下に田んぼが広がり、農家が点在する眺めは旅情満点。観光シーズンには物産館も登場する。

天祖神社
平安時代末期に鎮西八郎源為朝がこの地に居住し、妙見八幡様を尊崇し武運長久を祈願した。為朝没後里人が永日山頂に社を建て妙見、八幡様を祀った。この社が天祖神社元宮である。





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