山鹿市 |
山鹿温泉 | |
山鹿温泉は、平安時代に書かれた「和名抄」に温泉郷として1000年以上前にすでに記されています。1800年程前、傷ついた鹿が沼で傷を癒しているのを見て、宇野七郎源親治公が温泉を発見したと言われています。泉質は柔らかく湯量も豊富で、「山鹿千軒タライなし」と唄われるほどです。 泉質は単純アルカリ温泉です。効能はリウマチ、神経痛、疲労回復、神経炎です。 |
湯の端公園 あし湯 | |
豊前街道と国道325号が交差する街角の公園内にあります。 平安時代の「和名抄」にも温泉郷として登場する歴史のある山鹿温泉。 まろやかな天然温泉の肌ざわりを気軽に楽しむことができます。中には小石が敷きつめてあり、歩くとつぼを刺激して疲れも癒せると評判です。 少しぬるめのお湯でゆったりとした時間をお楽しみください。 |
さくら湯 | |
明治時代から公衆浴場として親しまれる立ちより温泉施設です。玄関は、明治期の創業当時のまま残されている愛媛県の道後温泉本館を模して造られたものです。大浴場は純和風の落ち着いた雰囲気です。入口前には飲用の温泉場があります。2階には休憩所があり、入浴後は料理も味わえます。 |
薬師堂 | |
千年以上の歴史がある山鹿温泉も、文明5年(1478)3月に突然枯れました。当時の湯主、左近郷近宗は、菊池氏の祈祷寺だった湯町九日町の金剛乗寺・第八世宥明法印に、温泉復活の祈祷を依頼しました。法印は薬師堂を建立し、毎日丑の下刻に起床し身を浄め祈祷を行いました。満願になると以前より勝る湯が湧き出しました。町民はこの日を温泉祭とし法印の功績をたたえ、薬師堂を湯の守り神として今も大切にしています。 |
山鹿灯籠民芸館 | |
かつて参勤交代でお殿様が通られた豊前街道を歩くと、大正ロマン漂う洋館の「山鹿灯籠民芸館」が見えます。レトロな外観が印象的なこの建物は、大正14(1925)年に建てられたものです。この民芸館では、山鹿灯籠の展示と山鹿温泉の歴史・文化を紹介しています。館内には100個の金灯籠が下がっており、展示ケースには宮造りや座敷造りの伝統的な灯籠が並んでいます。 |
山鹿灯籠 | |
鹿灯籠は、古くから大宮神社へ奉納するために作られ、伝えられてきました。木や金具をいっさい使わず、和紙と少量の糊だけで作られる伝統工芸品です。 |
山鹿灯籠まつり | |
全国的に有名な熊本の夏祭りで、熊本夏の三大火まつりのひとつといわれる大規模な祭りです。千人灯籠踊り、山鹿太鼓まど多彩な催し物が目白押しです。クライマックスの千人灯籠踊りではやぐらを中心に踊りの輪が八重に取り囲み、明かりを灯した灯籠を頭に乗せた女性たちが「よへほ節」の調べにのって踊ります。闇夜で揺らめく灯籠の光は、とても幻想的な雰囲気を漂わせます。この灯籠は和紙と糊だけで作られた「骨なし灯籠」と呼ばれるもので、山鹿の長い歴史と伝統の象徴ともいえます。毎年8月15〜17日に開催され、15日には、菊池川河畔の花火大会も行われます。 |
八千代座 | |
八千代座は、明治43年建築され、回り舞台や枡席、花道など江戸時代の歌舞伎小屋の長い歴史を伝える芝居小屋として有名です。その八千代座も、老朽化のため保存工事をしていましたが、5年にわたる平成の大修理を終え、平成13年6月1日にオープンしました。 |
山鹿灯籠浪漫 | |
歴史的な街並みに灯籠と番傘を使った灯りのモニュメントが、歩く人々の姿を幻想的に包み込み街道の灯りが奏でる「山鹿灯籠浪漫」は時代の旅人になったような気分になります。また、歴史的町並みの景観を誇る豊前街道は風情漂うお店が建ち並ぶところ。店に入れば灯籠制作現場や紙の芸術の世界を堪能できます。 |
金剛乗寺 | |
天長年間(824〜834)に空海によって開かれ、かつては建物が大きく西の高野山と云われました。一時は途絶えましたが後鳥羽天皇の勅願で再建され、宝徳年間(1449〜1452)に宥明法印住職によって復興されました。
宥明法印住職は、文明5年(1473)3月温泉が突然枯れてしまったとき、薬師堂を建て祈願をして温泉を復活させた山鹿温泉の大恩人と云われています。 |
金剛乗寺 石門 | |
石門は、文化元年(1804)に石工・甚吉によって造られたもので、昭和50年2月、市の「特別文化財工芸品」に指定されました。異国を思わせるようなデザインは町の人々に親しまれています。 |
長源寺 | |
山鹿の市街地プラザ5ビルの南側、温泉通にある浄土宗長源寺の楼門左手前にある。湯町山鹿の観音堂の代表格。 本尊の両脇に三十三の色々な観音像がある。 本尊/聖観音堂金色座像 ご詠歌/よしみずの 清き流れを汲みてしれ 御法も寺もながきみなもと |
山鹿大宮神社 | |
景行天皇が九州を巡行した際の行宮(仮御所)跡地に景行天皇を祀った神社です。ここの例祭は8月16日に開催される山鹿灯籠まつりで、境内にある燈篭殿には祭りで奉納された山鹿灯籠約30基と、御神宝「三十六歌仙絵」パネルが展示されています。また、九州一の数の猿田彦大明神石碑や無病息災や手足の病を癒す神様などをまつる境内社、御神木「実のなるモクセイ」の木など、見所もたくさんあります。 |
山鹿大宮神社燈籠殿 | |
山鹿灯籠は、山鹿の長い歴史と伝統を語る工芸品です。山鹿灯籠は、室町時代の金灯籠に始まり現在に至るまで、木や金具はいっさい使わず、和紙と少量の糊だけで作られています。灯籠の制作者は灯籠師と呼ばれますが、灯籠師には高度な技術と熟練が要求され、1人前になるには10数年の期間を要すると言われています。灯籠祭りでは灯籠30基が大宮神社に奉納されます。 |
惣門 | |
山鹿湯町の南口、惣門は今も古い町並みが残り、伝統の商家が軒を並べています。 酒蔵・味噌蔵・米蔵等米関係の商家を廻る「米米惣門ツアー」が大好評!ガイドは地元の商店主。普段は入れないところまでご案内します。 |
火除け地蔵尊 | |
この場所には、その昔は像成寺という寺が在った。 そのあと、寺はつぶれ、跡地にはやがて山鹿城と呼ばれる城が建つ。 このとき、この場所が 城内への西の入り口となり、像成寺口、または地蔵口 と称されていた。 |
千代湯 | |
クラシックな外観に、縁起のよい名前。もちろんお湯のほうも素晴らしい大衆浴場です。岩造りのこぢんまりした露天風呂や低周波の刺激が心地いいという電気風呂が、数あるお風呂の中でも人気があります。 |
ならのさこ温泉 いやしの湯 | |
当温泉ならのさこ温泉 いやしの湯は、高温泉では日本一と言われる三朝温泉(鳥取県)に次ぐ高濃度の天然ラドン温泉であり、全国有数と称される良泉と施設は、新しい湯治型温泉として注目を集め、喘息、アトピー、リウマチ、腰痛、神経痛など各種疾病に悩む方々が多数訪れられています。 |
加藤神社 | |
明治35年の勧請。 比較的新しい神社である。 祭神は、加藤清正朝臣。 熊本ならではの神社かもしれない。 大宮神社の境外 末社で従来は雑社。 |
火登り地蔵 | |
湯町のあちらこちらにある、火除け地蔵の一つであるが、この地蔵だけには逸話がある。 この地蔵、始めは長源寺にあったのだが、火事が起こる度に、ひとりでに東へ坂を登るといい、ついには花見坂の一本杉の根元にまで上ったという。 今の場所に移されたのは 明治100年のことである。 |
光専寺 | |
数々の歴史の舞台となってきた寺だが、近代化の混乱の中、一万人集会などが開かれた民主主義政治発祥の地でもある。 また、 近松門左衛門の「夕霧伊佐」のモデルとなった宗方屋利平は山鹿の豪商であるが、その墓がある。 豊前街道沿いにあり、このあたりから南は下町(しもまち)と呼ばれ、特に米に関した商家が多い。 |
中町大神宮 | |
鳥居は伊勢神宮。 中町公民館と同じ敷地にある。 |
弁慶ケ穴古墳 | |
弁慶ヶ穴古墳は、5頭の馬と人物、船に乗った人物、騎馬像などの形象模様が色鮮やかに描かれており、1500年前の古代人たちの文化や風土を伝えています。 |
熊入温泉センター | |
無色・無臭の湯は、弱アルカリ性で皮膚病に効果あり、大浴場は、ぬるめ・普通・熱めの3つの浴槽があるので、湯加減が自由に選べます。また、家族湯もあるので、小さなお子さんのいる家庭でも気兼ねなく楽しめます。 |
亀塚古墳 | |
菊池川の川沿いにある前方後円墳だが前方部は不明、大きな後円部が残っているが上がすっかり削平され台状になっている。 |
方保田東原遺跡 | |
邪馬台国の時代と重なる弥生時代後期から古墳時代前期(3〜4世紀)にかけてのものと推測されている県内最大級の集落遺跡。東西200m、南北150mの広さがあり、住居跡80、石棺などの埋葬施設21、溝状遺跡5が発掘され、青銅器も多く出土しています。 |
山鹿市出土文化財 管理センター |
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出土文化財管理センターでは、発掘調査で得られた出土品(土器や石器など)の水洗い、注記、接合、復原、実測などといった整理作業を行っています。また、山鹿市内の発掘調査で出土した土器や石器などコンテナ約3000箱を越える出土品を収蔵しており、整理作業と合わせて、常時見学することができます。 この出土文化財管理センターは、国史跡方保田東原遺跡に隣接しているので、遺跡のガイダンス施設としての役割も果たしており、出土品の展示や説明会場などとしても活用しています。 |
水洗温泉 | |
菊池温泉と山鹿温泉の中間にある鹿本町その国道325号沿いに水洗温泉(浴場)はあります。 観光帰りやドライブ途中にお寄り下さい。 |
山鹿どんぐり村 | |
休憩処風の一階は大広間、カフェテラス、喫煙室。二階に広間、小部屋、カラオケ広場、個室そして本格的マッサージの店ほぐし屋本舗などがあります。 さわやかな風が、庭の木立をぬって湯上りの肌に心地よく吹いてきます。温泉に入って休息のひと時をゆっくり静かに過ごしたりあるいはカラオケで楽しく騒いだり、ご希望に応じて御利用下さい。 |
水辺プラザかもと | |
「水辺プラザかもと」内にあるふるさと物産館には、メロンやいちご、花、有機野菜など安くて新鮮な特産品が販売されています。他にも、手作りの惣菜やだんご、無添加の豆腐や味噌などの加工品も並んでいます。農園レストランでは、安全で新鮮な食材にこだわった料理を味わうことができます。その他、ゆうきの野菜園、地麦パン工房、ヘルシージュースとジェラートの店等があり、水辺公園等も併設しています。また、日帰り温泉施設「湯花里」の大浴場には、ハーブ湯・泡風呂・瞑想の湯・舞湯等があり、露天風呂や森林浴サウナも完備しています。また、「元気ルーム」では九州初の導入となるウォーターベッドのマッサージ機があり、温泉と併せて利用し、日頃の疲れを癒すことができます。 |
鞠智城 | |
山鹿市菊鹿町米原を中心に菊池市堀切まで広がる広大な城跡です。その広さは、東京ドームの12倍にもなります。鞠智城跡は、大和朝廷が7世紀後半(約1,300年前)に築いた山城で、内城と外緑地区からなります。昭和42年から行われた調査では、これまでに食糧を保管した米倉や防人たちが寝起きした兵舎等、67棟の建物跡が発見されました。併設する資料館「温故創生館」では多くの資料、記録映画の放映があります。また、敷地内には物産館もあり、菊鹿の特産品などが販売されています。 |
鞠智城温故創生之碑 | |
「鞠智城温故創生之碑」は鞠智城のシンボルとして平成8年に建てられました。中央に防人、前面に防人の妻と子、西側に築城を指導したといわれる百済の貴族、東側に八方ヶ岳に祈りを捧げる巫女、北側には一対の鳳凰が立っています。その像が立つ台座には、万葉集からの防人の歌と鞠智城の歴史を解説した6枚のレリーフが掲げられています。 |
温故創生館 | |
温故創生館は、鞠智城の歴史と、鞠智城があった時代を学ぶスペースとして平成14年にオープンしました。館内には鞠智城の模型や出土品などが展示されているほか、 解説ビデオなどを見ることができる「映像解説室」(定員は45名)があります。また、鞠智城全体を眺めながら休憩できる「展望スペース」もあります。 |
長者さんの足形石 | |
上原地区の町道沿いにあった大石です。上面が窪んでおり、米原では、「長者さんの足形石」と言い伝えてきました。米原長者伝説に関連するものです。 同例としては、球磨郡山江村の山田城に、「西郷さんの足形」と呼ばれる岩の窪みがありました。 |
赤米 | |
6月4日に田植えを行った古代米「赤米」の稲穂が出はじめ、その名のとおり赤く色づきだしました。 今年は、ちょっと早いようで、この真っ赤に色づいた赤米の見頃は、9月上旬頃までです。8月下旬が一番、きれいに見られます。 |
津袋古墳群 | |
この古墳群は菊池川支流の内田川流域に接する御宇田大地の東端にある津袋丘陵の最頂部から尾根線沿いに降りながら並ぶ、4世紀末〜5世紀中頃の円墳群である。 |
一本松公園 | |
石のかざぐるまが立つ公園として有名です。広い敷地内には、古墳、ピラミッドを思わせる不思議なデザインの休憩スポット「四季彩堂」や鹿本の自慢の品々を揃えた特産品販売所、自然の中でプレーできるテニスコート、アウトドアを満喫できるキャンプ場、グラウンド等があり、散策したりスポーツしたりとアウトドア派にぴったりの公園です。子ども達に大人気のアスレチックや全長90メートルの巨大な滑り台もあり、休日には多くの家族や子どもたちが訪れます。また、四季折々の草花が咲くフラワー広場もあります。 |
小町塚古墳(津袋古墳群) | |
7基から構成される津袋古墳群の一基。現状では墳丘周囲が大きく削平され直径9メートル程となっているが、平成3年の調査で直径23.7メートルの規模を持ち幅1.9メートルの周溝が存在する事が明らかとなった。内部主体は『肥後國史』の記述から石棺の存在が判明しているが、未調査のため詳細は不明。築造年代は5世紀代と推定される。 現在、一本松公園内に位置しており整備されている。墳丘の形状は旧来のままだが、周溝に礫を敷き詰めて当時の規模を復元表示している。 |
不動岩 | |
山鹿市北東、標高389mのなだらかな丘陵に3つの巨大な岩がそびえています。それが不動岩です。この名の由来は、平安時代、山伏たちが山中にこもり、不動明王を神様としてまつり、修行したことに由来しています。明治40年(1907)には滑石製の経筒が発掘されました。岩が空へ向かって立つさまは、迫力満点で見ごたえも十分です。前不動・中不動・後不動とそれぞれ呼ばれ、一番大きな前不動からは山鹿市街や米野山を眺めることができます。また、周囲には九州遊歩道が整備され、展望所まで四季折々の風景を眺めながら散策を楽しむことができます。 |
不動明王神社 | |
不動岩の名前は平安時代、山伏たちがこの山中にこもり、不動明王を本尊として祀り修行したことに由来します。当時、たくさんの山伏たちがこの岩の周りに坊を建て、修行していたと伝えられています。 |
瀬戸口横穴群 | |
瀬戸口横穴墓群は、七城町のうてな台地の西側に、250基以上存在する県下でも最大規模の古墳時代の終わり頃の横穴墓群です。その存在は以前から知られており、過去、何度か発掘調査がおこなわれてきました。 |
あんずの丘 | |
町の特産工芸村で、押し花館、伝承工芸館、ハーブ館などがあり、各施設で工芸体験が楽しめます。菊鹿町の観光農業の拠点です。レストランきくか茶屋では、民芸調の落ち着いた店内で、菊鹿町でとれた山の幸を味わうことができます。 |
日渡洞口橋 | |
安永3年(1774)、前川(太田川)に架けられた輪石1列のリブアーチ式石橋。 平成4年6月大雨で流された為、平成6年、日渡地区の人々の手で、すぐ近くに復元保存。 |
相良観音 | |
京都・延暦寺の末寺、相良寺に祀られている千手観音は、丈六座身で木彫座像の拝観音としては日本国内最大です。古くから安産や子授け、縁結びに御利益があると親しまれています。毎年3月15日から18日にかけて春季大祭が開かれ、秘宝の『地獄極楽絵図』、『釈迦涅槃絵図』が公開され、たくさんの参拝客で賑わいます。また、相良寺の参道近くには、日本ではここしかないとされるアイラトビカズラが生息していることでも知られています。 |
アイラトビカズラ | |
アイラトビカズラは、相良寺にある樹齢1000年の天然記念樹。4月下旬〜5月上旬に、蝶形の花びらが10〜20枚ほど重なった濃い紫色の花を咲かせます。日本に1株しか自生していないといわれる珍しいマメ科の植物で、かつて、日清・日露戦争の際に2度咲いただけといわれるていますが、近年は毎年花を咲かせています。 |
菊鹿番所地区 | |
熊本県一の彼岸花の名所・山鹿市番所地区に秋が訪れると、頭を垂れた黄金色の稲穂と彼岸花の鮮やかな景観を見ることができます。ここは古い家並みや石垣が残っており、その光景は農村景観大賞を受賞し、全国棚田百選にも選ばれました。開花時期は9月下旬〜10月上旬です。 |
矢谷渓谷 | |
内田川・木野川などの清流が流れ、八方ヶ岳と国見岳に囲まれた矢谷渓谷。岩場を曲がりくねって流れ落ちる渓流の滑り台(ウォーターシュート)は、スリルがあり子供達に人気です。また、八方ヶ岳への登山やヤマメ釣りも楽しめます。他にも川で泳いだり、釣り堀で釣りを楽しむことができます。春には新緑、秋には紅葉と四季折々の自然を満喫できます。敷地内には渓流と緑に囲まれた大自然の体験型キャンプ場、高級ケビンやオートキャンプ場を備えた「マザーネイチャーきらり」があります。 |
隈部館跡 | |
約500年前、菊池一族隆盛の頃に築かれた山城で、城主は隈部氏。 館跡には数棟分の家屋礎石が並び、泉水跡、庭園跡等も発掘されました。いまでもその原型を留めている。 庭園は室町時代の作庭と推定され、中世庭園の姿をそのままを伝えています。 |
恵温泉 | |
玄関を入ると受付前では地元で取れた卵や果物などが販売されています。 ここは貸切風呂が人気で利用客がとても多い。 男女別の大浴場は内湯と露天風呂があり、内湯の湯口から出る源泉は飲泉も出来ます。 露天は内湯よりかなりぬるくなっていますが加水はしてないそうです。 |
薄野一つ目神社 | |
一つ目水源近くにある神社。祭神は天木一箇神や鍛冶屋の神様といわれており、眼病に御利益があるともいわれています。 |
一つ目水源 | |
一つ目水源からコンコンとわき出る清水は天然石を配した水路を流れており、その美しい景観から「熊本名水百選」に選ばれています。 |
チブサン古墳 | |
古墳時代後期(500年頃)に造られたもので、後円部に開いた横穴式石室の玄室に設けられた厨子形石棺の内壁に赤・黒・白の3色で描かれた三角やひし形文様が連続して描かれた中に、二重の円文が描かれ、それが人の目玉や口に見えます。また、その組合せは見方によっては女性の乳房に似ていることから「乳の神様」として現在も信仰されています。 |
肥後古代の森公園 | |
熊本県北部に位置する「肥後古代の森」は、菊水・山鹿・鹿央・菊鹿・菊池の5つの地区からなります。江田船山古墳を中心とした「菊水地区」、チブサン古墳を中心とした「山鹿地区」、岩原古墳群を中心とした「鹿央地区」、古代山城・鞠智城跡を中心とした「菊鹿・菊池地区」の古墳公園・歴史公園では、自然と触れ合いながら、古代への息吹を感じることができます。 |
オブサン古墳 | |
オブサン古墳は、チブサン古墳の北西約200mに位置する直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳で、主体部は巨石で造られた横穴式石室があります。
特徴は、内部の後室の仕切り石に描かれた連続三角文などの装飾や石室の前面に突堤を持っていることです。 時代は6世紀後半の築造とみられ、6世紀前半に造られたとみられるチブサン古墳との関連を知るうえで重要です。 「安産の神様」として親しまれています。 |
山鹿市立博物館 | |
山鹿市立博物館は、昭和53年4月1日、県内2番目に開館した博物館です。 建物は鉄筋コンクリート2階建て、延べ面積681uとかなり小さな博物館ですが、展示されている資料は豊富で、山鹿市を中心とした菊池川流域の考古資料のほか、歴史資料や民俗資料を展示しています。 全国に唯一の石包丁形鉄器や、30数例しかない巴形銅器など大変貴重な資料も展示しています。 |
追分石 | |
道が左右に分かれているところを追分といい、そこに立てられた道しるべが追分石である。この石柱は豊前街道に沿う山鹿市日吉町、松坂町との角に立っていたもので、右 国道兼松(現在八女方面)、左 南関道としるされている。なお、この追分石の下の道が豊前街道で、参勤交代の大名行列が通った所である。 |
熊入橋碑 | |
吉田川に架かっていた眼鏡橋が河川改修のため撤去されたので、架橋当時の記念碑だけが保存されています。 |
大坪橋 | |
この眼鏡橋は幕末の名惣庄屋福田春蔵が慶応元年頃(1865年頃)宗方・中村地区の住民が水利に乏しく、干害に苦しむのを憂え、寺島井出の用水を引くため関係地区民とともに苦心惨憺して、吉田川右岸のもと熊入字大坪86−2番地から山鹿字七ッ石1976−2番地へ架橋されたものである。 この橋は矢部町にある通潤橋につぐ全国第二位の用水橋であり、二連橋としては県下170基のうち第十一位にかぞえられ、すばらしい造形美をみせる石の芸術である。 |
鍋田横穴群 | |
鍋田横穴群は、古墳時代後期(今から約1400年前)に作られた群集墓です。鍋田には阿蘇大噴火でできた溶岩(阿蘇凝結熔解岩)が露頭している場所があり、古墳時代の人々はここに横方向の穴を掘って、お墓としました。鍋田横穴群には総数61基が確認されていますが、その内第27号横穴墓の左外壁には、両手を開き足を広げた大の字形の人物、弓、矢、鞆、大小の靫(ゆぎ:矢の入れ物)、馬、盾などが浮き彫りされています。 |
岩原古墳 | |
墳丘全長107m、後円部直径57m、高さ9mの県下最大級の前方後円墳は、国指定史跡になっています。古墳時代中期の築造と推定されており、昔から双子塚と呼ばれています。この主墳を中心として、それに従うように9基の円墳が点在する岩原古墳群の中にある古墳です。古墳からは石棺等が多数出土されています。古代の一大墓所であったここ一帯は、緑の美しい古墳公園として整備されています。すぐ近くには熊本県立装飾古墳館があります。 |
熊本県立装飾古墳館 | |
前方後円墳をイメージして建てられた装飾古墳館は、建築家安藤忠雄氏の設計です。本館展示棟では、常設展示の他、県内12カ所の装飾古墳の実物大レプリカを展示した「装飾古墳室」や、立体映像を通して古代の熊本を学ぶことのできる「イマジネーションホール」、古墳の探検に来た3人の子どもとゴーストとの会話や冒険によって、当時の時代背景等を分かり易い内容で解説してある「マジックビジョン」等の設備を備えた資料館です。また、別館実習棟や体験広場では古代勾玉づくりや古代絵画教室、土器づくりなどができ、古代火おこしの体験ができます。 |
古代ハス公園 | |
2千年前のハスといわれる大賀蓮をはじめ、現在約20種類の品種があります。6月中旬から咲き始め8月中旬まで可憐な花が咲き乱れます。 この時期には多くのアマチュアカメラマンが訪れます。写真はみずみずしく撮れる早朝がオススメです。 周辺には、たくさんのアジサイも咲き誇ります。 |
康平寺 | |
平安時代の康平元年(1058年)に建立され、収蔵庫には、熊本県指定文化財の「千手観音立像と木造二十八部衆像」、「木造地蔵菩薩立像」など、28躰もの彫刻像が収蔵されています。地元老人クラブのボランティアガイドがあり、お茶をいただきながら、収蔵物についての説明を聞くことができます。敷地内には大木のイチョウの木があり、秋には黄色い絨毯を敷き詰めた風景が広がります。 |
島己兮の墓 | |
「かいこの神様」といわれ、肥後の養蚕業の普及発達に貢献した志賀氏の墳墓である。志賀氏は、名は親民半右衛門と号し、隠居して、島己兮と改めた。下米野の住んで、養蚕機織をしていたのを堀勝名に見出されて藩公の命をうけて、宝暦11年(1761)12月から翌年6月まで京都を中心に機械業先進地をめぐって、技を磨き帰国後、養蚕並びに織絹方主任を仰せられて、広く肥後各地を巡回して、その指導にあたり非常に大きな功績があり藩よりもたびたび褒賞を受けた。 寛政8年(1796)12月2日、75才で歿した。 |
下米野横穴墓群 | |
まだ調査されていないが、古墳時代後期の墳墓である。この中には墓室の床面を四区に区切ったものや、天井には細長い彫りこみをつけたものなどがある。 四区に区切ったものは、奥壁ぞいに横に長く一区、左右側壁ぞいに一区ずつあるが、いずれも遺骸を、横たえた屍床で左右の屍床に、はさまれた中央の部分は、遺骸をおさめるための通路である。天井の部分の彫りこみは、家屋の棟を示すもので、その方向によって、その横穴が妻入りの家を示すものか平入りの家を示すものかが分かる。恐らく、その横穴の被葬者が生前住んでいた家を象ったものであろう。 |
日輪寺 | |
日輪寺は、赤穂浪士の遺髪塔があることで有名なお寺です。芭蕉の碑や肥後三大銘鐘のひとつに数えられる楼門の鐘も見られます。春になると、約200本の桜の花が見事に咲き誇ります。また、境内にはツツジ庭園があり、約3万5千株ものツツジが訪れる人々の目を楽しませてくれます。桜の開花時期は、3月下旬頃で、ツツジの開花時期は、4月上旬〜4月下旬頃です。 |
湯町橋 | |
文化11年(1814)の築造で,県下では享和2年(1802)に築造された鹿本郡植木町の豊岡橋に次いで2番目に古い橋である。 昭和55年(1980),県の重要文化財に指定されたこの橋は,長さ17.7m幅4.8m高 さ4.0mで2連アーチになっている。国道443号線の吉田川に架かかり,江戸時代は熊本から山鹿を通り,南関へ抜ける参勤交代のための重要な橋であった。吉田川の改修工事のため移設され,昭和50年,市内の杉の日輪寺境内に復元された。 |
竜王山古墳 | |
馬塚の川を挟んだ東側、日輪寺山の山頂ある。竪穴石室を持つ4C後半の古い古墳だが現状は石垣に囲まれた小さな塚のよう、側に標柱がなければ古墳と分からないかもしれない。麓に日輪寺山 公園があり山頂まで道が通じているが車止めがあり登ることはできない。 麓の稲荷神社境内にも20mクラスの円墳があり周囲の田圃にも幾つかあるようだ。 |
天然温泉フローラ | |
平山温泉郷にある温泉施設で、檜をふんだんに使った大浴場と露天風呂があります。温泉の湯は、地下500mから汲み上げた源泉をそのまま使用。ぬるっとした感触のアルカリ性の湯で、保湿効果のほか、神経痛や皮膚病などに効能があります。シャワーの湯も源泉なので、洗い流しても温泉の成分が肌に残ると好評です。大広間では、季節の料理などが味わえます。 |
湯の蔵 | |
休日にゆっくりしたい時、日帰り小旅行をしたい時、山鹿方面に来られる時には是非山鹿の奥座敷として又、美人湯として名高い平山温泉の高台に立つ「湯の蔵」においで下さい。建物は素朴な民芸調の創りで、竹篭に和紙を張った照明など落ち着いた雰囲気で皆様をお迎えいたします。又食事処や個室付露天風呂があり、ご家族、カップル、グループでおいで下さい。 |
幸の国健康温泉 ゆ〜かむ | |
温泉(岩風呂、ヒノキ風呂にそれぞれ内湯、露天)、プール25m4コース、プールエリア(水着着用)気泡浴、圧注浴、うたせ湯、寝湯、サウナ)、トレーニングジム、スタジオルーム、軽食コーナーなどがある総合温泉施設で、県外客からも多く利用されています。 |
田中橋 | |
菊鹿町への県道18号線沿いの岩野川に架かり、鹿北町最古の石橋で,石工は菊鹿町の藤左衛門と藤兵衛。「化厳矼」または「車橋」とも。「藤からむ巌と化せよ車橋」と橋上の案内板に。明治22年、昭和12年に改修工事。現在ではすぐ隣の新橋に役目こそ譲ってはいるが、造りはしっかりしている。 |
天の岩戸 岩陰遺跡 | |
縄文時代中期から弥生時代・古墳時代に生活の場として利用された自然洞窟です。 数多くの石器や土器が出土し、邪馬台国の卑弥呼出生の地という伝説があります。 |
瘡塩井神社 | |
塩井神社は水神さんで岡象女神を祀る社があってその社に傘メ坊(梶原正信)を合祀したので、瘡塩井神社の社名になったのであろう。 |
道の駅 鹿北 | |
「道の駅」鹿北は、熊本県の北の玄関口として知られる国道3号の小栗峠にあります。熊本市と福岡県久留米市の中間地点で絶好の休憩ポイント。小栗館では、鹿北町で採れた新鮮で安全な農林産物・加工品が大人気。お栗茶屋では旬の新鮮な材料を使った郷土料理を提供しています。また、道路情報、観光情報等を案内人が紹介しています。 |
板曲橋 | |
県道整備の一環として架設された眼鏡橋です。要石端部を角錐形に加工するなど、こだわりを見せています。現在廻淵河川公園に移築復元されています。 |
玉名 |