吉野



吉野山
大峯連山の北の端から、南に約8kmつづく尾根が吉野山。古来より日本一の桜の名所として名高いところです。馬の背のような山は役行者(役小角)を開祖とする修験道の寺や、南朝ゆかりの史跡、西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡など、みどころがたくさんあります。

大橋
大塔宮が吉野に蜂起されたとき、三空堀に見たてられた谷にかかる大橋・天王橋・丈の橋を吉野三橋といいます。大橋は七曲り坂を登りきった攻が辻のすぐ上手にある、朱塗りの欄干の橋。

黒門
金峯山寺の総門。木造の門で、黒く塗られていることからこの名が。

弘願寺
吉野山の黒門をくぐって最初に有るお寺。本尊は阿弥陀如来立像(県指定文化財)で鎌倉時代の正元2(1260)年の作です。
歯痛に霊験があるといわれる関屋地蔵を祀っており、毎年6月4日には歯がため地蔵祭が行われます。

銅の鳥居
黒門からの急坂を登りつめたところにあります。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3m、すべて銅製。1348(正平3)年に高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建されたものです。正しくは発心門。山上ヶ岳までの間に発心・修行・等覚・妙覚の四門があり、これが最初の門です。行者たちはここから向こうを冥土と見たて、ひとつ門をくぐるごとに俗界を離れて修行する決心を強めていきました。

金峯山寺
金峯山寺は吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味。山上ヶ岳にある大峰山寺への玄関口の役割を持っています。創立年代は不明ですが、その昔、役行者が金峯山を開き、平安時代に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したといわれています。

吉野朝皇居跡
1336(延元元)年、吉水院に難を避けられた後醍醐天皇は、次に蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪王寺と改められました。後醍醐天皇は悲運の生涯をここで閉じられましたが、その後、南朝3代の歴史が続きます。

吉野神宮
明治22年明治天皇は後醍醐天皇の偉業を深く偲び、吉野神宮の創立を命じました。明治25年に執り行われた鎮座の際には霊代の奉納と共に、それまで吉水神社に奉安されていた後醍醐天皇の尊像も吉野神宮の本殿に奉還されました。
大鳥居をくぐり、こんもんとした桜やかえでの林をぬけて境内へ入ると、明るく広い台地が目の前に広がります。

下市町

願行寺
浄土真宗本願寺派の下市御坊で、室町時代の枯山水の庭園が有名です。
浄土真宗本願寺派至心山願行寺。もとは秋野坊舎といいましたが、応仁2年(1468年)に本願寺第八世蓮如上人が吉野の要地伝道の本拠として開基されたと伝えられています。

大淀町

道の駅
吉野路大淀iセンター
「吉野路大淀iセンター」は吉野地域の豊富な森林資源(杉)を生かした木造建築物で五條、吉野地域の歴史、文化、観光、自然を主体とする地域情報の提供、その他道路交通情報、気象情報、最新のイベント、宿泊情報等ドライバーのニーズに即した情報を提供します。

野迫川村

鶴姫公園
熊野に左遷された大八郎を慕って、椎葉村を発った鶴姫は、この地で流行り病に倒れ、「七尾七浦の見える処に埋葬して欲しい」と言い残して亡くなったと伝えられています。そんな秘話の主人公鶴姫にちなんだ、豊かな自然と地域資源を生かした公園です。

立里荒神社
立里荒神社は、弘法大師が高野山を開山する際に勧請したとされる神社で、日本三荒神のひとつとして全国各地からたくさんの参拝者が訪れています。荒神岳山頂に位置することから眺望もよく、雲海から昇る日の出は絶景です。








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