臼杵市 |
臼杵石仏 | |
臼杵市南西部にある石仏群で、そのうち59体が國重要文化財に指定される。石仏は、ホキ・堂が迫・山王山・古園の4群に大別され、いずれも平安から鎌倉時代の造仏と推定される。 |
紫雲山満月寺 | |
深田の里には当時は多くの寺があり、祇陀院・療病院・施薬院・安養院・快楽院の5院と、河口坊・悟楽坊・岡坊・南坊・谷坊・東坊の6坊など、無数の小さなお堂があった。それらを総称して紫雲山満月寺と呼んだ。現在の満月寺本堂は、昭和25年に日本山妙法寺(山主)、故藤井日達大上人の手で祇陀院跡にこじんまりと復興された。満月寺は大友宗麟時代(永禄5年)頃に焼かれ、その後復興できず、ただ小さな御堂だけが明治の初め頃まであった。 |
ヤマコ臼杵美術博物館 | |
旧臼杵藩主稲葉家に伝わる漆工芸品を展示。なかでも、化粧箱や香道具、貝あわせなど、お姫さまの婚礼道具がすばらしい。2階は臼杵石仏周辺で発掘された中世の遺物を展示。 |
深田の鳥居 | |
石仏の里深田の入り口近くの田んぼの中に、凝灰岩でつくられた大きな鳥居があります。 この鳥居は、臼杵石仏とかかわりを持つ日吉神社の鳥居といわれています。鳥居の柱脚が深く地中に埋没していますが、近くの臼杵川のはんらんなどでこの付近一帯が、たびたび大きな水害に見舞われていることから、次第に埋まっていったものだと思われます。 |
臼杵城跡 | |
永禄5(1562)年に大友宗麟が築城。当時は臼杵湾に浮かぶ海城で別名「丹生島城」。陸続きとなった今は臼杵公園として整備され、今は復元した櫓がある。春は千本桜が咲く。 |
臼杵護国神社 | |
明治11年(1878)に臼杵城址に創建された招魂社と、明治12年(1879)に創建された稲葉神社を昭和35年(1960)に臼杵護国神社として合祀した。招魂社は、西南の役で薩摩軍と戦い戦死した臼杵隊43名を祀るために創立されたが、その後戦死者全てを合祀することとなった。稲葉神社は、稲葉家家臣が歴代藩主の霊をを祀るために創立されたものである |
竜原寺 | |
1600(慶長5)年に稲葉初代藩主が建立。臼杵には30以上の寺があるが、とくに三重塔で有名。聖徳太子像を安置し、「太子塔」と呼ばれている |
福良天満宮 | |
天満宮と言えば菅原道真。その道真の子供の流れをくむ神社であり大分の天神様と言われており、当然ここも学問の神様である。学問以外に臼杵の経済の達人といわれている大塚幸兵衛の赤ねこ大明神もあり商売繁盛の神様でもある。商人の町臼杵ならではの神社のひとつである。 7月中旬には福良天満宮祭が行われ岩戸神楽、神幸、獅子舞、舞踊大会、献茶会などが行われます。中でも獅子舞は昔はどこでも見られたのでしょうが、最近は他ではめったに見ることができないものです。 |
法雲山大橋寺 | |
江戸時代初期、幕府のキリシタン弾圧によりカキダキ村住人すべて隠れキリシタンであつたことが判明し、村は全滅と思われたが大橋寺第6世歴道上人は「庄屋以下全員この寺の門徒である」との証明書を出し村人を救った。この恩にたいして村人は現在も報恩供養を行っている。また、大友宗麟公夫人の墓がある。明治10年の西東戦争の時には警視隊の本営が置かれた。 |
臼杵の町並み | |
藤原時代の日本の代表的磨崖仏群を持つ県南の城下町である。祇園洲から山手に侍町や社寺を配置し、唐人町や掛町、浜町などの町家を取り囲んでいる。町割は道幅も狭く屈折が多く、袋小路も多い。寺院や武家屋敷の石垣・石塀・石段・石畳の取り合せと石組の変化が、坂道を歩く楽しさを味わわせる。 |
久家の大蔵 | |
臼杵市横町にある久家家の大蔵(アズレージョタイル壁画)は、久家本店が江戸時代より所有している歴史のある酒蔵に、臼杵市がポルトガルのアズレージョ(装飾タイル壁画)作家ロジェリオ・リペイロ氏へ依頼し、完成した壁画です。 |
野上弥生子文学記念館 | |
日本で初めて「ハイヂ」を翻訳、『秀吉と利休』などの名作で文化勲章を受章し、昭和60(1985)年に死去した野上弥生子の生家を改築した文学館。師夏目漱石の書なども展示。 |
二王座歴史の道 | |
二王座は臼杵城の西南、大門櫓前から5分ほど歩いたところにあるエリア。石畳の坂道が続く一帯には高い石垣、武家屋敷の長屋門、白壁の商家や多くの寺院が軒を連ねる。 |
竹山寺法音寺 | |
三代臼杵藩主一通公が豊前を領していた細川公の三女を奥方に迎えるにあたり、日蓮宗がなかったために建立された。竹山を切り開き立てたので竹林山の号がついている。臼杵城より鬼門の方角にあたるために、山門には魔除けの持国天、毘沙門天の仁王像がニラミをきかせている。世界中に仏舎利塔を建立した藤井日上人は、少年時代この寺で修行している。 |
善法寺 | |
建武元年(1334)創建。開基廊玄上人は佐々木五郎義清の曾孫と伝えられる。 建武元年臼杵末広(現在の善法寺村)に来って善法寺を創設する。寛永元年(1624)十一世正益の時、藩主稲葉一通公の命により現在地に移る。 真宗の寺院としては九州最古の寺の一である。 |
稲葉家土蔵 | |
稲葉家土蔵は現在では二王座散策時の休憩スポットとして無料で観光客に開放されています。 2階には臼杵の町並みを撮った写真が展示されています。 |
お休み処旧真光寺 | |
浄土宗本願寺派の支院として、享保元年(1716)に臼杵藩士だった稲川小右衛門の長男・宗適によって開基されたお寺です。 周辺は「切り通し」と呼ばれ、 臼杵の街並みの中で最も風情のある景観が広がります。 現在は、街並散策の休憩拠点となっているお休み処・旧真光寺。「二王座歴史の道」 を歩いていにしえの時代へタイムスリップしたあとは、落ち着いた風情が味わえるお休み処でお茶を飲みながらのんびり過ごしましょう。 |
直良信夫博士誕生の地 | |
明石原人を発見した考古学者直良信夫氏の生家は臼杵市二王座歴史の道沿いにあります。観光コース沿いにあるのですぐ分かります。 |
春日局屋敷跡 | |
二代目藩主・典道は、夫と離別して2人の子供を連れ不遇の身だったお福(のちの春日局)を引き取り、二王座に住まわせたことがあったといわれています。お福の母・阿牟は一鉄の姪で、父・利三は美濃の斎藤一族でした。一鉄の家臣でもあった利三は、のちに明智光秀の重臣となった人物です。お福がかつて暮らしたといわれるこの屋敷を、今でも局屋敷と呼ぶ人もいます。 |
後藤家長屋門 | |
築城年代は定かではないが、臼杵藩の家老を務めていた後藤氏によって居館として築かれたことから始まる。現在、遺構として立派な門が残っている。 |
月桂寺 | |
月桂寺は、臼杵5万石の藩主・稲葉公の菩提寺として慶長13年(1608)、湖南宗嶽和尚が開山し、稲葉典通が創建したお寺。その後およそ400年、時代の移り変わりとともに生き続けていた名刹のひとつです。 |
大日石仏 | |
全部で七体彫られており、向かって左から多聞天、如来三尊、不動明王、コンガラ童子、セイタカ童子と並んでいます。 中尊の如来像は高さ1・9mの巨像で、両手を膝に置いていたと思われる坐像です。額面から上胸部は破損がひどく、その形相は残念ながら知ることができません。 |
磨崖クルス | |
円の中に雲形台に乗った干十字章を陽刻したものです。年代は不明ですが大友宗麟が豊後を治めていた時代に作られたものとされています。 現在は、平山茂樹氏が所有していますが、この十字章があるのでクルスバの地名がついたのか、この上の小高い所(崖の上)に、十字架が創られていたためにクルスバの地名があるのか、さだかではありません。しかし、この様な歴史的な遺物があることは、驚くばかりで弾圧下に良く残ったものだと思われます。 |
風連鍾乳洞 | |
風連洞は大正15年(1926)2月14日に地元川登村蒐光青年団の探 検によって発見せられ、引き続き同年3目3日に発見された山上の
新洞と共に、昭和2年4月4日国の天然記念物に指定された。 発見当時の入洞口は、深検洞として保存されている。風連洞は閉 寒型の鍾乳洞であるため、鍾乳石が均整のとれた美しい形でよく成 長しており、またその種類も豊富で、日本の代表的な鍾乳洞である。 |
津久見市 |
つくみん公園 | |
津久見のシンボル「つくみん」をはじめ、様々なキャラクターをかたどった遊具が並ぶ『つくみん公園』。色とりどりの遊具は、それぞれ海をテーマにしており、見ているだけでも楽しめそう。 |
宗麟墓地公園 | |
大友宗麟が晩年、隠居して津久見で信仰生活に入り、1587年にこの地で永眠した。今では墓所のそばに胸像が建てられ、1977年には、建築家・磯崎新氏設計の洋式の墓も建てられた。 |
上青江神社 | |
元文年代(1736年頃)臼杵藩(稲葉藩)と佐伯藩(毛利藩)との奥山争論(奥河内山争議ともいう)の勝利祈願のため伏見稲荷大明神を勧請して字木戸口に稲荷社を祀ったものが創建と伝えられている。以来250年間「道尾の稲荷様」と呼称され地区の人達に親しまれている。 |
コミカンの先祖木 | |
上青江蔵富にある「尾崎小みかん元祖木」(国天然)は、その古い歴史を想像させるに充分な枝ぶりを見せている。正確な史実は不明だが、伝承によると保元2年(1157)に青江蔵富に住む仁藤又四郎が松川から移植し、繁殖を図ったのが現在の尾崎の元祖木といい、慶長17年(1612)にこれが暴風雨で倒れたのち、川野清左衛門がこの畑を買いとって保護したと伝えられる。樹令800年といい、今なお結実する老樹である。 |
佐伯市 |
櫓門 | |
大手門跡から石畳を歩いていくと、城山を背景にどっしりと構えた櫓門が見えてくる。三の丸御殿の正門として、寛永14年に創建された櫓門は、江戸時代の城郭建築を色濃く残す、歴史的建造物です。 |
歴史と文学の道 | |
佐伯市の大手門跡から櫓門前を通り養賢寺までの道を「歴史と文学の道」とされています。 櫓門は三の丸殿の正門として作られた歴史的建築物です。 この城山の市道山際の通りは国土交通省選定の「日本の道百選」に選ばれています。 |
矢野龍渓生家跡 | |
本名文雄。佐伯出身で、立憲改進党結成に参加し、郵便報知新聞社主等を努めた。政治小説「経国美談」を著した |
安井の井戸 | |
「安井」は、八代藩主の毛利高標に仕えていた藩医・今泉元甫が、飲み水に困っていた庶民の為に、私財を投じて掘った井戸の一つ。 |
汲心亭 | |
静寂に包まれた歴史と文学の道には、矢野龍渓生家跡や、独歩が寄寓していた坂本邸などが建ち並び、昔日の面影を残している。歴史と文学の道での散策を楽しんだら、茶室の「汲心亭」で一休みしてはいかが? |
国木田独歩館 | |
本館の建物は、明治26年10月から明治27年6月末までの間、国木田独歩と弟収二が下宿した坂本永年邸です。 坂本永年は、独歩が教師として勤めた鶴谷学館の館長であり、公私ともに面倒を見ていました。独歩は主屋2階に下宿。裏山にあたる城山の山上まで、散歩することも多かったようです。このような佐伯と独歩の関わりを、彼の過ごした坂本邸でご紹介するために、建物を修復し、国木田独歩館として公開することになりました。 |
養賢寺 | |
旧藩主毛利家の菩提寺養賢寺は、白壁に風格のある本堂が特徴的。 本堂の裏には毛利家歴代藩主たちの見事な五輪塔が佇んでいる。 |
五所明神社 | |
建立は平安時代で五つの神をまつっていることからこう呼ばれているそうです。この散策の最後にぜひお立ち寄り下さい。 |
十三重塔 | |
この塔は、基礎の四面に2個ずつの優雅な格狭間が刻まれていて、初層軸部の四面には三尊仏立像が細かに肉彫りされている。各層の軸部に、扉と弥陀坐像が肉彫りされて、ところどころ黄、朱などの塗彩の名残りが認められ、造立当初の華麗さが偲ばれる。造立は鎌倉時代と推定されるが銘文は刻まれていない。 |
元宮尺間大社 | |
権大僧都阿閻梨高司盛雲法師、永禄2年大和の国大峰山に天下泰平、国土安全を祈り入峰修行のとき畑の里に御堂を開基した。これが元宮霊峰尺間大社(本庁)の起源であり、天台真言の密教として釈魔信仰は発祥した。入峰7度目信託を受け、植松参道を開道し天正元年7月21日山頂に釈魔の大神を創祈した。これが尺間神社の起源である。 |
唄げんか大橋 | |
大分県と宮崎県の県境近くのダム湖にかかる橋で、「宇目の唄げんか」という民謡にちなんで名付けられた美しい斜張橋です。雨上がりの霧の時がロマンチックです。 |
北川ダム湖 | |
大分と宮崎の県境付近に位置する北川ダム湖は、祖母傾山系の水源を集めて湖面を満たしています。 湖面では空心菜という野菜をイカダの上で栽培し、湖水の水質浄化の実験を試みたり、最近では流域の関係機関と連携し、ダム上流域の森林再生や、漁協による稚魚の放流などの環境対策が取り組まれています。 |
道の駅 宇目 | |
宮崎県境の国道326号沿い、銀色に光る唄げんか大橋のそばに水と緑に囲まれた休息スポットがあります。それが憩いと語らいのパーキング「道の駅」宇目。おいしさや楽しさがたっぷりつまったスペースで、シートベルトをはずしてホッとひと息つきませんか。 |