宇土市 |
船場橋 | |
浜戸川の支流、船場川に架かる石橋の単一アーチ橋。延長13.7m、幅4.1m。江戸末期に造られた眼鏡橋で、石材は宇土市で採れる馬門石を使用。現在でも完璧な構造美と軽快なアーチの曲線美を誇り、当時の石工たちの優れた技巧が今なお残っています。橋の両側には大きな石で築かれた石段や石垣があり、かつては船場川に大小の船が行き来し、繁栄していた様子が偲ばれます。平成5年度「第6回くまもと景観賞」受賞。 |
宇土城跡(西岡台) | |
通称「西岡台」と呼ばれ、約10万uに及ぶ小高い2つの丘陵からなる国の指定重要史跡。小西行長以前の宇土氏・名和氏の居城。石垣はなく、堀と土塁、柵などで守られていたとされます。 |
轟水源 | |
轟水源は、古くから肥後3名泉の一つとして知られています。この水源は、日本の名水百選に指定されています。300数十年前、宇土藩主の細川行孝によって敷設され、現在でも120戸の家庭の生活用水として使用されている日本最古の上水道です。当初の送水管は不知火岩の土管を使用していましたが、のちに馬門石をくり抜いた石管を用いて改修しました。 |
轟泉自然公園 しょうぶ公園 |
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轟自然公園には轟水源、大太鼓収蔵館、轟泉資料館があり、しょうぶ園もその一つです。シーズンには大勢の花見客で賑わいます。しょうぶの見頃は5月下旬から6月上旬です。 |
宇土市大太鼓収蔵館 | |
白壁土蔵造りの建物に、宇土各地の雨乞いの祭りで使われていた太鼓や鉦が保存されています。館内には、江戸時代から伝わる「雨乞い大太鼓」26基が収蔵・展示されています。宇土の太鼓はケヤキの大木をくり抜いて作られ、胴の両縁に「木星」と呼ばれる33個の飾りが付いているのが特徴です。脈々と受け継がれてきた太鼓の変化を、次世代へと伝えていきたいと建設されました。 |
泰雲寺跡・原泉社跡 | |
慶安年間(1648〜1652)宇土細川藩二代藩主細川行孝公が父である初代立孝公の菩提を弔うために建立したのが泰雲時です。 もと八代に建立した宗功寺を宇土に移したもので禅臨済宗京都大徳寺内高桐院末寺、泰雲寺三車山と呼びます。 立孝公以降の歴代藩主の墓地もあり以後宇土細川氏歴代の菩提所となっていました。 ところが明治時代の廃仏稀釈によって泰雲寺は廃寺となり、そこに神道におる原泉社を建て細川氏歴代の霊を祀るということになりました。 |
細川御廟 | |
宇土細川家の初代からの墓があります。ただし、7代と9代は肥後藩を相続したため、墓は別にあります。 7代立礼公の墓は熊本市の泰勝寺に、また9代立政公の墓は熊本市の妙解寺にあります。 |
轟泉資料館 | |
轟泉水道のメカニズムや水道の樋管として使われた宇土の名石「馬門石」の説明、清冽な轟水源の水でつくられた轟和紙の紹介など名水に関する数々の資料が展示されています。建物は宇土細川藩をしのぶ土蔵白壁づくりで、庭園には東家兼用の、県下でも珍らしい茶室もあり、秋には名水名月茶会が催されます。また茶道具の一般貸し出しも行っており、誰でも園内で気軽に茶会が楽しめるよう工夫されています。更に春の桜、新緑、紅葉など四季折々の景色も楽しめ、多くの人々に親しまれています。 |
西岡神社 | |
宇土御獅子舞は熊本県の無形文化財に指定されている。 西岡神社(和銅6年=713創建)の祭礼に獅子組により奉納される。元文5年(1740)、細川興文が三宮社(永承3年=1048に旧来の春日、住吉両社に八幡宮を合祀して成立=西岡神社の前身)に獅子舞奉納を思い立ち、長崎に人を遺して唐伝来の舞の型を研究し、さらに一層工夫を加えて完成したものといわれる。 |
粟嶋神社 | |
300年以上もの昔、当地に信心深い老夫婦がいました。寛永10年(1633)、一人の旅の僧が老夫婦の家に一夜の宿を求めたところ、夫婦は貧しいながらも手厚くもてなしました。その夜、老婆は夢の中で神の御告げを受け、目覚めると僧の姿はなく、神像が残されていたといわれています。小さい祠を建てて、その神像を祀ったのが神社の始まりで、その後、婦人病の神様として広く伝わるようになりました。粟嶋大明神は、毎年春・秋2回開帳されます。 |
宇土市健康福祉館 あじさいの湯 |
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JR住吉駅から南へ車で3分程のところにある宇土市健康福祉館あじさいの湯。地下900mから湧く、天然のアルカリ性単純温泉です。大浴場のほか、サウナ、うたせ、気泡浴、ジェットバスもあります。また、マッサージ機などを備えたリフレッシュルームや52畳の大広間があり、自由に利用できます。 |
住吉神社 | |
住吉神社は、肥後の国司であった菊池則隆が海上安全の祈願所として、摂津住吉宮に詣でて大神の分霊を奉り建立されました。 有明海から緑川を通り熊本に入る上での玄関口として、この地は海上航路の要衝であったことが偲ばれます。 |
ドゥルー女史記念碑 | |
ドゥルー女史は日本の海苔養殖の恩人と言われ、この記念碑は、全国の海苔漁民の寄付により、1963年に建てられたものです。 除幕式には、ドゥルー女史の夫であったベーカー博士が「政府が建てたのなら来なかったが、日本の漁民が妻を慕ってくれたことがうれしいから」と、任地のインドから駆け付けたそうです。 |
住吉自然公園 | |
公園を取り囲んでいる道路沿いには、梅雨の時期になると2000株の色鮮やかなアジサイが咲き乱れます。又、園内には白亜の灯台もあり、眼下の風流島のほか、金峰山、雲仙の山々が見渡せる眺望のよいところです。開花時期は6月中旬〜7月上旬です。 |
紫陽花マンドリンコンサート | |
紫陽花の名所として有名な住吉自然公園で毎年6月に開催されるマンドリンコンサートは、花と音の一大イベントです。オリジナル曲「あじさいの歌」も演奏されます。有明海に面し、金峰山や雲仙も見渡せる眺望のいいところで、県下各地から大勢の観客が訪れます。 |
たはれ島 | |
伊勢物語、枕草子にも詠まれた著名な島で、たばこ島・はだか島ともよばれています。 有明海から緑川を通り、熊本に入る航路の目印となったのが緑川河口のたはれ島で、海からの玄関口になっていました。 島の大きさは、東西約65m、南北役40mで高さは9.4mです。頂上には高さ1.3mの小さな鳥居が建っています。 |
御輿来海岸 | |
有明海は全国でも特に干満の差が大きく、長浜から網田までの約10キロの沿岸には最干時2キロ以上沖合いまで、まるで彫刻のような雄大な砂の曲線が現れます。特に干潮時と夕日とが重なる光景が人気です。 御輿来という地名は昔、景行天皇が御輿を駐められたという伝説から名付けられています。 |
御輿来乃湯 | |
大浴場、家族風呂は全て海に面していて、“日本の渚100選”にも選ばれた御輿来海岸の景色をご堪能いただける温泉です。家族湯は1週間前からご予約可能。メニュー豊富なお食事処もございますので、どうぞごゆっくりおくつろぎください。 |
道の駅 宇土マリーナ | |
道の駅宇土マリーナは、熊本県のほぼ中央に位置し、九州有数の観光ルート国道57号沿いにあります。日本渚百選「御輿来(おこしき)海岸」に隣接した雲仙普賢岳を眺望できる風光明媚なところにあり、絶好の休憩スポットとなっています。
物産館では、地元で採れた旬の農産物や海産物を販売しています。レストランでは海産物を中心としたメニューを味わうことができます。また、マリーナ内の道の駅として、クルージングの体験試乗ができ、グループ、家族で1日中楽しむことができます。 |
網田マリンフェスタ2006 in 宇土マリーナ | |
生バンド、クルージング、マウンテンバイクショー、地元産農産物等の即売会等で盛り上がります。(年により内容は若干異なります。) |
立岡自然公園 | |
加藤清正が掘った立岡池と花園池を囲むようにして、約2000本の桜並木があります。桜の季節には多くの家族連れで賑わっており、花見の名所となっています。開花時期は3月下旬〜4月中旬です。公園内には、宇土市スポーツセンターがあり、屋内外のスポーツ施設が整っています。交通の便がよく、環境に恵まれ、公営で低料金のため多くの人に利用されています。 |
宇城市 |
望郷子守歌の歌碑 | |
雁回山を背に国道3号を大野川沿いに下ると、田園地帯の中に寄田神社の杜があり、その境内に高群逸枝の望郷子守唄の歌碑が建っています。日本の女性史研究家として知られる高群逸枝は、松橋町の出身。 |
赤瀬海水浴場 | |
熊本市から一番近い海水浴場です。毎年7月1日に海開きがあり、夏休みには多くの家族連れで賑わっています。近くには、平成11年の熊本国体のヨット競技会場となったマリーナがあり、ウィンドサーフィンなどマリンスポーツのメッカとなっています。 |
三角西港公園 | |
宇土半島先端西側にある天然の良港です。明治三大築港の一つとして、明治政府の国内統一、殖産振興の政策に基づいて建設されました。オランダ人水理工師ムルドルの設計によって、明治17年から明治20年にかけてつくられた港です。長さ730mの石積みの埠頭や浮き桟橋のほか、整然とした道路や排水路も備えた総合的な都市計画がなされ、貴重な文化財として保護されています。有明海に臨みながら良港をもたない熊本にとって、港は江戸時代からの悲願というべきで、築港にかけた期待と完成の喜びは、多くの逸話として伝えられています。 一帯には、築港の資料を展示した築港記念館や物産館等があります。一世紀の歴史がありながら、当時の都市計画がほとんど無傷のまま残っているのは全国的に珍しく、価値ある港として三角のシンボル的な存在です。 平成14年12月に国の重要文化財に指定されました。 |
三角東港 | |
明治20年の三角西港誕生から12年。明治32年12月25日に三角駅の鉄道開通によって三角東港が誕生した。外国・東南アジアからの材木船が定期的に入港し、港は活気づいた。 昭和期に入ると、天草の玄関港として更に観光面で賑わいを見せ、南九州の海陸交通の要衝となると共に、熊本の貿易・産業・経済発展の中心となった。 |
海のピラミッド | |
巨大な巻貝を思わせる三角港フェリーターミナル「海のピラミッド」は三角町のシンボル。ピラミッドの頂上で潮風に吹かれながら、天草の海や島々を展望できます。 |
みすみフィッシャーマンズワーフ 「ラ・ガール」 |
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JR三角線の終着三角駅前、港湾用地(海のピラミッド横)にある観光商業施設です。ここでは、一般町民で結成された出荷協議会により、とれたての魚介類や新鮮な野菜・果物が安価で販売されています。また、海鮮厨房では購入した魚を料理してもらえます。特産品開発の海藻パンなどもあります。 |
永尾神社 | |
713年創建。祭神は『海童神(わだつみのかみ)』と伝えられ、別名『剣神社』ともいわれています。胃腸病にご利益があり、エイの絵馬と、海に鳥居があることで知られています。旧暦の8月1日に八朔祭りと『不知火』観望が重なり境内は多くの観光客で賑わっています。 |
道の駅 不知火 | |
不知火温泉「ロマンの湯」と道の駅「不知火」、 物産館がひとつになったふれあいのスポット。 いつも多くの人々でにぎやかな不知火観光の 中心的な施設です。人気の温泉は旅の疲れを 癒す恰好の場所です。 |
不知火温泉センター ロマンの湯 |
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道の駅・不知火にある温泉施設「ロマンの湯」。ドライブの疲れをいやし、ゆっくりとくつろぐことができます。サウナ付き大浴場をはじめ、ジェットバス、うたせ湯もあります。成分は、塩素イオン・ナトリウムイオン・カルシウムイオン等が含まれ、効能は、神経痛・関節痛・切り傷・やけど・慢性皮膚病等です。館内には、休憩室(6室)、家族湯(3室)も完備しています。また、物産館やレストランが併設されています。 |
国越古墳 | |
宇土半島の南岸、不知火海に面した丘陵部に位置する6世紀前半に築造された前方後円項です。 全長62.5m、後円部直径36.2m、前方部先端幅22.5m、高さ6mあります。墳丘上や裾部からは、円筒埴輪や人物・楯などの形象埴輪が出土しています。主体部は、後円部の南側に開口する横穴式石室です。内部の家形石棺に施された装飾文は素晴らしく、赤・白・青・緑の顔料で直弧文などが描かれています。 |
桂原古墳 | |
県指定史跡。経15mの円墳で八代海に面し、開口した単室の横穴式石室積石に同心円文が彩色され、羨道側室に航海する船群が線刻され、船の前後にはイルカの跳躍する姿が描かれている。 |
大塚古墳 | |
典型的な前方後円墳。長さ約70m。 |
浄水寺跡の古碑群 | |
奈良時代末期に建立された古代寺院の跡で、境内には延暦9年(西暦790年)創建の碑、延暦20年(西暦801年)に建造された燈楼の竿石、天長3年(西暦826年)の寺領の碑、康平7年(西暦1064年)の如法経塔があり、また塔の跡と考えられる礎石郡が残っています。 天長5年(西暦828年)には定額寺となり、奈良時代の終わりから平安時代のはじめにかけての30数年間で肥後有数の大寺院に発展した貴重な寺院跡です。 昭和34年12月8日に県の重要文化財に指定されました。 |
御手洗水源 | |
熊本名水百選にも選ばれている水源です。 豊野町下郷地区に御手洗水源はあり、地元では「浄水寺の池」と呼ばれています。というのが、この水源は浄水寺のあった台地の下から湧いているからです。 昔、浄水寺の僧たちが衣を脱ぎ捨てて置いた「衣かけ石」という石が今でも残っています。 2箇所ある湧出口からは、浄らかな水が絶えることなく湧いています。 |
塔福寺 | |
竹崎季長は文永・弘安の役(1272・1281)の蒙古襲来のとき、博多の浜で活躍した武将。その功により海東郷の地頭に命ぜられ、自ら菩提寺として建てたのが、塔福寺です。寺には、今も竹崎季長の書状や「蒙古襲来絵詞」摸本が大切に保存されており、元寇で季長の勇戦ぶりをしのぶことができます。 |
舟岩 | |
むかし小川は砂川河口の港町でした。砂川の水も豊富で、上流の海東(船尻・船橋)までたくさんの船が出入りしていた頃、時化の時にこの岩に船を繋いで難を逃れたことから、こう呼ばれるようになりました。 また、約350年前の慶安元年(1684年)、交易で来た石見の国(島根県)の黒龍丸という船が嵐のため難破し、多くの乗員が水死したという哀話から「石見岩」とも呼ばれています。 土地の人々は、供養のため石碑や石仏を祀り、異郷の地で亡くなった方々の冥福を今も祈り続けています。 |
出水地蔵水源 | |
観音山のふもと、小川阿蘇神社近くの道沿いにあり、安政5年(1858年)から湧き出たとされています。名水100選にも選ばれた名水で、小川町特産物「かんざらし(白玉粉)」は明治44年にこの清水で製造したのが始まりです。病気やしもやけにも効くと評判で、春には桜の名所ともなります。 |
小川阿蘇神社 | |
小川町の中心部にあり、創建は長久元年と伝えられます。境内には町指定文化財の大樟があり、10月の祭りには、獅子舞・亀蛇舞・奴舞が奉納されます。 | |
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塔ノ瀬橋 | |
国道3号線から海東方面への県道を進み、海東小学校やJA支所の手前、県道の右手に流れてくる小川に架かる。現在では廃道となり、農作業に利用されるだけか。 |
三宝寺 | |
一切経出版の鉄眼の生誕寺として有名な禅刹。黄檗宗界のみならず日本仏教界の名僧としての鉄眼禅師の徳を力を人を物語る。 |
竹崎城跡 | |
蒙古襲来の時めざましい活躍をした武将「竹崎季長」の出身地、松橋町竹崎の東方山頂にあります。自然の要がいをなした山城で、竹崎季長の居城と伝えられています。 竹崎季長と言えばなんといっても「蒙古襲来絵詞」で有名ですが、教科書に載っている以外の部分はなかなか見る機会がないですよね。 |
七ツ江カキワラ貝塚 | |
貝塚の位置する一帯は、東側の山麓から国道3号線方向にかけて緩やかに傾斜する北部田地区の水田地帯です。貝塚の規模は不明確ですが、南北60〜70m、東西15〜20mほどで三日月形と推定されます。縄文時代後期前半のものです。 |
なごみ温泉 やすらぎの湯 | |
源泉かけ流しの大浴場は一日あたり最大1500人を収容可能で、高温・中温・低温のサウナやミストサウナ、露天風呂のほか韓国式の垢すり、マッサージスペースなどを併設する。その他、家族風呂を10室設置。レストランのメニューには地元の食材を使い、家庭料理をイメージした一品料理を中心に提供。座席数は100席で宴会場も設ける。また、別館として地元の農産物や海産物を中心に焼きたてパンや饅頭、花苗などを直売する木造平屋建て、床面積288uの物産館を設ける。 |
吹野橋 | |
新吹野橋から200メートルほど下流に架かっています。 現在は使われていない石橋で、雑草で覆われていますが、その姿は架橋当時のままと思われ、訪れる石橋愛好家も多いらしく、県道沿いに木製の案内柱(旧吹野石橋)が立てられていました。 |
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舞鴫(ひがん花街道) | |
中央町に通じる県道3kmの両側と棚田に80万本の彼岸花が咲き誇り、9月中旬が見ごろです。 |
舞鴫文殊堂 | |
学問の神様「文殊菩薩」を祀る。受験合格祈願など多くの参拝者で賑わいます。 |
峠の岩清水 | |
蕨野峠(わらびのとうげ)の岩清水は平成9年度「肥後の水資源愛護賞」を受賞したおりがみ付の名水で、水汲み客で賑わいます。砂川の源流でもあり、農作物の栽培には恵みの水として利用されています。 |