菊池


菊池市

菊池神社
菊池神社は、明治3(1870)年に菊池市街を見下ろす城山の菊池氏居城跡に創建された神社で、菊池武時、武重、武光が主神としてまつられています。本殿をはさんで両側に能舞台などがあり、桜やつつじの名所としても知られています。この菊池神社の境内には、菊池一族ゆかりの古文書・家憲・千本槍・能衣装・能面などの文化財を展示する「歴史館」があり、菊池一族500年の盛衰に触れることができます。また、江戸時代の寛政8(1796)年に再建された能舞台「松囃子能場」では、毎年10月13日菊池神社秋季大祭時に、国指定文化財の「御松囃子御能」(菊池の松囃子)や狂言・仕舞が奉納されます。正面には征西将軍・懐良親王お手植えと伝えられる樹齢600年以上の椋の巨木である将軍木があります。

菊池公園
菊池城跡一帯の公園は、春には約1万本のソメイヨシノが咲き誇る県内随一の桜の名所であり、5月には約3万株のツツジ、秋には約3000鉢の菊と菊人形が人々の目を楽しませています。城山のふもとにある芝生の市民広場は市民の憩いの場であり、大きな菊池武光公の騎馬像が目印です。菊池白龍祭りの際にはメイン会場となります。

きくち観光物産館
新鮮や野菜や果物といった特産品、手作りの加工品、地酒、菓子など、地元のみやげ品を豊富に取り揃えた物産館です。菊池米を原料にした手作りジェラートや、菊池渓谷の水で作った豆腐といったオリジナル商品も多い。菊池温泉観光旅館組合加盟の宿で使える温泉手形も、ここで手に入る。毎週日曜の7:00〜12:00には朝市も開催され、市内外から多くの人が訪れます。

菊池夢美術館
地元出身の芸術家の作品などが展示されています。時期によって展示内容が変わります。

菊池秋祭り
菊池の時代ごとの歴史を見守り続けてきた菊池神社周辺で、神楽祭、松囃子能が行われ、メインの通し物が目抜き通りに繰り出します。神社北にはムクの大樹があり、この木の前の広場に能場があります。ここに「松囃子能」が奉納されます。菊池では夏には夏祭り、秋にはこの菊池秋祭りで行楽の秋を盛り上げています。この祭りには子どもたちがたくさん参加し、子ども御輿の行列や、総踊りなどが市民に親しまれています。

菊池一族ふるさと祭り
菊池一族が眠る里、菊池市では一族の歴史を色濃く残すお祭り、ふるさと祭が年に一度、11月頃に開催されます。ここでは、菊池一族をモデルとした菊人形や数千鉢もの菊が展示され、観光・物産の催し物もあります。菊池一族のその時代の服装、鎧や兜、腰には刀の装束を身にまとい、訪れた人々の目を楽しませてくれます。鎧は特別仕様で、菊の花で表面が覆われています。

菊池白龍まつり
毎年8月7日に近い土・日曜の2日間、市民広場をメイン会場に行われる祭りです。当日は、市内の青年7団体を中心とした若者たち約200人が、菊池に伝わる「白龍伝説」を基に作った、長さ50m、重さ800kgの巨大な男龍、女龍を担ぎ、七夕飾りで賑わう商店街を練り歩きます。その後、市民広場では花火大会が開催されます。

菊池温泉
白龍のお告げにより昭和29年に温泉が湧出しました。
無色透明・弱アルカリ性の柔らかい泉質は別名「美肌の湯」と言われ、特に女性におすすめの湯です。湧出した天然の温泉を 100% 使った温泉です。

熊耳山正観寺
15代菊池武光が菩提寺として興国5年(1344)に建立したもので、博多聖福寺の大方元恢和尚とその師である秀山元中和尚を招き開山しました。
当時は14坊その他の堂宇が立ち並び、20代為邦の頃には全国十刹の一つにも数えられ、武光が菊池五山を定めた時も、五山の上に格付されていました。
境内には、菊池一族の墓所や礎石群があります。

正観寺の礎石群

正観寺境内にある地蔵堂の回りに礎石群があります。周辺から布目瓦が出土していることから、武光が建立する以前の平安時代中・後期の寺院跡と考えられています。

この礎石の状況から正面3間、側面4間の瓦葺きの堂宇を中心として、茅葺きの堂宇や庫裏があったと思われています。

地蔵堂内には、坐像としては県下最大の部類に属する室町時代末期の木造地蔵菩薩坐像(市指定)が安置されています。


菊池武政・武澄・武国公の墓
武政は菊池氏の第16代当主。菊池武光の子。父・武光と共に九州における北朝勢力と戦い、様々な活躍をして功を挙げた。
武澄は武重、武光を補佐し、懐良親王を九州に迎え、親王を奉じて九州各地で武家方と戦を繰り返し征西府の確立に貢献した。1356年病死。
武国は武光の弟武尚の子で、高瀬十郎と称した。
肥後守護代として十七代武朝を助けた。

菊池武光の墓所

正観寺境内にあり、墓木と伝えられる樹齢600年の樟(県指定天然記念物)の下に建てられています。15代として肥後守を継ぎ、後醍醐天皇の皇子・懐良親王とともに正平20年(1365)に九州を平定し、征西府を菊池から大宰府に移しました。
楠木正成と並び竜虎と称せられた稀代の名将といわれています。
墓は神道碑として江戸時代に建てられたもので、亀跌といわれる亀が碑文を背負った型をしています。


築地井手
加藤清正公が築いたかんがい井手。夏にはホタルが飛びかう夕涼みスポット。

菊池能運公墓所
菊池能運(1482〜1504)は、中世に肥後で活躍した豪族、菊池氏正系の最後の武将。十二歳で肥後国守護となったが、戦乱に巻き込まれ23歳で没した。

東福寺
東福寺は、15代菊池武光によって定められた五山の一つですが、開基は古く、平安時代の天慶元(938)年といわれており、天台宗の寺院として建てられたものです。現在の本堂は、江戸時代の文政2(1819)年の再建です。
本尊は木造千手観音立像で、脇侍の不動明王立像・毘沙門天立像はともに県指定文化財となっています。
境内には菊池一族の墓所があります。

菊池武村公之墓
菊池武村は、足利氏と戦って大渡橋で討ち死にした。
東福寺境内の菊池武村の五輪塔は市指定の文化財である。

築地横穴墳
築地井出に面する岸壁に十数基つくられている。七世紀前半のもので地質は火山噴出の浮石(軽石)と火山灰の集塊層で出来ており羨門および外郭は比較的完全に残っているが内部構造は防空壕や肥料置場に使用され、ほとんどが破壊されてる。
 副葬品としては玉類・刀剣・農具・土師器や須恵器が出土している。

将軍木

樹齢600年以上の椋の巨木で、菊池に下向された懐良親王(かねながしんのう)がお手植えになったものと伝えられています。
幹の半分以上は腐食し無くなっており、枝も鉄の支柱で補強されていますが、樹勢は衰えていません。
古来からこの木を将軍宮の象徴とし、正面にある能場で「松囃子能」が奉納されています。


わいふ一番館
「まちかど資料館」と「まちづくり寄り合い所」を併せて「わいふ一番館」という名前で親しまれています。資料館の1階は常設の展示フロアとなっており、菊池氏ゆかりの生活用具や文書、資料等を展示しています。パネルなどを使って、菊池一族の歴史やそれに関わる人文学者等を紹介しています。また、近代に活躍した郷土出身著名人の資料も展示されています。2階では、1年に3〜4回企画展が行われています。

菊池松囃子能場

この能舞台は、江戸時代の寛政8年(1796)に再建されたもので、現在も毎年10月13日に「松囃子能」や「狂言」「仕舞」等が奉納されています。
旧舞台が焼失したため仮設舞台で催されていましたが、昔の定舞台を建てるにあたっては、藩の諸事節約の方針に従い、通常の舞台より縮小されたものとなっています。


ろまんの湯
見て食べてゆっくりお風呂に疲れる「ろまんの湯」。
1階はお食事処とお風呂。
2階は大小宴会場。ご予算に応じて、グループランチの3〜4名様から大小宴会までご予約承ります。ご予約頂いたお客様にはお風呂、または招き猫博物館の入場料のいずれかを無料サービスいたしております。
3階には全国から集めた招き猫博物館。珍しい展示品からお土産にもぴったりのかわいらしいものまでたくさんございます。

是非お楽しみ下さい。

てっぺんの湯
単純温泉(低張性弱アルカリ性低温泉)。26.3℃。PH8.19。総成分量190.4mg/kg。ラドン濃度1.62M.E/kg。402L/min(700M堀削動力揚湯)。無色透明ぐっきし系湯が大量かけ流し。ジャグジー付き深い内浴槽と熱めの湯、電気風呂、サウナ、「こちらちょっとペンギン室」(低温サウナ)、水風呂、こじんまりとした露天有。無料休憩所は18時まで利用可。休憩宿泊は18−翌08時まで1泊2500円。食事可。2004年3月大琳寺交差点角にOPEN。

孔子堂趾

室町時代の文明4年(1472)、21代菊池重朝が家臣隈部忠直信とともに孔子と門人十哲の像を祀る孔子廟(聖堂)を建て、家臣に学問を奨め、儒学を広めました。
同9年には孔子を祭る“釈奠の礼”が行われています。
市老人福祉センター敷地内に「孔子堂趾」の碑が立てられています。


迫間橋

江戸時代の文政12年(1829)に豊間と西迫間を結ぶ迫間川に架けられた単一アーチ橋です。
全長36m、幅3.7mで、石工は西迫間村の伊助となっています。橋の右岸側に架橋記念碑があり、石工や架橋功労者名等が刻まれています。
また、橋名「迫間橋」は書家城野静軒によるものです。


竜門ダム
地域にひらかれたダムの指定を受け、工業用水・農業用水の供給、洪水防止と菊池川の流れを守る多目的ダムで,ボート場も設置され平成11年には国体も開催されました。
地元の特産品等を販売している龍龍館や展示資料館「ミュウじあむ」ものぞいてみては。

班蛇口湖
菊池の新名所’99熊本国体の漕艇競技場になった、完成したばかりの新しいダムです。
湖では、ワカサギが釣れます。
水遊びができる広い公園や、龍龍館(お食事、菊池名産品の販売)などがあります

竜門ダム展示資料室
ミュウじあむ
ダム建設までの歩みなど、展示パネルやビデオなどで竜門ダムについて分かりやすく紹介してあり、ダム周辺の自然についても学ぶことができます。

龍龍館
菊池市の北に位置し、日本最大級のボートコースがある竜門ダム湖のほとりにある物産館「いこいの里 ― 龍龍館」。地元の農産物や加工品、土産品が並ぶ販売所、山の幸を使った料理が味わえる食事処、研修室などがあります。販売所には地元特産のしいたけ・ごぼう・たけのこをはじめ、四季折々の龍門の山の幸が取り揃えられています。隣接の食事処では、特産のきのこを使った料理などが人気です。

神龍八大龍王神社
熊本県菊池市龍門の、竜門ダムのすぐ下にあります、『神龍八大龍王神社』。通称『龍王神社』。
地元では昔から『竜神さん』といって大事に祀られている神様です。
場所は、菊池温泉より竜門ダム方面へ進んでいくと途中から案内板がありますので、それに従って進んでください。ちなみに、駐車場はありません。
付近は地元の方が利用される農道になりますので、迷惑にならないよう注意してくださいね。

北宮阿蘇神社
菊池市北宮に鎮座する旧郷社。永和4年(1378)、菊池武朝が阿蘇北宮を勧請して氏神としたと伝えられています。御神体の主神のほか、10体の木造男女神坐像、1体の木造僧形男神坐像を伝来し、いずれも県指定重要文化財となっています。各像の墨書銘から、これらは菊池武朝が大願主となり、一族の男女を願主に応永10年(1403)製作されたことがわかります。

初代菊池則隆公の墓
御三条天皇の延久二年(1070)藤原則隆は肥後の菊池郡に下向し、(現在の菊池市深川)に居館を構え、地名によって菊池を氏とし、ここに弓矢の家を起こしたこれが肥後菊池家の初代である。則隆は、政則の子として大宰府に生まれ、大宰少監から、のち近衛少監に進んで従五位に叙せら自から大夫将監とも名のった。当時、菊池は則隆の宗家(本家)にあたる中関白家の荘園であった。則隆も本家に変わって、菊池を根拠として、肥後一円に散在する所領を管理したのである。そして領内の警察権と裁判権を掌中におさめていた。則隆が初めて居を構えた深川は菊池郡のほぼ中央で穀倉の菊池平野中心にもあたり、近傍に菊池川があり水陸便にも恵まれたのである.

菊池渓谷
阿蘇くじゅう国立公園の一角に位置しており、阿蘇外輪山の伏流水が流れる渓谷が4キロに渡って続いています。菊池水源とも呼ばれ、日本名水100選にも選ばれています。水は夏でも13度前後と冷たく、夏は避暑地として最適です。森林広場、野鳥の広場などがあり、50種類以上の野鳥が観察できるので、バードウォッチングにも多くの人が訪れています。遊歩道も整備されています。

四十三万滝
菊池渓谷にある滝で、日本名水百選、日本滝百選にも選ばれています。四季によってさまざまな表情に変化する景色はすばらしく、新緑、紅葉の時期は多くの観光客が訪れ、県内外から多くのカメラファンも訪れます。

菊池渓谷水の駅
菊池川の清流沿いにあるドライブインで、食事処、物産館、フィッシングパーク、キャンプ場などがあります。食事処では湧水で作られる豆腐や地鶏、新鮮な野菜、肥後牛などを使った料理が好評です。物産館では農家直売の野菜、果物、菓子、豆腐コロッケといった加工品を中心に販売しています。子供に人気のフィッシングパークではヤマメやニジマス釣りが楽しめ、釣り上げた魚はその場で塩焼きにしてくれます

フラワーヒル菊池高原
菊池渓谷近くにある45万uの壮大な高原に咲き誇る300種余りの花と木の楽園。春にはスイセン、レンゲ、シバザクラ、ペチュニア、ポーチュラカ、ツツジ、バラ、6月にはヨーロッパから輸入したユリ15万本、8月には約17万本の大ヒマワリ、9月上旬から11月中旬には500万本のコスモスと、四季折々の花々を見ることができます。フルーツ、ハーブなども栽培されています。標高650mにある展望台からは島原を眺めることもできます。休憩所や食事処、喫茶室も完備しており、ペット、飲食物の持ち込みOKです。

木柑子二ツ塚古墳と石人
この古墳は全長43M・後円部の径13M、高さ15Mの前方後円墳で、6世紀後半に構築されたものと推定される。
内部構造は、横穴式石室であったと思われるが、現在は破壊され巨石が墳域に広がっている。
石人の高さは90cmで頭部および右腕が欠失し、短甲を着用した立姿で腰がしまり袖が広がる。
石人は古墳時代後期のもので、墳墓守護のため立てられたと思われるが、菊池川流域における四例中の一つである。

しすいラドン温泉
高温でしかもラドン、鉄分、塩分を含み、体の芯から温まる天然温泉。微褐色、無臭、ナトリウム、炭酸水素塩、塩化物泉

有朋の里 泗水・孔子公園
孔子公園は中国の宮殿をテーマとし、中国古来の工法で建設されています。公園内には資料館があり、古代中国の資料や孔子関係の書籍等を展示しています。また、シンボルの孔子像を納めた祀聖亭や衣装・楽器展示館、物産センター、レストランが併設されています。

道の駅泗水 養生市場
道の駅泗水に物産館「養生市場」が平成13年11月にオープンしました。この物産館では、無農薬や低農薬で栽培された農作物を中心に直販しています。「養生市場」では、安心・安全をお届けします。

泗水孔子温泉
孔子温泉は、孔子公園近くの天然温泉施設です。朝まで営業しているので、ゆっくりと汗を流すことができます。ここでは露天風呂や薬草風呂、檜風呂、うたせ湯等、8種類のお風呂が楽しめます。特に、冷たいペンギンサウナとミスト・ソルトサウナは人気です。5月5日には菖蒲湯、12月には柚子湯があります。

とよみずの湯
国道387号線沿い、「道の駅」近くにある温泉。一般浴室や家族風呂のほか、ユニバーサルデザインの福祉の湯があり、「癒と寛」がテーマです。ナトリウム、炭酸水素塩泉

七城温泉ドーム
城郭造りの七城温泉ドームには、ラドンアルファーイオン浴や低周波浴、露天風呂、浮風呂など9種類の浴槽とスチームサウナ、遠赤外線サウナの2種類のサウナが楽しめます。館内にはレストランや大・中広間、売店など完備しています。宿泊も可能です。

菊池砦温泉 くなこく城
国道325号にある道の駅「七城メロンドーム」の正面にある温泉です。お城の形をしており、温泉浴場、宿泊施設、展望所などを備えています。風呂は、城の1階と2階にあり、男女が日替わりで入れ替えになります。展望大浴場のほか、天守閣にある総檜づくりの露天風呂が人気です。水風呂、サウナなどもあります。湯はぬめりのあるナトリウム泉です。併設して、アスレチック施設、グランドゴルフ場、観光農園などがあります。

碧厳寺
菊池氏二十代為邦公は、文正元(1466)年、37歳で家督を嫡子重朝に譲り、亀尾城の下にあるこの地に隠居して日夜「碧巌集」(仏書)の研究に励みました。そして仏門に入り、如拙伯功和尚(曹洞宗)を迎えてこの居館を「碧巌寺」と称し、開山しました。その後、いったんは荒寺となってしまいますが、加藤清正の頃に京都東福寺より清韓和尚を招いて復興しています。

菊池氏二十代為邦公墓
碧巌寺境内の一角には、為邦公の墓碑(市指定文化財)があります。背面に刻まれた文字によると、「為邦公没後300年のゆかりの年に建立された。(意訳・抜粋)」という内容になっています。

鴨川河畔公園
親水庭園ゾーン、魚釣りゾーン、船遊びゾーンとして人々の憩いの場として親しまれています。春にはかわいらしい小ガモの姿も見ることが出来ます。

前川水源
熊本の名水百選指定。水とのふれあいを楽しむ憩いの場として整備されており、昔を偲ばせる二連水車とともに風情ある景観を見せています。

亀尾城跡
鎌倉時代、相良一族がこの地を領して「板井氏」と称し、菊池氏の配下にあったが、その後関部氏の名もある。この地は戦略上の要地であったため、板井原の戦い(1379)など激戦地でもあった。また、菊池氏攻略の基地として、九州探題今川了俊・弟仲秋などが万を超える軍勢を二ヵ年駐屯させ、板井の陣(1379)を張った城でもあった。

板井熊野座神社
境内には高さ20mにもなるクスノキが数本あります。中でも境内東側のクスノキは幹の周りが7m35cmもあります。
大きな台風で枝が折れ、まるはだか同様になりましたが、少しずつ元気を取り戻し立派な姿を見せてくれます。

増永城址
この地を西郷といい初代菊地則隆の子西郷太郎政隆で32代目が西郷隆盛にあたります。菊池十八外城のひとつ、西郷氏築城。

木柑子水源群
水田の中など数ヵ所に湧き出ています。「県道旭志−鹿本線」沿いの一番大きい湧水池は「ビワ池」と呼ばれています。

三万田東原遺跡
縄文後・晩期の大遺跡

道の駅 メロンドーム
日本一に選ばれたお米や新鮮な野菜やメロン、お花などを販売しており、広い駐車場とレストランもあります。

道の駅・旭志
「道の駅」旭志は、国道325号沿い、日本で有数の畜産の村である旭志村の自然に囲まれた美しい場所にあります。旭志村の特産品、とれたて新鮮野菜をはじめ旭志牛の柔らかくジューシーな味も楽しめます。5月末頃にはゲンジ蛍が見られ、10月にはコスモス祭り等、各種イベントも盛りだくさんです。また、道路情報、観光情報等を案内人が紹介しています。

四季の里旭志
標高500メートルの最高のロケーションの中に露天風呂があります。「夕焼けの湯」と「くらたけの湯」の2つがあり、ここから眺める夕日は見事です。さらに、薬草湯やジェットバス、サウナなどがあり、特に豊富な湯量の大浴場は人気があります。ここには、冬でも快適な室内温泉プールがあり、大人も子供も一緒に楽しめます。貸切風呂もオープンしました。また、キャンプ場もあり、ログハウスや常設テント、オートキャンプサイトがあります。眺望がよく、天気の良い日は有明海も一望できます。ログハウスから眺める夕暮れは最高です。カンガルーやウォンバットのいるふれあい広場、旭志シャクナゲ公園なども併設しており、1日中楽しめます。展望レストランでは「ラム肉ジンギスカン」を始めました。コラーゲンたっぷりでダイエットにも最適です。

姫井の水神木
この姫井地区の氏神様である乙姫神社の下にある湧水のそばに、大きなムクノキがあります。あたかも水を守っているかのような立派な木、これが「水神木」です。「水神さん」と、親しみをこめて呼ばれたりもしています。

藤尾支石墓群
藤尾支石墓群は熊本県指定文化財にもなっている県下でも本格的な支石墓です。
支石墓とは埋葬盛土した上に支石を置き、その上に大石を乗せた埋葬遺構で甕棺墓と共存しています。発掘調査によりますと、支石九基、積石四基、甕棺から築造年代も弥生中期のものであることが明らかになりました。
積石墓周辺では縄文前晩期土器や黒曜石サヌカイトの剥片も出土しているそうです。

善光寺
真言宗の古寺で鞍嶽山善光寺といい、「肥後国誌」によれば大同元年(806年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が筑後国に清水寺を建立していて、夢に感じて鞍嶽の麓に善光寺を建立したと伝えられています。
現存する堂内には、薬師本尊、日光、月光菩薩と十二神将が祀られ、7年に一度開帳されます。境内入口には、明応4年の宝篋印塔があり、参道には五輪塔が並んでいます。

円通寺の石門
円通寺は、延久3年(1072年)藤原則隆(菊池氏初代)の創建によるが、石門は江戸時代の天保の頃、自忍和尚が復興につとめた時のものであると伝えられている。

合志市

竹迫城跡公園
「竹迫城跡公園」は鎌倉幕府の地頭職として関東より下向してきた中原師員(なかはらもろかず・のちの竹迫輝種)が12世紀後半に築いたと伝えられる中世の城跡です。現在、園内はなだらかな芝生の丘になっており、本丸跡からは天然の地形を生かした土塁と空堀で守られた中世の城の特徴を見ることができます。また、同公園内には192枚の磁器タイルに町の歴史や日本の城を焼き付け・紹介した「歴史広場」や世界中の竹、約30数種を集めた「竹植物園」、上庄堤にかかる「寛永堀橋」などの施設が整備されています。現在、地域住民による「ホタルを守り育てる運動」が展開されており、公園横を流れる東谷川では毎夏、数千匹の蛍が飛び交います。

竹迫日吉神社
日吉神社の草創は正治2年(1200)といわれ、楼門は安土桃山時代に建てられたと伝えられます。拝殿には吉岡蘇雪が描いた天保、嘉永、慶応の絵馬が数枚掲げられています。平成10年度に修復工事が行われました。

野付天満宮
創立その他は不明な点がありますが 明治43年(1910年)に改築されています。
更に平成15年(2003年)改修されて今のような形になっています。
広い境内には 神殿と拝殿とが別棟からなり、神域には、椋の銀杏などの大木がある。
拝殿の前には 『 平井川さん 』 と呼ばれる遊水地があり、年中をとうしての湧水があり、以前は地元にとって貴重な水源でした。

ユーパレス弁天
天然温泉が人気の施設です。泉質は、弱アルカリ性単純温泉で、神経痛、リュウマチ、糖尿病などに効果があるといわれます。県内最大級の広さの浴槽のほか、岩風呂・うたせ湯・サウナ・露店風呂・水流浴、深浴槽など12種類の風呂が楽しめます。そのほかに、25mプールのほか、流水プール・幼児用プールがある温水プール、最新のトレーニングマシーンが揃ったトレーニングルーム、卓球場、マッサージルームのほか、芝広場には、グラウンドゴルフ場も完備しています。物産館、レストラン、宴会場、研修室などもあります。

二子山打製石器製作遺跡
二子山石器製作遺跡は、縄文時代晩期(約2500〜3500年前)の遺跡で海抜90mに位置する丘陵(2万u)に打製石器・石材・岩片を多く埋蔵しています。何度か教育委員会を中心に調査が行われ、昭和47年に国指定の遺跡になりました。

永田支石墓
支石墓は弥生時代の墳墓の一形式である。数個の塊石を並べて上に大きな半石をすえ、その下に遺骸を置く。埋葬は直葬のこともあるが、箱式石棺、甕棺を埋めた例もあり、副葬品は土器、やじり、管玉、鏡などを埋葬する場合が多い。

菊陽町

鼻ぐり井手
加藤清正の治山・治水事業はよく知られていますが、慶長13年(1608)掘削された馬場楠井手もその一つであります。とくにこの井手を著名にしたのは、「鼻ぐり」と呼ばれる特殊な技法が用いられているからであり、「鼻ぐり」は、火山灰土壌による泥土の堆積から灌漑用水井手の維持管理のために考案された、水力を利用して井手底の堆積土砂をつぎつぎに下流に排出する仕組みの遺構であります。 この「鼻ぐり」は当初約80ヶ所設けられたが、江戸時代末期に水理を知らない役人によって約50ヶ所が打ち壊されましたが、現在も26ヶ所が残っており、全国無類の遺構といわれています。

南郷往還跡
肥後の国府(財務を司る役所)は、9世紀から14世紀末まで、古町村(現在の熊本市古町)にあり、これを「飽田府」とよび、政治・経済・文化の中心地となっていました。この肥後の国府と阿蘇南郷(南阿蘇盆地)とを結び、さらに色見(阿蘇郡高森町)を経て、豊後竹田(大分県南西部)へ続く経済・文化交流の重要な道路が南郷往環でありました。

鉄砲小路
江戸時代、熊本藩主「細川忠利公」によって整備された鉄砲小路。
熊本城から「鬼門」にあたるこの場所は、外部の侵略から、熊本市周辺を守るために整備されました。
鉄砲小路の生垣は熊本の景観賞に選ばれています。

菊陽町総合交流ターミナル
さんふれあ
平成12年6月にオープンした温泉館で、大浴場、露天風呂、サウナのほか、家族風呂や身体障害者対応浴室があります。なかでも大浴場にはジャグジーが、また露天風呂の一角には約80度の蒸気で温められたサウナが併設されています。無料で休憩できる大広間や農産物直売所、アイスクリームショップなどもあります。菊陽杉並木公園「さんさん」が隣接していますので、1日楽しめます。
泉質は弱アルカリ性単純泉で、神経痛やリウマチ、疲労回復などに効能があります。

上津久礼眼鏡橋
この眼鏡橋は、津久礼井出(大アーチ)と、瀬田下井出(小アーチ)下流に架かる二連式石造アーチ橋です。この橋の特徴は、津久礼井出の川底は低く、瀬田井出は高く、周辺の実情に合わせて構築されていることです。津久礼村(区)は、もと白川端にあったものを、延宝時代の始頃(1677)当時の藩主細川綱利公の命により、現在地に移住し、元禄12年(1699、御普請方、野口小次右衛門)津久礼井出が完成すると、これまでの畑地が水田となり、経済性の向上と共に、この眼鏡橋が架けられたものと思われます。

下津久礼六地蔵
全高2.50m、宝珠(最上部分)、龕部(仏を刻んだ部分)は、後年の作と思われますが、笠(かさ)・中台・幢身は当初からのものです。この六地蔵は、現在地の南方約300m、字「鶴中」通称「六地蔵」の辻に建っていましたが、延宝6、7年(1678〜1679)のころ再三にわたる水難のため、村移りと共に窪田八幡宮の南方50m、村道の辻に移設されました。昭和46年(1971)区公民館の新築移転に伴い現在地に移されました。

下津久礼日吉神社
正治2年(1200)斉院次官大膳大夫、中原親能の四男、摂津守師員が、ときの将軍、源頼朝から肥後国合志郡の地頭職を命ぜられ、二子村に下向して、近江国比叡山から「日吉山皇社」を勧請して守護神としたのが始まりである。

井口眼鏡橋
この眼鏡橋は、馬場楠井出に架かる単一アーチ橋(石造)である。この橋の特徴は、輪石を石契で継いだ工法が用いられている点である。この技法は琉球式(沖縄)石組みといわれ、県内でもきわめて珍しい石橋の一つである。

六道塚古墳
辛川から道明へ延びる農道沿いに一本の大木とともに小高い丘があります。5世紀頃(古墳時代中期)に築造された円墳と考えられています。

今石横穴群
この横穴は、7世紀半頃に造られた地方の首長等の墓と思われ、明治17年県道の開通により発見されました。

大津町

日吉神社
正保元年(1644)近江坂本山王社より、勧請。細川氏が参勤交代の安全鎮護のため、昭和3年(1928)東嶽城跡に(現在地)遷宮。熊本市内からおよそ30分のところに位置し、平戸系のツツジが約3000株あります。神社の南側の斜面を町役場が借りており、ツツジはその斜面に沿って植えてあります。見頃は4月下旬〜5月上旬で、一斉に咲き乱れたツツジは見事です。のどかな春の一時を過ごせます。

昭和園
昭和園は、様々な種類のツツジがあることで有名で、その数は15種類もあり、4万本という豊富な数のツツジが植えられています。ミヤマキリシマ・サツキ・シャクナゲから珍しい外国のものまでバラエティーに富んでいます。散歩道を歩きながら眺めるツツジは、色とりどりに咲き誇り見事です。4月下旬〜5月上旬が見頃です。
種類は他にも、クルメ・サツマベニ・ベニオオダン・長崎クマノ等があります

大津つつじ祭
日吉神社、昭和園、大松山公園、つつじ公園では、ツツジの咲き誇るシーズンになるとパレードや音楽祭等のイベントがあり、多くの花見客で賑わいます。昭和園は、ツツジの種類が豊富なことで有名で、その数は15種類4万本にのぼり、ツツジの種類として馴染みのあるミヤマキリシマ・サツキ・シャクナゲから珍しい世界のツツジまでバラエティーにとんでいます。

塘町筋
寛永の頃に熊本藩主細川忠利公により堀川(瀬田上井手)の開削工事が再開された際、工事の廃土により築かれた川塘の上に建てられた町並みが塘町筋です。ここは、豊後街道に面しており、宿場形成のために一部白川筋の住民を移住させるなど、当時政策的に作られた町です。

高札場跡
手永会所や御蔵のあった上大津と塘町筋の境にあたる、今の鶴口橋のそばが人々の行き来の中心となっていました。手永会所は、きびしい決まりや命令を人々に伝えるためそれを書いた立て札=高札(こうさつ)をこの橋の北側に置き、ここを高札場としました。ここには色々な決まりを書いた「おふれ書」が、年中掲示されていました。中には、家・着物・見せ物・身分などについてきびしい決まりがあり、絶対に従わなければなりませんでした。

五里木跡
豊後街道には、熊本城から一里毎に里程を示す木が植えられています。その五里を示す木が、上大津の桜山にありました。この桜山の「五里木」一帯は、街道筋室附近の「八丁桜馬場」の桜の木を育成したところで、花見の場所もなっていました。
また、藩主参勤の折、大津の人々が行列を出迎える「殿様拝み」の場所は、この地より東側と定めてありました。ちなみに、四里木は菊陽町南方、六里木は新小屋、七里木は古城峠にあります。

道の駅大津 熊本文化の森
道の駅大津にあり、物産館やレストランなどさまざまな施設が揃っています。全国の陶芸、ガラス工芸、民芸品を展示販売している「おもしろ館」には、40もの窯元の作品が並ぶ陶芸コーナーがあり、普段使いの器から大作の器までズラリ。物産館では馬刺や辛子レンコンといった熊本の特産品、大津特産のからいも、地酒、菓子などの土産物が揃っています。国道57号沿いにあり、広い駐車場を完備しているので、ドライブ途中の休憩所としても人気があります。

清正公道
豊後街道のうち、菊池郡大津町から阿蘇郡阿蘇町二重峠までの道。加藤清正にちなんでこの名がある。大津町から北へ、上大津を経て東、阿蘇外輪山のすそ野、高尾野、新小屋などの集落を通り、くぼ地の多い坂道を約 14キロメートル上り、二重峠に達する。道の両側に茂っていた杉並木は、明治初年に伐採された。明治17年(1884)比丘尼谷の難工事により立野火口瀬を抜け熊本から阿蘇に至る新道が開通して以来、この道の交通上の重要性は薄れた。

不知火諾右衛門墓
安政元年(1854)十両、同3年11月西前頭7枚目に入幕し、細川藩のお抱え力士となり、同4年1月不知火光右衛門と改名しています。以後、順調に勝ち進み、同7年2月小結で8勝1引き分け1休の成績で優勝、文久2年(1862)2月大関に昇進、同3年11月吉田司家から11人目の横綱免許を受けました。

上陣内石幢
石幢とは六地蔵の下側部分の竿石のことで、銘文によると文明年間(室町後期)からあった六地蔵の残りです。それが周辺の小字名であるロクンゾの由来となっており、この地を通る陣内の下道は古いころから栄えていたことが伺われます。

江藤家住宅
江藤家住宅は、大津町に散在する江戸時代の「在御家人」(郷士)の住宅の中でも、最も大型、かつ建築年代の古いものの一つです。
主屋は文政13(1830)年の建築で敷地の中央西寄りに南面して建ち、周囲には長屋門、馬屋、中の蔵、裏門があります。
住宅は、白川北岸の肥沃な田園を基盤とした豪農民家としての面と、次第に成長してきた武家屋敷としての面を併せ持っています。
内部は、座敷部を中心に幕末の優れた細川藩御用絵師や職人の手による贅を尽くした床飾りや障壁画があります。

窪田日吉神社

集落のほぼ中央にあります。氏子は大津町では下町、灰塚、それに菊陽町の上中代、出分、中代、津留、川久保に広がっています。下町は東、西、北の3組がそれぞれ2組ずつに分かれ、6つの宮座組になっています。
春の祭りは4月初めの申の日の「申祭り」です。各家から神社に集まって神事を行います。次の座元を決めたあとに大杯の酒での接頭渡しをして、その杯は参加した者全部にまわされます。直会が終わると新座元は御幣を受けて帰ります。


大津温泉岩戸の里
大津温泉の周辺には、自然の景観が素晴らしい岩戸渓谷と、大国主命と小彦命名の2祭神を祀った岩戸神社があります。その近くで温泉が出たことから、「大津温泉岩戸の里」と命名されました。露天風呂からは阿蘇の山々が見渡せ、白川の清流が眼下に望めます。他にも大浴場やサウナ、うたせ湯、歩行湯があります。また、館内には家族湯や和風レストラン、大津の特産物が販売されている物産コーナーも完備しています。





山鹿